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Posts Tagged ‘観光’


『すでに「観光都市」は絶対に代えることです』


   


     4月 4th, 2020  Posted 8:07 PM

私は「観光都市」という呼称やあり方に
懐疑的だとこのブログでも何度も言ってきました。
「観光都市」=Tourist city、Sightseeing cityなどは
全世界で観光を産業とする都市ですが、
これには、厳しく「乞食(こつじき)都市」とまで、
過激なことを言ってきました。
というのも、水物でない観光産業を目指すべきだとして
日本がバブルの頃には、地方への企画書に
「何度も通える場所」その考え方を書いていました。
ともかく、私の企画に対して
「難しい」といった反応の連続でしたが、
海外の特派員が絶賛して取材を受けました。
実際その地方は、国内で観光都市でもなく、
いつでも容れる場所、温泉もない、神社仏閣もなく、
風向明媚でもないけれども、ともかく「通える場所」、
もう一度訪れたい場所であることを企画しました。
それこそ、ユネスコ都市なんぞ目指すこと無い、
守りたい継続したい場所にではなく
ユネスコに分担金、拠出金、登録料を流し込んで、
認めてもらう必要があるのでしょうか。
「何度も通える場所」には、まったく違う呼称が必要です。


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『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』


   


     7月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

観光とはある意味では私は極端な表現をします。
乞食(こつじき)産業とまで承知、炎上受諾で言ってきました。
もう少し学術的にはエスノセントリズム=自己尊称で見下し思想です。
日本におけるその最大都市は、京都とそして金沢をあげておきます。
まず、観光都市に変わる○○都市が必要です。
京都でも大きな書店には「京都」案内系の書籍が5段で二つがぎっしり。
確実にこれらの書籍にはエスノセントリズムが根柢であることは確かです。
しかし、私は映画館で車椅子対応は、京都と金沢が一番良いのです。
東京は駄目、どれだけ喧嘩してきたでしょう。これはクレイマーでは無く、
最新を知って欲しいと伝えました。大阪?清潔にしてほしいのです。
「前例がありません」と言うのにはデザイナーはそれに挑むのが当然です。
日本の伝統といえばともかく奈良・京都ですが、実際には、美濃と越前。
つまり、岐阜県と福井県の今では伝統工芸と言われる分野、
紙・漆・陶芸(陶磁器ではなく)・機織り(麻と絹)・刃物・です。
ついでながら伝統工芸は沖縄返還時に法整備されたのです。
こうした労働へのエスノセントリズムが綿々と続いているのでしょう。
現代観光客ではなく実際に外人定住していることこそエスノメソドロジー、
それが京都の宮廷文化と金沢の武家文化への新しいアプローチなのです。
ただし、もはや観光都市を前面にすればするほど三つの間違いがあります。
いわゆるお土産を民芸ということと、民藝は全く別であること。
観光商売での高額商品なりのモノづくり=民芸は貧弱になります。
リゾートというのであれば、何度も通う休息場所が景観の情景なのです。
景観には光景・風景・情景があるのです。だから観光は?なのです。

* 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」
* 『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』
* 『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


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『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった。』


   


     5月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

北陸・福井生まれの自分にとって、端午の節句には
幼い頃の強烈な思い出が残っています。
端午の節句飾り・チマキ・菖蒲の湯の香りです。
チマキもすでに京都の日本風スゥーツ?になっていますが
全くのインチキだと思います。
というより、田舎の方が豊かだったと思います。
幼少の頃は祖母が大釜でチマキを大量に茹で上げていました。
もう一度食べたいと思い出します。
その大量のチマキは宮大工大棟梁一族全てに配るためであり、
台所が大騒動であったことや、きな粉の香りが今も残って居るほどです。
そして菖蒲の湯のために職人さんが菖蒲の俵巻きを
荒縄でいくつもつくっていました。
高校生になっても、それは家に届いていました。
そして、何と言っても、端午の節句のお飾りは、
最初の外孫であったために、ミニチュアの弓矢や刀がありました。
残念ながら飾りの弓矢などは水害で無くしましたが、
刀といっても小刀は残っていて、
しかもそれは本物でありそれほどの切れ味ではありませんが、
小学生の頃は、山で遊ぶときには有効な刀になっていました。
端午の節句、その直前には、父の日本刀の手入れを離れて観ていました。
その時に日本刀の手入れや、
菖蒲の俵巻きの方法などは習っておくべきでした。
すでに端午の節句での鯉のぼりや5月飾りなどを見ると、
あたかも日本の伝統は、お土産物や観光の小道具になっています。
それは伝統文化を商業的に利用しているだけの、
きわめて「貧しい継承」だと思ってしまいます。
日本の伝統継承が貧しくて、
余程、昔の田舎の方が豊かだったと思います。

写真は私の自宅:マンション(集合アパートの玄関飾り)

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『享保の手帖から私が学び直したこと』
*『* 夢の大きさは、祖父への約束 *』
*『大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要』
*『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


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