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Posts Tagged ‘解決’


3月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 5th, 2022  Posted 12:00 AM

3月5日 仏滅(丁巳)

『触覚としてのデザイン』

視覚から触覚へ、
そして
認知へという
デザインの進化は
「触覚としてのデザイン」

問題提起し
解決をめざす。

artificial heart:川崎和男展


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『聖火ランナーと仁徳天皇を比べます』


   


     8月 17th, 2021  Posted 4:00 PM

8月20日にパラリンピックの
聖火ランラーをします。
それは審査をしたので、私としては最終だと
思っています。
そしたら、委員会からランナー用の光る応援用具と、
ランナー用のユニフォームも送られてきました。
大阪から東京に行きます。
感染症で、とてもやっかいな事が起こっています。
しかし、これは首相が何を勉強してたんだ、と
私は思っています。
これは歴史的にも200年に必ず起こることです。
「これを最終回にします」で、
勉強不足がわかりました。
たとえば、仁徳天皇は3年間、租税を辞めました。
そして続けてまた3年間も租税を辞めました。
そしてアジアは租税に苦しられてきた民衆に、
大きな竃の煙でうるおったのです。とうとうには、
呉の国と朝貢を成し遂げました。
それまで、アジア人は痩せていました。
それを一挙に解決をつけたのです。
それを見習ってほしいと私は思います。


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7月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 17th, 2021  Posted 12:00 AM

7月17日 先勝(丙寅)

『逐次としてのデザイン』

時の経過が
物事の問題点を
解決に向かわせたり、
あるいは
傷ついた精神を
時の経過が
癒すことなどもある。

artificial heart:川崎和男展


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2021  Posted 12:00 AM

6月7日 赤口(丙戌)

『顕正としてのデザイン』

したがって、
イデオロギーの
死にいたる病を
対症療法的な手法で
慰労したところで
何の解決にも
ならないことを
自覚することが
最も重大であることを
知るべきだろう。

artificial heart:川崎和男展


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『医と工と美のメガネ』


   


     3月 25th, 2021  Posted 7:00 PM

一見シンプルなデザイン、
それは今までにない機能的な形態を実現したものだった。
100年以上もの歴史を持つ高級眼鏡フレーム製造販売の老舗、
増永眼鏡(福井県・福井市)との協業による作品
「カズオカワサキ・アクト」だ。うたい文句は
「あらゆる人間にとって使い易い“ニンゲンノメガネ”」だが、
これは単に人間工学に基づいたものではないという。
人間工学を踏まえさらに昇華させた
ヒューマン・サイエンシズ・アンド・アドバンスド・テクノロジー
HUSATによるデザインなのだという。
レンズを保持するパーツのリムは、
フロント全体の変形を抑える形に、
テンプルとフロントをつなぐヨロイというバネ部分は
フレームの破損を防ぐとともに
快適なかけ心地を感じさせる仕組みになっている。
テンプルはバネ部分に効率よく力が分散するようにし、
フィットしやすいノーズパッドも
かけ心地のよさをプラスしている。
かけていて心地よいだけでなく、
安心安全をも追及しなければいけないのだ。
川崎さんのデザインは「スマート&テクノロジー」がテーマだ。
今回の作品も最小限のパーツで性能性・効能性そして機能性と
美しさを追求した存在感を具現化したモノとなっている。
単にモノをデザインするのだけでなく
モノの根本的な問題をデザインで解決するのだという。
眼鏡は人間の顔の中で一番大切な個所、
命にもかかわる所に関係している。
医療的な面をもデザインに入れ込まなければ、
常に安心安全に使うことはできない。
そんな不安を払拭すべくデザインが
川崎さんの作り出すモノなのだ。
眼鏡は装飾品と身体機能の補正
あるいは医療機具としてあるべきもの。
よって医学や工学などの専門知識を
デザインでまとめているという。
デザインをする過程においての
スケッチは処分していたそうだが、
後輩たちにもその術を受け継いでもらうために
今では保存している。この新しいデザインの解決策を
将来デザインに携わる人にも伝えていってほしい。


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11月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 7th, 2020  Posted 12:00 AM

11月7日 赤口(甲寅)

『教材としてのデザイン』

なぜなら、
産地の自立は、
みずからの問題意識と
その解決への意欲が
ベースでなければ
ならないわけである。

artificial heart:川崎和男展


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3月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 26th, 2020  Posted 12:00 AM

3月26日 大安(戊辰)

デザイナーにとっては、
モノの形態で
その時代性や空間性、
人間性のさまざまな問題の解決を
図ろうとすることが、
職能の本質であることは明らかなわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』15 遺伝子操作としてのオマージュ


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『危機管理ではありません、危機解決なのです』


   


     2月 29th, 2020  Posted 12:05 AM

「危機管理士」は何も出来ませんでした。
自然災害と社会的リスク、生物兵器においては
対策、対応、対処する役割、管理体制が問われています。
「危機」とは「危険」である「機会」があるということ、
その想定される危機や機会では「管理」ではないのです。、
つまり、Riskに向けた防災や防犯を活かすことです。
しかし、Crisisは「すでに起こってしまった事象、事件」。
その現実、新型コロナウイルス=COVID-19の
パンデミックという起こっている現実への対処、
行動で「解決」へと導く方策=医学的が欲しいのです。
つねに日本は災害多数であり富士山爆発が予想されています。
地域ごとの地震予知から予測へつなげようとしています。
私はCrisisとRisk、現実と予測の両面こそ重要だと考えています。
そしてやはり、危機は管理ではなくて、
「危機解決」=医学的なデザインなのです。


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『生物兵器へ医学制度のCrisis and Risk Solution』


   


     2月 27th, 2020  Posted 11:00 PM

「生物兵器」という説かもしれません。
いや、私は「生物兵器」だと思っています。
3.11の後には、災害復興にデザイナーとして取り組み、
企業とともに研究者として対応していたプロジェクトには、
災害という危機に対しての「危機管理」という言葉を使っていました。
ところが、危機は「管理」など出来ません、目指すのは「解決」なのです。
想定される危機と起こってしまった危機を解決する
Crisis and Risk Solutionであるデザインの解答が求められるのです。
核抑止としてある原子爆弾は、使われればもはや一瞬にして世界の終焉、
地球滅亡のシナリオであることは承知の上、
今回の「生物兵器」なのかとも考えてしまいます。
どうやって地球人が解決出来るかが求められています。
国会には生物兵器を防ぐかは議論されていませんが、今回のことだけでなく
あらゆる想定で危機解決を導く組織、体制は整えるべきです。
私の研究室で提案した結核のDNA診断システムなど危機解決への解答は、
どうせデザイナー提案だろう、
国際コンペでも「解らない」と言われてきました。
学会や、あるいは国家予算を使う研究の審議などにも、
デザインとしての提案は、審査委員や担当者の
能力、見識によって蓋をされたままでした。
医学感染症でのデザイン解決が医学制度、地球の未来をつくります。


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『古代希なり・70歳です』


   


     2月 26th, 2019  Posted 12:00 AM

私が2月26日、ワイフも2月生まれを祝いに、
2月14日に、日本でも有名なシェフのお店に初めて行きました。
いつも、国際的には日本代表となるシェフのお店です。
以前から紹介されながらも、行けずにいました。
去年は4度も入院・退院、医療制度をかなり見ました。
安定しない健康と、あたえられた仕事への責任との
バランスをとるのに、力戦奮闘した1年でした。
ゆえに、それが明けた今年は、
感謝と更なる景気づけにと徹底的なこだわりを元に
腕のあるシェフのお店しか思い浮かびませんでした。
さて、私は古希・70歳です。
40歳までと言われながら、「ここまで生きてきた」のです。
41歳で毎日デザイン賞をいただき、バブルの頃には、
クパチーノで、Apple 社のコンサルタントをやっていました。
モノづくりの知識を網羅し、
国内の産地や、企業との産業と文化の仕事で、研鑽を重ね、
大学での研究では、生命や環境や平和といったデザインで解決をめざす
広範な領域まで手掛けました。
今年は、「古希・70歳」を年賀に気持ちを強くしたためました。
47歳で亡くなった母には「がん」という病名も余命も伝えなかったのですが
私への遺言書に「世界一のデザイナーになって」と書いてありました。
大学卒業後、ふるさと福井にでも戻ろうと考えていた私は、
そこから心を新たにし、母の遺言に、何としても応えたく、
毎日母への恩返しを誓いました。
「古代希なり」の70歳です。


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