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「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」


   


     7月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

埼玉県春日部市(クレヨンしんちゃんがいます)は、
桐箪笥の伝統工芸産地です。
当時から桐箪笥産業の収束が始まっていました。
現在もきっと厳しいかもしれません。とても気がかりです。
1980年代は現・埼玉県産業技術総合センターが中心になって、
「桐とデザイン」の再開発が14名のデザイナーに求められました。
私も講演や製品開発に参画しました。
その時の作品は二つありました。
まだ、アロマセラピーが知られていない頃でしたが、
桐箱の「アロマボックス」と「貯金箱」を提案しました。
なんだか、今、商品化できる気がしています。
実は、このようなプロジェクトのことは正直うろ覚えでしたが、
3年がかりで、当時の「伝統工芸産地とデザインの関係」を、
埼玉県産業技術総合センターのK部長がまとめられて、
出版直前の玉稿を読ませていただきました。
もう赤面するばかり、
30代の私の言動が本当に詳細にまとめられていました。
当時、私はタケフナイフビレッジを世に問いました。
場所はAXISビルの展示会場でした。
だから、K氏は、福井に私を訪ねてまで、
私の参加を求められたにもかかわらず、
どれほど私が過激に、
「伝統工芸とデザイン」を結びつけようとしていたのかも
本当によく記憶されておられました。
しかも、それはAXISのH氏が師匠だったことです。
私もこの当時のことはまとめておかなければと思っていただけに、
とても感動しました。
H氏は、80年代の伝統工芸産地とデザインの関係は、
タケフナイフビレッジを詳細にと示唆指導していただいたということです。
H氏にどれほど、
「デザインの作法」・「伝統工芸へのデザイン投入」を
徹底的に指導していただいたにもかかわらず、
ご無沙汰をしてしまっています。
早速にも、筆を取りたいと思っています。
会いに行くべきだと思っています。
Kさん、Hさん、改めて深く感謝します。
出版がとても楽しみです。
日本の「デザイン史」としても貴重な資料になると判断しています。


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「大阪は革新都市になりうるだろうか」


   


     11月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

「革新」とは原意、刃物で切り裂くことです。
「革」は獣の皮をピーンと張った象形であり、
「新」とは斧があるように、樹木を切った切り口。
いづれも、緊張感と切り口から新芽が出るさまを
見事に表しています。
大阪都構想を掲げた大阪府と大阪市の闘争は、
民主主義にて選挙戦になりました。
大阪都を形成しようとする元知事と現市長の闘争でした。
私は大阪府・大阪市いづれも府民も市民も公務員も、
本当に関西弁の重要な言い回しを失っていると、
在住しながらその思いに悶々としてきました。
「好きでっか」・「儲かりまっか」・「ホンマでっか」、
この言葉だけが価値観になってしまった風俗は、
偽装し、悪事に平然とする風土になってしまったのです。
つまり、「好き嫌い」・「損得勘定」・「嘘・本当」だけの価値観。
かつての関西独自の高度な人情味あふれた「正義感」、
その言葉「よろしゅうおましたな」という
判断を喪失してしまったのです。
生活保護の不正受け取り、ひき逃げや軽犯罪の多発、
こんな生活環境の中では、損得勘定だけの街でした。
私は18歳の時、一年間大阪で浪人生活を、
人情味あふれる天王寺阿倍野界隈で過ごしたことがありますが、
その時の人情味は消え失せ、損得勘定では、
「ぼったくり取引を平然とする」ことに呆れました。
したがって、根本的な解決イコール「革新」を期待せざるをえません。
正直、市長に革新の意気込みは感じること適わず、
されど若き府知事の言動には、
憤り任せだけではとの心配もあります。
しかし、今、この大阪に憤りからの革新があれば、
何かが変わるかもしれません。
ところが、元府知事の出自を激しく罵る風潮が、
選挙戦での嫌らしさこそ、大阪の汚濁の象徴になりました。
これは教育委員会はじめ行政の奢りが明確であり、彼らが独裁でした。
大阪の行政組織の大きな抵抗が現在の日本を示しているでしょう。
結果、府知事が市長となりました。
投票所の入り口には元府知事を支援する若者が静かに立ち並んでいました。
「若さ」は無茶を選びがちですが、それはまさに、
「革」をピーンと張り、樹木に斧を振るうがごとき情景です。
これこそ「革新」の具体的景観であってほしいと願っています。
40年ぶりのダブル選挙であり投票率は60%以上に到達しました。
大阪市民府民の革新への期待の大きさが表れています。
新知事と新市長に大阪の「革新」、
それは日本を革新することにつながってほしいと願うばかりです。
今回の選挙結果は、日本の将来への不安を希望にしたい結果でした。

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「小さな国の使者からの偉大な祈祷」


   


     11月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

その国の名前は知っています。
場所も多分、あのあたりだろうという程度の知識です。
ブータンという小さな国の若き国王夫妻が来日されています。
九州ぐらいの面積に人口70万人、
私のふるさと福井県が人口80万人ですから、
人口から国力ということも想像が可能ですが、
まったく、「国の生き方思想」が違っています。
もっとも北陸三県も幸福度指数は日本でトップクラスですが。
「国民総幸福度」という指標を唯一保持し目標としている国家です。
その国王夫妻の来日、お二人の存在、国王の品格と言動、そしてお言葉、
これらを見聞して感動を覚えないとするなら、
相当に自身が壊れていると自己評価すべきでしょう。
31歳、私は彼のちょうど2倍生きてきました。
しかし彼の発言は、まさに幕末の志士を思わせるほどの
威厳と風格と、そして何よりも日本への敬愛がありました。
1000年に一度という国難の中にあって、
これほどの献辞的なご祈祷をいただいたことは
素晴らしい賓客だったと思います。
私は何度も報道されている発言訳を読み返しました。
国会演説の最後は自国語で「お祈り」を捧げてもらいました。
その祈祷を聞いてみたいと思っています。
仏教、それもチベット仏教ですから、
あの「死者への追悼祈祷文」は、
私の音楽ライブラリーにはあるはずですから、
あらためて聴いてみようと思っています。
国際関係はすべからく何事も経済の自国優先中心主義です。
国交のあり方を、もし21世紀に再創出するなら、
このような国家との関係論に基礎があるということです。
彼らの伝統的衣装も、やはりアジアの小国なればこそ、
きわめて着物に似ています。
彼らの仏教への信仰心から、彼らの国家目標こそ、
大国同士の「経済分配主義」から逸脱できる、
仏教的思考軸があるのだと確信します。
国家という自然性・伝統性・宗教・思想、
そうして国際化の中で、
「人間」としての生き様と国家の連綿性を、
あらゆる局面で壊れてしまったわが国に、
ひょっとすれば、仏教発祥の地から
「使者」としての賓客であったのだと私は思っています。

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