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「中央集権の限界・東京では制御不可能」


   


     5月 4th, 2011  Posted 12:00 AM

先般、「復興計画」での手法を聞かされました。
私の回答は、すべてNOでした。
それは私の経験からの判断でした。
かって、ふるさと福井の伝統工芸産地で、
東京流のデザイン手法、
特に、言葉でのイメージや概念の話を
私なりには一所懸命に試みましたが、
産地のみんなからは、「何も伝わってこなかった」と言われました。
被災地、特にフクシマ原発では、
その現地事情を間近で見つめ、現地での問題を共有しない限り、
復旧はもとより、復興など可能なわけがありません。
政権による復興メンバーがいわゆる「現地視察」など無意味です。
無論、企画や計画は「机上での情報操作」に他なりません。
しかし、パソコンに数値を打ち込もうが、
現地の瓦礫や「まち」づくりへの現地対応は絶対に不可能です。
特に、原発事故は人類が初めて体験する途方もない「想定外」です。
もっとも、「想定外」は本来は設計においては、
設計計画が成し得たことではありえないと私は考えますが。
「会議は踊る」という名文がありますが、
会議で解決は不可能だということを現代は忘却しているのです。
「解」という文字には、明らかに角有る牛を解体する形象です。
体験とは、自分の身体が現場で感得することであり、
身体・生体反応にほかなりません。
しかも、自分の生体内部で何が起こっているかは、
余程のことがなければ不明です。
たとえば、すでにケータイ電話は日常的ツールになっています。
しかし、ケータイと脳内での電磁波と放射能はまだ不明です。
これほど具体的なことが分かっていても、
人間には、「体験」による判断が不可欠だということです。
生命が危うくなるのは、本当に死線にまで身体が運ばれた時、
ようやく、原因が推測できるにすぎません。
すでに私たちは「中央集権の無理」を知り尽くしていても、
「机上の論理」に計画を載せる習慣から解放されていません。
今、私たちは次の世代の日本を、
まず、現地の救済からスタートさせているだけにすぎないのです。
現場主義が最優先であるべきです。
でなければ、「復興ごっこ」に過ぎないことを自覚するべきです。
ちなみに日本人の平均年齢は44.1歳です。
すでに経験はあるはずです。
経験の強さとは現場での感得情報から判断する判断・脳・能です。

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