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『福井時代は運転手付きのボルボで移動しつつも』


   


     9月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

マジソンアベニューにあるモーガンズの裏にキタノホテルがあります。
30代の頃は、NewYorkにはよく行っていました。
キタノホテルには日本料理店がありました。今は知りません。
丁度、夕焼けの時にシルバーのステーションワゴンが止まって、
まさに映画のように、北欧の人達がその車から7人降りて来ました。
夕焼けに照らされたその車は、とても美しくてくっきりと記憶に残し、
帰日すると、カーデザイナーだった後輩に、記憶の車を告げると、
それはボルボのステーションワゴンだということにが分かりました。
この車はその当時、日本のGマークグランプリにもなったほどです。
周囲が私に運転させないようにと運転手を募集してくれていたので、
車はこの車ということに決めました。
運転手募集から選ばれた一人と会うと
ズーッとタクシーの運転手だったのです。
その車で輪島に行ったら
帰りには大変な雪で道路が凍っていたのですが、
とても安全運転であり、彼は間に合わないという時も一定の高速で、
絶対に間に合い、眠りたいというと眠れる運転でした。
5年間彼にはお世話になったのです。
カマロはズーッとありましたが、
一度BMWのiシリーズも改造して乗りましたが、
全く自分の運転には合いませんでした。
そして、よく金沢美大の後輩たちが、アウトビアンキに乗りたいということで、
この車を手に入れてもいましたが、これほど故障する車はありませんでした。
それで、ベンツS320が一番良さそうということになり、
カマロとS320は個人的に福井時代に乗っていた車です。
結局、名古屋市大にいくことになり、S320は名古屋に持っていったのです。
このS320が一番長く乗った車だと思います。
名古屋市大時代には、またまた色んな車に乗ることになるのです。
運転手付きでのボルボ時代に、
彼はダッシュボードにガラスの水入りコップで、走っていたこともあり、
おそらく彼の運転が最高でした。ハイヤーの運転手も彼より下手で、
よく、下手くそな運転だと私は面と向かってよく言ったのです。
名古屋に着いて来ないかとも言いましたが、
家も建て小学生の子どものことも考えて福井に残りました。
名古屋時代にはまたとんでもない車遍歴をしたのです。

* 『New Yorkでのホテルから海外のホテルを決めてきた』
* 「10年使用すると、そうだったのかということ」
* 「モンテカルロ、そして車載携帯電話もあったカマロ」
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ヘルメットとヘッドライト、デザインの見直し』


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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