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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その辛苦・5」


   


     11月 21st, 2009  Posted 10:00 AM

人は、堪え忍ぶことを知っています。
特に、「神の国の住人」だった日本人は、
戦中・戦後どれほど耐えて堪えて忍んだことでしょうか。
戦後、少なからず豊かさに包まれて育った私程度に、
その「辛苦」は、想像を超えてるはずだと思います。

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そして、本当は、「間違った選択だった戦争」は、
「辛苦」から逃れるための唯一の方法だったとさえ、
私はたたづんでしまいます。

だから、戦前、戦中、戦後、はもちろんのこと、
「神の国」に生きることが辛苦であったのでしょう。
その堪忍の心情性こそ、日本人の「こころ」だから、
願い・祈りは絶望の寸前=辛苦への態度だと思うのです。

しかし、この願いや祈りが、
なんらかの信仰心や信念に向かわない限り、
「神の国」に流れる日常性をも、何かに代替させたり、
言い訳や言い逃れを、あたかも、全体的な意志だという
大きな錯覚をしてしまいます。

私は、その、あたかも、「辛苦」への祈りと願いを
言い逃れにさせようとした一群は、
あきらかに左翼系・進歩的(のはずはない)文化人と、
戦後の新興(偽)宗教の始祖たちではないだろうか、
と思っています。許せません。
そして、彼らをカリスマとしてあがめてしまった人々の
哀れさと無知識さを悲しむばかりです。

「辛苦」に堪えきるには、祈りでも願いでもありません。
まして、
左翼思想や新興宗教の偽善的信念や信仰、
そのもっともらしさなどを選ぶのは賢明な判断で
あるはすがありません。

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それは、もう一度、「神の国=自然の国」の
ささやかな「日常の自然」へのまなざしでしょう。
そのまなざしが、「日常の自然」にどれだけ、
感激と感動ができる「我」であるのか、
その「我」である自分には「美」を知る心があったこと、
「神の国」に生を受けたことを感謝できるかだと思います。


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