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Posts Tagged ‘連休’


『京都に2回出かけて寂しい別れをしました』


   


     3月 23rd, 2020  Posted 4:27 PM

先週に続き、今週も京都に訪問しました。
ワイフの叔父さんが重篤と聞き、病院に行きましたが
このままでは「死んで逝く」ことを待っているだけでした。
当初はこのような事態となる入院ではなく、
来月の彼の息子の結婚式招待状を返信したところでした。
すでに別れの挨拶のような見舞いから家に帰り、
知人の医師たちに状態を伝えて為す術はないのか、
やはり「寿命」なのかメールで判断を仰ぎました。
ずーっと「生理寿命」と「生態寿命」が教科書的に頭を巡らせていました。
4年前には何万人に一人の重病に陥り、
原因や治療方針の明確な説明がなかった病院から
データを受け取り、最善の執刀医を紹介してもらい
命をつないだことがありました。一応、医学博士の私を信用する人は、
私の事を信頼する人だと確信をしています。
4年間、命をいただいたありがとうございますとご家族から言われました。
同じ世代なので若い頃はジュリーのようだった彼は、
ワイフのことを懇々と私を信頼してくれました。
華やかな人脈と豪腕なビジネス人生を送りました。
通夜に行きましたが、止まった心臓が呼びかけで3回戻って
彼がどうしても「自宅に帰りたい」を表現していたらしく、
最後はもういいよと家族は見送ったそうです。
私自身の「寿命」も殊更意識しています。
今回も京都に出掛けて、世界でみんなが闘っている最中、
連休と待機疲れが桜の開花で気持ちが緩んだのか
自宅待機を全く守っていないことに、
私は「生物兵器」に、呑気だと感じました。


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『青春は東京で、この秋には久しぶりに商品発表をします』


   


     8月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

1980年12月8日、東京での私の青春は終わったのです。
ジョン・レノンが暗殺された日でした。
当時は、赤坂でデザイン事務所をやっていました。
父から福井に帰って来なさい{青春が終わった」と言われました。
大きなクライアントは「ナガオカ」であり、
新たな商品デザインを手掛けていました。
「ジュエルトーン」での商品アイテムを任されていました。
その「ナガオカ」は来年創立80年になります。
今でも私が当時デザインしたカートリッジが現行商品であり、
山形県東根市の「ふるさと納税 返礼品」になっています。
あれほど徹底的にこだわったカートリッジ仕様と
それもボロン素材はすでに世界的にもありません。
今年は5月の連休と今回の「お盆」休暇がありました。
自宅からは、大阪での花火大会がよーく見えます。
今は鑑賞したり相変わらずYouTubeで、特に、最も得意だった微分積分、
拳銃の歴史性、狩猟と解体、Do It Yourself などを堪能しました。
そして9月に入ったら久々の商品発表会これには「新たな提案」をします。
2020年創業70年を迎えるメーカーから新製品=新素材を出します。
そのメーカーのC.I.は70周年で、私がその全てをやっています。


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『いろんな水彩道具がありますが、いつもこれが一番』


   


     8月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

美大を卒業しているので、特に水彩画が大好きです。
最も、私は油絵は全く描いたことはありません。
水彩画は入試でもありましたが、私の能力では本当に受かるとは・・・。
ちょうど水彩画は私のクラスでは、最も下手だったろうと思います。
それこそ、連休には父が大学に呼ばれて、「このままでは卒業できない」。
父は、もう一回美大では無いところを受験しなさいと言われました。
そこで、私は主任教授・Yちんに聞きにいきました。
そのとき、彼からは夏休みに40枚描いて来なさい、と言われました。
43枚描きました。それこそ漁港では倒れました。
そして43枚を持って行くと、「君はこっちの世界でも出来る」と言われました。
<そうか!、絵の世界でもこの先生並みの絵が描けるのだ>、
それは教授の励ましだったんだと思います。
それから、水彩画はこよなく好きであり、
私が最も好きなのは水彩画のセザンヌでした。
「曇りの日こそ、色彩がはっきりと見える」というのは大好きです。
この写真は大急ぎなので存分に見えませんが、ある有名なブランド商品です。
色彩パレットは十分に認められるのですが、パレットが塗装仕上げ。
これは絶対に駄目です。
パレットはホーロー仕上げでなければいけないので、それを言いました。
そして、絵筆もブラッシュでこの絵筆が最高です。
かって絵筆は28000円一本をということを
グラッフィックデザインの教授が言ったことがありました。
それは正解です。ブラッシュ絵筆で最高だと私も言いました。
福井という所で育って来た私には、「曇りの日が、色彩が明確」という、
セザンヌの言葉が身体に染みこんでいます。
時折、私からの絵手紙を書いています。


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『万年筆メインテナンスから見えている現実』


   


     10月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

人は達筆と呼ばれなければいけない。と、
私は父に教わり、そのおかげもあって、
福井県吉田郡にある吉峰寺という永平寺の第一道場で、
中学時代と高校時代、二夏、修行をさせられました。
吉峰寺(地元ではきっぽうじ・一般にはよしみねでら)は
禅宗、道元が開祖として永平寺を建立したときの寺であり、
永平寺の歴代優秀なお坊さんが修行をしていました。
それこそ、書を住職に教えられるだけでなく、修行もしました。
そのおかげで、書や文字を書くことが大好きです。
この連休中は体調を相当に崩していましたが、
元気を回復すると、いの一番に私は万年筆のメインテナンスをして、
ペンの書き癖の確認と、インクの入れ替えをしました。
これは重要なペンです。
おそらく、この万年筆ブランドは世界でも最高級だと
私は思っていますが、
それにはいくつかの理由があります。
一つは万年筆の長さ分割は、完全な黄金比が適用され、
重量はインクを入れた時に、最も良い書き心地になります。
また、万年筆の材質とその材質は「財質」と呼ぶべき、
古代彫刻の再現、金蔵装飾の加工、材質を財質とする
その透明性の実現があります。
このブランドには、もうひとつ,私が所有していない加工、
それは貴石との組み合わせがありますから、
世界でも最高級である理由はこの4つだと思います。
インクは今では、顔料をインクにした技術進化もありますが
その一方では、
財質化する手法が段々と無くなりつつあることは
確実なことです。
万年筆の材質感とその加工方法が失われていくことには
あるモノの進化がストップし始めていることに等しいのです。
そういう意味では、文明による加工技術が文化を果たし、
その文化が消えていくことをデザイナーとして
さらに見つめて新たな技法という技能を、
加工技術にしなければと思います。
達筆であることと弘法筆を選ばずには、
明確に関連性があると判断しています。
少なからず、デザイナーというプロで「下手な文字」は
デザイン美を手に入れるには困難だろうというのは
私の偏見ではなく真実だと記述しておきたいと考えます。
こうして万年筆をメインテナンスすることによって、
二つのことが手に入ります。
一つはメールではなくて、手紙を書くこと。
そして、材質加工によって財質加工技能の詳細を知ることです。
重大なことは、万年筆に行き着いた加工技術無くしてのデザインは
あり得ないことを明確にしておきたいと思います。
それこそ、高級時計を打ち出しながら、
その実際デザインの無知さが拡大していることも明らかです。


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『歩けた頃=スキーに夢中だった時の写真が届いた』


   


     12月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

今月はフランス・香港と海外出張が続きました。
帰国すると、東芝時代の上司から写真が届き、懐かしさ一杯です。
5歳当時からスキーに親しんでいたおかげで、
車椅子生活を宣告された時一番に感じたことはスキーができない、
これが最大の問題だとさえ思ったほどです。
この写真では、フィッシャーのメタルスキーとサロモンです。
知っている人には分かるはず。ゴーグルはまだ持っていました。
このメタルスキーは、夏でも剣岳の雪渓がミラーアイスでも、
十二分に可能なほどでした。
もう一本は、ジャン=クロード・キリー が国内でサインをしたK2。
当時は、ドルフィン=今はフリースタイルと呼ばれていますが、
これには最適の柔らかさがあり、この二本を使っていました。
ご覧のとおり、全身はスピードスキーのために、
エラスティック素材の全身スーツを仕立ててもらっていました。
スキー靴もランゲというほど、スキーのためには、
最上級品にボーナスをつぎ込んでいたほどでした。
小学校・中学校時代もスキーばかりしていたようです。
高校時代も浄法寺山(1053m)ならば連休でも滑れました。
東芝時代は、得意な連中とは奥志賀に籠もって「回転や大回転」。
山登り・ロッククライミング・スキーが出来ない身体ですが、
若かりし日のこの写真が届いて、
11月後半から海外でのデザイン状況を見ながら、
私に残された日々、どこまでこれからの自分の役割があるのかを
もう一度確認することができました。
多分、書き残すことが多くなるのかもしれませんが、
わが国のデザインは、企業戦略からはやや離脱しているようです。
すでにデザイナーとしてスタートしたとき、
常に、スキーには拘っていたことを想い出しました。
また今夜からブログを再開します。
よろしくお願いします。


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「お盆・精霊馬の風習は願いを込めて、今年も!」


   


     8月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

正直、私は連休が嫌いです。
なぜなら、何かアイディアが出たときにスタッフがいないため。
しかし、お盆が近づけば私には役目があります。
精霊馬と呼ばれるお供えを造ることになります。
お盆の風習を熟知しているわけではありませんし、
あの世から亡父はじめ亡くなった人たちが帰ってくるということ、
それを信じているかと言えば、それを願っている単純な想いです。
いつも精霊馬の素材である、サツマイモ・茄子・キュウリでした。
ところがなんと今年はそうした素材がセットで販売されてました。
最近は、人生は一度っきりであり、
決して、あの世で母や父、祖父達祖母達には会えないと思います。
それでも、この伝統的風習の意味を受け止めています。
今年は素材がセットだったので、私なりに意味づけました。
サツマイモは、馬のごとく俊足であの世に迎えに行くのでしょう。
茄子はあの世にゆっくりと戻るためだと思います。
サヤエンドウやホオヅキ、そして里芋が二つもありました。
多分サヤエンドウは、よくわかりません。
ホオヅキは、灯りを入れて場所を示すのかもしれません。
里芋は母が大好きでしたが、(私は苦手)
里芋の馬でお土産を持ち帰ってもらうのだろうから、
今年はたくさんおみやげになるお供えが必要だと思い込んでます。
かつて私が敗血症で生死の境にあるとき、
ワイフは仏壇に手を合わせたそうです。
そうしたら、ワイフのお母さんから電話があって、
これまで茶室風和室に置いてある仏壇を、私の寝室に配置換え、
それも突然の電話で、彼女は仏壇を移動したとき、
私は重篤状態から、必ず生き返ると彼女は実感したらしいのです。
宗教とは新興宗教に狂うのではありません。
ただ先祖への感謝という単純明快な願いにすぎないのでしょう。
精霊馬という日常的な野菜を馬に見立てて、
先祖への風習的なお盆という儀式には素直に迎えるつもりです。


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