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Posts Tagged ‘運転手’


『空を飛ぶスポーツカーは具体化されるだろう』


   


     1月 26th, 2019  Posted 12:00 AM

やがてあの世に近づけば、やっぱり、これに乗りたい。
それが、ようやく出来上がってきました。
なんといっても、ブルース・ウィリスの
『フィフス・エレメント』が目に浮かびます。
しかし、このような映像では無いはずだと思っていました。
彼は2214年ニューヨークのタクシーの運転手役(元は退役軍人)でした。
いや、未来の都市は、こんなでは無いはず、
デザイナーとしては、「空を飛ぶ」=Passenge Air Veacleというのは、
こんなタクシーではないとその未来の世界観に
納得できずに視聴していました。
私は「空飛ぶ」モノが欲しい、
手に入れたいとヘリコプターから戦闘機まで夢見てきました。
空を飛ぶという展開には、これこそデザイン出来る日が来るかも知れない。
実際的には、アストンマーティンが
「ヴォランテ・ビジョン・コンセプト」で
空の旅を提供することを約束しています。
私自身が今は乗っているアストンマーティンで、
以前、副社長でデザイナーにも会う機会があり、
きっと絶対に出来ると思います。
すでに時代は、
空を飛ぶということが具現化、そして具体化してきました。
だからこそ、やはりフィフス・エレメントでの映像では無いと思います。
もう私の時間がありませんから、空を飛ぶモノは運転できなくても、
私のデザインテーマです。

空を飛ぶ車

アストンマーティン


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『福井時代は運転手付きのボルボで移動しつつも』


   


     9月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

マジソンアベニューにあるモーガンズの裏にキタノホテルがあります。
30代の頃は、NewYorkにはよく行っていました。
キタノホテルには日本料理店がありました。今は知りません。
丁度、夕焼けの時にシルバーのステーションワゴンが止まって、
まさに映画のように、北欧の人達がその車から7人降りて来ました。
夕焼けに照らされたその車は、とても美しくてくっきりと記憶に残し、
帰日すると、カーデザイナーだった後輩に、記憶の車を告げると、
それはボルボのステーションワゴンだということにが分かりました。
この車はその当時、日本のGマークグランプリにもなったほどです。
周囲が私に運転させないようにと運転手を募集してくれていたので、
車はこの車ということに決めました。
運転手募集から選ばれた一人と会うと
ズーッとタクシーの運転手だったのです。
その車で輪島に行ったら
帰りには大変な雪で道路が凍っていたのですが、
とても安全運転であり、彼は間に合わないという時も一定の高速で、
絶対に間に合い、眠りたいというと眠れる運転でした。
5年間彼にはお世話になったのです。
カマロはズーッとありましたが、
一度BMWのiシリーズも改造して乗りましたが、
全く自分の運転には合いませんでした。
そして、よく金沢美大の後輩たちが、アウトビアンキに乗りたいということで、
この車を手に入れてもいましたが、これほど故障する車はありませんでした。
それで、ベンツS320が一番良さそうということになり、
カマロとS320は個人的に福井時代に乗っていた車です。
結局、名古屋市大にいくことになり、S320は名古屋に持っていったのです。
このS320が一番長く乗った車だと思います。
名古屋市大時代には、またまた色んな車に乗ることになるのです。
運転手付きでのボルボ時代に、
彼はダッシュボードにガラスの水入りコップで、走っていたこともあり、
おそらく彼の運転が最高でした。ハイヤーの運転手も彼より下手で、
よく、下手くそな運転だと私は面と向かってよく言ったのです。
名古屋に着いて来ないかとも言いましたが、
家も建て小学生の子どものことも考えて福井に残りました。
名古屋時代にはまたとんでもない車遍歴をしたのです。

* 『New Yorkでのホテルから海外のホテルを決めてきた』
* 「10年使用すると、そうだったのかということ」
* 「モンテカルロ、そして車載携帯電話もあったカマロ」
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ヘルメットとヘッドライト、デザインの見直し』


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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『AEDとICD、街で見かける除細動器と私の体内除細動器』


   


     10月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

AED=Automated External Defibrillatorsは最近、
街や運動場、行政機関、デパート、駅構内で見かけます。
私はこの装置をみるたびに、ある想いにかられます。
まず、この装置がこれだけ設置されている国は、
それなりに素晴らし国だと思います。
また、この装置を一般人でも扱える人、
それは最近の自動車免許を持つ人や、
タクシーの運転手さんなどです。
タクシーの運転手さんなどは、まず、徹夜に近い体調状態で、
とても厳しい講習会で、免許をもらえるそうです。
さらに、今では30万円程度にまで市価は安くなりました。
ところで、私自身は埋め込み型除細動器を体内に入れています。
幸いなことに、もう2台目を入れていますが、
とても怖い機器ですが、まだ作動していません。祈っています。
作動したら、金属バットで突然殴られて失神するらしいのです。
それは本当にイヤだと思うのです。
ところが、これはすでに1台400万円もします。
自己負担を余儀なくされても3割負担ですから大変に高価です。
街中で見かけるAEDは国内生産されていますが、
ICDはすべて海外製であり、せめて急速充電によって、
対外から充電できれば、毎回の手術から解放されます。
ICDを埋め込めば不整脈や心臓障害者には多量の薬から解放です。
私は3台目も入れることになるかもしれません。
その時には、是非とも「自分デザイン」を体内に入れたい、
そう思っていますが、
先般、新製品・米国製を見て、とても腹立ちました。
デザイン的には、絶対に日本でデザインするべきです。
AEDは国産なのに、なぜ体内ICDは未だに海外製なのでしょうか?
私は次世代デザイナーにはこの課題に取り組んでほしいのです。
無論、私自身、自分のためにもICDデザインはテーマです。


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「今年2本目論文仮説の図解紹介」


   


     1月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

東大経由で、自動車技術系論文誌からの依頼論文。
今年最初に提出予定です。
まだ、作成途中ですが、
私は論考全体の概要はいつも図解表現をしてしまいます。
与えられたテーマは、「形と性能」です。
そして、デザイナーにその考察を求められているわけですから、
当然、「形」デザインから「性能」を、という依頼意図はみえています。
私自身は、カーデザインを自分の作品として持っていません。
が、カーデザイナーは教育し、
自動車企業には教え子がデザイナーになってます。
ヨーロッパに企業留学している連中もいます。
無論、車は趣味の対象ですから、
これまで、「男の子として」それなりの車は所有し使用してきました。
運転手がいてくれた時期もあります。
ロングリムジンからスポーツカーまで10数台は乗ってきました。
現在はベンツ550SL、一台だけになりました。
ワイフと二人だけの外出用です。
さて、この論文の思考下敷きは「製品記号論」ですが、
最も強調しておきたいのは、ガソリン車からハイブリッド車、
そして、電気自動車へと車両動力系がまったく変わってしまいましたから、
基本的な性能は、空力特性や走行・運転・収納などは当然ですが、
情報社会において車は、情報機器・情報装置に変身しています。
さらに、デザイン対象としては、
か+たち=化+質とかた+ち=型+値という漢字語句から読みとる、
性能・機能・効能と関係、
すなわち、構造論も重大だと思っています。
したがって、
多分、図解などや資料まとめで一挙に書き上げようと思っています。
今年の仕事始めは、論文や編集、「ことば」からスタートしています。


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「10年使用すると、そうだったのかということ」


   


     8月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

私は車椅子になってから車を所有しました。
いわば男の子としての車への趣味性は一応満足しています。
工業デザインを学んだ者としては、
車はまさにカーデザインとして興味は人並み以上です。
教育者として、カーデザイナーを育成しました。
今現役デザイナーとして車メーカーや
そのメーカーの海外デザインセンターに赴任しています。
私自身どれだけの車に乗ってきただろうかと思い起こすと、
結構な車種所有と使用経験があります。
しかもすべてが手動用に改造しましたが、
これには国内事情が絡んでいて一家言持っています。
さらに個人的には運転手も雇っていましたから
ハイヤーの運転手程度の運転技術を知り尽くしています。
正直、国産車は一度も所有はしていません。
自分用に相当に改良をしたり、キャデラックのロングリムジンは、
クライアントからプレゼントされて乗っていた時期もあります。
現在は夫婦2人なので、ベンツSL500一台だけです。
先般までは、S320を徹底的に使っていました。
そうしたら10年使用ということで、
ダイムラーベンツから感謝状とメダルが届きました。
友人からベンツにはこうしたサービスがあると聞いていましたが、
それなりに嬉しいものです。
私は絶対にベンツには乗らないと思っていましたが、
ある時、車に詳しいスタッフの薦めでショールームに出かけ、
しかもGマークでSLKを確認してその発売されて以来、
セダンからワゴン、スポーツタイプと乗り継いできました。
おそらく、今乗りたい車は2種あります。
これを所有すれば、
私の生涯と車体験はとても幸運だったということになります。
そして、10年も工業デザインとしての成果品ユーザーへの感謝を
企業がサービス制度にしていることは嬉しいことです。


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「遠くへ行きたいからという本能」


   


     2月 20th, 2012  Posted 12:16 AM

男の子は本能的に動き回りたい本能があると思います。
「運転手になりたい」とか、
あの自動車を運転してみたいとか、
これは男の子が少年になる前に必ず思い描く公約数的な夢です。
男は常に居場所を求めることがプログラムされているのです。
これは人間に限らず、動物的な野性と言っていいでしょう。
ともかく遠くへ遠くへ行きたい。
この精神・心理・野望の野性は秘められています。
おそらく心の心底・奈辺にあると思います。
それが、移動する機械に換喩されるのです。
自転車・自動車・船・飛行機という
トランスポーテーションマシンに必ず心惹かれます。
私は、その中の一つが機関車=鉄道にあるのではないだろうかと考えます。
しかも、鉄道には線路という道筋が決定されています。
移動することに規程があるというわけです。
社会的にはこの規程を管理し、あるいは自由に出来ること、
その換喩を実現できるモデルとして、
鉄道模型とジオラマがイメージに広がるのです。
私はこの野性的な遠くへ行きたい願望が
鉄道模型に集約していると自己判断しています。
素直に率直にあることを自認しながらも、
毎日どこかで押さえています。
だからこそ、より小さくて精密で精緻な鉄道模型が、
メルクリンのZゲージです。
6.5mm幅、220分の一、という縮約された世界こそ、
実際の鉄道がそれも歴史性をもって、
大きく、大きく象徴されていることを時折確かめることにしています。

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