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Posts Tagged ‘金沢美大時代’


『清水吉治レンダリング展にて』


   


     5月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

本当に久しぶりにAXISビルに来ました。
AXISビルは日本のデザイン界のメッカですが、
最近はもう忘れられているのかもしれません。
私がここでの個展からフリーランスで出発しました。
金沢美大時代の大先輩・清水吉治氏の展覧会を観にきたのです。
大学時代の同輩から先輩後輩に沢山出逢うことができました。
清水先輩は、おそらく、工業デザインにおけるレンダリングでは、
特にアジア、そして工業デザインに力を込めてきた中国では、
彼のレンダリングを学んだ教え子はものすごく多いのです。
私自身、先輩とはいえ、
東芝時代にどれだけ参考にして学んできたでしょう。
大学人になってからも彼の著作を学生たちには必ず薦めてきました。
すべからく手描きのレンダリングは、
私は今ではデジタル化、PC化されようが、
「デザインの基本」だと思っています。
このレンダリングが描けないデザイナーは、
まず造形デザインが下手くそです。
工業製品の造形が下手なデザイナーは、
レンダリングが描けないと思っています。
展示された描かれている製品は、その時代の技術進化があっても、
造形は全く新しい。
私は思いました。レンダリングで描かれた工業製品の美しさです。
それは現代製品が
貧しく美しくないことを証明しているとさえ実感しました。
私は現代製品で欠落していることは二つあると思っています。
一つはレンダリングがPC上でソフトで描かれていても、
手から生まれるのが美しさです。
私はスタッフが、たとえPCで仕上げても手描きを要求し、
私自身手描きから造形を見つけます。
もう一つは、金型を確認することです。
PCで制作された金型であっても
ハイライトラインを確かめるべきだと考えています。
結局、ハイライトラインは手描きのレンダリングでは、
必ず明快に確認することができ、
この技法無いデザイナーが増えていることを危惧しています。
清水先輩は80歳でした。
もっとも美大卒のデザイナーはみんな若く見られているようです。
大学の同輩が会場設計デザインをこなしてくれていました。
今日、改めて私は素晴らしい大学出身者だと思いました。

『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


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『資本主義からの逃走』
   「いつまで会えるのだろう・大学時代同窓会」


   


     11月 28th, 2010  Posted 12:09 AM

大学卒業後39年
関西にいる金沢美大時代の同窓会。
来年で卒業40周年になるという年代です。
全員が工業デザイナー。
幸いなことに工業デザイン専攻30名は全員がデザイナーになりました。
すでに還暦も過ぎました。すでにほとんどがリタイア。
企業の顧問・アドバイザー、大学の産学コーディネーターなど10名の宴でした。
恩師3名、同級生2名、級友の奥様1名への黙祷をしてから同窓会をスタートでした。
まず、禿げが皆無は自慢かも。なぜならこれはクリェイティブ職能の基本という単なる風評ゆえ。
メタボもやや一人でみんなから冷やかされつつも、職能的には若く見えることを確認できました。
母校から、3年次課題の「塗装・塗膜実験レポート」が届きました。
すっかり忘れていましたが、厳しかった「塗装技能習得の実験レポート」を互いに見せ合いました。
なるほど、そうか、ここまで徹底した教育を受けていたとあらためて感心しつつ、
私自身のカリキュラムには組んでいないことをやや反省です。
カーデザイナー、オートバイ、自転車、インテリア、建築素材、プラスティック関連、
それぞれの「専門的工業デザイナー」です。日本の名作デザインもいくつか生み出しました。
すでに経営陣側や退職後も顧問やアドバイザー、フリーランス。
私にとって、高校時代と大学時代の同窓は「宝物」です。
来年は金沢に全員集合を約束、恩師も交えてということになり、両手で握手をし合い別れました。
あと10年は会えるのだろうか、と考えました。
あと10年か
私は、3度、重篤を経験しています。そのことを思うと、明確に近づいている「死」を認識します。
確かに「生老病死」という人間の生涯が掌に乗っていると思います。
1972年、社会に出て以後、
工業デザイナーとしてそれぞれが貿易立国を支える工業製品のデザインをしてきました。
これからの「時」を考えれば、ある意味では日本の「いい時期」に巡り会ったのかもしれません。
確実に、「プロをめざした4年間の仲間」がいることは幸運であり、幸福だったのでしょう。
彼らとあとどれほど会える時間があるのだろうと考えさせられました。


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