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Posts Tagged ‘金沢21世紀美術館’


『盟友のサイトウマコト氏が日本で個展開催』


   


     10月 24th, 2019  Posted 12:00 AM

ちょうど私がAXISでの「商品展示会」をやっていた9月中旬、
盟友サイトウマコト氏は、
彼の出身地・小倉での初めての個展「臨界」をスタートさせました。
彼は、「人が主役のところには行かない」と彼特有の言い回しをしながらも
金沢21世紀美術館での私の個展
artificial heart いのち・きもち・かたち2006年)
初日には、駆けつけて乾杯の音頭をとってくれました。
そのとき、グラッフィックデザインからいきなり、
「画家になる」と言い出して、彼の独自の手法で画家になったのです。
これまでもデザインから画家はすべからく多いのですが、
なかなか困難な道のりです。
しかし、彼はしっかりとその道筋が見えており、
当時の蓑館長に杉本博司展の次の個展開催を、
まだ何の作品も無しに申し込んだのです。
21美での初個展2008年から11年間、
画家 サイトウマコトの集積であるこの個展は、
北九州市立美術館で11月10日まで開催しています。
時には、東京のホテルに訪ねてきたり、会食をしたりと、
時間を共有し互いを認め合ってきました。
意外にも、30年来喧嘩もしたことがないです。
私も21美で自分の仕事、
デザイナーとしての35年間を見せることができましたが、
サイトウマコトが、グラッフィクから見事に国際的な画家になり、
その11年しかもすでに国際的に評価を受けたその作品が披露されています。
その才能とエモーションに圧倒されることでしょう。
私の絵を「描いてくれ!」って、頼んでます。


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『モノは実像で鏡面に、虚像にはそれが「神話学」となる』


   


     7月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

デザインに最も近い領域には芸術があります。
さらに、現代アートが寄り添っています。
私はデザイナーですが、作品「PLATON’S ORGOAL」では
デザインからアートを近づけました。
プラトンからミッシェル・フーコーまで12人へのオマージュとしての造形を
オルゴールとしてかたちと音に込めました。
1994年ギャラリー・間で、2006年には金沢21世紀美術館で展示し、
そのままパーマネントコレクションになっています。
私のこの秋発表の新作は、モノ・オブジェです。
改めて、「芸術の陰謀」を再度読み直しました。
モノゆえにコトとのつながりがあっても、
私はモノとコトを分けたいと考えています。
モノは私独自の素材論であり、
コトもそのオブジェならばと意図しています。
しかし、私の造形言語=designingの意図は、
形態言語=designedの内容に繋がってもいるのです。
モノ・オブジェであることからは、コトの世界は何も意図していません。
ゆえに、モノとコトは完全に分離されています。
芸術が主観性であれば、デザインは客観性。
この客観性をデザインで事細かく設計しています。
この書籍を再び読み終え、新作には「Mythology from an efficiency」を
テーマとしました。実像であるモノが鏡面に浮かび、
虚像でモノの神話学まで私は持っていきたいのです。


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『椅子+ソファ=新製品を開発中』


   


     4月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

私の椅子、これは私の金沢21世紀美術館での
個展開催時に合わせて制作しました。
素材はエキスパンドメタルであり、この素材は、
倉俣史朗氏の「How High the Moon」で工業用素材としての
金網がおおいに光を取り込み、
その身体を包み込む形態として存在感をつくりだしました。
私の椅子の形態は、個展時に円形の空間をもつ
金沢21世紀美術館のギャラリー14の周囲を12脚の
ハイバックチェアのEPITA(エピタ マルイチ1984)を
踏襲しています。
金沢21世紀美術館の各部屋の美術館スタッフが座るための
マル椅子、スツールでした。
だから、作品集にも載っていません。
現在は何としても、新素材を2種使った商品を開発中です。
やっぱり、ソファはいつまで経ってもウレタンが中身で、
ファブリックや革でできていますが、
それに対して、新規の椅子やソファを考え出し、
今年中にその商品発表をやります。
ソファも、ウレタンフォームはやがて経年変化が来ますから、
パブリック・コレクション=永久展示には入りません。
せっかく私は車椅子にこんなにも座り続けている経験で、
建築家あるいはデザイナーならば誰しも思う世界で、
最も認められる椅子+ソファをやりたいと思っています。


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『鏡・・・私の造形要素となっている』


   


     1月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

「鏡」は、造形要素として使う最初のきっかけでした。
インダストリアルグラフィックでのアイディアと、
さらに、チューナーグリル、
そしてメーターに誰も思わなかった鏡を造形要素とし
Aurex チューナーST210が完成しました。
ギャラリー間での「プラトンのオルゴール」展では、凹鏡球面内の球を
虚像として浮かび上がらせるプラトンのオルゴールや
立体を鏡を介して絵画を出現させる
モンドリアンのオルゴールでもそのアプローチを実践しました。
さらに金沢21世紀美術館では、各展示空間で鏡との
対話、拡張、対立、調和と造形要素としての
鏡への実践的デザインを続けました。
鏡については、美術評論家・宮川淳で賢明に学びました。
「鏡の裏には冥府への道が・・・」があることや、
左右対称ではない「対称性の破れ」、そのデザイン的解釈を
このチューナーで表現しました。
ともかく、営業からは「これが売れるのか?」と詰め寄られ、
すぐに、殴りたくなる私を止めたのはKチーフでした。
私をいつもかばってくれたKチーフには今も頭が上がりません。
若い頃は、デザインを通すためには
力ずくでと目上の人達にも食ってかかっては
「高校時代なら殴ってる」と腕まくりをしていました。
結果、腕力ではなく、あくまでもデザイン力で、
パワーアンプ、メインアンプなどには、
インダストリアルグラフィックと鏡・鏡面が使われる状況になりました。

プラトン

モンドリアン


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『時計デザインでこそ、まず乗り越えてほしい』


   


     8月 1st, 2018  Posted 12:00 AM

私はフリーになったとき「必ず時計のデザインを」と言っています。
これはタカタレムノスで1988年にやった時計です。
2018年の今、30年間これは売れ続けています。
おそらく30年のデザイナープロダクトはそれほど無いでしょう。
これまで明らかにしてこなかったのですが、すべてが円形です。
この頃は透明のカバーが必要でしたのでこれも曲面の円形です。
そして、全ての円形を正方形にまとめました。
さらに言えるのは、
iPhoneのアプリケーションがあるのも、これだけです。
NHKのアプリ時計がとても良くないと思ったからです。
金沢21世紀美術館ではこの時計を「プラトンのオルゴール」として
メイン展示にしました。
20世紀にスミソニアン博物館のクーパーヒューイット美術館から、
「The Clock」の称号を与えられているのです。
海外のいくつかの美術館にも収蔵されています。
そういう意味では、どんな「賞」をとっても私デザイン、
その時計領域ではこれを乗り越えていないと思います。
これが母体になって、いくつかのシリーズもあります。
金沢21世紀美術館の私の個展を機に、
金型を一新していただきました。
タカタレムノスでの自社製品のスタートは
この「HOLA」が源流でした。
「フリーランスになるなら時計のデザイン」という課題は、
とっても難しいと私は思っています。


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『標高100メートル自宅からの2018年1月7日の遠景』


   


     1月 9th, 2018  Posted 12:00 AM

一昨日、七草粥の後にワイフから今年に入って一番遠景が見える、とのこと。
この自宅には2006年から入居。
入居すると、直ぐに金沢21世紀美術館にて、
私の個展、それも丁度デザイナー仕事30年の集大成で
「川崎和男展・いのち きもち かたち」を開催。
しかし、最終頃には「敗血症・多臓器不全」となりました。
それは重篤と言われ、私は3度目の死線にいました。
2018年1月7日の谷町から、アベノハルカスが遠景に見えています。
正直、大阪に来て住居がやっと見つかって入居すぐに重篤になったのです。
遠景に見えるアベノハルカスは、私があそこには近鉄デパートがあり、
浪人時代1年を暮らして居て、予備校時代に美術学校へと思いを変えました。
この写真からは、雲の様子がやや怪しげです。
この雲が一筋事に明確になれば、
私の予測では「地震雲」として予知が可能になります。
すでに南海トラフでの大地震と大津波予測がありますから、
ややこの雲状態ならば大丈夫かもしれないという予知です。
「人生69年目」ですが、生は死への過程であり、
それが南海トラフではないことと、
北朝鮮からの攻撃ではないこをを願います。


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『Beogram9000でアナログ感を鍛え直すべきか』


   


     9月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

このところ自宅の倉庫を片付けてもらっています。
収集していたオーディオ機器、
それはAurexで自分がデザインし、
当時はとても買えなかった作品です。
ちょうど、作品だと思って収集したときに、
金沢21世紀美術館で、自分の個展ができましたから、
一室はAurex関連だけを展示することができました。
幸いにまだ使える機器もあり、部品用もあります。
そして、あとは使っていない機器です。
そうした中にはBeocenter9000とBeogram9000があります。
どうしてもBeogram9000は、カートリッジも含めて、
もう一度、LPレコード盤を自宅に持ち込もうと考えました。
収納時には徹底的に清掃してあったので、まだ使えます。
ただし、
LPレコード盤は3000枚ほどを整理して70枚程度しかありませんが、
すべてオーディオチェック盤としていたモノと、
DAMで45回転LPでの優れたシリーズ盤
「マニアを追い越せ大作戦」の一部だけです。
このシリーズは
今、マスターテープも残っていてようやくHPも立ち上がりました。
そんなこともあって、
Beogram9000を復活させようかと考えはじめました。
ところが問題は、これはDINでのOUTPUTゆえに、
プリアンプはLINNゆえのRCAに変換しなければなりません。
その前に,一度分解をして総合的なチェック後かと思いつつも、
あと2台ぐらいLPプレーヤーは必要ということになると、
それはどうしてもワイフには許してもらえそうもありません。
最近、このFBにはオーディオマニアだけのHPがあり、
そこでは、
LPレコード機器、SMEのアームや、カートリッジが登場しています。
ここではとてもマニアックな話が多くてワクワクします。
この会話に加わるには、
思い出さなければいけないことが沢山あります。
特にアンプとカートリッジは思い出さなければ、
会話についていけなせん。
先般は、ある試聴用曲では、
今も私が常に使っているだけにそれこそ紹介も交えて
書き込むことができました。
なんといっても、
デザインよりもオーディオの講義をしたいぐらいですから。
自分が社会人デザイナーになったのも
オーディオの世界からスタートしたのは、
なんとも幸運なことでした。
それがデザインの基本になっているがゆえに、
多分、オーディオビジュアルにおいても、アナログからデジタルでは、
やはり、デジタルという技術進化は
アナログ世界観が身体化していないことには、
絶対に無理だと断言できるのです。
そうなると、
やはり、Beogram9000は自宅に再度設定しなければなりません。


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『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』


   


     4月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

「測円」という言葉が私はふさわしいと思っています。
測円というのは、関考和でしたが、今は「楕円」です。
そして、楕円はovalとellipseが英語では二つの言葉があり、
私なりには、ovalはラテン語から卵の曲線意味ゆえパロール。
しかし、ellipseは数学的ゆえにラングとその言葉使いを決めています。
というのは、私がメガネデザインに取り組んだ時に最も懸命に
「スーパー楕円=Super ellipse」にこだわっていたことがあります。
このスーパー楕円でのメガネフレームのレンズカット形状商品は
全く売れませんでした。
それ以後、スーパー楕円らしきメガネフレームは存在していません。
なぜ、また楕円というより測円、そしてスーパー楕円は、
モダンデザインでは多くが成功をしています。
最近、私が最も関心を持ったのは、iOSのOは見事な楕円です。
これはジョッブスの置き土産であり、
彼がカリグラフィの学術的芸術的知識から差し出したデザインには
それこそAppleでも気づいているのだろうかと思います。
今私はもう一つ、モダンデザインの源流に、
このovalとellipseでの造形意図と表現を整理しています。
特に、スーパー楕円でのモダンデザイン造形の形分析をしています。
これは楕円がパロール的造形とラング的造形にまで立ち入れば、
二つの造形が読み取れてきます。私自身がデザイン評論として、
これまで取り組んできたのは倉俣史朗デザインでした。
それをベースにもう一つは恩師の柳宗理デザインです。
柳宗理生誕100年記念講演は教え子の一人として、
美大先輩達からの強い要望は、
これからのデザインを語る基盤に柳先生のデザイン、
その置き土産に潜む、アノニマスとゲマインシャフトを伝承します。
私の解釈論で柳宗理デザインのその造形を、
金沢21世紀美術館で語ることだと考えています。
柳宗理デザインとAppleデザインは繫がっているようです。

* 柳宗理生誕100年記念講演


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『描くこと=その神髄を決定づけているペンと紙』


   


     2月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

デザイナーになって、最高だったことはスケッチを描くことでした。
それこそ、美大時代から絵のための道具には、
最も神経を使ってきたかもしれません。
今、巡りあったペンは、流石というべきか、
ピニンファリーナのデザインというだけあって抜群の持ち味でした。
おそらく、世界中のペンは人一倍触り、また収集にも必死でした。
「弘法は筆を選ばず」ということの真意に私は近づいている、
この想いを一番にしてきたと思っています。
このペンは、あのダヴィンチ時代に存在していたという、
まさしく鉄ペン=スタイラスそのものです。
したがって、そのノートの紙質も最高であるべきだと思っています。
だから、このペンとノートを超えるモノは存在していないはずです。
そうなれば、どんな絵、スケッチを描いているのかが問題です。
スケッチは2006年に金沢21世紀美術館で初めて展示しました。
私はデザインが終われば、簡単に捨ててしまっていましたから、
金沢での個展時には、えらく叱られましたから、
それ以来は、なるべく残しておこうと考えています。
一度、オークションでも2枚=高価で売れました。
そのこともあって、スケッチはボールペンですが、
このボールペンでは、自分なりにはなんと言っても最高を求めます。
したがって、なぜ、こんなデザインを平気で出来るのかという
そのようなペンも見てきました。
案の上、海外の万年筆やボールペンの批評家たちには、なんとも
情けなくけなされているのですが、デザイナー自身は気づいていません。
最近は、Padでのスケッチを正直に楽々にマスターしました。
そのためにスタイラスそのモノも自作から選別をしてきました。
ところが、このペンに出会ってから、どんなペンであろうが、
スケッチ能力と書道力が一致していることに達しました。
すなわち、「弘法は筆を選ばす」ではなくて、
筆次第で、スケッチも書も、「表現の極致に向かう自分」、
このことに気づいてきたということです。

久々にこのブログが書けました。
このブログを休むと、心配をかけてしまいます。
風邪をこじらせ、しかも体調も崩していましたが元気です。
また、修行のごとくこのブログに連日向かいます。


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