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Posts Tagged ‘長谷川等伯’


『東京藝大からの二人の講師を迎えて「KK適塾」』


   


     2月 15th, 2017  Posted 12:00 AM

第四回KK適塾は、東京藝術大学から名誉教授の河北秀也氏と
大学院教授の北川原温氏を講師に開催しました。
河北氏とは日本デザイン学会50周年記念講演では、
グラフィックDを河北氏が、プロダクトDを私が、二人とも確かに、
デザイン学会の今後に警鐘を鳴らしてお互いに学会に関わらず仕舞い、
今や当時の警鐘はさらに拡大していて、私から言わせれば、
デザイン学は「瀕死の状況」だと思っています。
河北氏のiichiko全てのアートディレクションは、
学術誌出版まで彼のトータルディレクションです。
北川原氏はある建築コンペ公開審査で彼の案を絶賛したこと、
最近のミラノ博日本館の素晴らしさ、
現代も日本のアートも語れることで講師をお願いしたということです。
河北氏の学術誌出版のパトローネ主導までのアートディレクションは、
グラフィックデザインの商業的なあり方には現代のクライアント奉仕よりも、
商業主義を主導するグラフィックデザインは今や唯一だと言えるでしょう。
北川原氏は、今回も長谷川等伯の芸術性を登場させ、
ミラノ博日本館は見事な日本の伝統的な建築様式を
イタリアの地に展開し海外を驚愕させました。
三人ともにいわゆる美術学校出身ゆえに、
学生時代には何を学び遊び、そして三人が今度は教育者となって、
今、次世代には何を期待しているか、
そうした語り合いを観客に聞いていただきました。
私の評価は、河北氏はグラフィックデザインを要としながらも、
かつてのポスターから現代の学術誌出版まで、
今、このアートディレクションは皆無と言っていいでしょう。
日本の伝統的な建築技術の再現、どの現代化から未来性創出、
その裏側には現代アートから日本美術までを語れるのは北川原氏でしょう。
二人とも、私と違ってまだまだ未来を創ってくれるでしょうから、
彼らには16:9のデジタルアッサンブラージュのプレゼ形式を見せ、
コンシリエンスデザインでの「大ガラス」私見を語り継ぎたかったのです。
北川原氏のアートと日本の伝統建築技術、その代表作ミラノ博日本館、
河北氏のアートディレクションと商業主義主導の学術文化創り、
同世代が確実に歴史に刻んだデザイン効果を伝え残したものと確信します。

* 『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
* 『アートからの革新=フォンタナの作品から』
* 「長谷川等伯と狩野派の対決から」
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』


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「長谷川等伯と狩野派の対決から」


   


     11月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

長谷川等伯には心をひかれています。

だからこれまで美術専門誌で彼への想いを依頼されて、
何度か書いてきたことがあります。
狩野派=安土桃山時代に、
権勢をふるっていた中央画壇とその体制に、
果敢に挑戦して画法革新を具現化していた田舎絵師等伯は
ここ数年ブームになっています。
出光美術館では、ずばり、等伯と狩野派を対比させる
展覧会を開催しています。
なんとしてもこれは絶対にと思いじっくり鑑賞しました。
これほど多くの観客が訪れながらも静かな展覧会でした。
皆さんが解説をじっくりと読み、
400年前の二つの対決、それなのにお互いの影響ぶりを
堪能されているとても素晴らしい雰囲気の展覧会でした。
長谷川等伯は能登(石川県)七尾から京にて、
大権勢と政治力のある画壇に、静謐な画風で、
狩野派に嫉妬と嫌悪され、
次々と様々な策謀に巻き込まれた画家でした。
画法ひとつでそのような政治力や権謀術策に立ち向かったこと。
私にとってはたまらない魅力があります。
無論、等伯の中国ではほとんど見向かれなかった画法、
「骨法用筆」=輪郭線表現をしないで、
光と大気に対象物を描き出す手法を完成させた画家でした。
狩野派は彼の存在を歴史から抹消させようとするほど彼を敵視しました。
織田信長、秀吉、そして家康という時代は、
画家だけで無く、宮大工や刀鍛冶までも、
パトロンである時の権力者に愚弄させられます。
それでも、「作品」は権力を超越した価値観を、
現代にまで伝えています。
あらためて、等伯・長谷川派と狩野派を見比べられました。
やはり等伯の「骨法用筆」には、権力との闘いなど皆無の静謐さ、
交響曲のアダージョが聴こえてくる印象がありました。
ホテルにもどってからも、展覧会のカタログに読みふけりました。
特に「竹林図」を観ると現代日本からすっかり竹林は消滅しています。
地震国日本に竹林は不可欠でした。
なぜなら、竹林は根が複雑に張り巡らされていて、
地盤を強固にしていたといわれています。
あらためて、水墨画から「やまと絵」までを存分に
楽しむことができました。


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