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『資本主義からの逃走』
     「際限は背中に、目の前に未来など無く」


   


     8月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

背負い水
「Vanishing Point」という映画がありました。
ただひたすら破滅を求めて車が走り続ける映画でした。
「Back to the Future」が後年ヒットしました。
そして、『Back to the Future』という本当の言葉の意味は、
故・作家 堀田善衛氏の指摘で、
これがホメロスの詩の一部であり、キリスト教的教えということを知りました。
つまり、Vanishing Point=消失点に二つの意味を私は持つことができました。
一つは、「絵を描きます」から、そのまま透視図での消失点です。
そしてもう一つは、未来の消失点は「死」そのものだということです。
そして、Back to the Futureにもどれば、
私たちが、「未来は目の前に広がっている」というのが際限無き幻想だということになります。
私たちの未来は、「背中に背負っている」というわけです。
民俗学でも「背負い水」という話があることを
Back to the Futureというフレーズとともに知りました。
「背負い水」というのは、人それぞれ生まれてくる時に、
一生分の飲み水を背負っている=それはその人の宿命を決定ずけている、ということです。
Back to the Futureも、「未来は背中に背負っている」という意味です。
だとするなら、私たちは、目の前に未来などは全くなくて、
生まれてきたときに背負わされていることと、経験で背負ったことでこそ、
やっと未来に消失点が打てるということです。
消失点
私は「学園闘争」の世代ですが、
まったく当時に知り得てしまったのは、学生運動で国家が変革できたのは、
イタリアのムッソリーニ政権打破を学生たちも一丸となった闘争だけでした。
その歴史から、学園闘争に与している同世代の「歴史的な無知さ」を冷徹に見ていました。
「自分が発言する力」を背負うまでは、
默知に限ると思い、ひたすらデザイナー修行を本分としていました。
今、ようやく私は、デザイナーとして、「私のデザインしたモノ」で発言ができます。
さらに、恩師からは「ことば」を「かたち」に、「かたち」に「ことば」を、
と激励されてきました。
際空間・相空間
「際限」に消失点を打つこと、それは「際」を見極めてその「場」に位置することです。
「際空間」とは「相空間」かもしれない、そんな想いを果たしていく時限もせまってきています。
「際限」はやはり、目の前にはあるはずもなく、
自分の背中に実は書き込まれているのでしょうが読み取ることもできません。
だからこそ、その「際限の相空間」をあと数年追いかける覚悟です。
私の消失点が見え始める「際限」まで。


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