kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘雨’


12月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 24th, 2020  Posted 12:00 AM

12月24日 友引(辛丑)

『修景としてのデザイン』

風景は本来、
風、
雨、
雷、
彗星の
現象下に存在する
視界である。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

『外部の空気が吸える渡り廊下』無知識のデザイナー発想


   


     7月 16th, 2018  Posted 12:00 AM


外部の空気を吸うこと、というある建築誌で読んだせいなのでしょう。
この病院には、一端、全く空気を吸える場があります。
別病棟に居れば、全員この「外部の空気」を吸わないと
いけない渡り廊下があったのです。
まず、横桟で建築的にも大間違いです。
猫は平気で登ってきます。泥棒などはうってつけの建築用途でしょう。
私の身体での体温調整には全く無理でした。
それよりも、車倚子の患者を雨の中ではどうするんでしょうか?
と、看護師さんやスタッフの人は「雨傘」でその人を護るということです。
大雨の時は、と聞いたら、スタッフ達おおぜいでで護ると言われました。
ハッキリと言えば、外部の空気を吸うということは、
体調調節で外部空気を吸うということは医学的にも絶対に無駄なのです。
ちょうど、私自身で言うと、体調温度に違いがあって、
2月には、何度かとても寒くて、ベッドで寒さと闘いました。
おそらく、患者も仕方無く病院のテーマというか、そんな建築なので、
精一杯従っていました。
私などはプロのデザイナーなので
個室にあった水面器は絶対に使えませんでした。
この水面器は高額なモノであり、
車倚子の人ほど使ったほしいというデザイナーの意気込みでした。
「何を言っているんですか!」と言うことでした。
それこそ、排水溝すら調べていないのが
「デザイナーが何を言えるんだ」、怒りがありました。
この病院は確かに世界の良いデザインがありましたから、
日本ではこういうモノ=倚子とか照明器具がありました。
日本の病院ではとても値段が安っぽいモノが多いです。
でも私がフランスで入院したときは
とても良いデザインが選ばれていました。
「デザイナーの知識」がとっても低い発想でした。
私の怖れているのは、病院らしくないホテルのようだったという発想、
これが病院発想になることでした。
もちろんデザイナーや建築家あるいはユニホームが
加わることは正しいのです。
しかし、「何の医療環境化が出来る人」が必要だと思います。


目次を見る

『秋の味覚・松茸が豊作らしいが・・・』


   


     11月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

松茸は幼い頃には自分でも秋になれば在る場所を知っていました。
大きくなって、松茸は秋の味覚の高級品でした。
ところが、この秋は豊作だったらしく、
いわゆる、商品として「訳あり=キズがあれば」は半額です。
豊作ということで、思い切り食べることができました。
しかし、それは例年よりも雨が大量だったとか、
天候異常が強く影響をしていたようでした。
味は随分楽しむことができましたが、天候異常=多量の雨とかでは
私には、心持ちが引き裂かれてしまいますが、
やはり、この香りと味の料理には食欲が負けてしまいます。
食欲は人間としては、自然の感覚ですが天候異常では、
とても想像外が頻発しています。
私たち日本人には、3.11の哀しみを引きずっていますが、
フィリピンでのあの台風を超えた長時間の竜巻での災害は、
「まさか」を超えてしまっています。
おそらく、地球環境の異常さが激変していること、その正反対、
松茸の豊作への食欲と、私たちは対決しなければいけません。
原発問題反対を唱えながらも、
電力供給と消費を維持しなければという感覚の問題です。
私は60歳華甲を迎えて以来、自分の命の時間を日々考えます。
それはほとんど、人間の欲望との対峙の仕方にほかなりません。
命の大切さは、生きている実感を支えている地球との関係です。
実際、この秋は思う存分に松茸への食欲を確認しつつ、
その一方で、地球環境の破壊を抱いている有様です。
正直、私にはまだまだこの生き方と欲望の際限性は不明です。
しかし、明確に言えることは、
欲望への素直さと大きな心配の狭間で、
私自身苦しむことを受け入れることでしょう。
その根本には、きっと、あの世は無いのでは無いだろうか、
そんなことを肝にすえて生きのびる欲望の素直さに、
自分の存在性を確認する毎日があるだけと思うことにしています。


目次を見る

「背面に仕組む製品記号論」


   


     2月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

1980年代に米国から「製品記号論」が華やかに登場しました。
1989年・名古屋での「国際デザイン博・シンポジウム」で
私なりの製品記号論として発表した作品=商品です。
「お天気計」という8時間後の晴雨計です。
モノとしては一切の表示用語を消しています。
赤い玉は太陽を表し、青い玉は雨を表示、
ドーナツ形状は雲。
それぞれのインジケーターの点滅で晴雨を示します。
そして、背面に電池を収納しますが、いわゆる電池蓋はありません。
90度右回転させれば、電池ボックスが表れます。
背面にはまったくビスもありません。
徹底した「かたち」でその性能を示すこと、
それが製品記号そのものになることを意図した作品です。
残念ながら、この晴雨を気圧差で読み取る機構は手づくりです。
この機械式を手づくりする職人さんが居なくなってしまいました。
あらためて再現するには
センサーで電気回路設計が必要だと判断しています。
この製品が「かたち」=形態で表現した様々な要素と要因の「かたち」、
そして統合された「かたち」が製品となったとき「記号」=signareに
ようやく製品記号が現れます。
しかし、「かたち」というかたちはありえず、「記号」の集約にこそ、
論理=製品記号論が生まれるという私の造形デザインの一つです。
現代、日本製品にはすっかり忘れられている「かたち」の論理と造形、
あらためて強調しておきたいと思います。

目次を見る