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『外部の空気が吸える渡り廊下』無知識のデザイナー発想


   


     7月 16th, 2018  Posted 12:00 AM


外部の空気を吸うこと、というある建築誌で読んだせいなのでしょう。
この病院には、一端、全く空気を吸える場があります。
別病棟に居れば、全員この「外部の空気」を吸わないと
いけない渡り廊下があったのです。
まず、横桟で建築的にも大間違いです。
猫は平気で登ってきます。泥棒などはうってつけの建築用途でしょう。
私の身体での体温調整には全く無理でした。
それよりも、車倚子の患者を雨の中ではどうするんでしょうか?
と、看護師さんやスタッフの人は「雨傘」でその人を護るということです。
大雨の時は、と聞いたら、スタッフ達おおぜいでで護ると言われました。
ハッキリと言えば、外部の空気を吸うということは、
体調調節で外部空気を吸うということは医学的にも絶対に無駄なのです。
ちょうど、私自身で言うと、体調温度に違いがあって、
2月には、何度かとても寒くて、ベッドで寒さと闘いました。
おそらく、患者も仕方無く病院のテーマというか、そんな建築なので、
精一杯従っていました。
私などはプロのデザイナーなので
個室にあった水面器は絶対に使えませんでした。
この水面器は高額なモノであり、
車倚子の人ほど使ったほしいというデザイナーの意気込みでした。
「何を言っているんですか!」と言うことでした。
それこそ、排水溝すら調べていないのが
「デザイナーが何を言えるんだ」、怒りがありました。
この病院は確かに世界の良いデザインがありましたから、
日本ではこういうモノ=倚子とか照明器具がありました。
日本の病院ではとても値段が安っぽいモノが多いです。
でも私がフランスで入院したときは
とても良いデザインが選ばれていました。
「デザイナーの知識」がとっても低い発想でした。
私の怖れているのは、病院らしくないホテルのようだったという発想、
これが病院発想になることでした。
もちろんデザイナーや建築家あるいはユニホームが
加わることは正しいのです。
しかし、「何の医療環境化が出来る人」が必要だと思います。


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『若き日、「東京家具見本市」で二人は学んでいた』


   


     7月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

フローリング、あるいはフロアライフというのは、忘れられていますが、
あのライフスタイルは福井県の当時は小さなインテリアメーカーだった
マルイチセーリングの背もたれだけのソファーから生まれたのでした。
そのメーカーの小林社長はタケフナイフビレッジで活動開始の私に、
ソファーデザインを任せるだけでは無く、
私提案ながら、「東京家具見本市」全てを委ねていただいたのです。
私は人間工学を東芝時代にヘッドホン設計以来、疑問だらけでした。
同時に車椅子のための身体保持にはなんとしても椅子やソファーの知識、
そのデザイン設計が必要でした。
ともかく見本市会場で最大のブースに
「TONTON」というこの椅子を高さ違いで、展示したのです。
商品としては、一段二段三段だけでしたが、
ブースには銀色パラシュート素材でいわゆる華美絢爛さを演出しました。
ソファーテーマは「休息」でした。
気づいたのは休息が最も持てない人達、それは兵士たちでした。
彼らに休息を与えるには、
カモフラージュ柄の軍服を脱いで砲筒を曲げて、
戦闘不能にすれば休息が来る。
この椅子はまた丁度New Yorkのブルックリン(犯罪多発地)都市計画で、
インターナショナルインテリアセンターが完成し、最初の椅子展では、
世界各国から「新しい椅子」が厳正に200点集められて、
私の「TONTON」は日本代表の展示4点(少ない)の一つになったのです。
しかも最終選考に残ったことで、渡米しましたが、発表は、
New Yorkの親友彼の「プールチェア」、悔しかった思い出があります。
私はマルイチセーリングで、東芝時代に鍛えられた
見本市ディレクションを発揮ししかもソファーを学んだのです。
マルイチセーリングのあの最大のブースには、
当日、雨が降り、コウモリ傘を預かるコーナーまで出来ました。
それは東京支店長だった高島氏のアイディアだったのです。
来場者は、全てが見本市会場では最大の紙袋を持ち、
それにはマルイチセーリング文字入り、
そして雨傘を預かるというのは、
以後も見本市でのブース設計では当然の仕掛けになりました。
高島氏が事業開始時は小林社長が後押ししていたと聞きました。
東京家具見本市では彼の存在は、他の社員を引き離すオーラがあり、
コンパニオンガールは福井で3日間研修までさせた展示会でした。
若き日、私も高島氏も本当に懸命に、商品のあり方や
興味を持ってもらうことを時代感覚で学んだ大きな思い出です。
現小林会長には二人とも今も感謝をしています。

* 「ヘッドホンから始まりました・・・」
* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『HUSATとInternet of Medical Thingsのデザイン言語 』
* 『なぜ、私がヘッドホンにこだわるのか』
* 「わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている」


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