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Posts Tagged ‘非難中傷’


『電磁波革命と遺伝子革命が近接場で始まってきた』


   


     8月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

情報社会の次にどのような社会進化が起こるだろうか、
この質問に自分なりには、三つの革命をもう20年前から唱えてきました。
「光重合革命」・「電磁波革命」・「遺伝子革命」でした。
光と電磁波は相互に電磁波と遺伝子も同次元で科学的な検証とエビデンスが
コンピュータというツールによって明確な方向を見いだしています。
フォトニクスセンターが新設以前に、赤外線を皮膚に当てると紫外線となり、
がん細胞を死滅させる可能性など、そのようなことで、
光照射のペンシル型のイメージなどを提示していました。
一般的には、赤外線は身体にやさしく効用性が語られました。
が、紫外線はDNAすら破壊する、
だから太陽光で皮膚癌という常識も一般化しました。
ところが、近紫外線を発生するプラズマTVの危険性を
自分が指摘するとプラズマTVメーカーも一般からも自分は相当に非難中傷。
しかし、
プラズマTVはペースメーカー使用者に最悪とEC各国からの輸入禁止となり、
国内はすべてプラズマTVより、液晶大型TVに大変革。
一方では、紫外線のさらに深紫外線の殺菌・滅菌・消毒、
その可能性は、
新しい電子顕微鏡での遺伝子と深紫外線関係は近接場=エバネッセントで、
細胞破壊はしないが、消毒・滅菌効果ありと言うことが明白になりました。
これは深紫外線を発光するLEDの開発競合が熾烈な競争になりました。
同時に生産化でのコスト競争から廉価性が出てきました。
早速、光量子・電磁波・遺伝子の関係は消毒性と滅菌性が明白になりました。
自分の提唱した「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」に、
深紫外線で、
まず、「触って、握って」手・掌の消毒可能な製品開発に着手しました。
エバネッセント光のグリップ製品デザインを発表するに至りました。
しかし、自分としては「電磁波」を全信頼しているわけではありません。
自分の研究室の壁面はじめ、ヘッドフォン発生の電磁波防御も、
未だに気づいているメーカーは僅かです。
安全と安心、そして予防が「看医工学」の目的です。
電磁波は、今後、日本の産業そのものを変化させるでしょう。

* 『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』
* 「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」
* 『照明の文化論としての陰翳礼讃』
* 『アレロパシーとして電磁波を制御せよ』
* 「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」


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「専守防衛が鉄則ゆえに護身効果大の手法あり」


   


     8月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

大学一年生の夏休みは、「運転免許」を獲得する季節です。
今では、自動車教習所は高度で高質な教育サービス業になっています。
しかし、40年ほど前は、全くサービス業という自覚も無く、
教官と称する人は柄が悪く品性無き集団でした。
もちろん、制服すら無くて車種もタクシーの払い下げが横行していました。
一部の教官は言葉づかいも荒く、怒鳴るような命令、
人格否定とも思える非難中傷が指導行為風でした。
ようやく路上教習ゆえ仮免にも関わらず、
「なんだ、その運転は、」
「頭の悪い大学に行ってるのか、」
「俺の採点だと不合格だ、」
ステテコに腹巻き、雪駄を履いて団扇パタパタ。
ダッシュボードに裸足で両足を乗せて、教習所車庫入れとなりました。
瞬間、スピードを上げて急ブレーキ!、
教官は、両足をダッシュボードに乗せたまま、
フロントガラスに頭をぶつけて思い切り前のめり、
「てめー、やりやがったなー、車を降りろ」
学生の胸元を締め上げてきました。
間髪を入れず、逆手で片腕関節を真下に下ろせば、地面に腹這い落下。
立ち上がると、五本の指先が目元をつゆ払いです。
涙を流して、身を寄せてくると柔らかな回し蹴りが首後を直撃。
教官は大声で仲間を呼ぶだけ。
教官仲間に羽交い締めのまま校長室に連行でした。
地方警察の警視クラスが天下り校長、
学生は警官の息子ゆえ身元はすぐわかり、その父に電話連絡。
決着は「即退学」決定でした。
(仮免なのに、免許取れない夏休みになってしまうとは)
残念感だけがいっぱい。
帰宅すると、その母は、
「良かった、良かった、
お父さんが警察退職までは
運転して欲しくなかったから、よくやったわね。」
父は夕食時に、
「何手で、攻撃はされなかったのか」ときかれました。
「五手で身を守れました。白蓮拳の型通りでした」
「そうか、じゃ、相手は怪我無しで痛みは明日はとれてるな」
「はい、多分」
結局、彼は「正拳士」まで少林寺拳法をマスターしました。
ところが、交通事故被災で車椅子。
にもかかわらず、少林寺拳法の月刊誌に登場掲載されました。
「専守防衛でも、防護技あれば、攻撃効果は絶対に相手を戦闘不能」。
わが国は専守防衛ですが、
護身技には相手を打倒では無く戦闘不可能化へという効果があるのです。


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『資本主義からの逃走』
    「プライバシーという人権の荒唐無稽さ」


   


     12月 14th, 2010  Posted 12:00 AM

情報時代のプライバシー
英国で人権ということが生まれました。
そして人権は数世紀そして現代に連続。
しかも、今では人権と情報が連結しています。
特に、米国ではプライバシー=「right to be let alone」という考え方が、
情報に人権が包含されるようになりました。
「一人でいて、誰にも観察されない状況」というプライバシーは、
すっかり「人格性や個人存在」を情報化することが密接で社会権と同一的な関係になってきました。
しかし、情報化時代→情報時代での個人性=プライバシーは、
一方では、堅固に保護されるべきでありながら、
もう一方では、そのプライバシーそのものを商品化=情報化するという商業主義が
資本主義の重大な市場価値になっています。
商品価値となるプライバシー
特に、「顔が知られる」=タレントさんや俳優さんという職業においては、
プライバシーそのものを商品価値にすることが重大という局面を持っています。
デザイナーという職能にも、その一面は極端にあります。
私も「designed by Kazuo Kawasaki」という名前、(Kazuo Kawasaki®=商標権)で、
自分のデザイン、創作権を明示する場合の人権は、三つの側面を持っています。
一つは、「私という存在・デザイン能力の表現物であること」、
ゆえに「創作者としての責務」を表していること。
これは「表現の自由」に委ねながらもその自由性において、
専門職能家としての常識・倫理・美学を世の中に問いただすことになります。
それは、表現物への義務感を背負っていることの証左です。
プライバシー情報への誹謗中傷
ところが、一方ではその明示ゆえに、
嫌悪されたり、あるいは非難中傷をうけることも受け入れなければなりません。
その覚悟はあっても、誹謗中傷されることの理由が、嫉妬であったり、
言われ無き荒唐無稽さもしばしばあるわけです。
ところが、この批判にも「表現の自由」とかを持ち出されるとき、
この人格否定の情報を制御できる法的整備はまだまだ整え終わっていないという状況に直面します。
さらに、そうした言われ無き誹謗が風評である場合には、
プライバシー侵害を阻止する手立ては、現代、まったく不在と言っても過言ではありません。
となれば、「right to be let alone」というプライバシーなどは
本来ありえなかったという極論も実際は公知されていたのかもしれません。
人間社会観の未発達性を確認しておかなければなりません。
つまり、「情報と人権」の問題は、このこともアポリアだと私は思っています。
「人権」に対する「情報」の暴力性をみるわけです。


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