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Posts Tagged ‘鶏卵の喩え’


『資本主義からの逃走』
   「鶏卵の喩えこそすべての問題です」


   


     11月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

二項目対峙の問題
鶏が先か、卵が先か、
これはものごころついた時から、
いつもこの問題に人は直面するでしょう。
ただし、明確に、鶏と卵という視覚的に区別がついて、
順位的なことでの先行、後行(この言葉はないかもしれない、後攻かも)なら、
とりあえず、科学的であれ、常識的であれ、喩え話的であれ、それなりの決着はつけられます。
そこで、たとえばもっと具体的に対峙事項の問題を挙げれば、
 ・軍事的な抑止力として、原爆の保有問題から、
 ・ハードが先か、ソフトが先か、
 ・心が先か、体が先か、
 ・メディアが先か、ツールが先か、
 ・男が先か、女が先か、
 ・観念が先か、概念が先か、
・・・・・などなど、
ともかく二項対峙となる項目は「鶏卵の喩え」にして考え込むことができます。
しかし、二項が裏表になっていたり、経過が逆転したりということがあります。
変位・変異・転移
ともかく私は、こうした二項には、
「変異点」や「変位点」という「点」(=ポイント)的な思考逆転やイメージ転回があると考えす。
さらには「転移性」が認められれば「質的変換」まで起こります。
なぜ、私がこのようなことをことさらに意識しているかというのは、
自分の「変位・変異・転移」があったからです。

 ・「歩いていた私が、歩けない私」という変異です。

ことさら日常的には、景気の変動から病変などまでに、
こうした現象を実体験したり、あるいはイメージ=想像力の中でシミュレーションも可能です。
このイメージを強化してくれることこそ、
実は問題解決の大きな手がかりになるとさえ思っているわけです。
やっぱり鶏卵の喩え
大学3年当時の実験レポートを再度見ることができました。
すでに忘却していましたが、デザイン技能習得の実験レポートです。
明らかに、あらためて「二項対峙の問題」、
その解決のために「視覚的・科学的」検証からも、
「鶏卵の喩え」がどれほど重要かを識ることができました。


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『資本主義からの逃走』
   「鶏卵の喩え・まったくの私論」


   


     11月 27th, 2010  Posted 12:05 AM

鶏が先か、卵が先か
後漢の時代の宇宙論に鶏卵の話があります。
あるいは、遺伝子学的な鶏卵の話があります。
つまり、「鶏が先か、卵が先か」という話です。
上記二つの話は、それぞれの成り立ちがありますが、
私は私論として、どちらが先か、というのを
ひとまず「鶏卵の喩え」という具合に考えることにしています。
実に当たり前の話を持ち出せば、
「親子どんぶり」はどっち?、というようなことも、
考えれば考えるほど結論は、人ぞれぞれに「鶏卵の喩え」になります。
鶏肉から先に食べるか、卵とじのご飯を食べるかというような話です。
遺伝子的には、一応は「卵が先」だったという話があります。
さて、私はこの「喩え」を応用して考えることにしています。
ハードが先か、ソフトが先か
実例を一つ上げます。
「ハードが先か、ソフトが先か」という問題提起は、
まさしくこの「鶏卵の喩え」になります。
私が実体験、デザイナーという立場では、どうしても結論は、
「ハード」です。「ハードがあってソフト」という体験が多かったからです。
ところが最近は、ソフトが先かもしれない、と考えるている自分にハッとすることがあります。
特に、具体的には「医療機器というハード設計」にあたっては、
ソフトを十分に知り尽くさないとハードのデザインに向かえない経験が増えてきました。
とりあえず、これまでは「ハードがあってソフト」、
この結論が崩れだしてきているということを書きとどめておきます。


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