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Posts Tagged ‘2050年’


『今できることはやりつくすことだ!』


   


     11月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM




車イスになってまだ30代のころ、
国交省にいくつかの団体に応援していただきながら、
新幹線ホーム、まず東京駅にエレベーター設置を談判に行きました。
「そんなたかだか数名のためにエレンーター設置なんて・・・」
若かった私は、やがて100名が車イスの時代が来ると怒鳴っていました。
最近では、東京駅1ホームに80名から200名、とんでもなく400名の対応。
にもかかわらず、新幹線に乗るために駅員さんがスロープ対処です。
どうして、新幹線からホームにスロープ設置の発想が出来ないのだろう、
担当デザイナーどの!気づいてほしい!
銀座で最近オープンしたまあまあ1.5流クラスのホテルに、
是非ともスロープがほしいと申し出ました。
とりあえず、借りのスロープから、本格的なスロープが出来上がりました。
このスピード、そして、ホテルマンの方々が真剣に話を聞いていただき、
しっかりと出来上がってしまっていました。
こうなると、公的道路の舗装状態が悪いと言わざるをえません。
しかし、申し出たら、確かにホテルは客商売かもしれませんが、
この迅速な対応には心から感謝するばかりです。
おそらく、2020年オリンピック以後には、日本は貧しい国家になるでしょう。
しかし、今だからこそ準備をすべきです。
正直私は2050年以後には、この世にはいないでしょう。
ともかく2050年まで、いや 2300年には、ケルト民族のごとく、
日本民族はいなくなるかもしれません。
だとするならなおさらのことに、今でも想像の限りを創造に向かわせること。
私は28歳で車イス生活を余儀なくされ、40歳までと言われながら、
68歳、40年間車イスに乗って生きてきました。
しかもデザイナーです。できる限り自分の想像力を創造に向かわせたい、
だから、執拗に説得していますが、このホテルのごとく、
直ぐに対応していただけたホテルが銀座に、それは歌舞伎座が目の前です。
ユニバーサルデザインを日本で展開してきた最初の一人ですが、
今頃、ユニバーサルデザインを超えたヒューマンセンタードデザインに、
絶対に向かって実現していくべきと書き置きます。


* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
* 「少数派のためのデザインから・再度、再検証」
* 「随分改善された車椅子対応までのエピソード」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』


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『セルロース素材によるわが国の基幹産業化』


   


     3月 5th, 2017  Posted 12:00 AM



時間はかかってきましたがようやく着地点が見えてきました。
ちょうど、3.11東日本大震災の前に、
この素材は今後わが国のしかも国内で素材が賄えるということでした。
セルロースであり、それは自然素材の樹木・絹・麻から、
落ち葉、間伐材、古紙・紙粉を、
セルロースパウダーにすることでした。
今やまだ日本はブリスターパック=プラスチックで、
これさえ産業化は遅れていますが、欧米は全て紙素材パッケージです。
既に広島土砂災害、御嶽山爆発でセルロースパウダーは確実に運用可能。
現在は、セルロース素材利用によって、除染も、土砂災害も、
実験結果を積み上げてきましたので、いづれ東北現地に入ります。
私の直感では、除染だけではなくて土壌改良や「パリ協定」にわが国の
デザインだからこそ、それも「基幹産業化」とリスクキャピタルから、
ベンチャーキャピタルの戦略から戦術までが可能になると予測しています。
それが「コンシリエンスデザイン」であり、
パラリンピックでの「看医工学」は確実に「老年医療」にも繋がります。
今わが国最大の問題は、それこそ私が出身してきた「東芝」の企業崩壊は、
明らかに「サラリーマン企業の終焉」になるでしょう。
そこにセルロース戦略とカーボン戦術をデザインから提示していくことです。
ところが、「パリ協定」の無視宣言を米国の大統領からの反対宣言など、
おそらく、グローバリズムの改変は起こるでしょう。
それだけに、改めての地球存続性は、
先般の恒星に7つの惑星発見、月に在るヘリウム3など、
希望は見えています。
ともかく2050年まで(生きていないでしょうが)のデザイン、
その目標と目的でのデザイン成果の「美学」は置き土産にするつもりです。


* 『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』
* 「『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語」
* 「デザイン成果としての『かたち論』は生涯論考するだろう」
* 『「森羅万象悉く神なり」は樹木と二酸化炭素の関係』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』


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『温室効果ガス=二酸化炭素の削減はデザインが産業創出』


   


     1月 15th, 2017  Posted 12:00 AM



パリ協定は優れた世界の知識を結集した「地球環境を保全」する知恵です。
そして、これの実現は相当に困難であり、この大問題こそその重大解決と、
そのための産業によってこそ地球がこのまま存続していく知恵になります。
すなわち
私が唱えてきた「コンシリエンスデザイン」での手法しかないことも
「KK適塾」で具体例を提言紹介したいと考えています。
理由は、たとえば、2030年に二酸化炭素の排出量を26%削減させること、
2050年には0% というのは無謀であり不可能だと私は判断しています。
この不可能性に気づいているメーカーはほとんど国内にはありません。
これすら日本の国家体制が遅れてきた大きな証拠です。
化石燃料を80%削減し20%を森林の樹木に吸収させること等出来ません。
私たち阪大の研究室では、「セルロース戦略」を「カーボン戦術」によって、
空中にある二酸化炭素の炭素化を可能にするデザインを提案することです。
おそらく炭素化技術は大きな産業になり、それこそ、「炭素化バブル」すら
大きく産業効果を予測することが可能になると確信しています。
情報革命の進化は、それ以前に地球環境を温室効果ガスを処置しない限り
ほとんどが不可能であることを知るべきです。特にデザイナーは!
この発想は工学でも医学でも無いのです。もう大学効能が無いのです。
まさしく、工学と医学との統合であるコンシリエンスデザインだけが
その解決をセルロース戦略に戦術をカーボンの低温度焼却なのです。
その具体的な手法を、なぜ、日本だから学び取ることができたのかを
私は最先端的なデザインとして主張していきたいと考えています。
1月20日には、次世代デザイナーにこのことを伝えるとともに、
特に先般も世界の政治情勢での「ふらつき」などは何も解決しないでしょう。
とりあえずは109ヶ国は、地球存続で最初の温室効果ガス=二酸化炭素、
この循環を性善説として願っていくことこそデザインは引き受けるべきです。



* 『基幹産業の目星をつける今年最後の実験』
* イントロ画面を新作して「KK適塾」にした理由』
* 『ある効果とある理論を実際に問題解決=デザインへ』
* 『行学はデザインにあり・「KK適塾」を開始します』
* 『2016ワールド・アライアンス・フォーラム会議に出席』


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『諦観からの発想でこの国家・民族が選ぶべきデザイン』


   


     10月 11th, 2016  Posted 12:00 AM



おそらくこれだけ落胆をさせたドキュメント番組は無かったでしょう。
日本、わが国の少子化と老人社会は、ローカルはもちろんのこと、
首都東京までも悲惨極まり無い状況が年毎に迫ってきています。
その具体的な事例を、東京、ローカル山村、破産都市・夕張の実態を観て
その破産都市への進行がまさに2020年オリンピックどころでは無いのです。
夕張には一度行ったことがあります。
SL列車、その最期の録音にオーレックスチームで出かけました。
当時でも、とても寂れた街でしたが、SLの蒸気機関車3連走は素晴らしく、
その録音はレコードになったほどでした。
当時、北海道での公立大学学長候補だったときには、
この街へのデザイン導入を、様々に発想して真剣に考えたこともあります。
しかし、現市長の給与や交通費は自腹というのを観ると、
なんと地方首長、地方の県市議会議員にこれほどの差異がと呆れます。
2050年まで自分の命は無いと思っていますが、
日本というこの国家、そして日本民族の未来の消滅を確認させられました。
ふるさと福井県も人口減少の進行が進んでいますが、
豊島区の20代の年収を知ると、結婚どころか「貧しい国家」は歴然です。
我々は今、諦観あるうちにredesign=諦めてこそのデザインがあるのです。


* 『silience=無意識だけれども重要な知的核心という解釈』
* 『忘れた頃にを想定内に!』
* 『1949.2.26日から生きている=死んでいく私』
* 「一極集中・東京が引き込んだ失策」
* 「喧嘩道には制度的なサンクションが作動する」


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『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』


   


     5月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



わが国の少子高齢化は人口ピラミッドの視覚化により、
明白な事実が確認できます。
自分自身が「団塊の世代・s22・s23・s24」の一人として、
この図解はきわめて事の重大さを納得させてくれます。
高齢化というより高齢社会は人口の巨大な重石になっています。
少なからず、1949年生まれの私には2050年はありえないでしょうが、
少子化の重大さは、いくつかの国家的危機を明確にしています。
まず、防衛的問題が政治的にはトップ問題ですが、
経済システムの大変更は
2018年大学問題・国公立私立大学は半分になるでしょう。
入学者数の無い私立大学は不要です。
そしてこの教育問題が産業経済への多大な影響になることは
すでに一般的には暗黙の理解になっていることは間違いありません。
最も重大なことは「年金問題」と「介護問題」がこの少子化の
人口ピラミッドを見れば一目瞭然となります。
18歳からの投票が可能になりますが、彼らの「不安」の中心は、
「政治に荷担しても何も変わらない」という印象から
投票しないという発言です。
しかし、この不安感の実態は「年金」問題もさることながら、
実際は「介護者不足」は2025年には250万人の介護士が必要です。
この実態は18歳には届いていませんから、
彼らの投票参加がなければ「シルバーデモクラシー」になるでしょう。
しかし、もし、投票がインターネットであれば、
18歳人口は彼らのSNSネットワークで、
マスコミ操作不要の新たなデモクラシーが出来上がります。
その時には、ネットワークによる新たなリーダーが求められるでしょう。
その時には自分は逝ってしまっているはずです。

*『日本システムが壊れた理由のひとつ』
*『災害への勇気と希望の世代間団結』
*『世界・世界観変革が始まる』
*『2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない』
*『忘れた頃にを想定内に!』


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『1949.2.26日から生きている=死んでいく私』


   


     2月 26th, 2015  Posted 12:00 AM


私が交通被災に遭って車イス生活になったのが、28歳の時でした。
半年、救急病院で手術をし、転院してリハビリを受けました。
その病院で、統計データを見せた担当医は、私に、
「データ上では、確実に、40歳までが君の寿命」と言われました。
(こんなことを患者に伝える、お前はバカか!・・・)
それなら、いち早くこの病院を出ようと、
たとえ熱があっても体温計をゴマかしてリハビリ訓練をしました。
私の予測道理に米国のベトナム戦争傷兵脊髄損傷者の訓練で、
半年でリハビリ病院を出て、赤坂でデザインスタジオを開設、
しかし、父の命令で福井に帰り、40歳までをと・・・
気づいたら40歳になり、運良く毎日デザイン賞を受賞していました。
(あの嘘つきドクター!)と思っているどころか、
47歳で逝ってしまった母を考えて、47歳で大学人になりました。
2049年には100歳ですが、2050年以後の予測までを読んでいます。
66歳になってしまった私ですが、
やり残していることは、まず、デザイナーとしてやり遂げたい、
したがって、大阪大学を退官時の作品集「川崎和男Design」を出版。
出版社には、とんでもない、もう一冊作品集を出すと言っています。
結局、大阪大学大学院医学系研究科に転籍して、
今春からは正式に「コンシリエンスデザイン寄附講座」を新設です。
3.11の復興、範原発(脱原発は論理・言語論としても間違い)、
南海トラフ対策、そして2020年の東京オリンピックは観たい、
これが生きている=死んでいく私のとりあえず2050年までの計画です。
生まれて生きていくのは死んでいくことを明確に認識しています。
66歳ゆえに時間の体感経過速度はあっというほど光陰矢のごとし、
当然です。
66歳ともなれば、一年は66分の一で過ぎ去ります。
恩師は93歳で逝かれました。100歳を約束しました。
真正面で死を見つめて、それも3度も観てきた経験がありますが、
これから66分の一で過ぎ去る一年間にやれるだけやるだけです。


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「私の小さなふるさと・福井県」


   


     5月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



私は福井生まれですから、ふるさとは福井県です。
18歳まで暮らし、浪人1年は大阪でした。
大学は金沢市、35年ぶりに、
私にとって最大の個展=金沢21美術館 で開催しました。
30歳でUターンをして、47歳からは名古屋で大学人になり、
大阪もすでに8年目になります。
私の福井県はかつては人口が80万人ほどでしたから、
話題になるのは、敦賀市にある原発です。
それも「核燃料サイクルの是非」と「活断層と原発」、
ゆえに、敦賀原発の廃炉化が大きな国家問題になっています。
これから私がここで真実を語るとするなら、
個人見解とは決して思われないでしょうし、
大学人としての話となれば、おそらく、賛否両論どころか、
反論もすでに想像の準備とその容易さも可能です。
だからと言って「黙認・黙秘」はとてもしかねる性質です。
したがって、
これは正確な情報としてまとめておきたいと考えます。
まず、「道州制」になれば、福井県は二分されるでしょう。
北陸トンネルをはさんで嶺南(小浜・敦賀)と嶺北です。
活断層と地震の関係はまだ懸念性でしかありません。
再生エネルギーの可能性は皆無です。
原発での現材料・プルトニウム=ウラン各種には限界があります。
もはや、寿命の期限が想像できる私には、
正直、2050年=私が100歳以後にはなんら想いはありません。
しかし、2300年までの予測や西暦9000年前までは、
結構詳細に記憶しています。
私は、おそらく、そのような事までの記憶から推測、
さらには、現代の情報への正確さを見極めるのは、
幼少の頃から高校時代までに、
そうした能力の基礎が出来るのではないだろうか、と思うのです。
それが、結局は、「ふるさと」が、
その人自身のアイデンティティだと判断しています。
私のふるさとは、
少子化もあってか「小さな県」だと思っています。
しかし、私が最も得意とする1800年代については、
つい最近、ふるさとのある市長に、
私が知っている古文書をもう一度読みたいと手紙を書きました。


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「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」


   


     5月 16th, 2013  Posted 12:00 AM



私がこのブログを開始したのはマルクスの「資本論」からでした。
わが国がようやく大政奉還から明治維新を迎える寸前、
その後、世界中が引きずられてきた「資本論」があります。
ひょっとすれば、あたかも「聖書」と同様に様々な解釈や、
そこから世界は新たな思想、制度、哲学などを支配されてきました。
特に、20世紀はこの理論の解釈は大きく二分されて、
大戦を二度も体験しながらも、
まったく人類は存続の知恵を創ることもできませんでした。
私自身、社会人になる寸前、1970年には「ローマ賢人会議」で、
すでに「地球存亡、地球資源の枯渇予測」があり、
私はとても大きなショックを受けました。
このショックは今なお私の奈辺に大きな重力のままです。
まさか、と思っていた「March.11.2011」を体験するとは・・・
そして、豊かさを勘違いしながらも平和なこの国家が、
産業構造も瀕死状態にあります。
「資本論」は人間の存在を労働力としての批判だと一言にすれば、
「自然資本」は地球資源を自然力としての見直しと考えます。
私は、モノづくりに関わって生きてきた人間です。
そして、たとえば「サスティナビリティ」というのも、
単なる「人類の生き残り」などではなく、
明らかに経済用語だとその論理付けもしています。
私は明らかに「モノづくり」の視点から、
光造形を語り、3Dプリンターの虚実を見極め、日本の未来づくり、
その創成と創出をデザインで主導することを考えています。
まだ明らかに「世界戦争は連綿と私たちを苦しめている」のです。
私たち日本民族が消滅するのは2300年頃と言われています。
そこまで私には全く関係はありませんが、
少なからず、2050年までは自分の思想意欲と、
祖国日本、日本人のあり方を何らかに記述しておきたいのです。
人間中心=労働力で語ろうが、地球中心=自然力で語ろうが、
結局は、人間の日常のエネルギー=水・食糧・電力だと思います。
しかし、すべからくを「資本」と呼ぶこと、
その姿勢を変えるべきだと主張しておきたいと思います。
私の専門で語るなら「型」と「版」でのモノづくりは終わります。
だからこそ、現代の基盤思想は、
「資本」という語りから解放されなければなりません。
私は、とりあえず、これまで記述してきたテキストに、
「Natural Capitalism」、
その邦訳本「自然資本の経済」を取り上げておきます。
「ビジネスモデル」?、もうそんな思考回路は消えています。


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「1949年生まれにとっての2050年未来は?」


   


     11月 11th, 2012  Posted 12:00 AM



1949年生まれの私にとって2049年は100歳です。
したがって、2050年にはすでに私の生涯は終わっています。
書店で、この本を見つけました。
2050年という未来予測です。
ともかく読んでおこうと思っています。
その時に、地球は、世界は、そしてわが国日本はと、
想像するヒントだけでも知っておきたい。
ワイフは生きているかもしれないし、
甥っ子や姪っ子には人生の中盤になっていることでしょう。
教え子たちには必ずやリーダーとして、
世の中を牽引していてほしいと思います。
まだこの本は読んでいませんが、
まず、同胞である日本人には幸運と幸福であるべきです。
世界で最も理想的な国家になっているべきです。
大学人になって17年ですが、
17年前に私なりに今日のあらゆる領域の脆弱さは想像していました。
そうしたら、なんと3.11という1000年に一度という大天災と、
またもや、
放射能と日本人は向かい合わなければならないことになってしまいました。
私に残された時間を毎日確認しています。
28歳で車椅子になったとき、
ドクターの宣告は40歳までの生涯のはずでした。
だから、せめて体力は衰えようが、気力だけでも健気に社会と向き合い、
私なりのデザインを残したいと願っています。
なぜなら、デザイナーという職能家として生きぬくことが、
私の天命であり、運命であり、宿命であり、だから使命だと思います。
幸運にも、デザイナーゆえに、「夢を創る」仕事で生きぬけるはずです。
読者諸兄にとっても、
2050年をどのように迎えることになるのかは問いかけておきます。
2012年もこれから歳末はすぐにやってきます。
来年、どう生きるか、それは2050年に連続していくことになるでしょう。
私は、学生たちに最近は、次のように伝えています。
「君が中年になって人生に成功している姿を、
私はみることができないことはわかるでしょう、
だからこそ、君の将来は、
君自身で自分の中から紡ぎ出すしかないんだよ」、と。
未来は常に、「夢を抱いて招来すること」、
これが全ての人にとっての使命だと思います。


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「世界の伝統工芸技術を取り込むブランド姿勢」


   


     9月 27th, 2012  Posted 12:00 AM



ちょうど私自身が伝統工芸に取り組み出した頃、
このブランドはアフリカのゴム素材、
その伝統的な工芸技法を取り入れて商品化しました。
1980年代の話ですし、その時の「商品」です。
それには三つの理由がありました。
2050年以後の地球環境の大異変をすでに予測していました。
だから、この時代から「環境産業への投資」、
そして「特許権獲得」を開始していたブランドです。
それは、このブランドの最も得意とする動物皮革が枯渇し、
かつ皮革表面が当時から品質低下が起こり始めていました。
ところが、動物皮革以外の天然素材であるゴムの研究に、
アフリカのゴム加工方法が伝統的な工芸技法として残っていました。
この技法をブランド工房で製品化を成功させました。
しかし、ゴム素材ゆえに皮革よりは低価格であり、
このブランドらしさのデザインは、
認知度アップが困難だったようです。
天然皮革と同等に天然ゴム技法の確立を目指した「商品化」でした。
それは、アフリカのあらゆる表現技法を総ざらいしていたことは確かです。
私自身、自分が伝統工芸産地への「デザイン導入手法」のために、
このブランド試行は参考になりました。
もちろん、ゴム素材と皮革やファブリックとの接着や縫製技術は、
以後の新商品に活かされています。
このとき以来、
様々な素材と動物皮革との縫製技術は格段に進化したと見てきています。
この商品のゴム素材部分は、
傷つきやすい素材ですが、その傷補修によって、
さらに使いこなしていく経年変化を留めてしまっています。
本来、皮革製品なら経年変化こそ商品価値とするものですが、
天然ゴムゆえの経年変化を停止させるというのが伝統的な工芸技法を、
このブランドは自社技術にして企業資産にしています。
ブランドとは、常に「革新的」でなければならず、
その革新性が特に、技法や技術であるなら、
その保全存続は世界各地から学び取る姿勢が必要だということです。


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