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「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」


   


     7月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

先般、ワイフが郵便局の人に欲しいとかで、
わが家に貯金箱が4つ体制になりました。
「貯金」というのは郵便局で、
「預金」というのは銀行、
私の金銭感覚はこの程度です。
さて、この丸ポストは日本の町の風景の一部でした。
最近は本当に見かけなくなりましたが、
デザイナーから見るとある意味、不思議な形態ですが、
おそらく日本人の郷愁感にすっかり溶け込んでいるアイコンです。
おそらく現代デザインでは絶対に出てこない形態。
蒸気機関車のような日本の郷愁景観アイコンだと思います。
円筒形に正面は郵便物を受け取りますが、
庇があって雨よけでしょう。
そして取り出し口が正方形というのは、
まさに回収管理という造形言語ですが、なんとも不思議な形態です。
丸ポストの現在までの歴史そのものが、
今度は「貯金アイテム」というアイコンへの変貌はとても面白い。
これはフィギュアやミニチュアの「効能的存在性」をという
形態言語になっていると判断できます。
私は、ほとんど小銭を持たないので、ワイフの小銭管理を申し出ています。
私は車椅子になったときに貨幣デザインが変わったので、
500円硬貨に感激しているという漫画的な存在です。
だから、500円硬貨だけは持っていたいのです。
一応、1円・5円・10円・50円はこれらのポストに貯金し、
100円硬貨だけを持ち歩くようワイフに伝えています。
これらの貯金は、1年後には寄金するということにしています。


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『資本主義からの逃走』
  「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」


   


     12月 11th, 2009  Posted 10:00 AM

私は、28歳で車倚子。
入院中に、お札やコインのデザインが変わったのです。
だからまったくお札のデザインでの価値判断不能です。
それで、それから30代になってから500円硬貨を見て、
なんだかとてもうれしかったのです。
幸か不幸か、
私はまったくお金を持ち歩いたことがありません。
世間離れ甚だしいと思います。

ところが、
金銭感覚というより財務感覚では、
「企業や産地や行政」の収支決済と市場性について
デザイナーとしての予測値反応は鋭いと自負しています。
しかし、
私の日常の金銭感覚はまるで駄目だと自覚しています。

コインは、1949年モノ、
私の生年のコインが大好きなので時々持ち歩きます。
500円硬貨もなかなかいいです。
それはモノとして魅力的なだけなのです。
先日から、
私は「日常的なお金」を持ち歩けるようになりました。
それがたまらなくうれしくてうれしくてたまりません。
とても、資本主義から逃走なんてできない!と、
言われそうですが、まったく違うのです。
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edyカード付きのマイレージのクレジットカードです。
もう使うことのできないモノとしてのコインと、
プラスチック貨幣であり、
「サービス産業」メディアとしての価値貨幣カードです。
ここがポイントです。
「資本主義」に入り込んでしまっている産業、
すなわち「サービス産業」に立ち入ることです。
そこでの人間関係・業態関係・価値体系関係は、
社会と時代の関係が連鎖系であることを一変させます。
ここから、「逃走する逃げ道」への交換体系を、
デザイン」出来そうな気がしてなりません。
edy・マイレージ・クレジットカードも、
私にはうれしい日常的なモノですが、
そこからも、資本主義の消失、
その要因が変容どころか喪失していく予感がします。


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