kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘70歳’


『令和元年・古希である私』


   


     4月 2nd, 2019  Posted 12:00 AM



とうとう元号が定まりました。

私は古希・70歳です。

人生の、残りも少なくなってきました。

だからこそ、日常には後悔が残らないように、

いつでも想像力がすぐに創造でもって

こんな時代に、ここまでの発想があったのかを、

私は表現していこうと思っています。


目次を見る

『「文藝春秋」と「芥川賞」に憧れがありました』


   


     2月 27th, 2019  Posted 12:00 AM



「文藝春秋」は、中学生になったときからの愛読者です。
伯父からこの本は読めるだろう、と勧められました。
伯父は、エンジニア=繊維関係ですが、いつもこの本がありました。
小学生時代には、角川書店の昭和文学全集(ふりがなあり)と、
平凡社の世界文学は全て読んでいました。
これは、祖父からお小遣いをもらえるということもあり
それを目当てに、全てを読み、読書、大好きになりました。
実家の倉庫には、まだこれらが置いてあり、
読み終わって祖父からお小遣いをもらった
本のタイトルの上には目印で○に大の印が書いてあります。
子ども時代の読書習慣から、私は小説家、作家が夢でした。
そして、いつも「芥川賞」への憧れがありました。
医学部に入って、作家との兼業という将来像に憧れながら、
医学部ではなく、美大へ、作家では無く、デザイナーになりました。
とは言え、東芝に入ってからも、自分の名前入りの原稿用紙を作り、
執筆をしていましたから、原稿がどこかにあるはずです。
デザイナーとして連載をかかえた時、
編集長から物書きは蔵書5000冊を突破して、
初めてそういった段階にのれると教えられました。
実はペンネームもあります。
今も、芥川賞はこの「文藝春秋」で欠かさず読むことができます。
70歳なれど、新たな肩書きを増やす夢をみています。


目次を見る

『古代希なり・70歳です』


   


     2月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



私が2月26日、ワイフも2月生まれを祝いに、
2月14日に、日本でも有名なシェフのお店に初めて行きました。
いつも、国際的には日本代表となるシェフのお店です。
以前から紹介されながらも、行けずにいました。
去年は4度も入院・退院、医療制度をかなり見ました。
安定しない健康と、あたえられた仕事への責任との
バランスをとるのに、力戦奮闘した1年でした。
ゆえに、それが明けた今年は、
感謝と更なる景気づけにと徹底的なこだわりを元に
腕のあるシェフのお店しか思い浮かびませんでした。
さて、私は古希・70歳です。
40歳までと言われながら、「ここまで生きてきた」のです。
41歳で毎日デザイン賞をいただき、バブルの頃には、
クパチーノで、Apple 社のコンサルタントをやっていました。
モノづくりの知識を網羅し、
国内の産地や、企業との産業と文化の仕事で、研鑽を重ね、
大学での研究では、生命や環境や平和といったデザインで解決をめざす
広範な領域まで手掛けました。
今年は、「古希・70歳」を年賀に気持ちを強くしたためました。
47歳で亡くなった母には「がん」という病名も余命も伝えなかったのですが
私への遺言書に「世界一のデザイナーになって」と書いてありました。
大学卒業後、ふるさと福井にでも戻ろうと考えていた私は、
そこから心を新たにし、母の遺言に、何としても応えたく、
毎日母への恩返しを誓いました。
「古代希なり」の70歳です。


目次を見る

『左脳と右脳は、左右の耳に加齢化しています』


   


     2月 9th, 2019  Posted 12:00 AM



まもなく、私は生から死を迎えます。
おおげさな言い方ですが、今月、古希70歳になります。
それには、もはや「何にも要らない毎日」の生活があるのです。
闇雲に物欲に負ける生活は終わり、
もちろん審美眼が年齢とともに備わっているのです。
今は、身体のことで、左右の耳と左右の脳のことが一大関心事です。
自身にとって確かに異なっているのは、
右耳からの情報=ミュージックは
左脳が劣っているのは加齢のためです。
一般的にも、耳と脳との関係を深掘りして調べています。
アナログの再興で、デジタルとともに、
音響システムを構築できるいい時代です。
そしてレコードから、いい音を出すためにプレイヤーと
周辺小物を調整していますが、
レコード盤を押さえ込むスタビライザーも、
自分でデザインしたモノがあります。
幸いにして、40年も前のカートリッジは、
「ナガオカ・ジュエルトーン」で販売されています。
私デザインは、きっと私よりも、かなり長生きになるでしょう。
デザインしたスタビライザーがあるのかを、
オークションで探してみると、存在してるのです。
それはとても幸運なことだと思っています。
「何も要らない毎日」には、
感性=右脳を、購買すべきかどうかを迷っています。


目次を見る

『2018年での平成最終の「忘年会」』


   


     12月 30th, 2018  Posted 12:00 AM



毎年恒例の「忘年会」。
ワイフ(左)と私(右)。
簔豊氏・金沢21現代美術館名誉館長であり、現在は兵庫県美術館長。
ハーバード大の美学博士。元は金沢市助役。
阪大の外科学第一部長であり、
今ででの細胞の薬事法に認められた心臓外科医、
iPSでの循環器での進化目覚ましい、医学博士。
いとこである東大からの最初の宇宙工学者で、
宇宙開発事業団からJACX出身、宇宙軍にもかかわる、工学博士。
阪大のアンドロイドロボットの石黒特別教授、工学博士。
日本科学館でのキュレーターである内田まほろさん。
血小板より世界最小のマイクロナノロボットの東大の生田教授、工学博士。
私はデザインディレクターで医学博士。
いとこと私は古希・70歳。


目次を見る

『かって「南蛮菓子」だったビスケット』


   


     12月 26th, 2018  Posted 12:00 AM



とうとうこの「ビスケット」を見つけました。
私は子どもの頃から、3時にならないとおやつを食べませんでした。
そして決まっていたのは、M製菓のビスケットでした。
この習慣でなければ、私はおやつは食べなかったのです。
来年には古希70歳になりますが、このビスケットが懐かしく
色々探しましたが、まったく見つかりませんでした。
いつもワイフに言い続けていたので、ついに「これじゃない?」と
このYBCのビスケットが見つかったのです。
なんともつまんない話かもしれませんが、
「これだ!」と嬉々としています。
古希にもなると、もはや子どもの頃がとてもなつかしいのです。
最も、記憶の中のM製菓のビスケットはもっと厚いし、
中のチョコレートも大きいです。ただ、味は間違いなくこれです。
確かに、ビスケット、クッキー、サブレなどありますが、
日本に入って来たのは、あの黒船来航のときです。
当時は「南蛮菓子」と言われていたのが大騒ぎしたらしいのです。
味や香りでいろんな記憶がよみがえって、
すてきなおやつタイムを過ごしています。
ビスケット、というのは、もう長い時間のおやつとして筆頭です。


目次を見る

『従兄弟との勝手なやりとり』


   


     7月 30th, 2018  Posted 12:00 AM



「大きな仕事」をして、夜は従兄弟と夕食。
彼には大阪大学で招聘教授をしてもらっていました。
今年3月31日に私も阪大をようやく辞めました。
来年には私も70歳になります。彼は一つ歳下です。
彼は東大を出て宇宙開発事業団からヒューストンに行き、
私も彼のヒューストン・NASAに行きました。
NASA・NASUDA・ESAで創った彼の事務所も
あのいわゆる「ひまわり」の開発をやっていました。
それからH2Aロケットなどで。
それから統合されたJAXAに行き、
彼がおそらく宇宙工学での信頼・安全性の権威でした。
彼の論文は「公約論文」なので、阪大では読める教授はいませんでした。
どこまでは私にも不明ですが条約国家間でしか読めない論文もあり、
私が医学系研究科では、「信頼・安全性」で加わってもらいました。
いつでも相互に「・・・ちゃん」とか言い合っているので、
ワイフには,気持ちが悪いとか言われています。
今回もある民間人のロケット失敗なども話合いました。
「どれだけ失敗するか?」が問題でした。
私の予想では、相当の経験者がいなければあのロケットは失敗します。
私は彼から「危機管理はできない」ということで、
私は「危機解決プロジェクト」をやっていました。
さらに「リコール」は宇宙工学では絶対にやらない、ということは、
デザインにとって大きなテーマです。


目次を見る

『車倚子の対応=デザインされていない病院』


   


     7月 12th, 2018  Posted 12:00 AM


本当にこのブログを休んでいました。
1月・2月・3月・4/21までを休んでいました。
この間も、Ship of the Year、日本文具大賞、DESIGN TOKYO・
PROTO LAB、と審査をこなしてきました。
あるリハビリテーション・ホスピタルに入院をしていましたが、
これはデザイン界が関わっているので、
理事長がデザイナーの言われるままに進めてしまい、
こういうやり方は「本当にまずい」と考えています。
阪大からその病院に移るとともに、
「足を骨折」するという大失敗=これはそのセラピストにやられてしまいました。
まず、「車倚子の患者」への対応を、
結局は何にも知らないことを改めて知りました。
「一回の入院も知らないデザイナーは
絶対に病院に関するデザインをやってはいけない」と改めて知りました。
そう言えば、初めて国内で(多分)英国人に
エレベーターで「お・も・て・な・し」を受けました。
ともかく「車倚子の人」はこうやって支えるべき、
ということを知ってほしいと思います。
スタッフの衣服は、一応、「綿織物でこれが最高」という訳はありません。
今では医師やスタッフの人たちがこういう出で立ちでは、
リハビリ病院なればこそ、これも全く駄目です。
リハビリテーションゆえ、「リゾート」という言葉をデザイナーが使っていますが、
「リゾート」とは「何度も通える」ぐらい勉強をしてほしいと思います。
ともかく、デザイナーとして売れていることで
「こんなに安っぽい」「病院」は決してやるべきでは無いと思っています。
そうして、来年は70歳を迎えますので、阪大を辞め、研究室を出ました。
が、こんなに作品・賞杯・玩具まであるかと思いました。
これからも、このブログを書いていこうと思っています。
ご笑覧いただきたく思います。


目次を見る

『曼荼羅とDNAホログラムの位牌・もう一つの仏壇』


   


     8月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



まだ父は存命でしたが、その時に金剛界曼荼羅でもう一つ仏壇をデザイン。
それは父用でしたから、出来上がった時に、
父に見せましたが、怒鳴られました。
「俺はそんな中に入るか!」って。
父の死後、父は私を自慢するのに、
あいつは俺の仏壇までデザインしてくれていた、と。
金剛界曼荼羅の3×3を立体にして、
正面の扉を開けると、私が考えていた位牌はDNAで、
本当ならば、そのホログラムを映し出す装置にと思ったモデルでした。
父は20歳で徴兵され騎馬隊員で金沢の21師団配属。
7.5年徴兵されて、復員してからは
警察官となり刑事ばたけにいました。
ノンキャリアながら、次々と昇進して警視正とまでなり、
福井県自動車会議所の専務理事でビルを新築後、70で勇退しました。
9年間、彼は自由に中国や沖縄、靖国神社などを執筆していたようです。
79歳、晴天の日に散歩途中に倒れてあの世に逝きました。
彼は私の仏壇を見て、すごく怒りましたが本当は自慢もしていたんだとか。
生きていることは死んでいく過程に過ぎません。
間もなく私も70歳を目の前にしています。
そこで社会参加を辞めるべきかを毎日考えています。
ただ、デザインし創りたいモノや、次世代デザイナーに、
絶対に語り伝えたいことが、今日もありました。
金剛界曼荼羅の九つの箱に、私の生涯を残したい、そんな気持ちと、
存在が無となるあの世だと思っています。


* 『電磁波革命と遺伝子革命が近接場で始まってきた』
* 『天空と深海で何が起こっているのだろうか?』
* 『ふるさと福井の大震災を胎内で経験していたと聞く』* 
* 『終戦では無い、敗戦記念日であった』
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』


目次を見る

『芸術は宗教である。=私は信じている。』


   


     11月 16th, 2014  Posted 12:00 AM



モンドリアンの全てを私は信じています。
現代、芸術史に美術の歴史上では、その芸術家は貧乏の極致であり、
決して生きている時は認められなかった作家は沢山います。
私が直感で、気に入り好きな作品、その作家は自殺した人がとても多く、
自分でも「なぜ?」と、思っていて、いつかすべてを熟考記述します。
モンドリアンのこの「ブロードウェイ・ブギウギ」は、
いつも本当に良かったと思い、私にとっては、最も落ち着ける作品です。
画家を志し、彼の作風はやがて完全な抽象画になっていきます。
彼が、芸術運動=デ・ステイルの中心人物になり、
ようやく、彼が個展で認められて、スターになったときはすでに70歳。
それまでの、画風様式から、「解放」されたがごとくの、この絵は、
芸術の修道士とまで言われ、結婚もせず、完璧な絵画で、
デザインそのものが再考を余儀なくされましたゆえに画家ですが、
私がデザインの完全主義を学んだ重要人物です。
だから、私にはモダンデザインの基礎は、
彼の創作思想を追いかけました。
しかし、社会からやっと認められたからなのでしょうか、
彼の人生最期にはそれゆえの超完全主義がこの絵画になりました。
MoMAに行ったら、この原画の前にずーっといることができます。
芸術が宗教だ、とまで断言してもらえたこの表現こそ、
完全主義を乗り越えたからこそ、ここまでの表現が、
私は確信の真実はここにまでいたるべきだと思っています。
私自身、宗教は信じると言うより、
学んできた対象では重大なものです。
しかし、宗教に私の確信性はありません。
むしろ、自分は自分の中に潜む美、
この美だけが生きがいの対象です。
それゆえに、モンドリアンの思想、生き方、
芸術は宗教断定を認めます。
極貧に耐え抜き、社会的にも認められず、ゆえに修道士のごとく、
自分の思想と理想を守り抜いて、生涯の最期の最後に、
大絶賛はたった2年間です。彼の完璧完全に生まれた、
まさにブギウギ、
この生涯こそ、私は自分もこうありたいと完全に願っています。
私は、作品を創りあげた作者の生き方=思想こそ、
学ぶべき対象だと、自分に言い聞かせています。
この作品にまでなんとしても自分はたどり着きたいと思っています。


目次を見る

1 2