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『アートの主観性とデザインの客観性、明確な分別』


   


     11月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



私は金沢美術工芸大学でデザインを学びました。
そしてすでにデザイナーとしてのデザイン活動は40数年になります。
よく質問されるのは、デザインと芸術、アートとデザインの違いです。
この質問:課題=Question、回答=Answerとなれば、
明確に答えることが出来ます。
この図の左はマルセル・デュシャン:アートであり、
右は自分の「デジタルアッサンブラージュ」というデザインです。
アートは「主観的」であり、
デザインは「客観的」なモノと簡潔に断言することができます。
正直、アート、デザイン、工芸、建築、美術、音楽において、
主観性と客観性が分別出来るかとなれば、
この質問への応答、あるいは回答は難しいことは当然です。
しかし、アートとは、アーティストの主観が表現に向かうことであり、
デザインはデザイナーの客観、つまり、作り手や使い手の立場を熟考した、
その結論的な答の表現だと言い切ることが可能です。
これは、たとえばアート作品への評価も、
アーティストという作家の主観性が徹底的な客観的な判断に委ねられます。
デザイン評価は、最初はデザイナーや評論家の主観性を持ち寄りますが、
最終的にはそれらの主観性それぞれが作り手・使い手の立場という客観にて
評価は限定されるわけです。
アートは主観的な想いを客観性に判断を任せ、
デザインは客観的な想いを作り手・使い手の主観性に委ねている、
これがアートとデザインのはっきりした分別です。



* 『「金の美」展の出展説明表示プレート』
* 『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』


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『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』


   


     7月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM



踏みつけたくなるタイトルがあります。
それは「●●●●●●とは何か?」、という文章タイトルです。
たとえば、「デザインとは何か?」とか、「建築とは何か?」という、
とりわけ自分のプロ意識、職能意識にとっての
いわば質問形式のタイトルです。
そしてこれまでも科学的な知識を述べてきた書籍、講演、
あるいは運動などで、このような質問形式のタイトルが出てくると、
まずセンスの無さ=無能なる自分修練の浅薄さを感じます。
なぜなら「●●とは何か?」を全否定した芸術評論家の衝撃な思考のあり方、
あるいは、とりわけ「現代芸術のあり方」理念の
初期認識論を読んでいないからです。
「現代芸術」ほどその解釈や思考はとても困難なはずですから、
いわゆるハウツー本などで
この問いかけから始まる書籍は捨て去って構いません。
ところがハウツー本でもないのに、
この質問方式は能無しの典型だと断言できます。
これには二つ論理性で理由がつけることが可能です。
一つは、情報化時代直前に、この質問形式では、
これからの知的思考方法は時代遅れになるということ。
そのためには「■■■■が●●になる。」ということで、
「●●とは何か?」では無い論理組み立てが要るという発想があったのです。
もう一つは、「●●とは何か?」という質問での答えには、
三つの答の分類が出来るのです。それは、質問が
話題:Topicsであれば応答:Replyであり、
課題:Questionであれば回答:Answerであり、
問題:Problemであれば解答:Solutionになるということです。
したがって、「●●とは何か?」という質問での答が
応答、回答、解答のいずれかであったとして、
単なる応答や回答であるなら、その論理性は崩れています。
新たで明確な論理的な答であるなら解答でなければ意味はありません。
この写真の書籍での第一章からの質問形成では応答にすぎません。
よって、こうした書籍内容は能無しと判断しておきます。

*『鏡映は冥府に降りていることゆえに「何がデザイン?」』
*『表現としての美術とは?、教えられた宮川淳』
*『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』
*『デザインは機能美ではありえない』
*『記号論・文庫版になった定本だから再熟考対象だ』


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『理科系と文科系の分別が堕としこめたこと』


   


     6月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM



日本の中学・高校の教育が人間の能力を堕としめたこと。
それは理科系と文科系をはっきりと分別してしまったことです。
理科系を強めれば、自ずと文科系の能力は伸びません。
文科系を強めれば、自ずと理科系は苦手になります。
数字が好きか、言葉が好きかと、
中高生の能力を選別することが、あたかも教育であり、
それは課題:Questionに回答:Answerを暗記させました。
その判定が、明らかに大学入試に反映し、
それをもっと特化させたのが私立大学に順序づけをしたのです。
あまり公にはされていませんが、日本の私立大学はトップの大学でも、
世界的な順序では、400位程度です。
それにも関わらず、
発想=クリエイティブな人間を社会も時代も求めています。
だから、大学教育では文理融合とか、
学際化とかを日本だけが喧噪しています。
この状況を自分自身も高校時代から引きずってきました。
たとえば、理科系からは医師が最高の職能と言われ、
文科系からは弁護士が最高の仕事と言われてきたわけです。
それが人間の能力を最も反映させた社会を幸福にしているのでしょうか?
この大きな疑問を明確にしていく必要を考えます。
もはや、文理融合もありえず、学際化なども不要です。
ただし、文理融合を成し遂げ、学際化が出来る人間を
果たして教育で可能かどうかが問い詰められています。
そして、理科系であれ、文科系であれ、
両方の職域での思考は「コンセプト」にいきついています。
これを破壊したいと考えています。

*『「コンシリエンスデザイン看医工学」の提案』
*『機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い』
*『2015年新学期から・コンシリエンスデザイン看医工学!』
*『話題への応答商品、課題への回答商品、問題への解決商品』
*『研究棟看板「Consilience Design Interdisciplinary Studio」』


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『デザインは解である』


   


     8月 26th, 2015  Posted 12:00 AM



私はデザインの本来の意味として、
通常の理解である装飾性との距離感を主張してきました。
デザインと言えば、大きな誤解が薄く張り付いています。
一つがデザイン=装飾性がファッションデザインに起因し、
もう一つが機能的とかシンプル性が、さもデザイン核心という話です。
デザインはその造形によって「答」を出す実務です。
それゆえに「答」には、三つの「答」があるという深度性に及びます。
話題=topicsに対する応答=reply
課題=questionに対する回答=answer
問題=problemに対する解答=solutionの三つの答を出すことであり
最もデザイン力が発揮されるべきは、問題解決に集約します。
私はデザインが問題解決であることから、
最も的確に説明を与えるには「解」という象形文字を例示します。
象形文字であることから角ある牛に刃物でこの文字は構成されています。
そこで解決には三つの段階が明快になってきます。
解体・解剖・溶解するなりして対象を分解することから始まります。
次にはその分解された要素を一つずつ、解釈・解説をして理解をします。
この理解によって、人は納得をして解放されるということになります。
さて、そこで問題は、答それぞれにはどこに装飾性や機能性が、
一般の理解では、デザインによる解放感は得られません。
デザインが応答的や回答的なことであれば、
論理性を欠いた機能性は説明がとても困難だと言えます。
現在のわが国の産業でのものづくりが、応答や回答ではとても、
国際的な競争力を持つことはできません。そのまま経済に反映します。
私は、問題解決によって、性能性と効能性が完備され、
ようやく機能性を確保できることを、教育・研究・開発に伝え、
デザイン実務で、人間は解放されると主張してきました。
その解放とは、「美しさ」が解答の造形であるモノとコトというのが
私のデザイン=解の結論です。


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『話題への応答商品、課題への回答商品、問題への解決商品』


   


     7月 11th, 2015  Posted 12:00 AM



「DESIGN TOKYO」展は出品商品を書類審査によって、
審査委員が決定することになっています。
私は審査委員長をしていますから、審査は勿論のこと、
審査委員の審査も詳細に見なければなりません。
今回の審査では、スピーカーやスマホ関連、アロマ関連などから、
伝統産業なども出品が数多くありました。
書類審査ゆえに、写真や文章、商品企画書や掲載誌など、
あるいは受賞経緯など克明なものから大雑把な書類と
4ヶ月間毎月選別していました。
受賞経緯などでは、インチキなデザイン審査を再確認できました。
スピーカーについては私の専門性もあって、
単なる拡大器を商品にされると、正直いい加減過ぎると思います。
スピーカーの性能表こそとても重要ですが、
周波数特性図が無いモノを商品とする企業は駄目です。
アロマや石鹸なども、OEM生産での商品化も駄目でしょう。
そんな中で、これは南部鉄の鋳物ですが、
鋳物でありながらこの正確な面出し=表面をダイヤモンドカット仕上げは、
伝統産業の技術進化を見ました。
しかし審査委員にとってここまで読み取れないことは分かっていましたが、
受賞作になる仕上がりでした。
受賞作候補には模倣もありそれを審査委員に伝えれば即刻理解されました。
商品には、話題への応答商品・これはすぐに売れなくなるでしょう。
課題への回答商品はあふれかえるほどありました。
この商品企画・計画はもう時代遅れだと私は思っています。
OEMでも商品化出来てもさらに工夫と改善が必要です。
日本の産業全体が駄目になってきているのは、
課題−回答=Qestion & Answer商品づくりに安住している結果です。
そうしたなかで、この商品には、
鋳物ゆえに最終切削でのダイヤモンドカット面の実現は
伝統産業を進化させた問題解決商品になっていました。


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『資本主義からの逃走』
   「回答なら、この『答』にも三つの質あり」


   


     10月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

回と廻と徊
回・廻・徊、それぞれ三つの思考から
問題解決の三つの答をしっかり見詰めます。
「応答」・「回答」・「解答」という答、それぞれの形式・内容・意味、そして質です。
今夜は「回答」を精密に、詳細まで検証してみます。
私たちは、問題に対して「解答」も「回答」も区別無く使っています。
それはそれで構わないとも私は思っています。
ところが、Questionに対してAnswerとなると、Answerは「回答」が良いように提案しておきます。
そうすれば、問題解決での「問題」=Problemに対して「解答」=Solutionが、
より明確、明快になると考えるからです。
さてまわる・まわす・めぐる・めぐらす・かえる・かえす、という答に対しては、
「課題」←→「回答」と考えておきます。
回答という答に三つの質あり

● もとにもどす、かえす答え方
「古来征戦幾人回」(王翰)
決まっている課題には回帰する答がある。
● 逆戻りして、たがうという答え方
「経徳不回」(孟子)
経徳は回(よこしま)ならず、わきにそれることのない正しい答がある。
● 回数を示す答え方
「人間能得幾回聞」(杜甫)
人間というのは、よく何回も何回も聞くことで知り得る答がある。

Question & Answer

結局は、「課題」になることは、だれもが問題だと意識したり、
まったく知らないから、身辺、身の回りだとか、ある問題の回りQuestionに対して、
これが「答」、すなわち「回答」というAnswerになるということです。
教えられることや教科書には、課題が設定されていてそれを、基本的な考えをめぐらして、
あるいは課題の中心にかえって答を覚えておくことにつながります。
これがQ&Aでしょう。

■ 課題の核心にもどすという答
■ 考えを巡らせば必ずこうなるという答
■ 身の回りに存在しているから何度も聞いてたどりつくという答

「回答」というのは、
本当に、回りだとか回転しているだとかという考えを巡らして解決をつける、
いわば、常識的となるような決着をつける質を持っている答だと思っています。


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『資本主義からの逃走』
   「問題解決は箱に三つあり」


   


     9月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

箱の竹冠
箱は古代中国で定義されています。
竹で編まれた器に「蓋」があることです。
したがって、箱という漢字は、相=対象物をしっかりと見ることに
竹冠の「蓋」がなければ、それは箱ではないということです。
さて、問題を解決すれば、それは「答」になります。
この「答」という漢字も、竹冠がついています。
竹冠がぴったりと「合う」ということが答になるというわけです。
箱の蓋がぴったりと「合う」ことを「答」は意味しています。
そこで、答というのも問題解決の問題を種別すると、
次のように考えることができます。
応答・回答・解答
問題には、 三つの答があるということです。

 ● 話題=Topicsに対して 「応答」=Reply
 ● 課題=Questionに対して 「回答」=Answer
 ● 問題=Problemに対して「解答」=Solution

このブログで「一般解」と「特殊解」について記述したことがあります。参考にしてください。
私が、ことさらこの三つの「答」にこだわるのは、
デザインで問題解決をしている「答」がどれにあてはまるのだろうか、ということです。
私たちが、小中高での問題は、話題と課題にすぎません。
大学入試というのは、まさにQ&Aであり、
本来、問題解決されている製品・商品もQ&Aがセールストーク問答集になっています。
解答とは創出である
現代、この新世紀に求められているのは、
何が、プロブレムであって、どうソルーションにしていくか、ということです。
職能的専門家も、「応答」と「回答」をしているのは、
伝統的なプロフェッショナルではあるかもしれませんが、
真の意味での「解答」を出しているとは言えないのです。
私は、問題解決とは「解答」の創出だと確信しています。
まさに、問題を箱に入れたら、その解決の「答」は、
ぴったりとした「蓋」でなければならないということだと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
 「デザイン解としての回答、その強度」


   


     3月 9th, 2010  Posted 12:01 AM

結果判断という課題
結果判断から考えを深めていくには、
その結果を様々な観点からとらえ直さなければなりません。
結果をまず問題としてみるなら、
いくつかの「考察」方法が必要です。
問題というのも、結果に対する意識の中では、
話題・課題・問題という分別が必要です。
そして、話題ならばそれは思いつきで答えればいいのです。
回答
ところが、課題となると、「回答」を求めることになります。
その「回答」というのは、「回」という文字形態が示すように、
二重構造を持っています。
課題=Questionに対する回答=Answerです。
したがってすでに課題には、
自分の知る・知らないにかかわらず、一般解がある!と
考えて構わないでしょう。
それは、思考方法を「学」として学んできた算数や数学は、
常に、問題=課題に対しては、
回答に至る手続きを知る、あるいは暗記しておけば、
必ず、「答え」にたどり着くわけです。
二重構造の強さ
私が、二重構造というのは「回答」の世界観です。
デザイン教育では、まず「課題」を与えて、
デザイン回答をやらせます。
それは、デザイン思考のトレーニングとして、
このデザイン解では、あれが足らないとか、
機能性を果たしていないとか、さらに問題が発生する、
という訓練です。
つまり、「回答」として提示されたデザイン解には、
二重性があるという見抜き方が必要です。
二重性には、性能的には「強度」があります。
すなわち、デザインは「綺麗事」だというある意味では、
開き直りの強さこそ、「回答」としてのデザイン解、
その強さだとひとまず考えておきたいと思います。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
091201solution1
それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
091201solution2 本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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