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Posts Tagged ‘Apple Watch’


『ハンドヘルドのパソコンを懐かしく使っている』


   


     4月 15th, 2021  Posted 5:00 PM

原稿を書くときには、
私は常々、発売された新鮮なパソコンを選んできました。
どれほどパソコンにお金をつぎ込んできたのでしょうか。
ところが最近になると、NeXTやJorunadaとかが懐かしくて
それらの機能で十分だなと思えることが多いのです。
所謂、「ハンドヘルド」に拘っています。
最近は「ハンドヘルドって何ですか?」という質問があるくらいですが。
これまで実現は困難でしたが、提案モデルも相当に手掛けてきました。
一般的なコンピュータモニターはEIZOで最も多数デザインし、
販売してきました。
このパソコンは、NECの、しかもWindow2.0でしたが、
どうにか仕様を工夫して、このハンドヘルド 、
「クラヴィエ by CELUX(セリュックス) 」を使っています。
Louis Vuitton Japan(ルイヴィトンジャパン)グループが
運営している会員制サロン「CELUX(セリュックス)」の
顧客会員に配られたPCでした。
ただこのハンドヘルド欲しくて、会員になったと記憶しています。
CELUXは、2002年の会員制から、
2008年3月31日にはwebsiteも閉じられました。
さて、4月の新年度からスタート時に、
iPhone12 Pro Maxとapple watch 6を身につけて、
i PadとそしてMac Book12は、傍らに、合わせて
時折懐かしい当時にはまったNeXTや
ハンドヘルドの機種たちを日常使用しています。


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『時計業界を変えると思っている』


   


     11月 22nd, 2018  Posted 12:00 AM

近頃、時計はApple Watchばかり使っています。
38mm、 40mmはワイフ、 44mmは私用です。
これらは、Apple Watch Series2、 Series4、 Series3なのです。
私は多くの時計を持っているのですが、
このところは結局Apple Watchです。
そしてこれらはすべてApple Watch Hermesです。
写真には写ってないですがSeries最初のApple Watch Hermesは、
日本やパリなどいろんなところでリクエストして
必死に入手した想い出があります。
あんなに恋い焦がれたミニッツリピーターやムーンフェイズでしたが
今となっては機械式でとても高額な時計には全く興味がありません
(今のところは)。
ある経営者の時計談義に感銘し、
生まれ年の時計、1949年製造を探しました。2つだけあります。
1949年のモノは限られたブランドしか製造確認がとれないのです。
これらは段々と高く交換価値ある時計となっています。
しかし、Apple WatchのHermes仕様は一段と進化しています。
今回ワイフ用にSeries4はタイミングよく手に入れることができました。
ようやく時計産業は終焉するのではないかと思います。
時計産業はまもなくAppleによって壊されるでしょう。
私のSeries3でも様々なアプリを使っています。
心拍数を管理、水分補給サポートとトランシンバーなど約10点はあります。
まだ新しいiPhoneには変えていませんが、これで十分です。
なのにApple Watch、iPhoneでもSiriに喧嘩をふっかけて
コミュニケーションをとっています。
腕時計は人間が考え出した星の測定器ですから、
ますますこれまでの時計の性能性から機能性が増えています。
性能性からの発見が様々に変容していることは確認できます。
高額なブランドは何だったんだろうと思いますが、
所有価値から解放されず鑑賞用、使用価値は断然Apple Watch。
星の測定器は、今では人間とのアプリケーションがもっと増え
これまで計測や分析もされていない
私たちの心や身体に応答していくと考えています。


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『腕時計という「祈り」の形態とその進化』


   


     11月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

時計は人類が決定したある意味では、とても勝手な「取り決め」にすぎない。
だから、自分デザインでは、
「人間は天体の動きを見て、時刻という測定機器を創った」という、
壁掛け時計をデザインしました。
これはクーパーヒューイット美術館にて、
20世紀の「The Clock 」という称号と永久展示に「HOLA」はなりました。
もう30年前のデザインですが、今も商品になっています。
しかし、腕時計での自分デザインはまだありません。
壁掛け時計をそのまま腕時計にするというのは、
デザインとしては安易過ぎる引用に過ぎないと思っているからです。
腕時計は、それなりに高級時計から自分の遊び的なモノデザインはあります。
中国製では、ブランド盗用のソックリ時計が氾濫していますし、
その技術はとても進化してきています。
しかし、Apple Watchの登場において、最初の製品は、
基本的な電源、短時間過ぎて正直、機械式には及ばないと見てきました。
しかし、最近の進化は追い求めてみるべきことが増えてきています。
私自身、Apple Wtch第3世代を常用するようになっています。
私は指輪・ブレスレット・腕時計など、
腕や手先、指先への装身具は自分表現では、母との思い出があるからです。
それは私が美大入学し、デザイナーを目指すことになったとき、
母は私にブレスレットと指輪を買って
「男だからこそ、身に着けなさい」と言われました。
だから、指輪もブレスレットも相当に持っています。
しかし、腕時計に関しては、デザイン依頼も受けたことがありますが、
まだまだ納得出来ないことがあり、自分デザインはありません。
現在は、Apple WatchとiPhoneが私の日用品であり、
自分表現の一つになっています。
男がそのようなモノという意識や感覚は私にはありません。
むしろ、男だからこそ、ある意味では女性の装身具こそ、
極めて重要な自分表現と思って見ています。
デザイナーとして、いわゆる装身具の原点には、
大げさな言い方をすれば、「生きていることの祈り」という身体性が、
私は明確にあると思っています。
装身具である指輪・ブレスレット・腕時計に、
「祈り」という人間、その弱さを自己認識する方法だとさえ思っています。

* 『自分デザイン代表作はアプリでも展開、そして無念。』
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 『ドクターウォッチ・アプリのバージョンアップ』
* 『腕に取り巻いてしまった連鎖と連動する情報時代』
* 「いっちょらい」


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『腕に取り巻いてしまった連鎖と連動する情報時代』


   


     10月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

日本が情報時代を読み間違えてしまったのはまさに21世紀から、
ケータイでようやく映像通話が可能になったFOMAの方向でした。
これには私自身2年間、当時のドコモでコンサルタントをしていたのです。
そしてドコモのトップ達の未来志向不足とセンス無しで喧嘩別れ。
そして日本主導が解消したのだと私は判断しています。
さらに有名ブランド・エルメスがようやく時計ブランドにも入り込みました。
そして「エスパス」という未来志向の時計を発表したのです。
この「エスパス」こそ、わがメーカーがやるべきと、
日本のトップブランドの経営者からも聞き、私も賛同したほどでした。
結局、エルメスが失敗して、ルイヴィトンにこの時計は移動。
エルメス失敗が、ルイヴィトンでは成功したのでした。
私はそれなりに時計収集もしていたので、
スイスのある有名メーカーからは、私があることを言い当てて、
「日本のカワサキに逢いたい」とまで言われたことがあります。
ともかく、男のファッション雑誌には、相も変わらず、
それこそ500万から2000万の時計も編集されていますが、
もはや、大変な大間違いをしていると断言することが出来ます。
あるメーカーで執行役員から現場の担当者、彼ら全ての時計を見ました。
私の出した結論はそのメーカーが現代から未来に向かって全員駄目でした。
ところが、私がそのメーカーの社長に会った時に、
このメーカーなら未来が創成出来ると直感しました。
理由は社長がApple Watchをしていたことでした。
Apple Watchの宣伝をしたいわけではありません。
すでに3段階目の進化にまでなってきたApple Watchが
すっかりと見いだしてしまっている情報時代、
それこそ今流行のIoTのその行く末がもう腕に取り巻いてきていることです。
私自身、今ではすっかり私なりに所有もしている高級高額時計は、
まったく着けなくなってきたのです。
そして、それこそ、パソコン、iPad、iPhone、こうしたことが、
Cloudで全てが連動連鎖していることです。
そして、私にはこのCloudでの連動さに
まだ多くの問題があるということです。

* 『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』
* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 『iPhone6 plusの意味と意義とファッション価値
* 『スイスの時計業界のしたたかな強さについて』


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『間も無くだろうか、中秋の名月を看るだろう』


   


     9月 30th, 2017  Posted 12:00 AM

日本人にとって、暦のあり方が太陽暦を中心にしてきたことに
最近私は大きな疑問を持っています。
確かに、イスラム暦もいわゆる月の満ち欠けが宗教的な意味がありました。
現在は地球上すべてが太陽暦中心になっていますが、
私は太陽暦を中心としていても、月の満ち欠けは島国日本の実は根本だと、
考えていくべきだと思うのです。
このことに気づいてから、私はムーンフェイズの腕時計収集を試みました。
そして、実際的には現在のムーンフェイズはあくまでも日程とだけしか、
時計性能には関係が無いようです。
つまり、ムーンフェイズ時計はあの時計名門ブランド・ブレゲでも、
まったく完成していないことは確実です。
最近は、正直、もう高額な時計に惹かれることは無くなりました。
結局、Apple Watchで十分になってしまったようです。
大阪大学はパラリンピックへの選手団、そのスポーツ医学担当ですが、
実際はスポーツ医学の最高権威は阪大の医学部教授が中心だったのです。
彼からスポーツ医学がなぜ重要かを講義を受けたぐらいです。
彼は様々ないわゆるバイタルデータを調べるべきとして、
スマートウォッチを両手首に合計6つも試していて
未だ満足出来ないと私はその感想を聞きました。
ちょうど私の自宅はいわゆる日本流的な呼び名である、
外人の友人には伝えがたいマンションです。
そのエントランスには中秋の名月を印象づける写真のようなディスプレー。
私は改めて、日本人はそれこそ平安の頃からも月への畏敬の念は、
確実に月の満ち欠けと体力と体調の関係、これこそ景気にすら関わっていた、
そんな気がしてなりません。
それこそ、女性の生理日ではありませんが、
小学生の頃月経なる言葉を知り母にそのことを聞いてとても怖かったのです。
特に一人っ子だっただけになぜ月経なのかは恐怖でしかありませんでした。
月見、観月などという言葉と豊作など、気候、さらには地震ともの関係を
私は日本人ゆえに太陰暦を大事にすべきと考えています。
此生此夜不長好、明月明年何處看。
この漢詩こそ大事だと思うのです。

* 「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』
*  「花綵には、景観論の要因に花鳥風月あり」
* 『機械式腕時計とスマートウォッチの出現から』


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『機械式腕時計とスマートウォッチの出現から』


   


     7月 15th, 2017  Posted 12:00 AM

時計の歴史はまずスイスでのトゥールビヨンやムーンフェイズ、
ミニッツリピーターなどこうした発明から機械式が発展しました。
そこに日本からクォーツ(水晶発振子)が特許無しオープンで、
一時期はスポーツ関連では必ず日本の時計が制覇していたのです。
スイスはこのことで改めて国立の時計士学校を充実して、
ほぼ10年で、今や高級時計機械式を復活したのです。
歴史的には、発明の数々、クォーツ式、そして高級機械式が特に、
男性ファッション雑誌では主流でした。
ところが最近、Apple Watchなどスマートウォッチの登場で、
腕時計の歴史は一変したと思います。
私自身腕時計は絶対に50万以上は持たないと言って実行していましたが、
一度、盗難に合い、いわゆるブランドモノが数点一挙に盗まれました。
これはかなり悔しくて、それなら余裕があればとそれなりの時計もあります。
時計は、人類が決めたいわゆる測定機でありましたが、
スマートウォッチになってからは、腕時計の機能が格段に増えました。
支払いからバイタルデータ、睡眠管理までがそれこそ毎月進化しています。
私デザインもクォーツ式は何点かあります。
そして最近ではほとんどApple Watchばかり使っています。
それこそ、私自身ブレスレットも大好きですから、
腕時計とブレスレット、これはとても重要だと考えます。
ブレスレットが好きな理由は、美大入学時に母が指輪とブレスレットを購入。
父から叱られると思っていましたが、
案の上、「男が何だ、その指輪と腕輪をして」でした。
母が美大に入ったんだから思い切り良く言われている「気障」にしなさい、
この言葉を今も守っています。
時計は今ではスマホでも確認ができますが、腕での様々なデータ管理や、
それでの行動管理が出来る時代になったことです。
結局、機械式でしかも高級さというのが、「情報化」でスイス製機械式では
もはや市場性が終わるのでしょう。
しかし、私も生年1949年機械式を大事にすることはあるでしょう。

* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 「私の必須道具だから・iPhoneアプリにしてみた」
* 「日本のモノづくりが構築すべきこと」
* 『腕時計というモノの機能性、その反射・代謝・照射ゆえ』


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『プログラミングという作法は美しい』


   


     3月 2nd, 2017  Posted 12:38 AM

久しぶりにプログラム列を読んでみました。
といっても、もはや、自分には無理になっていると思います。
これは最近、バージョンアップをしたiPhoneのアプリです。
コンピュータとの出会いは、社会人になった時、
FORTRANとCobolでの研修を受けたときから始まりました。
それ以後、懸命にはMS-DOSを英国のシンクレア社のZX81を手に入れて、
それで「時計」をプログラムで制作してから、
結局はLOGO言語に行き着いて、
一段とコンピュータの世界に入っていきました。
おそらく、IRIS3030(一台7000万円)を米国で二台も買い取りというか、
日本のクリエーターが買ってくれるなら
もう一台持って返っていいということで、
福井と東京に特別回線を引き、その企業も立ち上げましたが、
それ以後のコンピュータ、ネットワーク企業の闘いは大変なものでした。
結局、CGでの表現もその現場で見たり、
そこで光造形にも出逢ったわけです。
そういう意味では、
コンピュータの世界でデザインをApple社でもやりました。
それだけに今ではなんとかデジタルからアナログの取り戻しが必要と判断。
電子ペンやPadでのスケッチにも慣れていますし、
デジタルでの色彩論などもApple銀座で講習をしたこともあります。
それこそ世界デザイン会議1989ではコンピュータとデザイン部会担当でした。
今では、スマホやApple Watchが手放せ無くなってもいます。
世情では、IoT やBig Dataが極めて喧噪な風潮の中で、
見失っていること、さらにはデザインとコンピュータ、
つまり、「情報」そのものとデザインの関係も希薄になっているようです。
ともかく、このアプリのプログラミングをプレゼンテーションでは、
エンドロールのごとく表現してみようと考えています。
それは、プログラムとはまさにコトのデザインですが、
忘れられているのは、モノのデザインである、パソコン、Padなどのモノ、
こうしたモノのデザイン、その造形が貧しくなっていると評価しています。
プログラミング的に表現すれば「造形エラー」に無頓着になっているのです。
このプログラミングは、果たして「かわいい」でしょうか?
ハードとソフトの関係には明確な作法美があることを見直すべきです。

* 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


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『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』


   


     12月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

またまたスマホを買い換えました。
iPhoe7のそれもジェットブラックです。
理由は簡単です。こうしたガジェットはともかくいつも新製品。
よく、新製品は故障するかもしれないからとか言われますが、
そういうことには自分は一切気にしていません。
私は「どうせ人間自身が完璧ではないのだから、その製品が故障する」、
このことでは、リコールを容認する立場でしたが、
信頼・安全性工学である宇宙工学を
いとこから知ってから「完全な製品づくり」、そのデザイン、
これが工業製品の大目標でなければならないと考えています。
故障やリコールを絶対に皆無にするということ、
それは信頼し信用し安全であり安心が
工業的モノづくりの最終決定であること。
人間だからこそ、工業製品とのあり方の根本に今頃再決定したのです。
確かに宇宙工学や医療工学に対する信頼・信用・安全・安心、
この完全で完璧さが最適解答だと認識しています。
そこでとりあえず持っていたApple WatchとiPhone7を完璧な使い心地を、
ということになると、かねてから私の連載や本づくりの編集者N氏の
この解説本で詳細を確かめようということになりました。
腕時計としてはいわゆる機械式のそれなりの時計、
全く新たな盲人用時計(デザイン出来なかっただけに無念なり)、そして、
Apple Watch(HERMES)をファッション性としても選んでいます。
そして、iPhone7との新しい連携、
この信用・信頼・安全・安心を再確認してみようということです。

* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「デザインすることの勘違いは大間違い」


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『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』


   


     1月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

我ながら、どこまでApple製品に囚われているのでしょうか。
そう想いつつも確かなPCもPadも進歩はしていません。
そして、ベルトが二重巻きのApple Watchに至っては、
時計もそれなりに気ままに使ってきた私でさえその未来は見えていません。
それにも関わらず、絶対に二重巻きの時計は手に入らないとなると、
元来、一人っ子だった僕の物欲が呼び寄せてしまうのです。
もはや時計、クロック、Padにしろウォッチにしろ
稼働部品は極めて低額です。
実際、生産原価はどのブランドにしてもほとんど知り尽くしています。
Apple Watchも、稼働ユニット部品は定額コストであり、
筐体やベルトでのほとんどそれこそ付加価値での競合にすぎません。
Padのスタイラスペンにおいても同様です。
僕はプロのデザイナーですから、結局、モノとブランドの価値で、
所有価値と使用価値を価値判断にしてしまっています。
このApple Watchは皮革ブランド独自の価値を借用して、
時計の価値を高めているだけにすぎません。
最も、僕は銀座のApple Storeで現物を見、その説明を受けました。
結果、この店員さんからは絶対に購入しないと決めました。
そして、ブランドショップで改めて質問をした結果、
商品知識ははるかに勝っていましたし、
ほとんどいつ注文しても困難でしたが
結局、すぐに私の所に来てしまいました。
それこそ、Padのスタイラスにしても、
僕がそれなりに認めているブランドと
新興ブランドは、一方はレンダリングスケッチ用であり、
もう一方はすでに書道用に落ち着いています。
商品価値がブランドに左右される時代にあって、
デザインがデコレーション価値になってしまうことはやむを得ないですが、
やはり、僕はデザイン=問題解決・価値創造・未来創成ですから、
ともかく、現代性でデザインのこの三つを満たしているモノの世界観に
僕自身は取り囲まれていたいと思うのです。
デザイン=問題解決・価値創造・未来創成の結論は、
「美」に集中と集約される焦点でなければなりません。
それは、僕自身が「真善美」三つはとても自分には立ち向かえないけれど、
「美」って決して分からないかもしれないけれど、
「美しいモノ」に取り囲まれるコト=環境に
ありたいと思ってきたからです。
物欲も年齢とともに消えていく、
そんな気配が忍び寄っているのも事実ですが、
あくまでも、自然は自然なりに美があっても、
自然も人間も裏切りがありますから、
デザインされた「美」には自分を浸すことができます。
自分の生涯において物欲からの「美」は求めるつもりです。


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『デジタルペンは効能性の再考である』


   


     5月 23rd, 2015  Posted 12:10 AM

iPad画面と身体性=手の感覚は、絶対にトレーニングが必要です。
と同時に私はデジタルペンにも、「慣れる」という感覚も
それなりに取り組んできたと思っています。
しかも、デジタルペンも初期に競べれば、まあまあ万年筆程度ですが
とても万年筆と同等のモノはありませんが進歩しています。
ただし、この進歩はデジタルでのモノ仕上げ観の限界でしょう。
だからこそデジタルそのモノの限界性を露わにしていると考えます。
この二種のデジタルペンは、共に、専用のノートが必要であり、
Padとの関係でもアプリのアルゴリズム性とプログラムが必須です。
これこそ、デジタルには、専用性とプログラム性がいるのです。
デジタルの人間との相性が求められているというわけです。
端的に断言すれば、不必要性をすでに表しているということです。
デジタルの効能性が試されているということに注視すべきです。
それこそ、Apple Watchやドローンなども、
デジタル性能以上に、
効能性=存在価値そのものが求められていることを証明しています。
つまり、デジタル性とは、まず、効能性そのものが
人間生活との存在価値性になっているということです。
おそらく、この製品は商品価値そのものが限定され、
不必要性と格闘しない限り、社会的な価値性が問われるということです。
したがって、私はこれらの存在価値性をなんとか見い出すべきです。
つまり、デジタルモノの効能は性能以上に重要だということなります。
おそらく、これらのペンの未来はほとんど無いと断言すら出来ます。
しかし、私にとって重要なこと、いや、デザイナーにとって、
デジタルの言語性をデザインしていく必要条件を再考するには
こうしたデジタルペンのあるべき存在性を生み出すことだと思います。


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