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『現代芸術が発見している予感をデザインが予見する』


   


     10月 31st, 2017  Posted 12:00 AM




トマス・サラセーノ(Thomas Saraceno)、現代芸術家です。
彼の作品を知る人が日本には少なすぎると私は思っています。
かって、日本の国家戦略にΣ(シグマ)プロジェクトがありました。
当時、ようやくマルチメディアが騒がれ、UNIXも2通り、
そしてパーソナルコンピュータが登場した原始時代でした。
その時にはweb社会を提案し、ユビキタス以後のクラウド社会までが、
彼の芸術提案であり、この現代芸術を追いかけることで、
パソコン、インターネット、クラウドサーバーが見えだしたのです。
私は改めて彼を語り直し、再注目を求めたいと思いました。
理由は、Internet of ThingsからAI、VR、が確実に見えて来ていながら、
日本の立ち後れが見えだしているからです。
彼はこのクラウド・シティの住人である私たちに、
何を突きつけているのでしょうか?
おそらく、カタルーニアの独立運動がヨーロッパの分断化は、
英国がEU離れをしたように、進行して新たな社会がそれでもwebとAIで、
確実に先進国家を繋いでいくことになるでしょう。
その予感・予測・予知から、彼の芸術が私たちを引導すると私は思います。
トマス・サラセーノをずーっと見続けて、デジタル社会=コンピュータ、
それもクラウドサーバーは確実にあのCity of Bitsを招き入れているのです。
ウィリアム・J・ミッチェルが著作したe-Topiaにわが国が迷走しています。
私は、SNSであれInstagramに興じている現代日本は
再度、もう一度、send mailは誰が成しえたのかを
検証しておかなければ、After2020から、日本の発展は喪失するでしょう。
私は、三角定規からドラフター(製図台)、それがプロッターとなり、
光造形を求めて大学人にもなり、すっかり今では3D-Printerの時代にいます。
私のデザイン活動の大半は、
デザイン造形がやがてはAIでもOKになるでしょうが、
絶対に不易な物事は、感性が見極める「美しいモノ」と「モノの美しさ」に
次世代は芸術家の予知とデザイナーの予見=美しさを繋いでほしいのです。


* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
* 「環境デザイン・定義枠付けが時代遅れ」
* 『NeXTSTEP・OpenSTEPそしてMacOS Xと進化は無い』
* 『まだ新たなOSのパソコン=HP Chrome11』
* 『コンシリエンスデザインをともかく訴求!』


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「環境デザイン・定義枠付けが時代遅れ」


   


     12月 9th, 2011  Posted 12:00 AM


多分、1980年代後半から日本の大学に、
「環境デザイン系学科」が生まれてきました。
しかしそれは日本では、ほとんどが建築系が中心。
建築学科すら「環境デザイン」と名辞するほどになりました。
そこで、私は「環境デザイン」不要論を準備したことがあります。
理由は「環境デザイン」の対象が都市計画や建築空間と限定したからです。
例えば、KAIST=Korea Advanced Institute of Science &Technologyでは、
「環境デザイン」の対象は、情報とロボットです。
これは昨年亡くなったWilliam J. Mitchell氏、
MITの建築学部長だった彼が、
三つの著書でいみじくも指摘している「環境」をさらに「空間」として、
情報空間・人工空間・ロボット活動空間から再度、
建築や都市計画をとらえ直していることを考慮すれば、
まさに、情報とロボットが対象です。
まさしく私が発言してきた
Ambient Media Integration Spaceということになります。
したがって日本の、特にデザイン系大学での、
「環境デザイン」は再定義が必然だということになります。
ということは、今度は情報工学やロボティックス工学からも、
「環境」と「デザイン」を工学としてとらえ直すべきです。
私は、William J. Mitchellの「City of Bits」の書評を書きました。
それも建築専門誌の依頼で紹介もかねて書きました。
その本は「建築学会なんとか賞」を日本が与えたと思います。
日本の環境の定義は、とりもなおさず、自然環境から人工環境、
具体的には建築的空間になります。
しかし、環境ということ事態が変化変貌しています。
特に、3.11で私たちが想い知らされた日本の環境は、
今現在、もう一度熟考させられています。
William J. Mitchellは、
私はこの三冊で自分の役割が終わったとまで断言しました。
あらためて、三冊の書籍を紹介し、
「環境デザイン」の再定義の必然性を強調しておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「bit社会は空間的認識ー建築的思考結果だった」


   


     1月 27th, 2010  Posted 10:00 AM

CITY OF BITS
Bit=Binary digitalという認識は、
MIT建築学部長・William J. Mitchellの
「City of Bits」だった。
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私はこの翻訳本の書評を建築系雑誌に求められた。
工業デザイナーの私ではなくて、
これは「建築家」が書評すべきではと申し出ました。
ところが、これは「建築家」の役割が
大きく変革するという内容でした。
文章の一節一節にも、
タイトルはバイナリー(2行)という表現でした。
私は、大きなショックを受けました。
「私はこの文章をキッチンで書いている」
「私はこの文章を研究室で書いている」
・・・・・・などで、
その時、「空間は消滅していることを知る必要がある」。
この翻訳本は、日本建築学会でも確か「特別賞」を
受賞したと思います。
そして、著者は、MITに建築学部とは別個の学科を
創設するに至っています。
私は、空間論にbit思考がまとめられたことは、
まずBit資本−建築−空間-生活という脈略に
一つの思考の見解をまとめたものとして、
とても評価しています。
ところが日本の建築界には、
この著作内容をまともに受け止めていないから、
未だに、建築意匠・建築構造・建築計画・土木などが、
統合的にbitsへの取り組みは遅れてしまっている。
したがって、その結果がほとんど
「世界建築コンペに敗北している大きな要因かも知れない。」
「空間認識にBITS思考」は不可欠であり、
それがBit資本の一つであることは間違いない。


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