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「光造形と3Dプリンターでクラインボトルはなぜか?」


   


     5月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

これは厳密にはいわゆる数学でのクラインボトルではありません。
しかし、3Dの造形においては、
「造形システム」での手法や装置が極めて重要です。
たとえば、
なぜ、Desk Top Publishing=DTPが時代要請だったのだろうか?
この質問に戻らなければなりません。
DTPではPostScriptというOSが無償でユーザーに供給されました。
結果、PageMakerというレイアウトソフトは1986年に生まれ、
Illustrator88がその期待の元に出てきました。
世の中はレーザープリンターの印刷精度値を進化させるのです。
商店街から「軽印刷業」が消滅を始めました。
これは2Dの「版」離れを意図した世界観的な存在感、
少なからずパソコン自動製版と呼ばれた革新でした。
同時期に日本では光造形という実験成果で特許を求めましたが、
見送られた現実がありました。
2Dの世界観を3Dに求め始めるのは当然でした。
その一人がデザイナーの私だったのかもしれません。
明確にニュージャージーのベンチャーとプリンストン大学が、
「歯車」をすでに実現していました。
私は、この装置が欲しく、3D-CGと3D-CADを学ぶために
ベンチャーの本社(トロント)で二夏訓練を受けました。
3D-CGでは、Natural Phenomenaという
今では当たり前の、水と水飛沫や燃える火、夕焼け表現でした。
しかし、私の頭の中では、金型=「型」から解放される、
そんなモノづくりを夢見ていました。
光造形のクラインボトルは、
「何のため?」とどれだけこれまで聞かれたことでしょうか?
想像力のある人は、
金型では決して出来ない自由な表現や実務対象を見つけました。
そこで現代では拳銃やマシンガンさえ3Dプリンターでの
実現可能性が明確になり始めてしまいました。
わが国、日本の技術進化=「技」の系譜は、
はっきりと光造形の下敷きの上に、
3Dプリンターの「技」が確かめられることが分かりました。
このクラインボトルの形態を自由に変形させ、
かつ様々なイメージをそのまま造形化するのに、
廉価な3Dプリンターでもここまで出来ること、
これが重要だということです。


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『資本主義からの逃走』
  「自己回帰の手続きという思い出から」


   


     8月 18th, 2010  Posted 12:00 AM

Bug News 回帰
回帰という言葉は、数学術語と言語学術語になっています。
が、私は単純に「思い出の確認」としておきます。
このところ、私が連載を始めたのは、デザイン関係誌ではなくて、
コンピューター誌でしたから、なつかしさもあって探していました。
ちょうどDTP=Desktop PublishingでPostScript という仕様公開された言語が出始めた頃です。
プリンター出力もレーザープリンターとなり、100万以上の高額なモノでした。
Apple社の最初のプリンターは140万円でしたが、米国では80万円だったと思います。
さて私が、連載させていただいたのは、『Bug News (河出書房)』でした。
この雑誌以後、特に、Mac関連雑誌が数誌競合することになっていきました。
競合での価値性
私の連載は1989年3月から8月の半年でした。
すでに、タイトルもうろ覚えで、なんとか私なりの「回帰」と思って、
バックナンバーをオークションで手に入れましたが、私の連載は見つかりませんでした。
ひょっとしてということで倉庫を探すと、その連載の切り抜きスクラップが出てきました。
タイトルは、「ALBATROSS arpegio」ー Cyber face Architectureでした。
若い頃の粋がっている意志や将来への自分の思いを、ギターテクニックのアルペジオになぞらえて、
キーボードを打ち込んでいくというまさに直喩的なタイトルです。
この雑誌の創刊号には、すでに3D映像の赤青の紙製メガネが付録になっていました。
25年前のことです。
著者たちを見渡してみると、
今も現役健在なコンピューター関連のオピニオンリーダーたちはそのままです。
そして、少なからず、当時の希望や予測はもう実現されています。
この雑誌のテーマに欠落しているのは、「エコロジー的環境と情報」関連です。
そして今ではまったく不要となった「日本語入力」の試み、
「日本語変換」についての提案論文や実験結果からの提言が目立っています。
市場競争で敗退していった当時の「新製品紹介」が毎号、夢の完成として取り上げられています。
その解説には、その製品が未来を変革していく予想論であふれています。
この「思い出回帰」で確認できることは、ただ二点です。
つまり、商業的な競合に勝ち残った「技術製品」というよりは、
「ユーザー支持」と「企業競合力」の商品性だけです。
ユーザー支持は「文化性価値」であり、企業競合力は「文明性価値」だと考えます。


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『資本主義からの逃走』
「 Media Integrationに向かってきた系譜を印刷歴史から・3」


   


     4月 24th, 2010  Posted 12:01 AM

Aldusの存在
情報化時代、あるいはメディアのスタートに戻ってみます。
グーテンベルクにまで遡及してみます。
特に、日本ではメディア、その原点は印刷技術の発明が、
もっともよく語られてきました。
私は、グーテンベルクの存在をやはり大きく認めています。
しかし、グーテンベルクの印刷技術がハードウエアだとすると、
実際的には、
印刷していく形式の要素そのものを変えた人物の存在です。
この存在が忘れられていることです。
その人物とは、アルドゥス・マヌティウス
だと私は思ってきました。

正直、彼を知ったのは、DTPのソフトウエアで、
PageMakerが出てきたときに、初めて知ったのです。
そして、グーテンベルクは
いわばメインフレームのコンピュータを発明したような人物であり、
パソコンのように、モバイルの書籍や、ページや書籍形態から、
書体のバリエーションなど、形式の要素開発を成し遂げた人物だったのです。
パソコンとともに、DTPではPostScriptが登場して、
印刷技術は、レーザープリンターによって、
パーソナルな出版が可能になりました。
メディア・インテグレーションは、
この印刷方式の大変革が大きく作用していたのです。
つまり、アルドゥスになりうる人たちが、
どんどんとパソコン環境を変革してきたことだと思います。
メディア・インテグレーションにとって、「新しい形式」は、
その形式をさらに高密度にしていく要素開発と要素の多様性、
さらに小型化し、携帯できるということです。
こうした意味でも、アルドゥスの存在は、
グーテンベルクとともに語られる必要があったのです。
今、私たちが、メディア・インテグレーションにおいては、
マスメディアに多様性が皆無であり、モバイル性能などの
形式の多要素化とその高密度性が不可欠だということを、
印刷技術の歴史から、
もう一度、確認として学び直しておく必要があると、私は考えています。


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