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Posts Tagged ‘e-冠詞’


『資本主義からの逃走』
 「e-JAPAN、常に失敗する政治政策だから・・・・7」


   


     1月 14th, 2010  Posted 1:00 AM



e-JAPAN から i-Japan


すでにデジタル社会になった時から、
たとえば、Junetがすでに動き出した時にも、
わが国の政治は無関心でした。
その後、私はほとんどのパソコンからスパコンまで、
当時の政治が何を重要視し、
「遅れながらも追随」しようとしたか知っています。
中でも「出来るかも」と思ったのは、「Σ-Project」、
そして「e-JAPAN」がありましたが、
これはもうネーミングで大きな間違いがありました。
すでに、i-Macが、ある種のブームになっていました。
つまり、「e-冠詞」の時代から「i-冠詞」へと、
時代は志向して、社会は「i-冠詞」を希求する、
ということが見え始めていました。
「i-Article」の時代と社会がwebになっていたのです。
すなわちi=虚数=imaginary numberのように、
難しい表現では「フェーザ表示」が起動したのです。
私は、「i-冠詞」=虚数というバーチャル語彙表示、
だと言いたいのです。
だから、「i-Japan」構想が不可欠だったのです。
「e-JAPAN」から、日本の携帯電話、
その技術は「世界から取り残されました」。
ちょうどDoCoMoがFOMAを世界基準にという、
そんな企画に、私も参画したことがありました。
私の発想は、多分、理解されなかったのでしょうが、
プレゼンテーション中断し、その仕事を放棄しました。
以後、ケータイは日本だけの「特殊な文化」に育成。


政治ー産業ー消費ー制度ー風俗


私は、それはそれでいいと思っていますが、
私自身は、政治ー産業ー消費ー制度ー風俗を傍観です。
結局、もはや日本では、「スマートフォン」さえ、
技術開発とデザインは不可能産業になっています。
その発端は、政治政策「e-JAPAN」のかけ声だ!
と思っています。


e から i


なぜ「eからi」だったのかは、重大な課題です。


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『資本主義からの逃走』
  「i-Bitのeとiとπの意味を求めて・6」


   


     1月 13th, 2010  Posted 1:00 AM



e・i・π


e・i・π、この三つに、デジタル社会があります。
あるのではないだろうか、というのが私の推論です。
「e-冠詞」と「i-冠詞」に私は何かを見ています。
exponent・Napier’s-e・internetにπです。
この一つ一つは、直喩性から隠喩性で、
現代の「情報時代・情報社会」の意味論へと、
その思索と思考を深めていくことができるでしょう。
たとえば、πは、円球だとするなら、
それはまさにwebsiteです。
πに対して、人類が追い求めてきた歴史は、
もうビックリするばかりです。
e-management5果たして、
デザイン、デザイナーの「感性」・「感覚」が、
見えているデジタルには、明らかにAtom資本は、
包み込まれています。
さて問題は、
iという虚数はバーチャルへの想像力が創造しました。
リアルとバーチャルも、
すでに、すっかりと、
これらのe・i・πにシンボル化されています。
だから、これらの意味論は記号論・構造論となって、
実は「造形」に結びついている、
というのが私が追い求め始めている「造形基礎論」、
すなわち「デザイン数理学」なのです。


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『資本主義からの逃走』
  「Napier’s Bit=exponent Bitから、i-Bitへ・5」


   


     1月 12th, 2010  Posted 1:00 AM



e-articleからi-articleへ


「e-冠詞(article)」がBit社会資本ではないか、
という判断は、私はしていません。
「e-」はelectoronicsからinternetの冠詞です。
明らかに、
e-articleはBit資本になるかも知れません。
そして、私が数学的な思考に遡及してみると、
その原意として明確になってくることがあります。
exponentとNapier’s constantという公式的な
思考方法が見えてきます。
私はあらためて、このdigital資本=Bit資本を
Atom資本からの大きな変革になるものと
評価判断をせざるをえません。

急いで結論を断言してしまいたいと思っています。
それは、「オイラーの公式」にまで至っているのです。
e-management4
私は、この公式が「人生・生涯」を表していると
考えてきました。
だからこの公式に、
「デザイン」が入り込み、
「デザイン」が取り囲み、
「デザイン」で証明できるという確信を持っています。
そんな確信を、今は評価されないかもしれませんが、
必ず、評価される「時」が来るでしょう。


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