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『JISマークの変更に関わったけれど・・・』


   


     5月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

月のようなかたちのマークは、鉛筆にいつもありました。
そのマーク「JIS 」=日本工業規格が、中国製で散々にコピー、
このことがあって、本格的に再マーク化が政策になりました。
2005年頃、すでに私は大学人でした。
東芝時代の上司で二つの第一段部の二つの元部長K氏から、
その募集審査会の審査委員になって新たなマーク選定をしました。
当然というか、やはりというか、そのマーク募集では、
審査結果の表彰も単に名誉だけだったはずでした。
お役所はその頃もまったくデザインの重要さに無知でした。
いや、無知であることを「当然」にしていたのでしょう。
その上司は、入社早々、私にAurexマークをデザインさせて、
徹底的にC.I.を学ばせ、しかも米国留学組ゆえに、
レタリングとマークについては、とても厳しい人物でした。
その元上司から、審査員に選ばれていたので、
経済産業省地下室の壁面いっぱいの応募作を丹念に見比べ、
それから最小径Φ・2mmでも視覚性安全かつ複製困難性を知りました。
プロで年上のデザイナー達の中では、まさにマーク造形と、
マーク製造知識力、審美眼の検閲を受けているようでした。
かつて美大でも、この造形力は相当に鍛えられていましたから、
上司からはロゴタイプやマーク制作では信頼されていたのでしょう。
新しいJISマークを昨今のモノで見かけることはありませんが、
この新JISマークは国際的にも高い評価があると聞いています。
ところが、最近、政治的背景でのデザインには、
日本人デザイナーとしてとても見逃せないモノが出回っています。
結局は、デザイン教育で、次世代デザイナーへの訓練不足と、
レタリング・マーク・ロゴタイプの知的造形力が無いのです。
まして政治政策そのものに「知性的審美眼」が大欠落しています。

『公式ロゴタイプのデザイン仕様を検証』
『「カリグラフィ」のペンとインクとインク壺』
「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」
「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」
「ヘルベチカは文字の結論になっている」
「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」


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『資本主義からの逃走』
  「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」


   


     12月 27th, 2009  Posted 6:00 AM

091226
3.4年前に、JISマークの審査をしたことがあります。
091227jis
JISマークが、
コピーされていることが歴然としてきたからです。
無論、それがどの国かはおわかりになるでしょう。
したがって、マークは2mm以内でも視覚確認が可能。
だから2mm以内で刻印や印刷ができることでした。
しかし、すでに、
それだけの工業技術は確立しているものと推察します。
私は、グッドデザイン賞・Gマークは、
新たなJISマークでもあると考えています。
091227gmark
Gマーク「賞」とまで言わなくてもいい、
という意見も多く聞きますが、
あえて、Good Design Awardという権威が必要だと、
私は思っています。
私は、ほぼ独裁に近い国家体制には、
「倫理観」・「品位の自覚」・「自負心」はこうした国家には
絶対に無いものと判断しなければならないでしょう。
そうした国で、「安かろう、悪かろう」が「モノづくり」を
自己金銭欲で携わる輩は、売国奴(Traitors)です。
私には、Traitorsの条件を設定しています。
かつて、わが国も、「モノマネ」国家でした。
それを払拭する倫理観の証明からGマーク制度が
スタートしたわけですが、
明らかに「勤勉であるモノづくり」とその「正当対価」の
自覚を当然としてきました。
それこそ、資本主義というイデオロギーのある種、
仕掛け、仕組まれた制度だったと思いますが、
私は、これを容認しています。
しかし、その資本主義の制度を転用すれば、
「商売欲」を正当化もできました。
しかし、その歪みは、「金融資本」という「モノ生産」を、
明らかに制御する運用手法の謀議すらOKとしたのです。
もし、私が愛国心で語る「神の国」、「花綵の国」の
伝統や美学を護るなら、
様々な「防衛策略=Intelligence Design」は不可欠です。
よって、
独裁国家や、一党支配国家や、
私が一方で否定論を語る、反「民主主義国家」へ、
わが国を売り渡そうとするTraitorsは、国外退去、
まさにEXILEさせるべきと考えています。

EXILE

ある種のトリックスター的な風潮が、そのまま、
現代日本の哀しさをあらわしているのです。


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