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Posts Tagged ‘M.ウェーバー’


「喧嘩道には制度的なサンクションが作動する」


   


     9月 24th, 2013  Posted 12:33 AM

私は自称も「喧嘩師」となっています。
だから、すこぶる怖がられます。
結果、初めて出会うと「全然怖く無かったです」とか言われます。
喧嘩道は室町時代の武士道制度に当時規範が伝統的になりました。
喧嘩師には、現代流行で風潮の「倍返し」は全くありません。
刀を使わない喧嘩=口喧嘩=ディベート最良のサンクションです。
サンクションでマニフェストを論述したこともあります。
サンクションとは、制度的な賞罰を社会が自然決定する常識です。
常識に血は流れるはずもなく、賞罰・罪罰・顕彰での実力決定。
このところ、Nゲージにやたらに心惹かれて和やかな気分の私に、
盗作盗用でサンクションを資本主義的財力で制御する、
まるで仲良しクラブなら大丈夫の流行イベント、
その統括周囲の知性無き虚偽の実像を知りました。
負のサンクション裁量をすることにしました。
軍事拡大に蒸気機関車をナチス政権は「速度向上」をめざし、
一方では、赤十字が負傷者医療看護に蒸気機関車を創りました。
負のサンクションと正のサンクション。
私の趣味は、喧嘩道を明らかに支えているようです。
なぜなら、武士に刀はシンボルでしかなく、
それは正と負の決定をあくまでも厳正中立にも瞬間的な、
正と負のサンクションを明盛に決定づけることです。
私はこれを厳格な明解なる名辞的な大決定だと思っています。
せめて盗んではならない、盗んだもので過飾してはなりません。
しかし、風潮は、見て見ぬふりを温存し、
虚飾の中で自分を誤魔化す、そんな輩に厳格な少なからず、
「美」は創れるはずは無いのです。
美無くして、真も善も成し遂げることはできないでしょう。
M.ウェーバーで強化された資本主義偽善を容認だとするなら、
私は、この中核人物に「負のサンクション」を与えます。


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『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・1」


   


     11月 14th, 2009  Posted 9:31 AM

宗教というものは、本当にやっかいなものです。
宗教に対して、客観性を冷徹に見抜く能力こそ、
「インテリジェンス」・「知性と感性」の力だと、
私は思っています。

「資本論」が宗教になって、
資本主義社会を封じ込めた時代が終わっているのです。
しかし、まだまだ、そのことに気づいていない人は、
資本主義がすでに宗教になっているのかもしれません。
たとえば、資本主義を正当化するには、
M.ウェーバーの倫理は宗教論と読むことも可能です。
industrialとは「勤勉と工業」の二重性の意味があります。
私はindustrial designerです。勤勉デザイナーです。
すべからく
日本の工業デザイナーは勤勉デザイナーでしょう。

さて、日本にはこの宗教改革が必要になってきました。
幸いにして、
日本には「宗教的」を改革してきた知恵があります。
まず、6世紀には物信仰から仏教による意識改革を
政=まつりごとにて、社会改革がなされました。
1549年にF.ザビエルがやってきます。
キリスト教がわが国に上陸しました。
この正当性は、
ハビアンが1605年(慶長10年)に
「妙貞問答」で、どれほど、
キリスト教が仏教と儒教より勝っているか、
ということが記し残されています。

私が、もし、資本主義という宗教から解放されるには、
この「妙貞問答」での理論闘争を再度試みる、
というのが、一つの方法だと考えています。


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