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Posts Tagged ‘March.11.2011’


『パウダー素材で列島を補強する!』


   


     8月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

March 11.2011は私にとって、
こんなことが!人生に待ち受けていたとはそれこそ想定外でした。
最も、私は五体満足に生まれながら交通被災・車イス生活です。
母は私がこの体になることを知らず父も国難の日本を知らずでした。
それだけが幸いだったかとも思っています。
ところが私には思いがけず想像していたことが目の前に出てきます。
この素材に出会ってから、私はますますこのパウダーこそ、
日本からこれが地球を変えるものと確信しています。
なぜなら、この原料は古紙、もういらなくなった書類を裁断し、
ある大きさまでに粉末=パウダー化します。
当初はあるエマルジョン混合でしたが、今は確実にセルロースです。
だから、必ずこの素材での加工によっても自然に回帰する素材です。
幾たびも土木的な実験をしながら、まだ商品化まであと一歩でした。
最近の大豪雨はとんでもない災害、自然は人類の存続を拒否です。
私は3.11以来、自然と人類は調和というのはありえない。
調和を自然に申し入れすること自体、
人類の奢りでしかなく間違っている気がしてなりません。
広島の土石流災害で即、この企業がまだまだかも知れませんが、
現地入りしてもらい、実証実験をしました。
もっと持ち込めば、作業が簡便化されることが分かりました。
そこで、私がデザイナーとしての役割はもっと明確になったのです。
可能性=Possibilityをこのパウダーの製造生産と展開を
私がビジネスモデルを超えたデザインビジネスモデル化します。
このパウダーは災害用だけではなく様々な領域への展開があります。
まだ明確には出来ませんが紙は神に繫がっているのかもしれません。
ともかく、今は、製造生産ラインやその装置化に新技術デザインを
私はデザイナーとして、ディレクションしていくことに
懸命でありたいと考えています。

gpgp.tokyo
『広島の土石流災害現場で開発中ながら試用実験』
『自然と対峙することは泥水を危機ととらえる』
『「新素材」になれば、日本も世界も変えられる!』


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『「新素材」になれば、日本も世界も変えられる!』


   


     6月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

デザイナーとはとても認めがたい人に、私は無関心と無視です。
しかし、許しがたく見逃せないとなれば、私は徹底的に闘います。
だから、無視されている人にはその自覚をしていただきたい。
あなたには社会的な存在意味がもう無いのです。
社会的な存在意義などは最初からありません。
この世から、まず職能家として消えてほしいのです。
これまで、無関心と無視してきた輩はいづれ明らかにします。
この人がデザインという役割をしたら、世の中が醜くなるのです。
世の中はただでさえ、美しいモノ・コトが無いから、
デザイナーという職能は「美しい」社会・国家・世界を創るのです。
けれども自然は、気候は、地球は、想定外で私たちを包んでいます。
とりわけ、世界は制御出来ない自然によって、
まず、天災が起こり、天災は人災を誘発し、あのMarch 11.2011、
想定外で、私たちの国家はまだまだそのままです。
にもかかわらず、無知なままで防潮堤を高く高く築きあげようという
それが、国土強靭化計画ということで、リードされています。
私は、懸命に「新素材」をデザイン開発しています。
それは新たな資源を創り出すことをデザインでリードしたいのです。
したがって、この「新素材」を否定使用とするなら、
私は無関心・無視ではありません。
そんな輩はこの世に存在することを必死で消滅させることにします。
まず、東京中心主義に集中と集約を行います。
この集中と集約を東京で起こすことからこれからの展開を始めます。
そして、「新素材」ゆえに美しいロゴタイプとマークで、
この存在を励起し発信を始めます。
ここに打ち出したのはその一つに過ぎませんが、
この素材がおそらく、私は今、日本という国だから民族だから、
そして、3.11の悲惨さを未だに解決出来ないからこそ、
デザイン解決のために、この「新素材」の展開をスタートさせます。
私の前で邪魔と思った瞬間、私はその輩を消滅させるつもりです。

「常に目周りは気になる」
『科学的な解明は石灰化すら解釈できていないようだ』


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『電力の自由化と電気の自由化があります』


   


     6月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

March 11.2011-原電事故が遠因だったのかも知れませんが、
「電力の自由化」が政策化されたようです。
日本の電力は、地方毎に寡占状況でした。
私はエネルギーは、水・食糧・電力があると言ってきました。
しかも、電力供給のためには自由経済化でなければなりません。
それは「発電・送電・変電・蓄電」それぞれの企業化が当然、
つまり一つの電力会社ではなくて、現状の企業も役割分担が必要。
さらに再生可能エネルギーということ自体が変だと思っています。
なぜなら、エネルギーは不変の法則がありますから、
現状提案されている太陽発電・風力発電には大きな疑問があります。
March 11.2011ゆえに、福島復興プロジェクトを近因にした、
とても賛同出来かねる、たとえば洋上での風力発電・変電などは
私はそのプレゼンでの誤魔化しを見逃してきませんでした。
特に、洋上での変電などは落雷対策に知恵無しであり、
風力発電も未だに環境アセスメントの調査逃れなどは絶対に、
私は最大に注目と発言をしています。
むしろ、これからの波動力発電やあらたな水力発電などには
素晴らしい研究が増えてきていますが、これまでの電力会社では
ほとんど見向かれてもいません。
私は学生達には新たな発電を太陽発電と風力発電以外が重要ゆえ、
そのような講義やワークショップをしています。
その根本は、電力と電気を使い分けることの熟考が大事です。
変電と蓄電にはまだそれほどの技術が生まれているとは言えません。
変電所は子どもの頃、最大に風景画のテーマでしたが、
気候変動での竜巻や落雷には、景観としてのデザインが必要です。
蓄電こそ、これからは行動する私たちの電源になります。
しかし、わが国が先導国家でなければいけませんが、
まだまだこれからの技術領域であり、
そのことがまったく不明な新たなPCディバイスや自動車の出現は、
厳しく批判しておかなければなりません。
電力の自由化は電気の自由化を分別しておかなければいけません。

『電気には「質」がありそれは正弦波測定で確かめられます』
「現在使用のバッテリーパック・・・携帯電力を再考」


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『デザイン都市でのデザイン会議報告』


   


     12月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

フランスのデザインに関して、
私は1997年「フランスにおける日本年」では、
「経済と文化」にデザインの効用を過激に述べました。
そして2006年にワークショップや講義を行い、
すでに彼らは「アルツハイマーとデザイン」の関係にまで、
デザイン=問題解決という認識は、デザイン都市の整備と活動、
まさに順調に進行していたと思います。
そして、今回、私がキーノートスピーチでは、
PKD=Peace-keeping DesignをMarch 11.2011でのデザイン立場まで
私は述べることになりました。
阪大から同行してくれた若い医師2名も、
「デザインの会議ってかっこいい」と言わしめるほどの、
センスある会議であり、その会場はデザインセンターとして、
人口18万人の街はユネスコデザイン都市になっているほどでした。
私は、デザイン=問題解決には次の三つがあることと、
海外からのプレゼンテーターが「aging society」という定義には
aged society=高齢社会とaging society=高齢化社会の分別と
その区別がすでに先進国家では明確化されるべきと発言しました。
March 11.2011という先進国家である日本は、
大天災と大人災、原爆経験と原発事故経験でのことを伝えました。
先進国家ゆえに、自然と人間との調和はありえずに、
環境保全がそのままエネルギー問題と直結していること、
国際的貢献としてのPKDの必要性をアピールしました。
このPKDについては、国内ではほとんどテーマになりませんが、
海外では、米国のクリントンイニシアティブ運動から、
すでに2年前には、先行したデザインによる国際貢献を求める、
中国ですら取り上げられています。
私は、国内でのアピールを控えすぎていると感じています。
この会議でのキーノートスピーチと質問で、
私は私自身のデザイン活動の決め方をフランスで示唆されました。


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『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』


   


     10月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11.2011」を体験してしまいました。
だから、私は最期の仕事をデザイナーとして、
ふだん・万一の危機=CRISISに対してと、
まさか・想定出来る=RISKに対して、デザイン解決を求めます。
東日本震災の天災と人災で本当に私たちは学んだのでしょうか。
南海トラフは間違い無く起こるでしょう。
私たちは忘れた頃にを思い出す必要があります。
そうして、今度こそ、想定外はありえないのです。
四国、黒潮町には2分間34mの津波が予想されているのです。
幼児、児童、生徒、介護者は2分間で50m高台に逃げられません。
この想定を「忘れてはならない」のです。
私は、デザイン手法で「空中都市建設」を考えています。
黒潮町に限らず、この日本列島全体を空中都市にしたいのです。
東京オリンピック・パラリンピックまでの7年間、
ふだんを危機にまさかを考えて、即行動が私の一番のテーマです。
私はデザイナーの知恵を一杯集めたいと思っています。
この祖国、日本列島を土=つちに、土地=とちを空中に、
そして町・街=まちを創ることをやり遂げなければいけません。
まさか、忘れた頃に、少なからず想定されている所から、
デザイナーが入り込んでいくべきだとずーっと考えてきました。
膨大な同胞を失いました。
彼らのまさかを絶対忘れてはいけないのです。
となれば、ふだんをもっと強化しなければいけません。
私のデザイナー・大学人最期に、CRISISとRISKへのデザイン設計。
3.11以後から、私は「までい Project」と呼んできました。
東北弁での「までい」とは、真剣に、真面目に、
絶対に想定外などを残してはいけないのです。
デザイナーみんなの力を借りたいと考えています。


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「国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要」


   


     9月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11. 2011」は、私たちが天災と人災を識り尽くしました。
結果、「国土強靭化計画」には、多数の知識が集約しました。
すでにわが国の法整備の中にも知識理念の法律を構成しています。
私は、多分、祖国列島=国土を強靭化することが、
これだけの知の集積と集約は代表的一つの手がかりだと思います。
しかし、今や、明確になったのは、計画時間です。
それはオリンピック・パラリンピックまでの7年間です。
これは、毎年毎年の計画もありますが、私は以下三つを考えます。
・3年+4年計画
・2年+5年計画
・2年+3年+2年計画を私は進行設定計画ができます。
そして、こうした強靭化計画には机上的な論理がすぐに、
確信できますが、具現化手法として、
デザインが必要であるがゆえに、
再度、強靭化するという意味の再考察が求められると考えます。
私は、この計画に関わる法制定、知識・知性の集約から、
強靭化して継承していく方法を探し出していくべきだと考えます。
中心課題は、天災+人災=自然+技術の方向性でしょう。
単なる土木工学や交通工学と、自然放置の大問題が残っています。
この解決案を見いだすことはこれら資料からは不可能でした。
さらにクラウド感覚、空中資産と国土資産が情報で連鎖されます。
私流には、「物質としての国土性と情報性への想像力問題」です。
おそらくこれらの知的集約は物質的な国土性全て認識できますが、
情報性の進化は多分私たちの想像力を超えるものと考えます。
「物質・情報・エネルギー」をこの国家においても、
国土観全容に配置すれば、エネルギー問題では必ず、
大きな行き詰まりになることは明らかです。
時代性はすでに石油文明を終焉していますが、
それがそのままエコロジーで補完されるはずはありません。
この「国土強靭化デザイン」は未だに、
タブラ・ラーサ=白紙の状態でした。
すなわち、この白紙の余白にこそ「デザイン」の実務が
必要かつ充分条件として書き加えられるべきと考えます。
そして、今日は明確に開催地東京決定が、
大きな余白になり、デザインが要求されたと思っています。
デザインが入れば「しなやかさ」と「たおやかさ」になるでしょう。


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「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」


   


     8月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

『March 11. 2011』東日本大震災が立ちはだかったままです。
前政権の政府力量の皆無さをなんとしても解決するべきだと、
私は大学を去るにあたって、最も大きなストレスでした。
ところが、退官後も阪大に残りました。
あらためて、デザイナーと大学人を残った人生の役割にしました。
名古屋市立大学で大学人になってからも、
プロのデザイナーとして作品を商品化して、
産業経済の実務家としても、それ相応の仕事と使命を自覚。
それこそ父から言われ続けてきた「行学」を続けてきたはずです。
あらためて、「行学」についてまとめると、
「行為と学業、修行と学問」を十二分に果たしてこそ、
己の生きがいと働きがいを生き様にするということです。
まして、自分の生涯で、やっと祖父や父たち世代が、
敗戦から、理想的な国家はすでに全滅瀕死の状態だと思います。
私は、デザインをまさに策略であり、問題解決の手法、
このように考えてきましたから、8年前に阪大に転籍後には、
学問領域を四つにわけて、さらに中心の実務学を配置しました。
しかし、一人でこの四つの領域を成し遂げることは不可能です。
ただし、絶対に書き残すことは、
もはやデザインを専門学校や美術系、あるいは工学系では、
とても問題解決の先導であり主導である実務手法は不可能です。
定年退任してから、私はこれまで以上に多忙になってきました。
理由は、四つの「塾」をデザイン講座先導と主導、
これらの「行学」の根本にしました。
その実務手法の目標と目的を具体的なモノとコトにしました。
何をデザインで解決した形態設計の行学だろうか。
何をデザインで解決した制度設計の行学だろうか。
私にはこの実務手法を残された時間に配置しました。
活動はこの秋、10月から活動を開始する覚悟です。
今は「国難」の時です。
それは大震災と大津波で「地球環境」を思い知ったのです。
原発事故も何ら解決していません。
けれども、先進国家のわが国だから出来るのです。
「行学」を果たす者には、最も最適解を出していくのは、
「デザイン」だから可能だと信じています。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM

終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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「危機管理産業創成をデザインが主導する」


   


     7月 31st, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11.2011」で私たちは同胞達を失いました。
なぜ、自分の生涯で、この国難と向き合うことになるとは、
どれだけ報道や、現地で、前政権での大臣プレゼンをしてきました。
「危機管理デザイン賞」を創立しました。
結果、定年退官ながら、大阪大学吹田キャンパスにある
私の研究室に残って、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」をやります。
7/30、阪大中之島センターで、大阪と東京を回線で結び、
基調講演(大阪府警察本部長)後に、
私は「危機」の定義とデザインでの産業創成を話しました。
画像は、プレゼンのその一枚です。
「March 11.2011」は、「危機」です。
危機とは、危険で大変な事態=生命に関わります。
しかし機会=賢明な即判断、想像できる限りの危険対策準備です。
危険であるからこそ、これを絶好のチャンスと熟考し、
即判断、即準備し、「制度設計」と「形態設計」を産業にも
有効な危機管理デザイン工学領域を学域に創ろうと考えます。
その具体例は、
Crisis=起こってしまった大変な事態に即対処すること。
Risk=明日起こるかも知れない大変な事態に即準備すること。
この二つから、幾つかのプロジェクトをすでに実務化しています。
むしろ、大学を退官したからこそ、
新たな視野にある「危機管理デザイン」を産業化できるとさえ、
私は存分に熟考と実務に邁進できるのかもしれません。
これまで、国際関係論で1960年代から1990年代の学域に、
私は「デザイン」=問題解決と未来創出を導入します。
大阪と東京で、この講座のキックオフとともに、
内閣官房では、稲田国務大臣と藤巻参議院議員、
この二人に早々に会合をもっていただきました。
国家ミッションに「デザイン」、
その実務を始める記念日になりました。


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「翻弄停止せよ、自己決定意欲の再設定」


   


     6月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

5年3ヶ月ぶりの平均株価化で現政権は安定しました。
「March 11, 2011」は決定的に前政権が素人集団だと露呈。
わが国の政治異変時にはどういうわけか、
天災を受け国家は破滅して国難になります。
さて、政権は一応安定をしてくれましたが、
「アベノミクス」とまで呼称される経済活動の再興は、
このところ、大変な株価変動を起こしています。
「株高・円安」で、景気感はまさしく躁鬱病の繰り返しです。
私の経験実感では、日本の日経平均株価は13500円が順当です。
13500円の景気が、日本人全体に「中間層意識の安定」と、
保守性あるグローバル経済下での鬱病でも安心状態を維持。
これが私なりのデザイナーとしての経済不安感の抹消策です。
ところが、TVなどで見かける経済評論家の二分された、
アベノミクス肯定派と否定派の論説は下品な受け取りに終始だけ。
かつてのニューディール政策そっくり真似事だと言えばいいのです。
したがって、経済動向には確実な二つの読解能力が必要です。
  ● 平均株価の政治策略的な支配
  ● 平均株価の自然景気的な支配
この二つで、経済動向、経済動乱の距離感測定を
自己決定できる能力の養成プログラムが必要だと思っています。
比して、素人判断は政策餌食にすぎません、しかもです。
この動向・動乱に、知恵無きマスコミは扇動報道しか出来ません。
私は、デザインクライアントの経営方針と自社株変動には、
この二つの支配感覚と自社株との距離感測定能力を見詰めます。
つまり、
政治策略的な支配は明らかに「選挙資金の蓄積」だと割り切り、
自然景気的な支配は「国債持ち株の企業内戦略」の再整理が必要。
「お金のスピードと株売買スピード」、この速度ある流動感は
デジタル制御により「経済学」は慣れ不足と学域は破滅してます。
 ・選挙が近い、
 ・国難はさらに厳しい、
 ・待ち受ける天災には予知不可能、
 ・慣れすぎた鬱病国家経済体質は変わらない
 ・解放不可能な国家観意識は二分対立性を明確
こうした見方で平均株価の動向と動乱を自己意識で決定していく、
まさに「保守安定」の求め方、
そのシナリオデザインだと認識しています。


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