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『資本主義からの逃走』
 「文脈の始まりは、リハビリトレーニングからだった」


   


     8月 27th, 2010  Posted 12:42 AM

私自身の文脈
再度時間を戻します。
私がリハビリ病院でのトレーニング、その体験を今、振り返ってみると、
それは「哀しみ」を傍観し客観していただけであったと思います。
まったく主観視はできていなかったのです。
こんな思い出がいまなお去来し、悪夢になることがあります。
人間の「文脈思索の背景にある恐怖感」です。
上京して社会人になったときは、東横線で日吉から銀座に通っていました。
その時、車窓から大きな病院が見えていました。
その病院の体育館=リハビリトレーニング場から、ある日、東横線を見たとき、
〈なぜ、自分はここに居る羽目になったのだろう〉としか思えず、悲しかっただけでした。
この悲しみが哀しみに至るまでが、私自身の文脈が始まっていたのだと今なら思えるのです。
阿鼻叫喚の場
毎朝、ビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを踊っている人たちがいます。
彼らは精神的な障害を持っている人たちでした。
ほとんど寡黙でまなざしはそれぞれが一点を見詰めているそんな集団は、
その踊りで彼らのトレーニングが終わります。
その後は、頸椎や脊髄損傷(私はその一人)、
そして脳溢血障害で半身麻痺の患者たちのトレーニングが始まるのです。
あっけらかんとした大きな笑い声と、泣き声や叫び声が体育館に毎日響きわたっている場でした。
ここは阿鼻叫喚・地獄かもしれない、そんな恐怖感を何度抱いたことでしょう。
幸いにして、私は恋人がほとんど身の回りを看ていてくれたり、会社の上司や同僚、
大学時代からの親友が絶えず見舞って励ましてもらいました。
だから、その恐怖に負けなかったのだと思います。
一日でも早く退院したい、
その気持ちだけで、次々と車イス生活のためのメニューを米国流で半年ですべてをこなしました。
これは、今、リハビリテーション医療に対してのデザイン提案の源泉になっています。
このブログでも以前に「resign」として記しました。
清々しい自分にもどるべき
メニューの一つをやり遂げると、OTやPTの人が、
「川崎さんは、段差越えをマスターしました、みんな拍手!」と言って褒められます。
ところが、これは拍手をされているにもかかわらず「嫉妬」を買い、
苛められることにもなるのです。時折、病院内で、後から急に引っ張られて転倒させられるのです。
人間社会の縮図は、リハビリ病院にもしっかりと文脈の背景は根付いていました。
私は、「文脈」、その背景には歴然たるものがあると断言しておきます。
おどろおどろしい非人間性が根底には必ず基盤になっているのです。
したがって、「文脈=コンテクスト」を人間的に創出するには、
自分を「純粋培養」させることだと確信しているのです。
それは、東芝に入社したとき、「清々しい自分、デザイナーでありたい」と、登録しました。
つまり、たとえ障害者になっても、維持していける自分で有り続けられるかということでした。
「文脈・コンテクスト」にある非人間性への怒りと全否定がなければ、
「文脈」を「想像」し、そこから「創造」の入り口にはたどりつけないと考えます。


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