kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘OK’


『私デザインは「アンチ・・・・・」眼鏡があります』


   


     8月 19th, 2018  Posted 12:00 AM

私には眼鏡が大きなデザイン開発としてあります。
よく聞かれるのは、何を描いていますか?、というのには
眼鏡ディテールと刃物の新しい形状が多いです。
眼鏡では、これまでも「アンチグラビティ」と「アンチテンション」があり、
「アンチテンション」は、今では眼鏡業界では定番になっています。
これは「シルモ賞2000」を私は日本で初めてとりました。
そして、今、私が取り組んでいるのは「アンチ・・・・・」です。
「アンチグラビティ」はこれでドイツで受賞しました。
しかし、これは現在の眼鏡を乗り越えるということで、
眼鏡では商品化をしませんでした。
それがこれからは商品化が出来そうです。が、私の役割は、
決して「眼鏡のレンズの形」はやりません。それが増永眼鏡との約束です。
なんと言ってもレンズの形は店舗とメーカーに委ねます。
それが眼鏡デザインでの一番テーマなのです。
そして、いよいよ「アンチ・・・・・」を考えています。
これは絶対に私以外では出てこないと考えているというほど自負しています。
最も、これが増永眼鏡で「OK」になるかは、これからです。
これまでもスカウターをやってきましたが、そうしたバーチャルでは無いこと、
ともかく、「アンチ・・・・・」があります。
これもデザイン開発以前にずーっと求めてきたモノです。
「アンチ・・・A」と「アンチ・・・B」があります。
本来ならば、眼鏡のいらない屈折率を平気で変えられることが夢です。
このデザイン開発は「アンチグラビティ」と「アンチテンション」が、
大きな下敷きになっています。
そして、私は眼鏡デザインプロセスを福井・鯖江に伝えたいと思っています。


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07月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 31st, 2018  Posted 12:00 AM

07月31日 赤口(甲子)

「リコール」は、
不完全な人間だから、
やり直しはOK。
不完全な人間ゆえに
完成されたモノが必要。
「リコール」は
絶対にやってはならない。

川崎和男「喧嘩道」


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『経営仮説と収益構造にはジェネリック薬品』


   


     7月 13th, 2018  Posted 12:00 AM

入院してそのまま「骨折」をした私でした。
この「骨折」は明らかに病院のスタッフの無知によるものでした。
そうして、この事故はどうやっても訴訟は出来ないものらしいのです。
今の病院では「医師が院長」という悪しきルールによっている訳でした。
この病院は真に理事長は、売れていると思っているデザイナーに全てを任せ、
スタッフの誰に聞いても、使われている洋服は全員「嫌」と言っています。
が、面白いのは「絶対に私からとは言わないで」と念も押されました。
こういう病院が、デザイナーも入っているからということでOKとは、
絶対に同じデザイナー界ゆえに言い置きます。
おそらく、こういうのがビジネスモデルだとしたらということです。
なるほどデザイナーが入ればそれなりにはできるでしょうが、
私は入院した日に「骨折」し、そのために入院期間が長くなりました。
そして、今の病院ではジェネリック薬品が使われているのです。
「循環器系」は米国ではかなり高額になっています。
ジェネリック薬品は確かに良いのですが、
米国では「循環器系」は辞めているのです。
私はこの病院で薬剤師に、これは確かですか?とも聞けず、
ゆえに退院してから、阪大病院ではジェネリック薬品は、
外してもらいました。
ジェネリック薬品は確かに安いのですが、
それこそ「経営仮説」「収益構造」は病院=患者側では無く、
ジェネリック薬品を使用することは、患者の要求は見事切られていました。
おそらく、この病院ではジェネリックは「収益構造」であり、
なおかつ「経営仮説」では当たりまえなのでしょう。
まず、転院した一日目に「骨折」をし、
しかも、私の希望など無視されたジェネリック薬品を使わされていました。
まさしく米国では「循環器系」事態が
値上がりしている構造も無知だったと今では思っています。
なぜなら、デザイナー・建築家が
「経営仮説」と「収益構造」に巻き込まれていました。
私は海外でも入院しているので、
日本のことをしかっりと報告していくつもりです。


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『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』


   


     7月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

「カッターナイフ」という日本人の発明は凄いと思っています。
一昨年に、このカッターナイフの刃先カットとそのストッカーユニットを
「日本文具大賞」で受賞させたことがあります。
最近、美大に入学してくる学生が、カッターナイフの意味を知らないと
そんな話を聞いていました。
これは私も経験したことがありますが、剪りを知らず、
木工でいきなりその刃をことごとく折られたことがあります。
もっと、大変な事態は半田ゴテを知らずに火傷が多くて、
旧帝大でも半田ゴテを使わせるために保険に入らせることもありました。
自分の研究室でも半田ゴテ使用を5000回練習ということもありました。
この傾向はますます強くなっているようです。
さて昨夜、盟友・光野有次氏が再計測しながら、特に「背もたれシート」を
彼の自作したナイフで大まかにカットしてくれました。
その風景を見詰めていたワイフが今度は、
彼のカットしたウレタンフォームを「カッターナイフ」で
もう一度、調整をしてカッティングし、再構成をしました。
このウレタンフォームが成しえてきたことはとても意義深いことでしたが、
この素材には経年変化が起こります。
私の作品でウレタンフォーム素材は海外の美術館では永久収蔵されません。
今、ようやく経年変化無し、硬さもコンピュータ制御可能で、
なおかつ人体内に設置してもOKの素材が出来ました。
これは3D-Printerで可能になってきた技術です。
これを3D-Printingと呼んでいますが、やがてこれまでの経年変化や
リサイクルに高コスト素材は無くなっていくでしょう。
HUSATやHCDでのとりわけデザイン医工学・デザイン看医工学の対象には、
新しい素材が適用されていくものと判断しています。
光野氏とワイフのおかげで、
変形してきた体型を矯正する車イスシートが幸運にも出来上がりました。
新しい素材での電動車イスデザインは、自分の役割になったようです。

*『3D-Printingの基本にもう一度戻るために』
*『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』
*『三つの革命・予測は当たっていた』
*『3Dプリンターブームは「軽薄な流行」にすぎない!』
*『なぜ、私がヘッドホンにこだわるのか』


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『もう絶対に逢えない、今日は母の命日』


   


     6月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

この日早朝、母は逝きました。
47年間のうち、21年間は私だけのための生涯だったと思います。
命日を迎える度に、自分が生きてきた目標をかみしめなおします。
しかし、3度は重篤状態になってきた経験からは、
いわゆるあの世で出逢うことは絶対に無いというのが最近の結論です。
どうして、自分があの母の下で育てられてきたのだろうかということは
哲学のまず基本的な命題だと思ってきました。
一浪をして、正直に医学部進学よりも美大に行きたいと言ったとき、
母は「医者になることは全く似合わないから辞めなさい」と言いました。
美大進学が決まれば当時流行になったVANのスーツを買ってくれましたが、
同時に、ブレスレットと指輪も母は私に買い与えてくれました。
厳格な父には絶対に叱られると思って拒否しましたが、
「美大に行くなら、これくらいは当然。そしてもっと男らしく」
ということでした。
「赤い血を見るより赤い絵の具の方が楽しいから」でした。
しかし、ちょうど父は警察の刑事部門の幹部となり、
毎朝、黒塗りの車で敬礼されて出勤をする立場になり、
母は癌を宣告されました。
ところが当時は、本人には言わずに父と懸命に癌治療を考えました。
父からも「和男、大学を辞められるか?」と聞かれました。
「全ての財産を使ってでも直したい」と父は言いました。
私は即座にOKをしました。
母の死後、遺言が出てきました。死の10日前に私宛のものでした。
「あなたは、もう福井に帰ってくることはないから、
世界で活躍できるデザイナーになりなさい」という遺言でした。
大学を出たら地元の短大で美術を教えると言ってきただけに
大きなショックを受け、やれるまでやろうと考えたのです。
美大を道楽学校としか私に言わなかった父に、
大学人になって、医学博士号を受けた報告をしました。
「貴方への借りはこれで返した」と。
父の葬式の夜に、
「結局、父はデザイナーになった私を許してくれなかった」と言いました。
父の友人は言いました。
「何を言っているんだ、酒を飲むと君の自慢しか言わなかった」。
それを聞いて、やっと父との別れに私は号泣しました。

*『母と死別して45年も過ぎてしまいました』
*『指編みを思い出しながら』
*『63歳まで生きました・母より年上です。』
*『大好きな色鉛筆・最近のお気に入り』
*『美大生1年のときに私の最初の社会的なデザイン』


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『LPレコードのアーカイブが出来上がりつつある』


   


     3月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

僕はオーディオのデザイナーから出発という幸運があります。
東芝では当時オーディオ専門ブランドAurexに関わり、
Aurexブランドロゴから製品開発・商品化だけではなくて
ショールームからコンサート企画、
そしてLPレコードづくりまで担当しました。
単純に担当というより、
自分で企画書を書き上げて上司を説得していました。
そんな中でも、
LPレコード企画などが東芝では通らないことはしばしば。
そんな時にはその企画を
DAM(当時最大の量販店のオーディオクラブ)に、
僕は持ち込むと同時に、 DAMから信頼も受けていたので、
TV-CFやDAM販売キャンペーンのディレクターもしていました。
無論、東芝の上司にはほぼ公認をしてもらっていました。
DAMといえば、特別高度な音質のLPレコードを出版していました。
これは当時、東芝EMIの力添えがありました。
東芝EMIで担当であった方が亡くなり、その遺言から、
DAM レコードを後世に残す話が持ち上がり、
東芝の社員であり、また45回転で超厚のレコード盤制作に
まさにはまっていたことからも、協力者の一人として参加。
DAMのLPレコードは、音質の優秀さで、有名な指揮者事務所や
有名歌手グループ事務所からなどクレームが出るほどでした。
私が直接関わったレコード盤は、
「トラックダウン=レコード製作プロセス」を知らせることで
それはオーディオ機器、カートリッジやプレーヤーシステムまでの
音質チェックになるレコード盤があり、レコードジャケットデザイナー名を
入れてもらうことで、東芝に納得をつけてもらっていました。
これはバイノーラルレコード出版につながりました。
東芝ではOKがもらえなかったのですが、
DAMでのヒットゆえに、
結局は東芝のプレミアム広報として実現しました。
かつて、オーディオでの最も正確な音質レコード盤の
アーカイブが完成しました。
アナログレコード盤としては最高のモノづくりだったので、
今では徐々にファンが増えてきています。
私はひたすら音響関係のデザイナーであればそれでいいと思っていました。
だから、今でもその思いは残っています。
大学人をリタイアしたなら、
もう一度、オーディオ機器のデザインと設計に関わりたいと考えています。
すでに、ヘッドホンアンプの設計とデザインに取りかかっています。

*「企画は必ず具現化すること」
 https://ouzak.co.jp/blog/?p=23523
*「ここまで粘り、あきらめないこと・・・」
 https://ouzak.co.jp/blog/?p=23541
*『世界でトップだったアナログ45回転レコード盤の復活』
 https://ouzak.co.jp/blog/?p=42369


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「拉致問題解決が先決、現代問題解決は不可能を表徴」


   


     11月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

蓮池さんの「拉致と決断」が訴求していること、
私たちは、現代日本で数限り無い問題山積に日常を置いています。
そして、拉致問題を「他人事」にしているのです。
それは結局、
自分も取り囲まれている
問題解決を不可能にしていることに気づくべきでしょう。
問題解決のプライオリティーは、明確です。
「拉致問題」を先決しなければ、
この山積から開放されることはありえないのです。
間もなく、いや、一刻も早く選挙をしてほしいものです。
ただし、もう二度とポピュリズムに惑わされてはいけません。
かって中国の有名大学から講義依頼がありました。
そこで、私は四つのテーマを講義内容として送付しました。
すぐに、拒絶されました。
 ・靖国問題
 ・教科書問題
 ・慰安婦問題
 ・南京大虐殺問題
すべからく、敗戦処理での正当さを語るつもりでした。
上海大学からの依頼にもこのテーマを掲げましたが、
上海はOKでした。
「彼らは北京と上海は別国だから」と言いました。
先般、北京で講演をしました。
この問題は語りませんでした。
それどころか、
「デザインが世界貢献するための手法論」がテーマでした。
昨年から依頼があった、
The 3rd Art and Science International Exhibitionで、
私は作品展示と基調講演をしているはずでしたが、
領土問題で、
「政府から中止命令があったから来ないでほしい」ということです。
明らかに、「拉致問題」、その解決は政治判断や政治決着は叶いません。
「奪回戦略」は、わが国では憲法上不可能ですが、
私たちの心情にはそんな妄想を描いてしまいます。
拉致担当大臣をすぐに変更する政権こそ、「打破戦略」が必要です。
デザインは問題解決の手法ですが、
これだけの国内問題解決に、デザインは関われませんが、
発想を熟考したいと考えます。
もし、私が私設軍隊を保持していたなら、
軍事的奪回を妄想します。
それは、彼らの国へ軍事的攻撃とともに、
重要人物拉致を考えてしまいます。
 


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