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『進化進歩するレプリカントは破壊された未来に存在』


   


     10月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

久しぶりに「ブレード・ランナー」を観ました。
これはまず、私が最も大好きな映画監督リドリー・スコットの作品。
そしてまだ新作「ブレード・ランナー2049」は観ていませんが、
この作品では、監督が原作をどう捉えるかということと、
もう一つは工業デザイナー・シド・ミードの、デザインスケッチでの原作から、
いわゆるイラストレーションはレンダリングが映画の画面構成上では、
大きな影響を持っていることです。
そして私にはレンダリング表現ではいつも手本にしたいことが相当あります。
まず、この映画の根本から、
いわゆるSFとしては、未来の地球のそれも進化の怖さが明確にあります。
ブレード・ランナーが何を使命としていることになるというテーマ設定です。
アンドロイドどころではないレプリカントという細胞クローンが登場します。
これは決して未来が夢見るユートピアでは無いという不気味さがあります。
まさにアンドロイドは、友人でもある石黒浩教授から、
さらにクローン化までが表現されることです。
どう考えても、私たちの未来にはユートピアよりも、
地球環境は進化に進歩する限り、環境は破壊されていきます。
おそらくAD5000年には地球は消滅はやむを得ないことなのでしょう。
最も私自身1949年生まれは、なんとしてもきっと観ることが出来ない、
2049年がブレード・ランナーというレプリカントとの対決具合なのでしょう。
間も無く私を待ち受けている死はいつ来るのかは分かりませんが、
現代の想像力をリドリー・スコットとシド・ミードで確認したいのです。
細胞勾配でのクローンはアンドロイドをレプリカントにさせるでしょう。
それこそ、ネアンデルタール人とホモサピエンス人が進化して、
ホモサピエンスが我々の祖先となり、
「同情」という気持ちはネアンデルタール人から譲り受けたという、
こうしたことをともかくあと僅か、
平均年齢、私の生はあと20年余りです。
しかも決してそこには破壊だけの世界に投げ出されると自分は思っています。
最近は、「普通」が求められますが、私はこれは大間違いであり、
ホモサピエンスから現代人であることは絶対に進化し進歩なのでしょう。
「ブレード・ランナー2049 」、多分、その恐怖が楽しみです。

* 『ディスクールはアンドロイドロボットで消滅させられた』
* 「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」
* 『現時点でのスタイラスペンの評価』
* 『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』
* 『もう絶対に逢えない、今日は母の命日』


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『最高ブランドの賀状が示すこと=飛ぶことなり』


   


     1月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

年賀状という伝統的な挨拶状を辞めてから、
私への賀状は極端に減りました。が、当然のことです。
そして賀状のグラフィック表現でも残して置きたいモノも減少です。
しかし、私が2050年の地球環境問題を20年前に提示し、
以来その本国でも環境関連の特許が最大の有名ブランドがあります。
それこそ、本体の20倍もするケースを平気で商品化できる、
そのメーカーブランドこそ、一番のお手本だと私は認めています。
そのブランドの賀状は、組み立て式に「紙飛行機」でした。
それこそ有名なSF映画だと、2015年には人間は空中を飛んでいます。
が無念ながら、人間はまだ空中を自由に遊歩することはできません。
もし、空中にハチドリのようにホバリングができるなら、
私のような車イス人間には、自由な身体能力が備わります。
昨年から、私は電動車椅子を使用しています。
そして、間もなく66歳になる私はまだ今年も新たなというよりも、
「達してきた領域」を大学でも開始することにしています。
年末は従弟も加わって忘年会をしました。
日本を牽引している建築家とは約束もしましたから、
「やれるだけやろう」と考え、昨年はその準備をしました。
早速、国内よりも海外が私の提案に飛びついてくれました。
ところが期待をかけていた次世代は須く駄目だと評価しています。
「よし、今年から無謀だと言われようがやりつくす!」と言ったら、
ワイフから、毎年、無謀なことに向かいすぎていると言われます。
正月明けにはもう仕事を開始していますが、
組織・企業の陳腐化はことさらに進行しているとしか思えません。
この有名ブランドが「紙飛行機」をシンボル化したメタファーは、
そろそろ、地球外から客観的な視野の中の地球にいる私たちを
見つめ直すことを示唆しているのかもしれません。
昨年末、私はスタッフにコンピューター能力でここまでやれると
伝えました。
スタッフからもワイフからは、それ以上は進化しないでほしいと。
私の夢はまだ紙飛行機程度ですが、
残り少ない人生を空中遊泳して喧嘩本道を多次元に飛ぶつもりです。


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『VFXのロボットが柔らかくなっているのは進化?』


   


     12月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

この大きくて白い映画のロボットがまだ上映前だから、
映画館にディスプレーされていました。
このアニメーション映画のTV-CFを見かけながら、
私は空想力・想像力の中でも性善説真ん中に一つの安らぎを感じます。
今、映画には様々なロボットが登場してきますが、
私はようやく柔らかい表現のロボットが登場してきたと思っています。
ワイフは絶対にこの映画は観たいと言っています。
この映画のアニメーション技法はVFXが無ければ出来なかったでしょう。
VFXとは、視覚表現にコンピューター技術を運用した視覚効果技法、
さらにSFXは、撮影現場そのもの場での特殊効果でもあり、
最近はこうした映画技能者が監督にもなってきて、
その技術駆使で、空想力毎の映画ジャンルが出てきています。
私はデザイナーとして、VFXの進化とロボット工学の一体化が
あくまでも科学技術、さらにはコンピューター運用進化こそ、
次世代のデザイナー職能にも深く関与してもらいたいと思います。
なぜVFXという技術に注目しているかを明らかにすべきかと言うと、
一方には、ぬいぐるみというキャラクター玩具があり、
もう一方には、完全にハードでメカニックなロボット玩具が、
空想力さえも分断している気配を強く感じます。
映画、漫画、SF、宇宙物語への想像力には、19世紀末当たりから、
素直な未来想像力が育ってきたと思います。特に、日本人ほど、
こうした空想力は鉄腕アトム、鉄人28号、8マンによってそれこそ、
日本人の遺伝子にも組み込まれているとさえ言われています。
それは、日本から二足歩行のロボットが出来、
日本の子ども達は笑顔でロボットに対面できますが、国外では、
幼児たちは泣き出してしまうことは確かめられています。
私はやわらかいロボットは、ぬいぐるみとの融合性が、
海外から始まってしまったことに、国内技術の立ち後れを感じています。

「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』


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『SF映画が示唆していること=その真実性と想像性』


   


     12月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

毎月必ず映画は3~4本は観ようと思っていますが困難です。
何事もリセットしたくて、いつものごとく京都で映画を観ました。
なぜ、京都?、それはワイフが京生まれ京育ちでもありますが、
車イス使用者にとって、私は京都が一番だと断言できるからです。
映画は、「インターステラー」というSF宇宙物語でした。
久しぶりの長時間映画であり、理解は相当に困難なものでした。
この映画監督や物語内容は、観ていただくか、読んでいただくこと。
滅亡していく地球から、惑星間移動の冒険を冒して、
地球環境の保全というストーリーでは、
5次元空間論が語られ、ブラックホールの新しい概念映像化、
SFで語り切るべき、場面構成や、コンピュータ運用での
新たな映画づくりはある意味では工業デザインでの想像力表現でした。
2次元の円が3次元になれば、球体となり、
どうすれば、ワープが可能になるかまでの正当な提示は、
おそらく観客自身の多次元空間やそれこそ光速度転送などの連続ゆえ
映像表現だけでは、とても難しい限りのSFでした。
余りにも宇宙空間や多次元性、光速度時間と現実時間での5次元は
もういちど、この原作を再読する必要を大きく感じました。
確かに、私が、心臓心拍の2次元から、3次元での置換から、
まず、想像であっても、2次元が3次元になれば、立体化どころか
光造形での形態化に気づいた想像力と同一でした。
しかし、この映像と物語性にはもっともっとせめて5次元空間が、
この映像表現だけでは、とても理解は不可能かもしれないでしょう。
正直、SF映画のほとんどが、地球環境の破壊は人類の存続性を
否定しています。これはとても重大な示唆だと思っています。
確かに、2030年までにこの地球環境には、
科学技術での修正と修繕が緊急に必要とされていること。
私はこのSF映画が地球滅亡からの解放を訴求してると確信しました。

「想像力の尊大さをリドリー・スコットに観る」
『SF映画に示唆される未来性の確認には「目印=sign」がある」


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