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6月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2011  Posted 10:00 AM

6月15日 赤口(辛丑)

情報のデータとは、whatに過ぎない。
それが、
どのような情報なのかというhowになる。
そのwhatとhowが意識の中で、
やっとwhyという問題意識になっている。

『デザインという先手』あいの手 アポリアに対して


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「1Hを1Wから解放されてやり直そう」


   


     4月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

5W1Hというのがあります。
who・亡くなった方々と生です。
where・破滅してしまった場所。
what・失ったモノや物、思い出。
when・見えない未来時間。
以上すべての喪失感の中に、
被災地の人々も、私たちも、ここに佇んでいます。
そして、whyをみんなが自責しています。
もうここからは逸脱しましょう。
whyに閉じ込められることから解放されましょう。
新たなHOWから始めることが企望です。
その前に、緊急のHowが大きな壁になっています。
私は、デザインのスタートの大前提には5W1Hからを
自らも実践し、教育でもこのことを徹底させる手法です。
死亡者・行方不明者には祈りと決意を伝えることしかありません。
景観であった街並みや風景はこれまでの都市計画では不可能です。
あらたな計画手法がまず必要でしょう。
着の身着のままの被災した人たちにとって、
最も大事だったのは、「思い出=写真・アルバム」です。
これは奥尻津波の時に、すでに明らかでした。
これまでデザイン実習課題では「災害をテーマ」にしてきたとき、
必ず、デザインサーヴェィすると、この結果がえられました。
人は、最も失って悲しいのは思い出という財産です。
これからまず、ライフラインの復旧からやっと復興ですが、
この未来、将来時間がまったく予測ができません。
それは原電事故の終息その後始末が全ての人に永久的だからです。
そして、精神的なストレスは常に「なぜ」を突きつけます。
これから解放されましょう。
そして、人智をつくすことは、How=「どのように」です。
まずアイディアと手法を創出することです。
私はドミノ計画とリエゾン計画と考えています。
いづれ明らかにしていくつもりです。

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