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『高価になってしまったカニ!いつまで食べられるか』


   


     12月 25th, 2017  Posted 12:00 AM




ふるさと福井からは毎年、今では名産中の名産、カニが送られてきます。
先般、帰省して叙勲者3人目のお祝いをしてきました。
そのときに、駅にあるもうすっかり覚えてもらっている、
水産物売り場に行って、度肝をぬくほどびっくりしました。
カニといっても、ズワイ=雄カニが一杯48000円とかを知って驚きました。
福井ではセイコガニ=雌ガニは子どもの頃はおやつでした。
鳥取では松葉ガニ:私は育成不足と呼びます。
理由は松葉ガニでは雌ガニながら腹部が大きくないという印象です。
金沢では香箱ガニですが、これは育ち過ぎというのが私の批評です。
富山で和食を食べて、魚は流石に日本海は美味しいです。
お店の方から、「関西の方?」と聞かれ、
私は「日本海の魚はやっぱり美味しい」と言ったら、
「富山の魚は良いでしょう」って、
「僕は福井出身だから、この魚は福井から泳いで来たから!」、
お店の人も大笑いしてもらいました。
ICD埋め込み手術ですっかり私は甲殻類アレルギーになってしまいました。
しかし、何としてもカニは食べたくて、アレルギー制御薬を飲んで食べました。
京都生まれ京都育ちのワイフは、セイコガニが大好きになりました。
なるべく、野菜も米も、それこそ醤油までも福井産に限っています。
そして福井の定宿では、クリスマスの抽選イベントがありました。
「こういうのは、絶対に僕は当選するんだ」って、宣言したら、
「31番が1等賞です」、
「はい! 31番」って渡すと、
周囲のみんなが驚いて大野産コシヒカリ5Kgが当たりました。
交通被災したときも、父からは、
「お前は抽選強いから、交通事故も車イスになるほど当たったのかも」、
こんなことも言われましたが、
確かに小学中学と商店街の抽選ではよく当選していたものです。
改めてカニ売り場では、最高級ランクをしっかりと見ました。
阪大には福井出身の船舶設計の教授もいますが、
彼は自分の研究費で、潜水ロボットでカニの生息を調べています。しかし、
「段々、カニが減ってきているよ」と言われたことがあります。
小学校時代は、魚屋さんから、
「お金もらっているから」と、セイコガニは2匹を食べながら帰宅しました。
ところで今、日本海はすでに海底では戦場になっているはずです。


* 「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」
* 『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』
* 「私の必須道具だから・iPhoneアプリにしてみた」
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』


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『「北」という書に宗教法人の商売根性は許容できない』


   


     12月 24th, 2017  Posted 12:00 AM




「北」という漢字に、私は至極こだわってきました。
単純に言い切れば、「北陸」と「北海道」それぞれの「北」には
大きな違いがあると見分けていたのです。
「北海道」は東西南北の磁針盤的な「北」です。
ところが、まして「北陸」出身の私にとっての「北」は、
背中向き、いわば対立を象形化した漢字です。
「方面の武士」という表現が極めて意味を持っていると判断しています。
つまり、万が一があれば、いつでも対決を辞さないガードマン的存在。
「北陸」は常に、いつでも北面の武士のごとく、それこそ一向一揆の国です。
さて、すでに歳末の風物詩となっている、
今年を表す漢字、一文字は「北」でした。
それは「北朝鮮からのミサイル威嚇、その連続」に、
私たちは戦争への恐怖心を具体的に実感させられてきたのです。
私自身も自分の生涯に戦争にまさか巻き込まれない、
その考え方は破壊されましたから、武器から戦闘機や軍艦の現在を
真剣に、元来は趣味でもあるのですが自分の講演で話したこともあります。
その威嚇は日韓米に向けられた独裁政権としては、
私なりには原爆や水爆、あるいは生物兵器こそ、
国家防衛の当然の戦術だと認めることが出来ます。
しかし、唯一の被爆国家である日本にとっては、
絶対に戦争無き世界平和観こそ地球の最も知的人間社会は否定されました。
「宿痾」という言葉を紹介することがあります。
これは、「難問」・アポリアであり、人間界がどうしても平和否定論なのです。
北朝鮮は、朝鮮半島では北に位置しますが、
さらに、世界に背を向けた威嚇を独裁国家として強めています。
わが日本は敗戦によって、専守防衛をのみを行うことから、
「拉致被害者」を救い出すにも自らの攻撃は全く出来ません。
よって、今年は「北」が選ばれました。
しかし、私はこの風習さえ実際は商標権が成立し、
この書は実に「下手」だと思いました。
宗教法人ゆえに無税であること、商標権取得済みなどをみると、
京都の坊さんの商売根性があり、脂ぎった顔つきなどから、
「宗教」の品格無しと思っています。


* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』
* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 「同胞を救出せよ=わが国の最大的政治問題である」


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『KK適塾に医師であり教授であり作家・久坂部羊先生』


   


     12月 23rd, 2017  Posted 1:00 AM




2017年歳末を目の前にして、ようやく「KK適塾」第一回目を開催。
もはや聴衆の皆さんは顔なじみが増えました。
おおよそはプロのデザイナーたちが多いのです。
今回講師をしていただいたのは、大阪大学の招聘教授であり、
医師であるながら作家とし、「破裂」や「無痛」という
医学系ドラマの作者でもある久坂部羊先生でした。
個人的には、久坂部先生とは阪大の大イベントだった
「医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年」で共に講師でした。
その時、私は橋本左内を語り、先生は医師でもあられた父上の死を、
あまりに見事に医療問題として語られました。
今回、まったく画面も使わずに「病気になっても早死にしてもいい生き方」。
PPK=ピンピンコロリというキーワードでした。
さらに、誰もが生きていたいという欲がありますが、
治らないならどう諦めて死を素直に受け入れること。
早期癌発見って何?
癌擬もあるかも知れない?
生検での転移そのものがあるかも?
などなど、医療技術の進化は私自身が毎日体験しており、
私自身、身体障害者1級、心臓障害者1級で、
来年は3回目の除細動器埋め込み手術を受けます。
そういう意味では、理想的な死は毎日考え、
3度重篤状態での臨死経験もしてきました。
おそらく、今も医師であり、何が医療で、その医療を行う医師たちの
いわゆる権威権力闘争を内部告発のごとく小説化されてきました。
私はデザイン界にも、現代社会の中では、
デザインの長所短所、制度化する権威主義は
小説化されていないほどとても遅れた職能だと思っています。
なんと言っても、治る病気は治すが、治らないなら治さないとか、
本当に安楽死なんてこの日本では難しいこと、
病院には行かないという重大決心の実際などを聞かしていただいた話でした。
そうした中で、私はこれまでの「コンシリエンスデザイン」を、
アンケートからもその実務そのものを僅かながら紹介しました。
次回は来年の2月2日に、いわば仲間である東京藝大の若手教授の話です。


* 『芸術工学からコンシリエンスデザインに』
* 「除細動器埋め込み入れ替えより生還」
* 『東京藝大からの二人の講師を迎えて「KK適塾」』
* 『いのち・生きること、命は与えられたもの』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」


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『「タケフナイフビレッジ」は3年連続褒章を叙勲』


   


     12月 18th, 2017  Posted 12:00 AM




福井に戻って越前打刃物にデザイン主導を始めました。
「タケフナイフビレッジ」を設立して35年?ほどですが、
今年度も瑞宝単光章を叙勲、3人目で毎年1名いただいています。
こうした褒章制度への様々な見解などには
私は何の制度批判論もありません。
ともかく私には「タケフナイフビレッジ」デザイン主導を信じてくれていた、
越前打刃物の仲間たち=10人でスタート、1名逝去ゆえ親方たちが、
それこそ市長から議員さんまで集まって本当に温かい叙勲記念、
その集まりがとても大事だと思っています。
そして生きていてくれたならという、何人かの裏方だった人や、
生きていれば叙勲されたメンバーを思い出します。
「タケフナイフビレッジ」については、日本でトップ、
無論世界でトップの刃物にデザインを導入できたその大きな喜びがあります。
当然、越前市には、打刃物だけではなく、和紙から漆器までの
日本の根柢的な伝統工芸が継承されるだけでなく、
真の「伝統」trad=先代を裏切る進化、
それをデザインが主導出来たことです。
越前市の市長も大学卒業から即、松下政経塾に入り、
地方行政のリーダーとしてずーっと見てきたことです。
これは私の人生の大きな一面としても自分デザインでの作品が、
今なお全くデザイン変更無くても市場性を失っていないことです。
北陸新幹線が隣の金沢市を活性化しています。
しかし、それがやがては福井市から敦賀市までという計画ですが、
私の見識では、果たして新幹線での観光都市が正解とは思っていません。
「タケフナイフビレッジ」は連続して3人も叙勲して、
後継者も若い次世代20名も居ますが、彼らは私を怖がっています。
当然でしょう、30数年の経験から未来のデザイン、打刃物の近未来から、
もっとその伝統工芸を正直私には明確な夢があります。
しかし、私に残された人生の時間もあります。
叙勲者は同世代であり、私自身も彼の親父さんから学びました。
「知延常楽」を彼は鋼の火造りレンガの釜場に残しました。
そして「槍鉋」という宮大工ならば使いこなすべき刃物づくりが出来ます。
現代の鋼素材加工では絶対に科学的解明不可能さえ、
私は見てきましたから、それを今では使用する宮大工さんもいませんが、
私はデザイナーとして彼の火造り鍛造を残すつもりです。


* 『タケフナイフスクールは越前打刃物産地に開設する』
* 『「寸は尺よりも長し」をデザイン表現したハンガー』
* 「『知延常楽』・打刃物職人の哲学にローカリズム」
* 『機能美に器能美を五大器械から語り直す』
* 『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』


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『超音速だからこのカラーは零戦と同じかも』


   


     12月 14th, 2017  Posted 12:00 AM




まるで「ネギ」のようだって言うのは素人感性です。
子供の頃、ともかく記憶したのは
まずは拳銃:ピースメーカーと軍艦と戦闘機でした。
これらの絵が描けて本当にほとんど知っていました。
今、子供が新幹線や山手線の駅名を言えるようなものです。
だからNASAが開発した超音速機、その船体=飛行機は
SHIPと呼ぶので私も船体としますが、
この音速機=東京からニューヨークを5時間というのは、
大丈夫と思いますが、コンコルドを超えた飛行機の登場です。
よくNew YorkのJFケネディ空港でコンコルドを見ました。
どうしても乗りたくて申し込みを2回やりましたが、駄目でした。
そうしてコンコルドは無くなってしまったのです。
あの模型が置かれている国内のホテルは知っています。
とてもモデルとしても美しく、これほどの模型はなかなか無いでしょう。
では、このNASA開発の超音速機はまるで「ネギ」だと言われていますが、
その指摘は間違いだと私は思っています。
これはあくまでも私の推測でしかありません。
なぜ、「ネギのような」というのは、
二つの理由があると思っています。
一つは明らかに来年度の流行色がグリーンとホワイトだということです。
そしてもうひとつは、零戦のカラーリングです。
最初の零戦、真珠湾攻撃は灰色だったらしいですが、
零戦の性能とその攻撃法にあったのだと私は思いたいのです。
零戦性能は長距離を飛ぶものでしたが
操縦技能が訓練されたパイロットたちは、
急降下一撃発射にありました。
急降下するそのスピードは、特にスッピットファイアーなどにとって
その急降下しながらの戦法は恐ろしく正確だったらしいのです。
そこで急降下スピードを知って音速機はグリーンになったのでしょう。
グリーンといってもそれはカモフラージュ柄です。
そして特に高度があって、その飛翔物体色としては、
おそらくプロモーションビデオを撮れば、
きっとこの物体色=船体カラーは美しいと私は思っています。


* 『「電卓」内の増殖化と焦点化にパソコンがある』
* 『軍事技術である人間工学 は軽薄に語るべきでない』
* 『ケプラー452b星人かもしれない』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』


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『もはや宗教を文化とみる世界の歴史観を遡及』


   


     12月 13th, 2017  Posted 12:20 AM




「宗教は文化では無い」という見解が必要になってきています。
宗教は「人間が生きてその系譜に感謝を捧げること」が基本であったはず。
ハダム・シャリーム:神殿の丘、そこに分断されている「壁」には、
ユダヤ・イスラム・カソリックという三つの宗教は、
聖地の主権、礼拝権はすべてこれら宗教の利害や経済関係となり、
宗教対立は民族対立を生んでいます。
宗教は宗教哲学として、私には仏教が日本人として生活にありました。
そして、米国で私自身が仕事をするとなったときには、
原始キリスト教・旧約・新約から、カソリックとプロテスタントを学習。
いわゆるキリスト教と仏教とは比較検討の知識化、
そこから改めて新興宗教もみてきました。
そして、ユダヤ教、イスラム教にいわば宗教哲学でなければ、
私には生活との一体感は全く不明でした。
正直、イスラム圏は分かりません。
イスラム教での教義からのテロにはいわば、
危機管理=リスクデザインとしても日本では不可能が結論です。
おそらく、私の予想では、欧州もイスラム教に支配されるでしょう。
だから、G7、G8にしてもこれらはキリスト教支配下であり、
日本の仏教思想のまともな宗教論理は外れています。
聖地を分断する「壁」はセーフティ・ウォールと呼ぶことすら、
私は宗教の大きな問題が世界観の文化では無いと思っています。
キリスト教の分断は英語が分断されて、イスラム教内での分断は、
より大きな力になって欧州はやがてこの宗教に支配されるかも知れません。
それこそ、歴史は戦争の系譜でしかなく、その裏側には宗教、
特にキリスト教が根付いていたことは否めません。
そのキリスト教の歴史も簡潔にまとめてしまえば、
差別と信仰感を支配してきた系譜になるだけです。
よって、宗教での倫理性などは無神論とせざるをえなかった哲学が存在。
結局は、「生きる」ことと「死んで逝くこと」を宗教支配での差別闘争、
これをもっても宗教は文化とは言えないと判断すべきでしょう。
今、世界は宗教分離は信仰差別が闘争となってしまったと言えるでしょう。
私は改めて仏教も根柢で見直して、民族思想の文化=美と義と善を、
デザイン思想に取り込み直すべきと考えています。
宗教の「壁」はデザインにとってもアポリアだと考えざるをえません。


* 『2017アライアンスフォーラムに今年も出席』
* 「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』
* 「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」


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『障がい者差別は「差別」という無知者表徴』


   


     12月 11th, 2017  Posted 12:00 AM




28歳で交通被災、車イス生活を余儀なくされて、
すでに40年も車イス生活をしてきました。
信念として、車イスゆえに障がい者対応を求めないという姿勢を貫きました。
これまで、「差別」を受けたのはまず、リハビリ病院のドクターからでした。
「君は40までしか生きれない。」など。
そして最近になって、私が身しょう者ゆえの差別を受け、
それは私の存在否定論と解釈して理論武装を決めたのです。
かつて解放同盟からの執筆依頼を受け、これも差別と受け取ったとき、
雑誌編集部とは徹底論争で彼らは敗北して以後彼らからは攻撃無しです。
たとえば、商品戦略や企業のデザイン戦略で「差別化」という言葉は、
私の徹底的な批判から非難対象にしています。
「差別化した商品」というのは、商品ユーザーを差別しているのです。
したがって、企業が「商品の差別化」を一端発言したなら、
その企業存在そのものを区別、分別する論理で企業の社会的効能性を否定。
幸いにも私は、大学人になって、名古屋市立大学を離れる時には、
事務方の方が、私のために全自動ドアにできなかったことと言われました。
阪大においても、研究室は吹田市の規定でのスロープ設置、
豊中キャンパスには私のためも考えられた屋根付きの駐車場。
しかし、障がい者雇用促進法を知らない、「障がい者業者生活指導」要綱、
そのはき違えは、おそらく、この公的大学であってすらならば、
社会全体にはどうなるのだろうか、この調査を開始しています。
1860年、咸臨丸が日米通商条約で渡米、
その翌年1861~1865年の南北戦争は、公民権運動が開始される源流であり、
それがADA法にまでたどり着いたのです。
おそらく、この2冊で十分に現在の障がい者差別解消が可能であり、
この理論武装は成し遂げることができるでしょう。
それこそ法廷論争での障がい者差別判例は「ジュリスト」で確認可能です。
新幹線ホームにエレベータ設置を先導し、
ユニバーサルデザインエディケーションプログラムもわが国に提案、
身しょう者運転ステッカーも自分デザインです。
最近は、列車デザインや船舶デザインでのバリアフリーデザイン、
そのいい加減さも発表してきました。
なぜなら、健常者などは絶対に一人もいないのです。
人間はすべて障がい者なのです。
まして障がい者相手の商売をしながらの
差別企業、差別組織には「剣よりも強し」を実践します。



* 『空港ゲートは二つあるが、適当設計過ぎる』
* 『障がい者雇用における差別解消の管轄理財』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』
* 『「眠る環境」その要素としてのウォーターベッド』
* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』


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『レンズ無しになればメガネフレームは不要になる』


   


     12月 9th, 2017  Posted 11:00 PM




今やメガネ産地は、鯖江・福井という認識が一般的です。
自分デザインのメガネには、「Kazuo Kawasakiブランド」があり、
いわゆる3プライスでの「KK edition」があります。
IOFTというメガネ見本市では、ベストメガネドレッサー賞は、
今では歴然とその受賞者は一つのステータスになっています。
しかし、最近のIOFT審査では、パリでのシルモ賞にはまだまだ及びません。
私は2000年、日本人で最初のシルモグランプリを受賞しています。
そしてこのほとんど発明、それはテンプルを拡げてもレンズに応力無しは、
すっかりとメガネの基本構造になっているのです。
現在、鯖江のメガネ産地は企業数が激減しています。
しかもステンレスのメガネフレームが平然と商品化しているのは、
メガネ素材の大間違いであり、メガネの意味を失っています。
なぜ、チタン素材になっていったのかが分かっていない廉価メーカーの
見識ゼロ商品と断言します。
やがて、網膜投影方式が一般化すれば、「レンズ無しメガネ」が出るでしょう。
そうなれば、メガネ産地は5年後には無くなると私は判断しています。
実際、3プライスメガネ販売のレンズは廉価版でのファッションメガネ、
それこそ300円メガネすら可能です。
私はおそらく眼球まで死体解剖で確認していますから、
眼球という内臓と周辺の筋肉・血管・リンパ脈までを解剖しています。
そういう意味では、メガネフレームデザイナーに全てを伝えたいのです。
しかし、私自身、理想のメガネは、目の前の空気の屈折率を自在にすれば、
この考え方を基準にしてきました。
さらに、HMD:Head Mount Displayも相当に研究し開発してきました。
これをスカウターと名辞までもしたもです。
さらに網膜投影が可能になることも夢みてその技術開発を追いかけたら、
若い才能はとうとう網膜投影やホログラムを実現しました。
おそらく、メガネ概念の大変革、メガネフレームが不必要になっています。
比して、産地ではチタン技術で、その技術で医療器具開発が産地存続の
それがイノベーションと考えていますがそれは存続理由にはなりません。、
すでにチタンを超越した新素材が表れて、
直径2mm内視鏡や0.2mmマイクロナノ医療器具産業化は不可能です。
メガネフレームのいわばファッション性は一挙に不要になります。
そうなれば、メガネフレーム産地は直ぐに無くなるでしょう。
そのことを私は提言していきたいと考えています。


* 「『アンチテンション』は、今ではメガネスタイルの基本だ」
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 『四十暗がり・シニアグラスがこれでいいわけがない!』
* 『HMD「スカウター」がようやく製品発表された!』
* 「HMDのこれまでの進化をさらに深化させる!」


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『性善説価値をAIの導入・進化はデザインが図る』


   


     12月 9th, 2017  Posted 12:00 AM




デザイナーに対しても、AIの将来像、その予測や予知内容の質問があります。
これはもはや現在進行形であり、近未来と考えるスピードで変革しています。
これには、とりあえず三つの方向を私は予測しています。
● 脳科学と神経科学が融合価値
● 電気生理学と神経解剖学の統合価値
● 動物での行動実験からの総合価値
これらがコンピュータでのイメージング・マッピングが須く
「性悪説」に向かっていることだと認識が必要です。
パソコンにウィルスやハッキング、SNSでの人間関係破壊は、
ほとんどパソコン登場時は予知もありませんでした。
苛め、自殺誘導、犯罪仲間募集、殺人教唆などがネット運用の有様です。
AI進化により、特に専門職である医師の問診、アナウンサーなど、
職業が無くなることはあるでしょう。
しかし、私が最もAIと性悪説が結びつけば、
たとえばドローンとAIやロボットとAI、IoTとAIによる殺人までが
必ず可能になり、アシモフのロボット原則破壊は起こるでしょう。
ロボットの戦闘兵士は、AIで殺人は必ず起こると考えます。
そこで、性善説AIロボットと性悪説AIロボット世界が生まれるでしょう。
私はこのAIでの放射能完全防止と防犯AI、防災AIは、
ロボティックスとフォトニクスが絶対に必要になるだろう。
デザインがAIを性善説に向かわせる領域設定が必要です。
これはすでにKAISTの環境デザインはロボット社会環境なのに、
わが国の環境デザインが建築偏向であり、
デザインでの製造・生産による環境デザインならば、
現在の建設中心主義は改められるべきです。
それこそデザイン思考ではAIへの方向性は創造不可能だと思っています。
そういえば、40代でApple本社での開発コンサルタントだった時、
「このプロジェクトは絶対に国務省(軍備や戦争武器)への提案は無視」、
この所信が述べられたことを思い起こします。
デザインがAI誘導を統合性、総合性に向かわせるには、
デザインでの価値は全体価値であり、付加価値支援ではありません。
デザインによる価値は「安心・安全・信頼・信用」が、倫理厳守であり、
性善説構築は性能や機能ではなく、デザインでの効能と思っています。


* 「ロボット・『踊』の意図すること」
* 『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
* 『「ロボット」概念の拡大はデザインで生命体擬化する』
* 『現代芸術が発見している予感をデザインが予見する』
* 『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


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「富山県工業系高校先生方への講演」


   


     12月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




高校生や校長会で講演をする意義は大きいと考えています。
今回は富山県高等学校工業科主任研究協議会にて講演をしました。
呼んでいただく高校はそれなりにいわゆる偏差値も平均的、
大学進学が OKなのですが、65は越えていただきたいと思っています。
なぜなら、高校教育では偏差値60以下は大学進学はすべきでないと、
私は思っています。
無論、偏差値そのものが高校生の能力だとは考えていません。
所詮、課題に回答、その丸暗記の訓練に過ぎないからです。
私は高校生として問題意識をそろそろ持つべきと考えています。
現に、主要5科目よりも問題意識とその解答は、
美術・音楽・スポーツが本当は主要科目だと確信しています。
したがって、工業系高校は本当に理科系でしょうか?
それは理科系へ偏向しているだけだと思うのです。
工芸科、電気科、情報科、建築科などの理科系要素は専門的に高校生、
彼らの能力に匹敵しているのだろうかということです。
それこそ最近の生徒(小学生や中学生)書き文字がとても下手くそです。
さらに、読書不足は甚だしくて、
「本を読むと頭が痛くなる」という学生を
教諭である先生方は、その治療義務を見逃しているのです。
本を読んで頭が痛くなる時点で脳障害があること、生理的な大問題に
全く先生方が無関心過ぎるのです。
これは日教組なる組織が生徒や学生ファーストよりも自分ファーストで
待遇という権利しか主張してこなかった歴史にうずもれたのです。
実例を言えば、
「絵が下手だね-」ってこの言葉で
生徒・学生は傷つき絵が苦手になるのです。
文字と絵の関係は頭脳開発ではとても大きな問題です。
こうしたことから、高校生になってしかも理科系はとても偏った、
それが教育、課題:回答と暗記だけで偏差値を決めていることです。
最近の一芸に秀でているとか、
AO入試などは最低の能力検定だと主張します。
私はこの講演を「学術と芸術、文科系と理科系の融合概念」と題しました。
それは「コンシリエンス」という言葉=概念を知らせたかったからです。
私は高校での工業系、商業系、あるいは農林や水産という専門性は、
高校教育には今後は絶対に不必要だと考えています。
それならむしろ高等工業専門学校で
5年生の高等教育制度が必要だと思っています。


* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 『コンシリエンスとレジリエンス』
* 『書いて覚える=コンシリエンスデザインを語るために』
* 『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
* 『デザインは解である』


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