kazuo kawasaki's official blog

『富山県立美術館の企画展は近未来の日本の創出成果』


   


     12月 5th, 2017  Posted 12:10 AM




昨夜、「ピンク」と「発光繭」をカラーではなくて、
概念のことをブログアップしました。
そして久しぶりに富山市に講演で、北陸新幹線で金沢から20分で富山市。
午前中は新設の富山県立美術館に行きました。
そうしたらなんと「アートやデザインのための素材展」を観ました。
その中で、ヤッパリということで発光の繭とその絹糸素材と、
ガラスに積層されたライティングでの新素材を確認。
もちろん、この企画展だけではなくて、常設展示では、
ポスターとアーカイブされたこれこそデジタルアッサンブラージュは、
私の教え子も創立者(全員東大院卒7名)のチームラボ設営が展示、
デザインに集約した新しい美術館が出来上がっていました。
ともかく、新素材である繭とガラスは特筆しなければなりません。
繭は先日記述したばかりが取り上げてありました。
これは流石につきます。なぜなら、これなり世界にやがて貿易出来うる
まさにデザインでの新素材になることが絶対に可能だからです。
その他の素材、カーボン、くもの糸、照明でテキスタイル表現が見事に変化、
これはやがてファッションも離れ、日本の重大な輸出産業になるでしょう。
そして私が最も注目したのはガラスです。
富山市には多くのガラス作家、ガラス工芸家がいますが、
ガラスの技術進化は、器系と板ガラス系はそれほどの進化がありません。
具体的には陶器・磁器・ガラスは温度設定で全てが分離しています。
だから私が注目してきたことは、ガラスに積層されるそれこそ、
液晶であり、有機系素材でした。
何しろ、液晶は18世紀にすでに200点が発見されていますが、
なんと20世紀後半になってようやくコンピュータモニターになった程度です。
自分デザインでもすでに液晶積層の透明ガラスは製品開発途中ですが、
それだけに富山美術家がこの素材展に取り上げたのは、
懐中電灯で、照らし出せば明確な陰影事態が表現されることです。
この技術によって、おそらく光照明は革新することは明らかです。
この美術館の企画展示を終えて講演をしました。


* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『アートの主観性とデザインの客観性、明確な分別』
* 「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」
* 「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」
* 「蚕が平面繭をひたすら吐き続けた『SILK』」
* 「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」


目次を見る

『ピンク観念から発光グリーン観念は美意識へ』


   


     12月 4th, 2017  Posted 12:00 AM




今年、日本の特に女性・女の子にブームを与えたカラーは「ピンク」でした。
ピンク色ではありません。
色という概念ではなくて、観念としてのピンクにこそ、
実際はもう一つ別の全く思い込んでもいない「かわいい」という感覚的な、
まだたどり着いたばかりの美意識のその入り口に佇んでいると私は思います。
最も自分デザインは、女性受けがほとんどありません。
かつて大手の化粧品メーカーでの講演会ゆえに、女性が多いと考えて、
講演内容もやや女性向けを準備したところ半数どころか、7割が男性でした。
私の講演会は、長渕剛的な男性臭があると言われます。
しかし、多分、化粧品や香水などについては、プロとしての綺麗さから、
その美学的な観念評価が、おそらくワイフよりもはるかに得意です。
だから、このピンク観念が2017年のかわいい・きれい・好ましさと、
さらには望ましさという価値感を見事に日本の美的観念どころか、
先進国家での突き詰めれば、生活からの非日常性をも包み込んだのだと、
私はそうした観念が応答的なデザインとデコレーションになっています。
そうして、来年はピンクが発光的なグリーンになっていくものと思います。
しかもそれは私自身が予期していた、素晴らしい技術成果です。
遺伝子勾配による「繭」が、最初から蛍光色であり、
その繭からそのまま蚕さんが蛍光色のグリーンやイエロウを紬出せるのです。
来年の流行色、私はそうしたカラーを市場的に自分デザインには、
ほとんど意識したことはありませんが、この人工勾配技術による繭は、
3年前に大学の科学研究費配分では申し出を強力にしただけに当然です。
今では、これまで存在していた繊維工学が、たった一つしかありません。
国公立私立大学の組織は、もっと時代を読み込むべきです。
この繭が過去の自然勾配から、人工勾配、さらに遺伝子操作こそ、
もう一度再考すべき重大な研究対象として、
デザインだから、提案ができるのです。
「ピンク」という時代観念は、明らかに今度は、
「発光グリーン」観念へと変貌していくものと私は感じています。
なぜなら、ピンク観念からの美意識へ発光グリーンが現実化すると、
私は確信しています、


* 『デザインでの形態論・空間論は知見の極めつけである』
* 雑誌付録の誤った感覚が拡大しているのだろう』
* 『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』
* 「芸術という技法が引用したことから」
* 「『SILK』Projectが示唆している重大さ」


目次を見る

「法学部学生が発見してくれたデザイン運動」


   


     12月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM




思いがけない、それも阪大の学生たちから自分デザインPKDを発見。
それも法学部・国際公共政策学科のチーム研究そのテーマになりました。
PKD=Peace-Keeping Designが阪大の中からテーマ選択されたのです。
彼らは豊中キャンパスですから、私の吹田キャンパスに学内バスで来訪。
最初、メールが来たときに、ここまで調べての面会申し込みでした。
科研費:科学研究費申請では、退官後はその申請書などには、
医学部・工学部はもちろん・経済・法学・理学・文学などで、
知財権から学際性としてのデザイン関係はそのアドバイスや指導もしました。
それは私には、経済では海外への輸出からデザインがどれほど関与かまで、
さらに学術振興会での申請判断もしていました。
最も学術振興会は税金分配に手法を根本から変革すべきです。
キャリア主導や文科省天下りでの決定精度は変更すべきです。
デザインは学際的に本当に重要なことがこれほどあると教えられてきました。
とりわけ、阪大の学生たちは本当によく勉強しています。
むしろ、教官たちは未だにデザインの意味はき違えが多過ぎます。
本当に自分の専門とデザイン=問題解決+価値創出が分かっているのは、
少数で、もはや私の友人教授たち、
しかも彼らはそれぞれの専門分野でも国内外に有名な教授たちだけです。
さて、今回、法学部の学生達と半日、彼らからの極めて専門的な質問は、
私のこれまでの試作やモデル、発表会、企業との実務開発詳細まで
応答回答をしつつ、新たな問題を教えられたと思っています。
以前も、これをかなり有名な国際コンペに、
「遺伝子検査システムデザイン」も応募し、
日本代表でしたが、落選したので私は意義申し立てをしました。
そうしたら、国際コンペにも関わらずデザイナーである審査委員が、
問題意識もなく、しかも無知過ぎることに私は仰天したぐらいです。
先般もミラノ工科大学デザイン学部長が来学していただき、
もはやデザイン領域の拡大にびっくりされていて大学間協定を進行。
比して、KAIST=韓国科学院大学院大学やフランス芸術大学は
すっかりと理解分別されています。
最近、若い才能で優れていることには二つの原則が彼らのものだからです。
それはコンピューターとデザイン、
アナログもデジタルも無関係であり、必ずデザイン実務との融合です。
改めて、「KK適塾」でのコンシリエンスデザインは伝えようと覚悟しました。
比して、本来の国内デザイン系は相当に遅れてきています。
今回は学生たちから教えられました。


* 金融工学の始祖はマルクスだった_14
* 「BOP-Businessの前にPKDありきです!」
* 「PKDの途中報告」
* 「17年間という時間は『私・きもち時間』だと思っている」
* 「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」


目次を見る

『安全を確保するのが「監視」だから』


   


     12月 2nd, 2017  Posted 2:35 AM




刑事・警備という警察官が周囲にいるそんな環境で私は育ちました。
だから、「張り込み」という実際も伯父や叔父や、
警察官舎のおじさんたちからも相当に聞いて育ちました。
日本探偵協会の方々も知っていますから、
「張り込み」「覗き」から「観察」、「監視」、査察などについて、
私はまとめ直したいことがあります。
それは趣味的には、鉄ちゃんの撮影、音撮り(最近はオープンデッキ生録は低調)、
バードウォッチングや天体観測に至っては、
双眼鏡・望遠鏡、さらにはこれとiPhoneの関係など、
この環境は防犯カメラから無人撮影ながらのネット関係まで、
こうした進化は、もう追い出すとたまらなく面白い領域です。
本当は「張り込み」は防犯カメラに置き換わってしまい、
それがいわゆる犯人逮捕となるのは正直、刑事道を外れていて駄目です。
小説よりも奇なり、は「張り込み」逮捕に多くあります。
これはあまり書きませんが、最近、私は余りにも人権無視、
それも障がい者差別には怒りを込めて書きとどめ、
さらには大衆感覚での大きな勘違いを指摘しておきます。
「監視」するというのは、観察や視察する対象物が、「安全かどうか」です。
だから、バードウォッチングでの観察は目的ではありません。
対象である鳥たちが、あるいは動物でも、「安全=命が護られているか」、
そのことを監視しているのです。
つまり、監視というのは元来は、守っている、護っている、ことです。
ところが、現代では監視というのは、監視対象物ではなくて
監視者が対象物、対象者を監理する意味に転用されています。
私は、特に、身しょう者の監視が、護られておらず、監督管理されています。
「罰する」こと、身しょう者苛めになっていることです。
そういう意味で「防犯カメラ」は、
まさしく、監視者の安全を確保するという現代意味に変容していることです。
そういう意味で私のもう一つ興味が、防犯カメラ自体の進化、
それを確かめることは熟知していると自負します。
そして、現在のカメラ実装は全く間違っていることも記述しておきます。
この技術がこれからのスカウター、さらにメガネになるはずです。
監視の「護る」意味を遡及すべきでしょう。


* 『スカウターは、まだ商品化のテスト中!』
* 『トリックスターになってやる。』
* 『念仏さしはピタットルーラーにまで進化した』
* 『いのち・生きること、命は与えられたもの』
* 「歳末を感じる頃になった・・・」


目次を見る

『障がい者雇用における差別解消の管轄理財』


   


     11月 29th, 2017  Posted 1:30 AM




本を読むと頭が痛くなる、という人は不幸だと思います。
幸運にも私の家には、
角川の日本文学全集と平凡社の世界文学全集があり、
この本を読むと祖父から10円貰っていたと思います。
そして、最も毎月号の「ジュリスト」が壁一面にありました。
恐る恐る読むことは出来ず、その毎月号を定規で傍線を引いて、
勉強していると思ったのは、父がこの月刊誌を読んでいる後姿でした。
この本は最新の「判例」が掲載されている弁護士や検事・判事向けでした。
父はこの本でノンキャリアから警視正となり、刑事部長で退任しました。
久しぶりに、そうだ、「障がい者雇用の現在」を知る必要があり、
格段の「障がい者雇用における、差別解消事例」を知りました。
パワーハラスメントは、「疑わしきは罰する」が現在です。
ところが、障がい者雇用における差別解消の判例は、
「障がい者職業生活相談者」は、資格認定が徹底しており、
「合理的配慮指針」が見事に法令化されていることでした。
それは障がい者に対して不当な差別的取り扱いも詳細に決定、
荷重な負担無いにも関わらず、
「合理的な配慮を提供」しなかった場合、
差別解消は「当然」とされているのです。
これには、それこそ一般的な「管理」が二つあることの再認識化です。
「管理」には二つあります。
「監督理由」と「管轄理財」ですが、日本のほとんどが、
「監督理由」という、上から目線のいわゆる言い分け押しつけです。
これは、監督=Director 理由=Reasonであり、
もう一方は、管轄=Sharing 理財=Managementです。
すでに管轄理財は、雇用環境の差別無き組織だてなのです。
しかし、わが国は今なお、
上から目線で管督も監督とする考え方が蔓延していることです。
「管轄理財」なら、雇用における差別無き合理的な適用の配慮が、
とても行き届くということです。
デザインにおける制度設計には、
管轄理財の合理的配慮の提供が簡単だと言うことです。
デザイン=問題解決は、形態設計と制度設計だということです。
多分、この文章を読んで頭が痛くなる人には
合理的配慮は不可能な不運さが、あって、
それは罰せられるという事態になるでしょう。


* 『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』
* 『曼荼羅とDNAホログラムの位牌・もう一つの仏壇』
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』
* 『手話通訳という職能はボランティアでは無い』
* 『硯箱を整理しながら・・・』


目次を見る

『可聴周波数が消えているのはデザインと技術の分離』


   


     11月 27th, 2017  Posted 12:00 AM




正直、デザインよりオーディオを教えるというより、語りたい。
まさか、様々なデザインをしたいとは思ってもいなかったのです。
そして、周りからも言われるのは、美大を卒業して、
自分は地元の女子短大で絵やデザインを教えることで、
自分の生涯は十分と考えていました。
上京して、名のあるデザイナーになろうと思ったのは、
母の遺言でした。
47歳、私は彼女の21年間を全てもらったと思っています。
母が私に残した言葉は、「世界的なデザイナーになりなさい」だったのです。
美大の恩師には、光か音だけのデザインで生きていきたいと言っていました。
それは結局、オーディオ機器関連だけのデザインでした。
だからこそ、オーディオ・音・音響にはデザイン以上の感覚=センスが、
明確にあると思っています。
おそらく、今、最先端のイヤホンはこの機種でしょう。
が、自分デザインなら、このデザイン設計は絶対にしないでしょう。
ただし、このアイテム機種での競合商品は全て駄目でしょう。
この機種の取説には、まず、子どもが飲み込まないことから書かれています。
そして、取説があることが失敗です。
しかもこうした機種全てが電磁波遮断、この技術は考えられてもいません。
また、最近では、オーディオ機器にも関わらず、
可聴周波数が最低から最大の表示がありません。
そして、人間には左右の聴覚には可聴周波数は一定ではないことです。
私は若い頃は左右が同一可聴帯でしたが、
加齢とともに今は左可聴能力は落ちています。
そして、この商品制御のアプリケーションデザインは思考不足です。
このワイヤレスイヤホンもおそらく商品寿命は2年程度でしょう。
プロのしかもオーディオに一家言を持っている私の判断は、
現在、このコストパフォーマンスで最良のモノであっても、
自分デザインなら、こうするべきだというプロ意識があります。


* 『スマホは使用感だけでは技術進化は見えない』
* 『貧しいモノづくり・イヤーホンで確認可能』
* 『アナログの極致=レコード再生のカートリッジ』
* 『Aurexブランドで学びながら苦しみながら・・・だから!』
* 「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」


目次を見る

『腕時計という「祈り」の形態とその進化』


   


     11月 26th, 2017  Posted 12:00 AM




時計は人類が決定したある意味では、とても勝手な「取り決め」にすぎない。
だから、自分デザインでは、
「人間は天体の動きを見て、時刻という測定機器を創った」という、
壁掛け時計をデザインしました。
これはクーパーヒューイット美術館にて、
20世紀の「The Clock 」という称号と永久展示に「HOLA」はなりました。
もう30年前のデザインですが、今も商品になっています。
しかし、腕時計での自分デザインはまだありません。
壁掛け時計をそのまま腕時計にするというのは、
デザインとしては安易過ぎる引用に過ぎないと思っているからです。
腕時計は、それなりに高級時計から自分の遊び的なモノデザインはあります。
中国製では、ブランド盗用のソックリ時計が氾濫していますし、
その技術はとても進化してきています。
しかし、Apple Watchの登場において、最初の製品は、
基本的な電源、短時間過ぎて正直、機械式には及ばないと見てきました。
しかし、最近の進化は追い求めてみるべきことが増えてきています。
私自身、Apple Wtch第3世代を常用するようになっています。
私は指輪・ブレスレット・腕時計など、
腕や手先、指先への装身具は自分表現では、母との思い出があるからです。
それは私が美大入学し、デザイナーを目指すことになったとき、
母は私にブレスレットと指輪を買って
「男だからこそ、身に着けなさい」と言われました。
だから、指輪もブレスレットも相当に持っています。
しかし、腕時計に関しては、デザイン依頼も受けたことがありますが、
まだまだ納得出来ないことがあり、自分デザインはありません。
現在は、Apple WatchとiPhoneが私の日用品であり、
自分表現の一つになっています。
男がそのようなモノという意識や感覚は私にはありません。
むしろ、男だからこそ、ある意味では女性の装身具こそ、
極めて重要な自分表現と思って見ています。
デザイナーとして、いわゆる装身具の原点には、
大げさな言い方をすれば、「生きていることの祈り」という身体性が、
私は明確にあると思っています。
装身具である指輪・ブレスレット・腕時計に、
「祈り」という人間、その弱さを自己認識する方法だとさえ思っています。


* 『自分デザイン代表作はアプリでも展開、そして無念。』
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 『ドクターウォッチ・アプリのバージョンアップ』
* 『腕に取り巻いてしまった連鎖と連動する情報時代』
* 「いっちょらい」


目次を見る

『ザハ・ハディド建築案の反故は日本が壊れ始めた象徴』


   


     11月 25th, 2017  Posted 12:00 AM




日本は敗戦後、懸命にこの国家をひたすら進歩させてきました。
しかし、現状、この国家はいつから国難状況になってしまったのかを
猛省して回復を成し遂げるべきです。
まず、政権交代があまりに風評で行われてしまったかを私は指摘します。
そこに襲いかかった3.11に天災と人災。
未だ国籍不明の議員による能無しの「仕分け」は、
私自身被害者として「やり直し」を申し立てます。
3.11復興と南海トラフリスク対策を防災大臣にも懸命に図りました。が、
前政権は全く戦略も戦術も無かったと判断しています。
決定的なことは、国立競技場の建設に群がり、予算問題から結局、
建設やり直しが、この国家観を破壊したシンボルでしょう。
私自身、香港の理工科大学に初めて行ったとき、
タクシーから降りた瞬間、この建築の巨大さに
「建築が人間に与える感覚を初めて受けました」。
それが、ザハ・ハディドの設計でした。
そういえば、国立競技場も当時は彼女の建築案が採用されたのでした。
親友である建築家内藤廣氏が
やっと多大な図面制作をする場所を確保したと聞いていました。
ところが、建設費の膨大さにザハ・ハディドの設計案は反故されたのです。
おそらく、ザハ・ハディドの建築案であったなら、
わが国の新しい景観設計は進化を遂げていたことでしょう。
彼女の設計案が取り下げられた直後に逝去されてしまったのです。
最近、彼女のデザインが実現されています。
これは彼女のハイヒールデザインですが、
工業デザイナーとして、自分自身も取り組んだだけに、
このデザインを私は評価しています。
自分デザインのハイヒールは結局実現されませんでしたが、実現されたこと、
その最終形態言語=デザイン意味されている内容あるかたちに、
私はプロとして評価を与えたいと思っています。
最近もある研究所で福島復興の基盤アイディアと実際の現地実験を見せて、
「これでも研究所なのか」と、怒り心頭になりました。
壊れゆく日本という国家は、少子化・高齢化・格差社会だけではなくて、
いつ来ても想定内の天災と、取り戻せない拉致被害者、
日本人が狂い始めた象徴かザハ・ハディドのあの建築案を捨てた時が
極めて象徴的だったと思っています。


* 「仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定」
* 「自然との喧嘩・調和などありえない」
* 『「ふくしま」だから未来と絆で、夢のプロジェクトとは?!』
* 「この日からの再出発、再認識」
* 『権威権力者を「演じる覚悟」を見せた建築家』


目次を見る

『思いついて思い込んだ羽二重と絹石鹸をデザインする』


   


     11月 24th, 2017  Posted 12:13 AM




デザインの基本原則について、私は次の三つをあげています。
● 思いつき=idea
● 思い込み=thinking
● 思いやり=design
そして、思いつきは直ぐに否定が可能です。
その程度はひらめいただけの「思いつき」にすぎない、と。
さらには、考えすぎでそんなに思い込んでも、実現は不可能かも、と。
思いついて、思い込んで、さらに思いやりを尽くせばデザインになる、と。
自分に翻ってみれば、私はともかく思いついたら直ぐにスケッチを描き、
そのスケッチから立体化=モックアップモデルを図れば結局、
思い込んでいる自分に出会います。
ずーっと思いつきを重ねながら思い込んでいる自分を、
企業や研究所、学会などに重ねると、
なぜ、せめてここまで思い込んでいないのかと、腹立たしくなります。
最近は、思いついて思い込んで、そのことを語り伝えても、
デザインにたどり着けないとなると、いらいらする自分に出会います。
そうしたなかで、5年も考え込んでデザインし商品化したい一つに
「羽二重」があります。
それも蚕から繭に、そして絹織物でも縦糸2本、横糸1本の羽二重です。
もう5年近く自分がこの羽二重で身体を洗っています。当然顔もです。
そこに、繭から創られた絹石鹸です。
おそらく、石鹸っていうのは製造過程はそれほど複雑ではありませんが、
どれだけ石鹸を使ってきたでしょう?
そうなると絹石鹸が多分、一番、泡立ちがいいのです。
それを羽二重で受け止めて、顔を洗うのに使うことが一番です。
最近、私はこの思いつきと思い込みに囚われているのです。
証拠?、それは多分、私の顔でしょう。
68歳=もう老人ですが、決してそうは思われたいないと自負します。
いわゆる顔肌にあのほうれい線も、シミなどまったくありません。
幸いにしてハゲでもなくて、年齢を言えば周囲には仰天してもらえます。
だから、羽二重と絹石鹸をデザインしたいと思いついている状態です。
ちなみにこれを「美洗顔として羽二重と絹石鹸」をセットにすると、
思い込んでいるのです。
いづれ、これを自分デザインにするつもりです。


* 「日本語の曖昧さを観念化と概念化で見定める」
* 「PKDの途中報告」
* 「3Dプリンターの素材と成型精度」
* 『枕革新をねらう羽二重からの新素材デザイン』
* 『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』


目次を見る

『今できることはやりつくすことだ!』


   


     11月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM




車イスになってまだ30代のころ、
国交省にいくつかの団体に応援していただきながら、
新幹線ホーム、まず東京駅にエレベーター設置を談判に行きました。
「そんなたかだか数名のためにエレンーター設置なんて・・・」
若かった私は、やがて100名が車イスの時代が来ると怒鳴っていました。
最近では、東京駅1ホームに80名から200名、とんでもなく400名の対応。
にもかかわらず、新幹線に乗るために駅員さんがスロープ対処です。
どうして、新幹線からホームにスロープ設置の発想が出来ないのだろう、
担当デザイナーどの!気づいてほしい!
銀座で最近オープンしたまあまあ1.5流クラスのホテルに、
是非ともスロープがほしいと申し出ました。
とりあえず、借りのスロープから、本格的なスロープが出来上がりました。
このスピード、そして、ホテルマンの方々が真剣に話を聞いていただき、
しっかりと出来上がってしまっていました。
こうなると、公的道路の舗装状態が悪いと言わざるをえません。
しかし、申し出たら、確かにホテルは客商売かもしれませんが、
この迅速な対応には心から感謝するばかりです。
おそらく、2020年オリンピック以後には、日本は貧しい国家になるでしょう。
しかし、今だからこそ準備をすべきです。
正直私は2050年以後には、この世にはいないでしょう。
ともかく2050年まで、いや 2300年には、ケルト民族のごとく、
日本民族はいなくなるかもしれません。
だとするならなおさらのことに、今でも想像の限りを創造に向かわせること。
私は28歳で車イス生活を余儀なくされ、40歳までと言われながら、
68歳、40年間車イスに乗って生きてきました。
しかもデザイナーです。できる限り自分の想像力を創造に向かわせたい、
だから、執拗に説得していますが、このホテルのごとく、
直ぐに対応していただけたホテルが銀座に、それは歌舞伎座が目の前です。
ユニバーサルデザインを日本で展開してきた最初の一人ですが、
今頃、ユニバーサルデザインを超えたヒューマンセンタードデザインに、
絶対に向かって実現していくべきと書き置きます。


* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
* 「少数派のためのデザインから・再度、再検証」
* 「随分改善された車椅子対応までのエピソード」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』


目次を見る

1 2 3 4 5 6 7 8 9 ... 167