kazuo kawasaki's official blog

『あくまでも「素材」から考える』


   


     11月 25th, 2014  Posted 12:00 AM



私のデザイン、デザイン思考は「素材」に最も焦点をあてています。
その根本は、やはり、オーディオから私のデザインが始まり、
徹底して現場で学んで来たことが大きな体験になっています。
これは、最近見つけた葉巻入れですが、カーボンファイバーです。
素材はその強度性と軽量性ともう一つが製造性生産性が問題です。
これまで、素材技術で拘ってきたのは、金属では多用な合金でした。
しかし、合金とその表面処理が問題になったのは、
人間と合金、特に環境ホルモン性の懸念さが指摘されたことです。
これは、合金ゆえに人類に安全だとは言えないことが
科学的に立証されたことで、私のデザインしたモノでも
諦めざるをえなくなったことや、たとえば、ベリリウム合金を
エンジニアと結託してでも開発を拒んだことがあります。
それは、ベリリウム合金だからこそ商品性が讃えられましたが、
それは廃棄されれば毒物になることが分かった時点で開発を停止。
たとえば、この素材に拘って私だけが反対したために、
市場的な成功がもてはやされて、私が非難の対象になりました。
それでも自分の意志を貫きました。結果こういう素材は消えました。
オーディオ製品は素材がデザイン開発の決定になることがあります。
チタニウム・マグネシウム・ボロンなどはまだまだ開発余地があり、
これらの開発を技術進化とそのデザイン応用で追いかけています。
その一つにカーボンファイバーがありましたが、
私はまだまだこうした器的なモノ以外、
繊維状のモノの進歩加減をよく見ていく必要があると思っています。
炭素系は、人類にとってはまだまだ開発すべきことが多く、
そうした意味でもカーボンファイバーには将来がありそうです。
けれども、それこそ、蓄電地の素材を考えると、
これらはすべてイオン化傾向という科学的な検証が必要になります。
それこそ、具体的には、織物としての繊維性や、
製造生産性での発想の転換がデザインに求められていることです。
おそらく、原子力への応用と蓄電地の関係が今後は、
素材革命に関与すると判断しています。
なぜなら、素材=MaterialのMとは、MotherでありMarineという
UMI・UMU=海・産む・母に繫がっていることです。


「現在使用のバッテリーパック・・・携帯電力を再考」
「製品要素としての新素材開発で性能性を高度化する」


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10月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

10月17日 辛酉(友引)


喧嘩は室町時代に
「喧嘩道」という美学のひとつ。
なぜなら、
喧嘩とは
口喧嘩=口論=ディベートであり、
暴力殴り合いではなかった。
そして、
喧嘩とは
自分に売ることで、
それから相手に対峙対決することだった。

川崎和男「喧嘩道」


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『流行の根源である伝染病は人類の破滅道理なのか』


   


     9月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM



流行学というのは、原意学術は「伝染病の流行」でした。
私は医工連携の情報収集で、医学的な流行性などが早く知ります。
特に、人類にとって、「エボラ出血熱」の流行は、
まだ私たち日本人には遠い話ではありましたが、
これは遺伝子そのものに関わり、1970年中旬頃に発生しました。
原因はコウモリ?、蚊?なのかどうかも不明であり、
確実に死に至る伝染病であることです。
それでも医師団がその地域に飛び込んで治療していても、
その半数が亡くなってしまったということになれば恐怖です。
この恐怖は遺伝子へのウイルス病で治療方法が皆無ですから、
先進国家に流行なら、もっと過酷な人類存続を遮断するでしょう。
人口72億450万(2014.9.1現在)を地球自然が支えられないとしたら
まさに、わが国にも「デング熱」が国内で発症し始めています。
地球温暖化が平均4.2°Cアップしていることが、天変地異どころか
伝染病の流行がどんどん拡大しているようです。
わが国が亜熱帯化していて本来生存しない昆虫が国会近くで発見も
この表れだった気がしてなりません。
ウイルスの顕微鏡写真ほどグラフィックとしてまったく美を欠落。
蚊を殺虫剤というのも時代遅れですから新たな方式がテーマです。
人類にとって、ウィルスとの対峙方法こそ私は自然との関係、
つまり、自然と調和することの不可能さを主張することになります。
なぜなら、滅菌性を強めればアレルギーやアトピー症例を増加し、
この対症方法も未だにわかりません。
まして、DNAまで破壊してくるRNAウィルスの増加は、
おそらく、地球の温暖化と関係が始まっている気がしてなりません。
敗血症・多臓器不全にまで至った経験のある私には、
こうした伝染病に流行ということの実は人類の脆弱さを
思い知る事、その恐怖感を覚えます。


「PKDの途中報告」
「自然との喧嘩・調和などありえない」


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『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』


   


     7月 24th, 2014  Posted 12:00 AM



車イスで海外に出てからは様々な対応を体験してきました。
これは、パリでも有名なホテルですが、
この車イスで、ある壁面を押すとこの小部屋がありました。
それこそ、30代後半の頃に、この対応に驚いたことがあります。
まだ、バリアフリーとかユニバーサルデザインなどが未登場でした。
ヨーロッパゆえに、自動ドアや自動昇降もゆっくりでした。
しかし、この小部屋があることは知る人ぞ知る、そんな雰囲気で、
私は、この小部屋から突然、ホテルの鏡面の壁面ドアから
飛び出すことにとても快感だったことを思い出します。
そして、このホテルに限らず、有名ブランドショップには、
ほぼこれに似た仕掛けが、壁面、柱などが必ず鏡面になっていて、
そこを開けると、このエレベーターが仕掛けられていました。
あれからもそれほど変化はしていませんが、
残念なことに、海外の有名ブランドショップにはこれだけの設備、
にもかかわらず同ブランドの国内ショップには全く無設備でした。
今なお、国内のショップにはこの展開はなされていません。
有名ホテルなどでは、従業員通路やキッチンを通り抜けます。
私には、こうしたいわゆる裏道的な抜け道が面白いのですが、
私一人なら、この裏道は面白いでしょうが、大勢になったら?
と、心配になってしまいます。
したがって、私が車イスになって、空港、飛行機、ホテル、ブチック
などなどのこうした設備や設備無く裏道は随分体験してきました。
今でこそ、成田にしても、新幹線にしても裏道は無くなりました。
しかし、私が満足している設備は不十分です。
最近は、急速充電の電動車椅子への対応が、航空機や鉄道については
全く考慮されていないと判断しています。
だから、もし私がデザイナーだと知られれば、必ず、嫌がられようが、
私は真正面化からコメントをそのお店や企業にメールします。
なぜならやがて、街中に車イス使用者が増加することは明らかです。
だから、今から準備してほしいのです。

 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」


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『現地の反対があっても愚策の防潮堤建設』


   


     3月 13th, 2014  Posted 12:00 AM



3.11から3年も過ぎて未だに復興は進展していないと見聞します。
それは想定済みのことでしたし、まさか、防潮堤の建設には、
わが国ならではのアイディアがあるものと思っていました。
しかし、これほどの愚策を進行させているとは大落胆です。
「国土強靱化計画」のもし、具体策の一つだとしたら、
日本の土木業界は最悪の「金儲け主義」だけしか見えてきません。
そしてこの計画もその程度だと判断するべきです。
私自身、被災地のある市で副市長や部長クラスに「真剣」に、
プレゼンテーションをしましたが、
はっきりと言えば、若過ぎるキャリア副市長や田舎の市役所幹部、
彼らの能力をその時に即判断して、彼らには「絶対無理」だと思いました。
案の上でした。彼らの能力がそのまま国策にも反映していました。
今回の大津波を研究したのでしょうか?
大地震で誘発された海からの津波、それを迎え打つ防潮堤ではダメです。
むしろ、大海からの大津波対策以上に、引き潮対策が最重要です。
引き潮は場所によっては、6から60倍の引き潮力があります。
その対策無しに、ただ高ければいいわけではありません。
海も見えなくなる高い高い防潮堤建設とは情けない限りです。
いろいろと調べてみると、被災現地ではほとんどが反対意見です。
それほど国策は「まともなもの」でしょうか?
現地の反対を抑え込んで、太平洋の海原を見せない建築部とは、
ほとんど能なしの連中の「税金の無駄遣い」に過ぎません。
新しい防潮堤ほど今回の大津波で破壊されたことを知ってほしいです。
それこそ、江戸時代の干拓地は液状化を免れました。
今、建設が続いている防潮堤の計画設計をしている建築家がいるなら、
それは日本の土木工学そのものが自分たちの能力無しを晒しているのです。
減災堤・救済堤・救護堤・安全堤の思考ぐらいしてほしいと思います。
特に港湾堤や安全堤にしても、大海が明確に見える発想と設計が必要。
願わくば、海岸線の自然と人工に真の哲学からの発想と技術を、
私たちは学び直すべきです。
私たちは今回の津波でどれだけ多くの同胞をうしなったでしょうか。
その「祈り」の表れこそ、海岸線のあり方を再考すべきだと考えます。

「防潮堤工事は土木工学ではありえず」
「若手デザイナーの観察眼・被災地へのまなざし」
『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『レントゲン写真と健康診断にもっとデザインを』


   


     3月 12th, 2014  Posted 12:00 AM



今、私は30年後の医療についての依頼論文を書いています。
さて、このレントゲン写真は素人にとっては、
一つの健康診断のシンボルになっていると思います。
しかしレントゲンとは放射線を使って体内を透視した写真ですが、
やがてこうしたレントゲン写真は不可能になってきます。
これは 1970年代のローマ賢人会議で指摘されたことです。
だからその会議後、デジタル処理での体内透視を放射線写像技術が
一通り進化はしましたが、まだ一般化していません。
したがって、私はこうした放射線透視技術の進展には、
工業デザイナーの必要性があると言ってきましたが、
まだまだデザイン教育そのものがそこまで進歩していません。
私は次の四つのことを提案しておきたいと考えています。

 ・ 放射線写像のデジタル機器のデザイン開発
 ・ 体内写像表現の3D化とそのインタラクションデザイン
 ・ 3D化された写像への仮想プログラミング化デザイン
 ・ デジタル機器のモバイル化と省電源化の機器デザイン

こうした以上のことを詳細に理解してもらうにはまだまだ、
私自身の具体的な提案を見せてモノで実証する必要があります。
したがって、まずは健康診断でも最重要ですが、
問題は「読影術」、ドクター達の技量と関係していることです。
つまり、デジタル機器の進化と医学発展を見極める専門家、
それは医学学識が膨大化しても耐えうる人材教育にこそ、
デザイン=問題解決の実務を結びつけることだと考えています。
もし、新たな放射線透視写像のプログラムで、
ドクターの読影判断だけではなくて、
病症患部を自動発見できるまでがデザイン目標化されるべきです。
結局、私はその学識領域を「デザイン医工学」と呼んでいます。

「病院という悲しみの日本語に『もてなし』という意味は無い」
「『工業デザイン』と『デザイン工学』の大きな差異」
「大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす」


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『あれからもう3年たったのだが・・・』


   


     3月 11th, 2014  Posted 12:00 AM



東日本大震災は「March 11. 2011」と言うのが国際的ですが、
私はあの3.11以来、自分のデザイン活動の骨子になっています。
あの日、福井の親友と電話中に、私は気分が悪くなり、
彼に、「気分が悪くなってきたから電話切るよ」と。
そうしたら、「おい、揺れていないか、地震じゃないか!」。
私には鮮明な記憶があり、毎日夜のTV報道では涙が流れました。
そして多くの同胞を大津波で失い、国家の存亡を感じました。
海外の講演でも、必ずこの話を冒頭にしていました。
デザインの国際会議では大丈夫でしたが、ある大学では、
私は胸が詰まり泣きそうになりました。
大震災10ヶ月目に前政権の防災大臣にまでプレゼンをしましたが、
まったく政権の無能さには無駄だったようですし、
東北被災地でのプレゼンは無謀だったような気がしてなりません。
しっかりとアドバイスをくれたのは建築家・内藤廣氏でした。
それ以来、南海トラフ=間もなくという予測もありますが、
液状化現象防止の素材開発と、限定的な人工地盤デザイン、
これらを必死で進めていますがまだ商品化に至っていません。
すでに3年になろうとしているのですから、私たちは同胞の死から
予想される大天災への気構えだけではなくて、
国家再興の革新的なインフラデザインを緊急に仕上げるべきです。
それが、失った同胞への最大の役割のはずです。
ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマというこの大事件も、
先進国のわが国ゆえに、今後の地球と人類全体の存続に対しても、
私たちが先達になれると私は考えています。
当初私はこれ全体を「危機管理学としてのデザイン」としました。
しかし、昨年デザインアプローチをしてきて、
今では「危機解決デザイン」としてのデザイン実務にしています。

「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」
『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』
『忘れた頃にを想定内に!』
『「デザイン」=本来は政策に直結すべきだ!』


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『作品集ようやく束見本ができたが・・・』


   


     3月 10th, 2014  Posted 12:00 AM



自分の作品集には、デザイナーとしての意見を言わないこと。
これは同業の親友デザイナーから言われてきたことです。
本当は、阪大を退官するときに出版予定でしたが、
最近の図書出版の綿密な構成に不満があったので、延期しました。
正直、現代の図書印刷は市価との兼ね合いもあって安易です。
この安易さというのは出版関係にすら技術が残っていません。
技術的な仕様の要求を強めれば、決まって回答は、
 ・コストが上がる、
 ・時間がない、
 ・もうその技術はない、
このような答が返ってきますし、スタッフも同じ口実になります。
私が最も忌み嫌うことです。
私が始めて「デジタルなパサージュ」を出版したときには、
布張り表紙、銀箔落とし込み圧着印刷、活版印刷にしました。
それは図書出版が安易にすでにDTP化されている書籍には、
かっての図書印刷が追いついていないことを示したかったのです。
今ではすっかりDTPでPC編集ばかりですから、
図書の文化的な位置づけが「安モノ」に変わってしまっています。
それなら電子本で充分です。
だから著作者が安易な印刷に自分の思想を乗せている本には、
その著作者の文化程度、美学意識、図書崇拝度をみます。
そういう意味でも、私のほぼ35年間の作品集です。
私はこの作品集は「図鑑」でありたいと考えてきました。
特殊印刷では3D印刷を表紙写真に拘りまた。
さらに、私以外の執筆者も選びました。
出版社には私は厳しく接していますからそれなりの完成度、
作品集=書籍としてのあり方を突き詰める覚悟です。
一応、4月出版をめざしています。4冊目の作品集です。

「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」


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『日本の伝統的建築・五重塔の構造を今一度みる』


   


     3月 9th, 2014  Posted 12:00 AM



大阪では高層建築、あべのハルカスが話題になっています。
そして南海トラフへの対策が日毎に現実味をもってきました。
高層建築では長周期波動の揺れ対策があり、
私の自宅は32階建てで、あの3.11では大変に大きく揺れました。
その後も何度かこの長周期波動で気分が悪くなりました。
もし、手に入れることができるなら、
私は五重塔が欲しいとさえ思っていますが、
あれは古代の高層建築(55m)ランドマークでした。その五重塔、
その耐震建築は優れていた建築構造があったと言われています。
ただ冷静に考えればこれまでの大地震でも倒壊しなかったのです。
この構造こそが最高の耐震構造というのは早急すぎると思います。
ところが、あべのハルカスという高層建築の核心は、
この考え抜かれた五重塔構造が使われているらしいのです。
私は五重塔は日本独自の仏舎利であり、
五大思想を見事に美しくまとめたオリジナリティのある、しかも、
この世界で最古の高層建築だとしかみてきませんでしたが、
耐震構造を体現しているということになればさらに見事です。
私はあらためて日本全国にある五重塔だけでなく塔建築を
学ぶ直すべきだと思います。
なにしろ、3.11からそろそろ3年になりますが、
その復興計画もなかなか思いどおりになっていませんから、
デザインプレゼン計画を再考しています。
私自身の自宅がおよそ100mの所に住んでいますから、
地震時の長周期波動対策は皆無だと分かっています。
最近は屋上にこの長期振動対策機器の開発があります。
しかも、この基本的な考え方は五重塔が参考だと聞きました。
私はあらためて五重塔への眼差しを変えたいと思っています。

『忘れた頃にを想定内に!』
『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』


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『手帳・これらのリフィールとペンには進化がありました』


   


     3月 8th, 2014  Posted 12:00 AM



手帳と手帖があります。それぞれ本来の意味がありますが、
時々、雑誌でも使い分けが出来ていないのは偽物紹介誌です。
さて、私が手帳に興味を持ったのは警察手帳からでした。
以前、警察官はその手帳で身分を明らかにしていました。
父の警察手帳を見たとき、
余りにも克明なメモが小さな達筆で書き込まれていました。
さて私自身これまでどれだけの手帳を試してきたことでしょうか。
今、自宅にある手帳をすべて出してみました。
おそらくこの手帳は最も高額なモノから素材が良いものもあり、
結局は、手帳のカバー、リフィールと手帳ペンには、
見事に技術進化の経歴がありました。
それはケータイ電話との兼ね合いやパソコンとのリンク性です。
今では、手帳をアナログな使い方と、デジタルペンで、
パソコン、ボード、ケータイすべてが連関性が可能になりました。
しかし、アナログな使い方にはフォーマル性があると思います。
私が言うフォーマル性というのは品性があるという感じのモノ。
手帳カバーはやはり皮革がふさわしくて、その素材性には
今後は手に入れることが困難になりそうなモノも出てきました。
これらの手帳はほとんどこの30年間試用で、気がつけば、
デジタルとの連関性の進歩とともに好みの変化があったようです。
そして明らかに言えることは、
この手帳のペンもデジタル機器になってきましたが、
デザインとしてはアナログ性=フォーマル感のあるモノ、
そのデザインには勝っていないことが残念です。
そろそろこうした手帳も決定的なモノにする時期が来ました。
職能と平行してきた手帳試用の役割を決定づける頃になりました。
私が自分の職能=社会的な存在との結論手帳となることでしょう。

「ひらがな練習」
「来年の手帳は選びましたか?」


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