kazuo kawasaki's official blog

「資本主義からの逃走」
  「天災への二つのまなざし」


   


     3月 19th, 2011  Posted 12:00 AM


大震災・津波・さらに原発事故とは正直不安です。
二つの眼差し、それら情報から判断が必要でしょう。
それは、国内メディアと海外メディアの視線です。
国内は、ともかくパニック防止が基準であり、
希望的観測ベクトル。
海外は自国民の安全と、
被災地の実情評価が冷徹なほど正確さがあります。
だから、海外メディアから知らされる報道は、
不安さが自分の中で増幅されます。
しかしこの不安さと真正面から向かい合う必要があるでしょう。
福井県眼鏡組合は、なんとか3000個の老眼鏡を被災地へと計画実施します。
ところがカナダから10000個が税関に来ましたが、
「老眼鏡は薬事法により、制定認可が国内は必要」ゆえ、
配布不可能になっています。
実務担当者は、必要性に個人的理解ができても、
法律的判断はマニュアル化されています。
「自己調整レンズ眼鏡の開発・アフリカ向け」に私自身関わってきたので、
その財団にメールを出して、寄贈を検討してもらっています。
デザイナーにも、今、必要とされるピクトグラムで、
数値や言葉では理解できないコトを「表現」、
ビジュアルコミュニケーション制作提案を訴求しました。
若いデザイナーたちが、提案を送付してくれてます。
今、被災地現場と首都圏判断には格差が出ています。
特に原電現場は、すでに生命をかけています。
彼らが無事であってほしいけれど、
すでに限界が迫っている気配です。
海外の実務専門家判断の報道に比べると、
国内メディアはスタジオでの学者意見は不十分です。
不安さ、恐怖を乗り越えて、メディア報道、
国内と海外、二つの眼差しから情報獲得が必要です。
海外の友人から、
「日本人の君たちは必ず復興できる」とメールをくれます。
正しい情報判断で、「復興」を自答するばかりです。


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「資本主義からの逃走」
  「天災とは共存などできない」


   


     3月 18th, 2011  Posted 12:47 AM


首都圏からの報道が関西には届いていません。
まさか親友が被災してるとは思ってもいませんでした。
親友からまずメールが届き、
電話をしてもう唖然とするほど驚愕しました。
震源地は南下してきています。
日本列島はどうなっていくのでしょうか。
一挙に不安になりました。
親友は、きわめて慎重で「いつか、もし・・・」ということで、
毎晩バスタブに水を貯め、
一番大きな鍋にも水を確保する日常を癖にしているほどでした。
震度5強と液状化現象を本当に知ったという電話でした。
まさか、まさか・・・・だったのです。
被災地で5歳ぐらいの男の子が、
「津波を逮捕してやっつけに行く」というシーンが重なりました。
日本は「自然との共存」を伝統として、
「自然との調和」を願ってきたはずです。
しかし、震災に原電事故が追い打ちをかけています。
電力会社のこれまでの対応策がどうだったのか、とか、
計画停電、全面停電、
さらには本社と現場との乖離を問い詰めている場合ではありません。
全国民が、本当に一致団結して自然からの脅迫に抵抗していかなければなりません。
真に「命がけ」、平成の特攻隊という比喩は不謹慎ではありません。
自衛隊、警察官、各国からの救援隊、被災地、周辺から支援している公務員、
全員が立ち向かっておられます。
そして、関西でただ何も出来ない自分は感謝あるのみです。
デザイナーとして、様々な提案をしてきていますが、
何も具現化できずに、この大災害を迎えてしまった自分の無力さです。
「天災を差し向ける自然」とは共存などできません。
抵抗し、反撃という復興の自分なりの役割を必ずしていく所存です。


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「資本主義からの逃走」
  「天災と自分との隔たりに正確な想像力を」


   


     3月 17th, 2011  Posted 12:00 AM


昨夜、大阪もまた揺れました。
緊急地震速報が、またまた流れます。
日本列島がどうなっていくのかとても心配です。
東北地方は、今夜も厳寒とのことです。
今朝、目覚めるときに寒くて、
ベッドに思い切り潜り込みました。
その時、ハッとして目覚めてしまいました。
自分は、この寒さでも潜り込めるベッドがあると。
すぐに、TVをつけると、地震よりも原発事故と、
東京での買い占め報道が流れていました。
これほど連日、TV報道はいっせいに地震・原発・東京報道です。
そして、地震も西に震源が移動してきました。
あらためて、天災と自分の日常との隔たり感を感じます。
報道情報が本当に自分の意識や推測との距離感ができつつあるようです。
つきつめて、天災と自分意識を推し量って、
この意識距離感に、
自分の想像力を明確にしなければなりません。
おそらく、日本全体が疲労し始めているのでしょう。
それは、被災現地は絶望や失望以上に
肉体的・精神的疲労困憊に成り果てているのでしょう。
原発事故を解説する専門家の言説には、
私なりの疑念がわきあがってきています。
この疑念に勝手な想像力を働かせるわけにはいきません。
海外が日本脱出を計画していることは当然になっていくのでしょうか。
今、自分自身に
「何が正確な想像力であり、何がこの天災との同一性なのか」
このことを緊急に突き止めていかなければならないでしょう。


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「資本主義からの逃走」
 「天災の現実に人災を重ねない人智決断が必要」


   


     3月 16th, 2011  Posted 12:00 AM


自然の驚異は想像力を超えること。
だから、私たちは天災に屈してしまう。
人類の歴史では当然のことでした。
それでも天災に人智で対決してきたのです。
ほとんど敗北することがあっても屈しない姿勢を保守してきたのです。
東日本大震災は天災でしたが、人災が覆いかぶさろうとしています。
福島原発事故の状況に私たちは大きな恐怖に追い込まれています。
世界経済にも翻弄される事態に巻き込まれつつあります。
しかし、すでの世界各国からの支援は90ヶ国以上になりました。
天災に対して、人類全体が、私たち日本人を支えてくれようとしています。
私たち日本人のマナーが評価されていますが、
日本人としての伝統的倫理観は今こそさらに強固にしていくべきでしょう。
そして世界のまなざしは、天災事象のシーンから、
原電事故と経済的な動向に視界は変わろうとしています。
となれば、私たち日本人が、
復興への意欲や意志を明確に見せなければなりません。
復興決断をしていること、
この勇気や決意に全世界から信頼感を持ってもらわなければなりません。
今、日本からの現実情報が不透明だとか、
経済対抗策の不十分さを指摘する海外報道もでてきました。
パニックを押さえ込むためよりも、
正確で透明で、だから何を成すべきかを知らしめる情報発信、
これを関係筋がしなければ「人災」を招き入れてしまいます。
引き替えて、海外報道は想定外をはずし、
現実の危険性を明確詳細に伝えています。
「自然に勝てない」とするなら、
天災という地球自然の暴力には、
何が何でも人智と蓄えを使い果たしてでも、
「人災」を重ねない勇気ある決断行動が必要だということです。


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「資本主義からの逃走」
  「天災へ立ち向かう意志とは自然には負けないことだ」
  


   


     3月 15th, 2011  Posted 1:02 AM


M9.0とは地球が人類に向けた暴力です。
大震災現地の光景に言葉を失います。
あの美しい三陸海岸は滅亡させられました。
壊滅してしまった市町村をみると途方に暮れます。
現地被災者の方々におかれては、
私たちの想像を絶するほど絶望感に打ちのめされておられるでしょう。
私たちに何が出来るかすら不明です。
おそらく、敗戦後、焼け野原に復員してきた父たち世代も、
途方に暮れていたでしょう。
しかし、それでも復旧から復興させて今日があります。
私のふるさと福井も戦災で全滅し、
復旧中に今度は福井大震災でまた全壊でした。
私は母の胎内で生まれる寸前でした。
戦後65年、日本は繁栄華々しい先進国家になりましたが、
もう一度日本は試練を余儀なくされたのでしょう。
これまでの日本の経済力を使い果たしてでも、
復興に立ち向かうことしかありません。
もう一度貧乏になっても、復興する意志が肝要でしょう。
経済力をもう一度零から再スタートする意欲が必要でしょう。
全壊してしまって財産を失った人たちが、
なんとしても探しだそうとするのは、貯金や預金通帳ではありません。
決まって、被災者が取り戻そうとするのはアルバム、
すなわち「思い出」だという調査結果があります。
私たちの生き甲斐が経済が目標ではないということでしょう。
経済は手段でしかなく、人間が天災に立ち向かうということは、
「自然には決して勝てない」のではなくて、
天災などに負けない意志、
復興する意欲と勇気があるということを確認したいと思います。


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「資本主義からの逃走」
    「天災に祈ることしかないのだろうか。」
  


   


     3月 14th, 2011  Posted 12:00 AM


M9.0という想像を絶した地震値。
日本はまたしても復活しなければなりません。
あの三陸海岸の美しさは消滅しました。
TV画面を見つめながら現地の人々の気持ちまで共有はできませんが、
死者数と行方不明者数を知れば涙が流れます。
東北地方は壊滅したのでしょうか。
私の個人的な想いは、八戸市や久慈市に思い出があります。
久慈焼、琥珀産地の人たちの誠実さを思い知ったことがいっぱいあります。
わが国に与えられたこれからの試練へ勇気を抱かなければなりません。
朝が来ても、すぐに一日が終わり、
厳寒の夜に避難している人たちにただ祈るより他手立てはありません。
地震発生からいまだにまだコンビナート火災は炎上しています。
孤立している街々があるという情報を聞いているだけです。
東北地方の三陸海岸地方はこれまでの経験や歴史的な史実から、
最も災害に強い街づくりをめざしてきたと聞きます。
同胞の苦しみ、悲しみ、哀しみに胸が締め付けられます。
ただただ、行方不明の方々が生き延びていてほしいと願います。


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「資本主義からの逃走」
      「天災は、pray for Japanに応えることだ」
  


   


     3月 13th, 2011  Posted 12:00 AM


敗戦後、日本の国家的な危機です。
幸い、私周辺の家族・友人・知人は無事でした。
しかし、TV報道画面を見ていると、
戦後65年の破壊と破滅の現状を思い知らされます。
敗戦後の繁栄は一挙に破壊されました。
もう一度、私たちは大きな試練が与えられてしまったわけです。
壊滅状態を引き起こしているのは地震・津波・内陸地震、
さらに原発事故と連続しています。
私たちは、また試されようとしているのです。
これまで各地での地震から火山爆発、さらには鳥インフルエンザ、
あの阪神大震災からも立ち直ってきました。
特に、今回は原発事故に立ち向かうという初体験があります。
原爆被災国は原発事故と天災からの復興を余儀なくされてしまったのです。
人類にとっての最大難問を解決できる共同体・日本が試されているのです。
私たちそれぞれが、
個々の職能性をもってその役割分担で乗り越えなければなりません。
泣きたくなるほどの悲惨さに立ち向かうべきでしょう。
世界各国からの「pray for Japan」に応えることだと考えます。


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「資本主義からの逃走」
      「天災が、・・・」
  


   


     3月 12th, 2011  Posted 12:00 AM


ついに、いややはりと言うべきでしょう。
日本列島の宿命ですが、天災に見舞われました。
私は自宅で、いつものような目眩だと思っていましたが、
32階は相当な揺れでした。
ほとんど船酔い状態でした。
TV報道は、各社とCNNを見比べました。
CNNの分析は克明であり、
このニュース報道から国際的な日本へのまなざしがみえました。
電話が通じないことは最大の社会基盤が不整備だということになります。
SMSだけしか通信手段が無い文明は見直さなければなりません。
天災についてはまったく思考停止させられてしまいます。
花綵のわが国がどこまで天災への準備周到さをしていくかは、
やはり、「人工」的設計の最大テーマでしょう。
次第に、被害状況特に人命被害を知ることになりますが、
天災は人類に最大不幸の哀しみを与えます。
無抵抗でいるわけにはいきません。
地震津波発生から10時間、行方不明者・死者数が報じられています。


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「資本主義からの逃走」
  「環境デザインの難問解決・利益相反設計論」
  


   


     3月 11th, 2011  Posted 12:00 AM

花粉症と間伐材
この季節は花粉症に苦しむ人が多勢です。
国策、林野植林計画が招いてしまった結果です。
日本列島=「花綵の国」の自然環境が変わってしまいました。
花粉症がその最たるものでしょう。
杉を植林すればその育成には手抜きができます。
残念ながら林業の衰退が立ちはだかった結果です。
ということで、杉の花粉が都市に吹きまくり、
さらに間伐材の処理に困り果て、
なんとか間伐材の利用がデザインに求められている状況です。
間伐材の使い道も見つからずという国策の貧しさをみます。
というより、本来、日本列島に最も大事なブナ林や里山の保全には何の国策もありません。
結果、土砂崩れが起こり、河川形状が異変し、
日本の森林破壊はそのまま都市環境にまで多大な影響を及ぼしてしまいました。
私も、WiFi-City計画など安閑と提案していますが、
このWiFi電磁空間が及ぼす人体への影響は分からぬままですから偉そうなことは言えません。
利益相反の難問解決デザイン
問題は、自然環境の保全というのは、実際は「何が問題なのか」ということは、
人類が抱え込んだ最大難問でしょう。
CO2 問題も、学識者意見は二分されています。
この自然環境・対・人工環境は、
人間その生体との適合性ということに集約と収束されているようですが、
このこと事態が問題だということになります。
都市計画や環境デザインに欠落しているのは、この自然・対・人工という利益相反性が、
すべて産業経済論に持ち込まれたとき、難問はほとんど迷宮入りになるということでしょう。
結局、資本主義イデオロギーが無視してきたことは、
自然・対・人工という利益相反性だったということになります。
環境デザインを有効ならしめるには、付加価値設計論ではなくて、
利益相反性設計論だと私は思っている次第です。


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「資本主義からの逃走」
  「WiFi Allianceという電磁波空間リスク」
  


   


     3月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

WiFi環境空間
今自宅内はWiFi環境下です。
20世紀の最後に「無線」環境ができました。
東芝時代に電気回路を再学習させられました。
そのときの導入が「有線・無線」という入り口がありました。
この有線・無線の対比は、なるほどの連続でした。
さて、「無線」はPC技術で格段な進歩を遂げてきたと思います。
その代表が、WiFiとBluetoothだと思います。
特にWiFiの周辺機器や応用から進歩はめざましく、この普及は一般化しました。
ただし、人間が創造し進化させてきたコトにはどこかで「懸念する」必要があると思っています。
私の日常生活でWiFiは、PCとオーディオには無くてはならないものになっています。
WiFi環境の整備は社会基盤としてもっと日本では投資すべき対象だとも主張しています。
私は地方行政には、WiFi-City宣言を薦めています。
すでにパリ市内にはWiFi環境であるという標識まであります。
しかし、WiFiというのは無線であり、電磁波空間です。
電磁波空間のリスク
私が懸念するのは、電磁波空間と人体・生体の適合性についてはまったく不明です。
それは、私自身がICD(除細動器)を体内に埋め込んでいます。
心臓障害者1級になったのは、
この心臓発作を電気ショックで停止させる機器を埋め込んでいることにあるからです。
ICDに限らず、ペースメーカーを埋め込んでいる人にとっても電磁波空間は影響があります。
携帯電話も電磁波発信受信で、すでに人体的な影響は皮膚アレルギーなどエビデンスが出ています。
私自身、ICD手術後、食品アレルギーが出るようになりました。
電磁波空間では、いわゆるマイナスイオンなど人体に有益とあまり根拠無い話もありますが、
決定的な電磁波リスクがあることは明白です。
携帯電話を左の内ポケットに入れていたらとても気分が悪くなったことがあります。
ドクターからは厳重な注意を受けました。
30cm口径ウーハーSPからIH機器、プラズマ、電子レンジなどは「厳重注意」が明記されています。
当然特にノートタイプPCなども電磁波リスクがあるはずですが、まだ不明です。
現代、便利さとリスクが同居していることには注視しておくべきと考えます。
電磁波防止空間について私なりのアイディアはありますが、
まだ私の日常空間での実験中なのでエビデンスには至っていません。


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