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『あくまでも「素材」は木質で確かめる』


   


     3月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

私はデザイナーとしてますます素材が大事だと思います。
最も手短に確かめることができるのは、「鉛筆」にあります。
このメーカーが鉛筆づくりには正確な素材表現をします。
それだけに、時折、木質に拘った鉛筆を
必ず、自分の一本にしたり、あるいは消しゴムでも、
カラー表現に取り囲まれるとき、この職能であって幸運でした。
とりわけ、木質では、デザイナーに成り立ての頃には、
塩ビシートの開発で、木目・木質そっくりの型出しに、
印刷メーカーの工場で、職人気質の人に育ててもらいました。
私が常に思い出すのは「ブラジリアン・ローズウッド」の木目。
そっくりにレンダリングに描いて、その塩ビシート化をしました。
私のイメージは絵に表れていましたが、
「お前はまだ学校出たてだろう?」
「お前は自然のブラジリアン・ローズウッドの木知ってるか?」
と言われて、
「見たことがありません」
「本物を絵にしてから出直せ」と言われたものでした。
東芝のデザイン室にある資料室には、本物の木の板がありました。
それを見ても分からずに、工場で教わったのです。
「ブラジリアン・ローズウッドは南洋材だ、
だから大きな樹木には育たない、直径がほぼ150mm程度だ、
だとするなら、木目は細かい」、と教わりました。
それ以後今日まで素材は必ず本物を見て確かめることが重要です。
今、まだ本物を確かめていないモノは、
ウラン鉱石です。
聞いた話では、幾重にも色彩が光り輝いているということです。
それなら、ネックレスに!と、
しかし、そんなことをすれば被爆してしまいます。
だから、絶対に見たいのはプルトニウムそのものを、
素材として確かめることも重大だと思っています。

「大好きな色鉛筆・最近のお気に入り」
「プロとして元気の素は鉛筆への作法」


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『「危機管理学」という学域の再構成へ』


   


     3月 29th, 2014  Posted 7:17 PM

阪大に特任教授として残り、一年間、
「危機管理学プロダクトデザイン寄附講座」にて、
いくつかのプロジェクトを研究・提案・講義してきました。
特に「KK塾」を阪大・中の島センターにて6回目の講演対談をし、
第一期「KK塾」を終えることができました。
最終講義は、大阪大学の友人であり敬愛する澤教授にて、
大阪大学を最も代表する第一外科・心臓血管外科が、
大阪大学なればこそできる、iPS細胞の臨床実務の数々から、
世界的に今後、日本が診療の国際貢献の要になる実例など
「先端医療とデザイン」を第一外科教授だけではなく、
国内外のプロジェクトリーダーとしての講演を終えました。
これまで、6人の教授や企業家を私の選別で塾をやりました。
本当に、全講師の皆さんの講義は第二期塾を要請されています。
この一年、実際は、日本列島へいつ来るかという天変地異を意識し
「危機管理学」を見直してきました。
結果危機は管理学的な学術性では論理的な欠陥を見いだしました。
そこで、「危機管理学概論」を出版している出版社社長にも、
危機管理学は深度がないので、新たに「危機解決学」という実務、
管理学ではない解決実務学こそ重大であると提案しました。
危機とは、危険(dengirous)と機会(opotunity)、
つまり、危険というチャンスを生かして「最悪の状態」
生きのびる事=死から解放される事を目指すということを確認し、
今後は、危機管理学を超えて「危機解決デザイン学」にします。
この4月より実務学的=デザインで、防災・防犯・救済・救護へ、
医学・工学・制度学・行政学へ「デザイン」を向けます。
そのためには、今も各種、特に、減災と防災と救済を基本に、
実務としてのデザインをまた活動していきます。

『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました! 』
『人類の夢・宇宙開発を支える「信頼・安全性工学」』


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『隣国・韓国とは国際関係論を遵守するだけでいい!』


   


     3月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

韓国とは本当に馴染みがたい国だと思わざるをえません。
私にとって、
韓国が隣国であってもそれ以上の国家ではありません。
そして私には韓国に馴染み深い元スタッフ(現教授)も、
現スタッフもデザイナー仲間も大学教授など多くの友人がいます。
しかし、政治の世界において、
私は見事なる国際関係論の間柄を遵守すべきだと考えます。
教科書問題・靖国問題・南京問題・慰安婦問題が、
私たち国家を非難する国々とは、強固な国際関係論でいいのです。
国際関係論とは決して「仲良く出来ない間柄」での契約制度です。
この冷徹さを持って特に隣国と接していくべきだと考えます。
特に、韓国との間での靖国問題も慰安婦問題も、
正当なる冷徹さを固持すべきです。
靖国問題は死者への慰霊は他国から干渉などの無用を断言します。
慰安婦問題ともなれば、戦時中の商売でしかなかった事実の歪曲。
日本人はとりわけ敗戦後、愛国心を奪われてしまった民族です。
しかし、わが国政権トップへの、隣国の礼節の無さを知れば、
かえって愛国心は隣国である朝鮮と中国に向ける風潮になります。
私は、たとえ風潮で生まれた愛国心であっても込めるべき事は、
知性ある冷徹な関係論であり、友好国家意識などは全く無用です。
所詮、言葉と文化が異なることの相互互助の認識は、
決して、友好である必要性など無味無効です。
もし友好関係は外国人友人に向けられたミクロな意識で充分です。
私は、地政学的な国家防衛論が母体の国際関係論を、
日韓トップの会談での礼節さと非礼さを確認する限りの判断、
まして米国との関係論には
再度熟考吟味された知性深い冷徹さが不可欠になりました。
私たちには、世界でも最高峰の技術があります。
その技術で国家防衛を果たす冷徹な国際関係論を強化すべきです。

「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
「韓国の勢い・16茶より17茶という意気込み」
「日本・日常的な地図図形認識を変更すべきだ」


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『日本人である「三種の神器」の意味再確認』


   


     3月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

私は日本人で在ることをとても誇りに思っています。
その根本として「三種の神器」という日本国家のモノの存在です。
「三種の神器」というのは、簡単に言えば、剣・勾玉・鑑です。
当然ながら、この三つの国家としてのシンボルには、
それぞれの意味が配置されていますが、
私は、私なりの解釈をしています。
鑑は「太陽」をシンボルにしていますが、私は鑑=鏡として、
人間の通信=コミュニケーションの象徴であり、現代はそのまま、
光通信に直結していると思っているのです。
「勾玉」は政(まつりごと)の基本=呪術のモノですが、
私は、自然界からのモノを磨き上げてきた技術の表れと思います。
そして、刀=片刃ではない剣(両刃)は、まさに刃物であり、
これは武器=自分の身を守り文明の源のシンボルです。
しかし、日本人にとっての武器とは、もっと深度がある思想、
すなわちそれは、剣をシンボルとした思想の象徴と考えます。
世界のいわゆる王室=政は剣でそれぞれの王室国家は、
その武力性を剣そのもので表しているわけではありません。
むしろ、その剣を持って国の安全保障を誓約する象徴なのです。
国家の安全の象徴は、そのまま国家理念・国家思想です。
こうして考えてみると、「三種の神器」である三つのモノは、
その国家に属することの人間の生を護る三つのモノであり、
それを国家の基本としている日本の成り立ちを、
私は見事に信頼することが出来ると思うのです。
そして、私は、日本の未来、日本人の未来を支えるモノの体系は、
必ず、これらの象徴された剣=思想、勾玉=技術、鑑=伝達に、
すべてのモノの体系に治められる、
まさに隠喩として納得理由があると思うのです。
だから私たち日本人は「三種の神器」在ることを誇れるわけです。

「『鏡』の存在を知り尽くすこと」
「この技術はデザインによって大変革の時期がきた」


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『医療で日本の未来をみることは出来るだろうか』


   


     3月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

私はプロのデザイナーですが、医療とデザインを考えてきました。
したがって、今年早々の課題も、医療とデザインの関係を
またあらためて熟考することでした。
しかし、今年に入って重要な人を二人も失い、
私自身、医療以前に「老病死」の前に突きつけられた思いです。
失った二人とも、「病」に倒れて逝きました。
その「病」への対抗策がデザインではありません。
デザインはその対抗策・手法の医療、背景の医学を支援します。
すでに私も「老」の時代の中で生をつないでいるだけであり、
老は必ず、病死への過程そのものと言っていいでしょう。
少なからず、私の生も最大20年も無いことと推定しています。
同世代が、延命治療を願ったことを知りました。
自分の延命治療のためには病院建設まで考えていたらしいのです。
それほど彼は現代医療そのものを組織変更まで願ったのでしょう。
もう一人は、一緒に食事をしてぴったり3ヶ月目に逝きました。
年下であり有能な人間として社会的な立場と発言力がありました。
それだけに年上の私に真剣に師事することを申し出る人物でした。
私にとって2050年は、存在しない年月ですが、
私なりの理念と思考をデザインから医療に配置し直したいのです。
なぜなら、「日本の未来を医療がひらく」ことは無いでしょう。
医療にそれほどの力があるはずがありません。
もし、現代の医療にその力、すなわち制度があったならば、
私は少なからず重大な人物を失うことはなかったと愚痴ります。
デザインから医療と日本とその未来をみるとき、
「日本の未来が医療を進化させる」具合であってほしいのです。
日本の未来を支援するすべての領域が「医療」の基盤を、
創出して進化させてくれることを祈るばかりです。

『行政サービスの力量は救急システムでわかる!』
『Saint-Étienne・ユネスコ認定デザイン都市で』


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『選挙の再検討・民主主義の限界が来ているのだろうか?』


   


     3月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪市の市民になって8年目になります。
大阪市への期待は裏切られていると明言しなければなりません。
大阪市のイメージは、全国的にも悪評がすべて第一位なのです。
ひったくり事件や、振込詐欺被害など悪評が一杯の街です。
選挙には真面目に、たった一票の重みを真剣に考える私でした。
しかし、大阪市長選挙には参画を敢えてしませんでした。
4人にひとりが投票したから、「正当な民主主義」?
そうでしょうか?
大きな大疑問です!
選挙で選び直された市長の政治理念=民主主義だというなら、
大阪市の市政は崩壊してしまったと私は私的公的にそう思います。
一人の市長の「大阪都市構想」には、
しみじみと了解できることも相当に多いのですが、
施政者の人格性を大きく疑いたくなります。
報道番組の評判をすべて理解することも私は絶対にしませんが、
市長という施政者の理念表現を、「選挙」でしか決められない、
だとするなら、「選挙」そのものがもはや大間違いでしょう。
少なからず、今回の大阪市長選には「傲慢さ」しか見えません。
4人のうちの3人は、すべてがどうでもいいか、
あるいはNO!だというのがこの選挙の結果だと私は思います。
現実今は「都市構想の前に」、南海トラフ=天災への準備が優先。
民主主義の基本だから「選挙」でいい、って事が正解でしょうか?
もう一度、私の意見は「都市構想」はあるべきでしょう。
しかしその施政者の能力判定が今回の「選挙」手法だったのです。
私にとって、私の一票を主張することを辞めました。
「選挙」という手法はこの一人の横暴さで壊れたと思っています。
そういう意味では民主主義と選挙を再考させてくれた市長です。

「投票後、御堂筋の光の中へそして選挙過程から」
「公私の形象概念・再認識するための手法が選挙」
「大阪は革新都市になりうるだろうか」
「『多様性』と決定原則=多数決の剥離」


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『写真・カメラの進化とともに個人情報の増大』


   


     3月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

    銀塩フィルムが消滅するという1970年の予告から、
    フィルムからメモリーカード、そして、ポラロイド瞬間焼き増し、
    これは写真とカメラを相当に進化させてきました。
    私の側に、カメラが本格的にやってきたのは、
    美大時代に相当に自学しました。
    そのこともあってカメラ収集には自分なりの境界も設定しました。
    おそらく、自分のカメラへの物欲はどこかで抑えないと、
    モノの収集と、写真撮影の技能アップは遊離してしまうだろう、
    真剣に考え抜いたことがあります。
    特に、デジタルカメラになってからは新製品が発表される毎に、
    その性能を追い求めてしまうのは癖になっていました。
    今、私にとって、最高に難しいのはライカM8です。
    正直このM8は発表とともに入手しバージョンアップしてきました。
    しかし、これでの撮影は本当に困難です。
    M8周辺のレンズもそれなりに具えていますが、撮影困難です。
    そして、国産のチェキも進化してきました。
    メモづくりには至極簡単です。
    私はデジタルカメラの進化で、みんなが写真撮影には慣れました。
    これは21世紀個人情報の視覚化では大変な事態が進行しています。
    しかもケータイでの撮影までが日常化して、
    格段に個人情報撮影と蓄積を増加しています。
    今、私たちが明らかにすべきことは、写真という情報形式、
    この個人的、社会的、公共的なあり方を整理すべきでしょう。
    私はあえて、デジタルカメラやチェキのTipsを学び直しています。
    なんとしても、難しいカメラを使いこなしたい。
    簡単な撮影だけに、その奥深さを知り尽くしたい。
    私は、このブログも単純に撮影しています。
    それは、シャッターを押す、という行為で自分の視覚を、
    しっかりと確認することも大事な生きがいだと思うからです。

    「トイカメラってかなりスゴイことになってます」
    「カメラ修行は今なお・・・」


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『携帯する「スケッチ帖」とボールペン』


   


     3月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

私は「手帳」と「手帖」を明確に区分してきました。
単純にテチョウとは呼んでほしくないのです。
なぜなら書くこと描くことに日本の伝統は詳細に決めてきました。
私にとって描くことは、ほとんど息をしているに等しい行為です。
私がこの手帖を見つけたのは、
たまたま、このブランドメーカーから、
そのメーカーの商品にスケッチを描いて展覧会参加をうけました。
まさか、このテチョウメーカーに、「ジャパニーズシリーズ」と、
名付けられたテチョウがあるとは思ってもいませんでした。
それから使い始めて、この便利さがすっかり気に入ってしまい、
とうとうこのシリーズを探しましたが、
輸入して、しかも名入りにするところを一社見つけました。
「ジャパニーズシリーズ」と名付けている知識に、
日本には、「手帳」と「手帖」があると知っていたのでしょうか。
いわば、蛇腹タイプと呼ばれていますが、
これこそまさに、和紙文化から生まれた巻紙そのままに、
「手帖」と成し遂げた、素晴らしい文化を表しています。
「手帳」には一頁毎の「書き付けること」に限界があります。
しかし、「手帖」となれば、相当に大きさには自由度があります。
私は勧めたいと思っています。
スケッチを描くなら「手帖」であるべきだということです。
とりあえず、ボールペンスケッチを主としている私は、
「ダ・ヴィンチ」というボールペンがふさわしく思いました。
私の先祖・江戸時代に描かれた図面は発想がふくらめばそのまま、
図面用紙は貼り付けられて大きくなっていました。
発想の限界は、「手帳」であってはならないのです。
「手帖」には発想を制限する紙幅に大きな自由度があることです。
私は、日本文化が生み出した「手帖」は
「手帳」を超えた性能性・効能性が機能性を明確にしています。

「手帳・これらのリフィールとペンには進化がありました」
「ボールペンスケッチのためのモレスキン」

http://www.moleskine.com/documents/10192/11200/detour_tokyo.pdf


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『日常の万年筆を変えられないが見えてくるモノとコト』


   


     3月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

今年の万年筆その工業性と工芸性が低迷していると判断してます。
したがって、私の日常性、持ち歩く万年筆とペアの筆記具は、
この三種類に決まってきていることに気づきました。
とりあえず、65歳になった私の持ちものとして記録しておきます。
工芸性と品質性は、それぞれのブランド=企業理念表現に、
見事に適応しています。
なにしろ、私のセンス判断は文字と筆記具には評価軸があります。
最大の理由は、「字はその人を表す」ことを盲信してきたこと、
さらにプロのデザイナーとして特に、万年筆には想いがあります。
たとえば、国際政治のサミットでは、
その会議対応の万年筆が選ばれることになっています。
それは、国際的な調印をシンボル化する「筆跡」支援の道具です。
この道具・万年筆には会議主催国家のセンスがあるのでしょう。
私は万年筆が「表現のツール」であったことを歴史が立証です。
よく雑誌には、著名人とその人好みの万年筆が紹介されます。
私はこれを見る度に、紹介されたいわば文化人の意識を見ます。
いくつかの判断や評価は書き残しませんが、
海外では、日本の著名人の万年筆選びの貧弱さが書かれます。
それゆえか、日本の万年筆メーカーのブランド性はありません。
海外向けの特殊ブランドを国内で使用している人を知りません。
さて、なぜ、私は万年筆を取り上げているかというと、
それには「文字」との関係性のモノ・筆記具がそのまま、
日本人の知的活動能力の評価軸だと思うわけです。
腕時計、鞄、靴などが行動能力の評価軸になるのと等しいのです。
私自身、万年筆のコレクションとその内容は趣味ですが、
それをこえて、デザイナーとして、アナログ性・デジタル性、
そして、時代性としての自己ファッション性と連鎖しています。

「ブルーを持ち歩くというファッションとデザイン効果」


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『残してくれたことば=書籍表紙のアイコンが似合った男』


   


     3月 20th, 2014  Posted 12:04 AM

今日、藤巻氏はこの世から、あの世へ「死者の書」によれば、
49日の旅路に向かうでしょう。
彼の自宅で本当に彼の正装で眠る姿で、現実=彼の死を自覚しました。
私の前では、二つの表情がありました。
出逢えば、人なつっこい笑顔、ところが、私が真面目な話をし出すと、
まさに直立不動かと思うほど、それもエネルギッシュな姿でした。
54年間、おおよそ30年間に彼は著作を残して逝きました。
彼が自宅で横たわる枕元にも数冊の諸作がありました。
あらためて彼の著作を見直してみると、ほとんどの著作には、
イガグリ頭で、笑顔がそのまま表紙のアイコンになっています。
まさに「商売人」と言っても、彼の「商売のエッセンス」にどれだけ多くの
ファン=読者を持ったことでしょうか。
マーケッティング=商売そのものを彼は活き活き元気に語れた男です。
これが彼の体験と未来への想いのホンの一部だったと思います。
出来るならば、もう一度、彼のことばに沈み込んでみたいと思います。
商売まっしぐらの中に、ファッションを根幹にして、
デザインへ真正面に取り組もうと私に質問をぶつけていました。
そのとき、彼がハッとしたときには、至極真面目な表情になります。
私は、そんな彼を見たくて、相当にお説教もしたものでした。
納得したときには、もうこぼれるような笑顔は、
元気そのもののまさに表紙のアイコンでした。
彼の死に出逢ったとき、「藤巻、これはないだろう!」、
私は最初にそう呼ばざるをえませんでした。
見せたかった「繊維の本質・感性評価」のために、
昨夜は、ふるさと福井で繊維の記号開発メンバーに言いました。
かつての織物職人は、真っ暗闇の倉庫の中で、
繊維の中に両手を入れれば、
それが、どんな反物であったかがすぐに分かっていました。
この基準化と標準化を私は成し遂げるつもりです。
それが、笑顔の藤巻氏への私なりの役割だと思っているからです。


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