『資本主義から逃走せよ!』 金融工学の始祖はマルクスだった_11
3月 31st, 2009 Posted 10:00 AM
「四句分別」というMATRIXは、MANDALAとして、
一つの概念が単純に8つの概念で取り囲まれると私は考えるようにしています。
それは、概念を核心とする概念機能、
あるいは概念の機能性や概念感覚を把握し認識するための条件と考えているからです。
まさしく、曼荼羅に描かれた仏像の機能と言っては言い過ぎかもしれませんが、
人間の思考は「ことば」に、特に、その概念があらわす
夢・願望・期待・理想を表しているという仮説を私は持っています。
そして、これを、私は「ことばとかたちの相対性」と呼んでいる思考の構造化にほかなりません。
そこで、「使用」ということをMANDALA 図に載せて分類をします。
それは、どういう「使用」というのがあるのか、
ということをともかく配置してみるとその構造=関係が見えてくるのです。
「核概念」の上部には上位概念が左右に並びます。
そして中心と左右は同等の重力を下位概念に上下にわたって及ぼしているのです。
さらに、「核」・中心に対しての対立やあるいは対位性は、
中心感覚を平衡化するバランス感になっていくものだと考えています。
まずはじめに、「使用」を中心、「各概念」に配置します。
そうすると以下の図のような、「使用」の目標や目的、そして効果が視えてきます。
「使用」を取り囲んでいる8つの「ことば」に対する意味とその「感覚」は、
そのまま「使用観」という世界図象として、
私たちの感覚を世界観として成立させているのではないでしょうか。
たとえば、「使用」するというのは、
急用もしくは専用のために採用することから始まっているのだと考えてみることができます。
採用感は採用するための自分の世界観だと考えれば、
その「使用」の「価値感」=「価値観」ということで、
個人的な感覚、私だけの感覚であっても、それを一般化させることも可能になるわけです。
つまり、「使用価値」がどのように分解されて、
なおかつ統合と集約を、それぞれの概念価値として要素化、
あるいは要因化しているということになるわけです。
ただし、この曼荼羅図は、あくまでも二次元での仏像の配置です。
そのアナロジーとして、MANDALA図に「ことば」その「感覚」を配置してみました。
本来は、仏像界という宇宙観は多次元空間での存在にほかなりません。
それは、「ことば」もその発信性や意味論は
宇宙観にただよっている感覚にすぎないと考えることが出来ます。
平面界での配置であることも注意をはらっておきたいと付け加えておきます。
結局、世界観は私は3次元から多次元化していることをすでに知識として認識しているからです。
それは、「価値観」あるいは「価値感覚」は
多次元化された時空間に存在しているということになります。
問題は、この多次元的な「価値」、ここでの「使用観」は、多次元的に時代が変容させたからです。
すなわち「多様化」している「使用価値」へと拡大と収束が起こっているということです。
Tags: DESIGN, マトリックス, 価値論, 曼荼羅, 経済学
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