kazuo kawasaki's official blog

Archive for 5月, 2009


5月14日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     5月 14th, 2009  Posted 12:00 AM

5月14日 大安(己未)

「書物というモノ」としての
象徴的デザインが必然となってきている。

We think that a symbolic design for “an object named book” is necessary.

『artificial heart:川崎和男展』 書物としてのデザイン


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5月13日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     5月 13th, 2009  Posted 12:00 AM

5月13日 仏滅(戊午)

相観論での群落は、
フォーメーションである群系とアソシエーションである群集に分類される。

The ecological community in physiognomy can be classified into two groups; formation and association.

『artificial heart:川崎和男展』 相観としてのデザイン


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_15 


   


     5月 12th, 2009  Posted 9:15 AM

子供の頃から「収集癖」があります。
それは「一人っ子」だったからかもしれません。
さらに、「欲しくなるモノ」は他人が持っていたり、
流行するモノはまったく欲しくありませんでした。

今、こうした「収集癖」をあからさまにしているブログがあります。
1949coin2

さて、「貨幣とスピード」の話をしたいと思います。
イメージしてください。

「東京の地下鉄で切符を500円硬貨で買いました」。
「人口が1500人の山里に一軒だけある
スーパーマーケットで500円硬貨を使いました」。

それぞれの500円硬貨は、どんな旅をすることになるでしょう。
東京の切符自販機の硬貨は、すぐに、取り出されて、
めまぐるしく、人から人へと渡っていくのです。
つまり、その500円硬貨が「使われる度に」
その価値は、500円×使用価値度数となります。

500yen2
ところが一方、田舎=鄙のスーパーマーケットの
レジスターに入っている500円硬貨は、
ひょっとすると1週間、あるいは1ヶ月後に、
銀行員によって集金されるかもしれません。

500yen
人から人へと次々に何度も使われることは、
東京=都会=「都」の500円硬貨の役割だったのに、
田舎=「鄙」の500円硬貨とはまったく異なる価値になっているわけです。

私が指摘しておきたいのは、「貨幣論」で言うところの
「貨幣=硬貨価値」は、それがどこに存在しているか、ということによって、
その「スピード価値」が付帯しているということです。

この「スピード」すなわち「貨幣使用速度」が経済学的に方程式になって、
「場と使用速度」の関係までは
まったく無視されていると言っても過言ではないでしょう。

現在、地方都市の商店街が、「シャッター街」=すでに、
日常的な商売から撤退している街の500円硬貨と、
大都会で何度も何度も人から人へ使い回される硬貨=貨幣価値は、
まったく、「貨幣価値」が変容していることを理解しておくべきことでです。

そして、「経済学」での
「貨幣使用度数×使用速度」式を私は知りたいと思っているわけです。
私は、自分の生年1949年の銀貨に限って集めています。

1949coin
そして、こう思うのです。
このコインは60年、どんな旅をして、
今、私の収集品として、銀貨はピカピカに磨いて、
「ごくろうさん」とコインに語りかけるのです。


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5月12日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     5月 12th, 2009  Posted 12:00 AM

5月12日 先負(丁巳)

エコノミーとエコロジーの最大の差異と差違は、
相観論的な視座での座標上の人間存在点の認識である。

The difference and disparities
between economy and ecology can be seen in the recognition of
human existence on the coordinates of physiognomical point of view.

『artificial heart:川崎和男展』 相観としてのデザイン


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_14


   


     5月 8th, 2009  Posted 9:50 AM

このところ、「多忙」です。
これはとてもいいことではありません。
体調=心臓の負担も自覚できるようでは、
不安になってしまいます。

そして、最も不安なことは、
「パンデミック」がとうとう起こってしまいました。
私の直観は当たってしまいました。
「ワクチン・シリンジ」の開発、
01_1stsyringe それは、PKD(Peace-Keeping Design)という世界的なデザイン運動の
具体的デザインとして提案し、マスコミにも取り上げられています。

そして、今、金沢21世紀現代美術館で、
「愛についての100の物語」という大規模な企画展に招待されて、展示をしています。
21museum003 21museum005 21museum007 21museum033 21museum034 講演にも行く予定です。

さて、このブログはむずかしいと周囲に言われています。
しかし、この程度ぐらいは読みこなしてほしいのです。
なぜなら、「貿易立国・日本」は、
すでに、「産業の方向性」を間違っていることを指摘しておきたいのです。
たとえば、「マクロ経済」と「ミクロ経済」という分類がありますが、
この分類はすでに時代遅れなのです。

簡単に私的解説をしてしまうと、
「マクロ経済」は、世界経済・市場論・貨幣論を語ってきました。
「ミクロ経済」は、日常生活での市場論と大雑把に言っておきます。

私は、「市場論」と「貨幣」について、
「スピード論」が決定的に欠落しているのです。
「貨幣のスピード」について見届ければ、
たとえば、「都」と「鄙」、
すなわち、「都市=大都会」と「地方=田舎」での
「貨幣価値」に速度性があるということです。


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