kazuo kawasaki's official blog

Archive for 10月, 2010


10月18日Staff Blog


   


     10月 18th, 2010  Posted 3:08 PM

10月18日

週末の福井県立こども歴史文化館にて
BOSS(川崎和男 KazuoKAWASAKI)の
お話会を行いました。


特別展示は、
10月2日より11月7日まで開催中です。


常設展示の「達人のひろば」コーナーには、
眼鏡、越前打ち刃物タケフナイフ、
車椅子CARNAなど、
世界で評価を受けた作品を展示しています。


常設展示には、
福井出身のたくさんの偉人、
達人が展示されています。
ノーベル賞を受賞された
南部陽一郎先生など。
白川 静先生のコーナーに併設されている
漢字の部首の構成となりたちを
手のひらに映して体感する
BOSS(川崎和男, KazuoKAWASAKI)


お話会には、
定員の倍の皆さまにご参加いただきました。
ありがとうございます!
「勉強を好きになる方法」の秘伝?
をこども達に伝授。


こども達へのメッセージ。


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10月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 18th, 2010  Posted 10:00 AM

10月18日 先勝(辛丑)

感性というのは、
「感」という文字が、
口の中に含められるもの
すべてを含むように、
心の中に、ため込む力のことだと、
中国の古典は定義している。

『デザインは言語道断』罵倒


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『資本主義からの逃走』
    「情報空間の再定義と新定義をはじめたい」


   


     10月 18th, 2010  Posted 12:54 AM

情報化革命・情報革命
20世紀は、大変な時代だったと思います。
二度の世界大戦後は、大きな反省もしましたが、
今度は資本主義と社会主義の対決、冷戦が世界を覆いました。
ようやく、この冷戦も終わったかと思ったら、民族闘争、宗教対決が始まりました。
この背景に加えて、環境破壊が進行し、地球上の人類その存続すら危ぶんでいます。
そのようなことをひきずりながら経済体制での大きな転換が起こっています。
私たちは、20世紀直前に、大きな技術革命に巻き込まれました。
コンピューター・パソコン・ネットワーク・インターネット・ユビキタスなど、
冠詞化されたり、述語化される革命に直面している日常空間の中に生きています。
私たち日本では、それを「情報化革命・情報革命」と認識してきました。
情報空間という呼称
私は、こうした革命の環境を「情報空間」と呼んでいます。
それは、「何が情報で、情報が何で、そうして日常性に大きく関わってくる情報環境の空間」、
そんな意味を私は含ませたいと考えるからです。
「情報空間」とひとまず呼称すれば、
現実の日常性から、将来への理想的な夢や希望の空間を創り出せるかもと自分に期待するのです。
「情報空間」は、自分に限らずもちろん、人間、人類、世界を包含する空間になると考えます。
そこで、あらためて「情報空間」を詳細に分別したり、熟考していくことで、
この空間での情報をもう一度検分することがデザイナーの職能義務だとさえ思います。
再定義と新定義への衝動
つまり、「情報空間」そのものを進歩させ、この空間と人間・自然・人工物、
さらには、過去=歴史から、未来づくりの基本を見つけ出したいと願うからです。
たとえば、敗戦後、日本の情報空間がどのように形成され、
現実、どんな問題を抱え込んでいるのかも再確認しなければならないという衝動があります。
この衝動は、日増しに拡大しています。
だから、なんとか、「情報空間」の再定義を試みて、さらに新定義を見つけ出すことが、
問題解決かもしれないというイメージが衝動とも同居しているからです。


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10月17日Staff Blog


   


     10月 17th, 2010  Posted 1:12 PM

10月17日

講演のため、福井に滞在中の
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。

タケフナイフビレッジと
オータキペーパーランドの皆さんとは
もう30年のお付き合い。

デザイナーが伝統工芸産地に入り、
「触媒」となり化学反応のごとくに
「活性化」が起こりました。

後継者となる方々も各地から来られています

絶品、おろしそばを囲んで。

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10月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 17th, 2010  Posted 10:00 AM

10月17日 赤口(庚子)

なぜならば、
「言葉」は、
「言」という文字にすでに
「剣」が包含されているからだ。

『デザインは言語道断』面罵


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10月16日Staff Blog


   


     10月 17th, 2010  Posted 12:19 AM

10月16日

本日は越前打刃物展関連講演
「伝統工芸産地のこれから」を
武生駅となりの講演会場で行いました。
たくさんの方々にお越しいただき
まことにありがとうございました。


また講演の前には
越前市ふるさと大使としての
委嘱式も行われました。
ふるさとへの
BOSS(川崎和男, kazuo kawasaki)の
熱い思いが伝わったのでは
ないかと思います。


講演の後はタケフナイフの方々と一緒に
「鎚の響」特別展示を見学いたしました。
刃物の歴史について説明を聞いている
BOSS(川崎和男, kazuo kawasaki)です。


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『資本主義からの逃走』
    「小さな空間としてのローカル」


   


     10月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

小さな空間
マルキストとして著名なリオタールは、
「大きな物語」と「小さな物語」を歴史論から、
ポストモダニズムの提言にしたことはもう忘却されているでしょう。
私は、この分析・解釈、そして新しい時代づくりへの思索的考察が、
耳鳴りになっているのかも知れません。
しかも、反マルキストですから、かえって彼に囚われているのでしょう。
そこで、今、瀕死的な状況にある地方都市の再活性化を、
東京=大きな空間との対比も、この耳鳴りの質が変化する気がしています。
しかも、東京が小さな空間になりつつあることも自覚しなければなりません。
なぜなら、国際的には、気づいたら東京はローカルになりつつあります。
ソウルがあり、上海があり、マレーシアがあり、シンガポールが大きな空間になってきました。
だから、私はことさらに「小さな空間」から再出発です。
その高密度性能、充実した機能、確約された効能をデザインし直すことが、
もっとも大事だと意識しています。
ローカル「越前市」を変える
私が、小学校高学年、中学時代をすごした街、
「越前市」=武生市+今立町の合併)に、デザイナーとして、ここで育った人間として、
「ローカル」の再興を伝えたいと帰省しました。
「0.5次産業化up」
一次産業はすでの1500人、二次産業は19000人、三次産業は24000人、
このデータを見ながら「小さな空間」の近未来産業をデザイナーとして提案したいと思います。
簡潔に、結論は一次、二次、三次を0.5次産業化upしていく具体デザインです。
それは街の伝統文化を「大きな物語り」にする方法を、まずは発想しようということになりました。
一つは、「情報」での価値性アップです。
それは私が取り組み始めたアンビエントアライアンス=ロボット+原子力+情報を視覚化します。
そうすることで、 I see ! とみんなが参画してくれるデザインアイディアだと考え着きました。
これから、この具現化の活動を開始するでしょう。


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10月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 16th, 2010  Posted 2:03 PM

10月16日 大安(己亥)

「自分を表現すること」…
それは、何かをつくることだ。

絵を描いてみればいい。
音楽を創ればいい。
ただし、文章で自己を
表現しない方がいいだろう。

『デザインは言語道断』面罵


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10月16日Staff Blog


   


     10月 16th, 2010  Posted 1:42 PM

10月16日

BOSS(川崎和男, kazuo kawasaki)が
MASUNAGA1905 名古屋ラシック店にて
選んだ新作眼鏡が到着しました。
MP-992です。

クリップオンで
サングラスレンズが装着、取り外せます。
ドクター(医師)のユーザーが
多い商品になったそうです。

MP-992 サングラスレンズを外すと。


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『資本主義からの逃走』
  「大きな空間と小さな空間・ポストモダニズム不要」


   


     10月 16th, 2010  Posted 12:00 AM

「物語り空間」
現代、「空間」の設定は多様に可能です。
私は「物語り空間」ということを設定してみます。
これは多分「大きな物語」と「小さな物語」になぞらえた想いです。
「大きな空間」は地球という空間・グローバルな空間であり、
「小さな空間」は故郷という空間・ローカルな空間です。
幸運にも私には、故郷・北陸に福井県という生まれ故郷空間・小さな空間を持っています。
私は、「大きな空間」と「小さな空間」を対比して考えることのできる次元的な空間論者です。
万一、この対比する空間を持ち得ることができないとするなら、それは不運だと思います。
それこそ、産業経済や政治が対象としている「空間」は都市空間であり、
グローバルに国際空間での資本主義的な「富の獲得・分配・蓄積、そして再配分」に、
経済と政治は呪縛されている不運さは不幸さにまで結びついているということです。
産業・経済・政治から離脱するデザイン
このブログタイトルそのままに表現すれば、資本主義からの逃走というのは、
このグローバル性・国際空間の空間認識、その次元性です。
次元性というのは、経済単位と政治単位からの離脱を私は意図しています。
だからといって、古典的な「無政府状態の国際空間」ではありません。
私の意図の核心は、「大きな空間」・「小さな空間」=グローバル空間とローカル空間を、
産業・経済・政治から離脱するデザイン=創造です。それを求めていくには、
「小さな空間」=ローカルの伝統と文化、取り巻いている自然空間が出発点だということです。
ポストモダニズムからの離脱・やや古くさいが
今、地球環境の保全性や自然環境という自然空間、その破壊の修復がそのまま、
人類の存続に直結していることはすでに私たちは熟知しています。
しかし、ローカルの伝統と文化が蓄積されている「小さな空間」から、
「大きな空間」・グローバルを救済する方法論を見つけ出しているわけではありません。
私は、「小さな空間」が次第次第に拡張や拡大し、
あるいは無限に「大きな空間」になっていくという想像力を大切にしたいと思うのです。
多分、「大きな物語りと小さな物語り」と言えば、リオタールを思いうかべるでしょう。
しかも、彼はマルキストです。
なおさらのこと、「大きな空間」と「小さな空間」は、
ポストモダニズムからの離脱をも私は狙っています。


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