kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2010


11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2010  Posted 1:33 PM

11月26日 赤口(庚辰)

床・柱・壁・天井で空間はできる。

その空間と
社会・時代・自然、
そして人間の生活や活動が
どう関係してるのかが
問われる職能である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』自我拡大


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11月26日Staff Blog


   


     11月 26th, 2010  Posted 11:07 AM

11月26日

本日の川崎ブログ番外編
でも紹介している、
矢立と紙で手紙を書く、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

携帯用に、硯と筆を入れる筒が
組み合わさったのが矢立です。


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『資本主義からの逃走』
   「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


   


     11月 26th, 2010  Posted 12:21 AM

文房四宝
文房具というモノは何か心を引きつけます。
「文房四宝」という紙・墨・筆・硯は、
本当に人間の思索にとって、「宝物」です。
小さいときから、書は鍛えられてきたと思います。
しかも、越前和紙と硯は「鳳跡石」のあるふるさとがあったことは幸運でした。
「鳳跡石」
「鳳跡石」は福井県小浜市に江戸時代から伝わりましたが今は引き継がれているのかわかりません。
水戸光圀によって、「鳳跡石」と名付けられたと聞きます。
この硯には水を池に入れると鳳凰の鳥の足跡が浮かぶようだという名辞がです。
ともかく、手紙は、この「文房四宝」に多分こだわっていたいと最近はことさらに思います。
だから、もっともっと「美しい文字」特に「かな」を書きたいと思っています。
今日も大学からもどると、手紙を書きました。

最近手に入れた「矢立」の使い方を自分のものにしたいと思っています。
この「矢立」という道具も素晴らしいと思います。
しかし、本当の使い方・作法を学びたいと望んでいます。
少なからず、私はデザイナーという職業を選んだことで、
万年筆・ボールペンからスケッチまでの文具や画材とともに生きていることも幸運です。
さらに、最近はiPadでの「表現」での手書き文字も美しくしたいと賢明です。


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11月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 25th, 2010  Posted 12:43 PM

11月25日 大安(己卯)

「器量によりて、荷をば持て」
というではないか。

日本の能力によって、
それにふさわしいことをしている事実を、
日本人としては世界に向けて
発信していかなければならない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』器量相発


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『資本主義からの逃走』
   「敗戦で学びながらも、またそうなるのだろうか。」


   


     11月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

米寿ゆえの告白
この歳になるとすでに、
私のほぼ叔父・伯父・叔母・伯母は逝きました。
ところが、まだ矍鑠とした八十八歳の伯父から手紙を受け取りました。
打ち明けられたのです。
伯父は終戦間近に徴兵された事務兵だったとか。
広島に赴任してある日、瀬戸内海に漕ぎ出した時に、閃光と爆音で海に投げ出されたとのことです。
ともかく泳いで泳いでフラフラになりながらようやく陸地に上がると、
そこは地獄だったこと、その描写が書かれていました。
伯父は被爆者手帳を持ちながらも、
そのことはこれまで一切話してこなかった理由も書き添えられていました。
あの伯父の戦争体験を知りました。
被爆者であったことや、連日の死体処理を泣き果てながらやり通したこと。
今日まで、被爆の後遺症に六十数年間、一人で怯えて生きてきたことでした。
そして米寿となり、これで、やっと甥の私はじめ家族みんなに初めてこのことを明かして、
ヒロシマのあの日を語り継ぐ決心がやっとついたとのことでした。
私の父も日華事変で徴兵され大東亜戦争勃発のまま、
満州・蒙古・中国から最終はインドシナ解放戦線で「明号作戦」に関わり、フィリピンに抑留。
帰国したのはすでに28歳だったことだけは、私が大学人になるときに語ってくれました。
晴耕雨読の毎日は「明号作戦」の詳細を書き残す日々でした。
あってはならないこと
終戦から65年という月日は、経済的な景気はどうであれ、秩序ある日常に、
私は生きてこられたと思っています。
それでも私にも、敗戦のトラウマは残存しているようです。
「戦争には勝ち負けがあり、負けたらすべての責務を背負うこと」。
これが最大の問題ではありません。
秩序ある平和な日常の大切さは、
かっての敗戦経験者から聞き取り学びとるべきことがとても重大だということです。
原子力を戦争抑止力にまだしようとする国家の存在があります。
それどころか、国境をめぐって、またとうとう爆撃をやり合う時代に入るのだろうか。
こうしたまったく暗闇に私たちは誘い込まれるのでしょうか。
人間の根源的な悲劇性と壮絶極まりない「哀しみ」に直面しているのでしょうか。
得体無き、恐怖感を覚えます。


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11月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2010  Posted 9:47 AM

11月24日仏滅(戊寅)

制度とは、
是認と不認の度数評価に基づき、
褒賞と製裁によって
決着付けが行われる
社会システムであるというのが、
今の私の単純な結論だ。

『デザインの極道論』量感


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11月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2010  Posted 12:05 AM

11月23日先負(丁丑)

戦争は、勝った負けた。
逃走は、早い遅い。
盜走は、
捕まるか捕まらないかだろう。

何を盗み出すか、
そしてどう捕まらないかが
問題となるのだ。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「相対化をささえる『かたち』と『ことば』」


   


     11月 24th, 2010  Posted 12:00 AM

ようなかたち
私はデザイナーです。
デザインが表現するのは「かたち」です。
デザインは「かたち」に収束・集約します。
しかし、「かたち」というカタチは存在しません。
したがって、モデルとして、「これはこのカタチ」になりますとか、
あるいは「これはこのようなカタチ」になります、と言います。
すべからく、カタチを「ことば」で表現しています。
「このカタチ」と「このようなカタチ」ということには差違性があります。
特に、「このような」ということには印象を喩えるわけです。
印象あるいはイメージを何かに喩えることになります。
コンセプト=ことばの相対性
そこで私は、単純に「モデル」=模型=「かたち」と呼び、
その「かたち」への思慮・思量を「ことば」で表現し、
かつ一言で言い切るとき、それを「コンセプト」と呼ぶことにしています。
つまり、「コンセプト」という「ことば」には、
「かたち」の印象を何事か、のようなと喩えていることになります。
この喩えを集約させる手法は、「ことば」の使い方です。
しかも、この喩え方は現代の教育の中では度外視されていることが問題です。
にもかかわらず、私たちは「かたち」と「ことば」に寄りかかっています。
この寄りかかり方というのは相対的な印象に他なりません。
デザインを介入
いわゆるビジネスモデルは相対的な経営仮説と収益構造によって、
その商品の「かたち」とその説明の「ことば」で成立しています。
私はこのビジネスモデルに欠落している美学性と倫理性を、
さらに、コンセプト=「ことば」を付加することでその印象の強化を求めています。
したがって、私が主張するデザインをビジネスモデルに介入させていくことは、
さらに複雑化させていく印象を与えているものと推測します。
しかし、ビジネスデザインモデルが最も明確にさせることは、
モデル=「かたち」とコンセプト=「ことば」の相対的で「のような」イメージを与えることです。
これまでのビジネスモデルよりも簡潔にする手法にデザインの有効性を訴求すると思っています。


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『資本主義からの逃走』
   「モデリングとデザインコンセプトの相対性」


   


     11月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

モデリングのコンセプト
ビジネスモデルの基盤にデザインが不可欠。
私はこのことを強調主張しています。
理由は、これまで述べてきました。
特に、「モデルづくり=モデリング」については、
デザインコンセプトとモデリングコンセプトを対照化が可能だと判断しています。
ビジネスモデルは、モデルを5つに分類しました。
このそれぞれに、デザイン手法でのコンセプトとの合致性を図ることが可能だと考えています。
     ● 単純化モデル
     ● 構成化モデル
     ● 近似化モデル
     ● 類似化モデル
     ● 同型化モデル
この5つに対照化させるには、デザインコンセプト手法として、
以下の5つをそれぞれに適応と応用により合致性を試みることができると思います。
     ■ 直喩性コンセプト
     ■ 対比性コンセプト
     ■ 類似性コンセプト
     ■ 類比性コンセプト
     ■ 隠喩性コンセプト
この5つ同士の組み合わせを思量する方法を提案します。
モデリング「かたち」とコンセプト「ことば」
ただし、いかにも類似モデルゆえに類似コンセプトということではありません。
つまり、コンセプトその「ことば」とモデルという「かたち」、
この二つの相対性を考えていただきたいのです。
とりわけ、類比=アナロジーと隠喩=メタファーは、「かたち」=モデルとしてはやっかいです。
デザイン手法も最初には「ことば」と「かたち」が同時に起因することがありますが、
モデリングはそのまま「かたち」ですから、
その相対性を第一義にする必要を認めることが大切です。
相対性と絶対性
それは、絶対性を決定するということではありません。
ところが、現代、流行語となった「ビジネスモデル」には絶対性が優先されている傾向があります。
それは、ビジネスモデルが知財権としての独占的な価値が優先されているからです。
私は、ビジネスモデルが喧伝されるほど、その絶対性に懸念を持っています。
あくまでも、モデリングコンセプトとデザインコンセプトには、
相対主義的な発想が必要だと考えています。


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11月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 22nd, 2010  Posted 9:30 AM

11月22日友引(丙子)

しかし、
現代の情報社会において、
大学も組織としての
変革を迫られている。

社会のあらゆる
集団や組織をリードする生態へと
変貌しなくてはいけない。

『デザインの極道論』量感


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