kazuo kawasaki's official blog

Archive for 5月, 2011


5月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 20th, 2011  Posted 12:17 AM

5月19日 友引(甲戌)

面罵
ブルーランゲージを使わずに

『デザインの極道論』面罵


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「ニッポンシンドロームパニックへ合掌」


   


     5月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

大阪が元気になろうとしています。
大阪駅周辺が賑やかです。
しかし私は正直、時代の読み違い。
なぜ、あれほど大型百貨店舗が集合という計画、
これは時代錯覚をしていると私は見ています。
インターネット流通時代に、店舗販売は一時的ブームでしょう。
しかもこの大震災にて、東日本は全滅という国難です。
これは被災地の復興どころではなくて、
ガラパゴス化してしまった日本そのものの再建だと考えます。
無論、被災地には報道で識るだけでも、
被災地格差が次第次第に大きくなり始めています。
この格差が、日本全国が差異性となっているならば、
その差異性それぞれの個性を活性化させればいいわけですが、
差異性は差別化に必ずつながります。
私はこの差別化が一番気がかりです。
とりわけ、原子力の話に触れようものなら、
反原発・脱原発が正論となっている今、
絶対的な原子力推進では無くて、
脱原発にためにも原子力発電の新たな革新をという私は、
まったく推進派と見られているようです。
「チャイナシンドローム」という映画がありました。
1979年製作直後にスリーマイル島原発事故でしたから、
この映画はまさに予言映画でした。
観直すと、映画冒頭での原子炉説明は、
連日、東京電力説明報道にそっくりです。
あの時代から原子力発電所システムは進化していません。
私は、「原子力発電自体の革新」から始めるべきと主張しています。
日本は今、冷静に冷徹に、そして、無駄な対立もせず、
シンドローム=症候群的事態と、パニック=野性的な混乱から、
いかに理性と知性で、この事態からの山積する問題解決を、
まさに瓦礫処理のごとく、懸命になる以外手立てはないでしょう。
そのとき、私たち自身が心がけるのは、
「祈望」するための合掌です。
まだ行方不明者が残っています。
私たちは鎮魂のために天皇両陛下のごとく合掌することで、
自分自身を落ち着かせることしかないように思っています。

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5月19日Staff Blog


   


     5月 19th, 2011  Posted 8:02 PM

5月19日

複数の薬を服用している
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
処方せん薬局も丁寧な
パッケージの薬局を選んでいます。

薬局で処方せんの指示通り半錠に割り、
服用回数毎に分包してくれる所もあれば、
30日分ひとまとめにする所もあります。
こちらは、印字とともに色でも朝食後と、
夕食後を表示してありわかりやすいのです。
誤飲防止に威力あります。


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「ケータイからスマホ、そしてもっと革新」


   


     5月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

2007年iPhoneの登場。
ケータイ電話・モバイルホンは革新されました。
21世紀を具体的に認識できました。
しかし、この数年、日本のケータイはガラケー。
ガラパゴスケータイと呼ばれるほど、
世界から取り残された存在になっていました。
最近ようやく、わが国のケータイはスマホと呼ばれるほど、
スマートホンの世界観に入り込むことが出来ました。
しかし、日本の電話通信会社の通信ネットワークそのものが、
基盤的に変貌しようともしていません。
結果、スマホと呼ばれる新製品が商品の顔を持っても、
世界市場で競合できるOriginは、
全く国際的な提案にはなっていないと評価せざるをえません。
今回、東日本大震災ではTwitterなどソーシャルネットワークが、
最も救助・救済の引き金になったことは確かです。
ケータイも本当なら実際には役に立つはずでしが、
結局、通信会社はケータイの小売店、
そのフランチャイズ企業でしかなかったことを露呈しました。
こうしたことが新製品開発とその商品化を「国際的」にすること、
ほとんど不可能なことを、「スマホのデザイン」が表象しています。
正直、魅力無きスマホが氾濫しているとしか思えません。
少なくとも、私は次世代スマートホンは、
さらに進化は日本のソフト&ハード技術と、
それを支援し誘導するデザインが遂げるべきだと思っています。
私はポイントはいくつかあると熟慮判断しています。
特に、デザイナーに告げるべきことは、
「スマートホン」の次世代、それは通信ギアそのモノ・形式変更。
その形式から形態は、OS自体も変わるべきでしょう。
新たな提案がデザイナーから生まれて欲しいと願っています。
おそらく、「防災グッズ」の第一番目、
それは常に身体装着している通信ギアです。
自己同一性の象徴ギアであるべき通信ギアが必要です。
そして、国際的競合=貿易商品としてナンバーワンのモノこそ、
オリジナリティ・Originであり、
それが次世代の通信アンビエントそのものを変革し、
世界の通信システムBeginを成し遂げるものと判断しています。
iPhoneを超越する「革新的デザイン」が必要です。
そのためには、デザイナーが発案できる能力、
その能力から通信ギアソフト開発デザインだと考えます。

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5月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 18th, 2011  Posted 10:00 AM

5月18日 先勝(癸酉)

悲しいから、
悲しさはどうにもならない噴出できない
心中の痛みである。

この鎮痛薬としてのデザインを
もし発見し、具現化できるなら、
それを目標にしたい。

『デザインという先手』つまれたいたみ


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「製品が商品となって、愛用されるまで」


   


     5月 18th, 2011  Posted 12:09 AM

製品と商品は違います。
その理由はこれまで述べてきました。
また、この違いが分からない企業は、
想像以上に多いものです。
だから、私は仕事をさせてもらうとき、
まず、このことは徹底して知ってもらいます。
さて、昨年までは開発が連続し、
なおかつ問題解決に届かず、
製品開発断念かということに突き当たりました。
こうなったときは、まず、自分がともかくギブアップしないこと。
そして、妥協はしないでともかくぎりぎりこれなら「商品」、
「自分が欲しい、自分自身が愛用できる」という限界まで、
わがままを支えてもらうだけです。
私のルールは、ともかく「自分が満足できるモノ」かどうかです。
今年に入って、サングラスとキーボードが、
やっと「商品」になりました。
サングラスは「商品発表」を自らが演出も考えましたが、
諸般の事情から、むしろ、インターネット告知でいきなり、
「商品発表」そして「商品発売」になりました。
ちょうど一ヶ月です。
すでに、私の不安は始まっていますが、
販売店での対応慣れを待つばかりです。
「キーボード」はまず、「製品発表会」を一昨年前にやりました。
そして、その「製品」から「商品」までの最終仕上げまで、
メーカーにはデザイン条件・デザイン仕様を積み上げました。
無論、メーカー方針との衝突点を解決して、
もっと厳密な私の意図実現には、
初期投資の投資効果によって、
さらに私の詳細なデザインは次段階へということになりました。
「商品化と商品発売」情報への様々な所感は、
非難から絶賛まで様々です。
これはもう何度も体験してきたことです。
自信と自負は、私のデザインはロングライフになることです。
サングラスにしろキーボードにしろ、
初期投資での「商品化」の投資回収で、
次世代への「商品展開」を高度化できるということです。
ユーザーの大賛同があってほしいと願うばかりです。
「仮設住宅」は「佳設住宅製品開発」が、
結局「商品化」にいたりませんでした。
悔しさが大きく残っていますが、その理由を再検討すること。
再検討結果から、もう一度、「商品化」条件をと思っています。

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5月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 17th, 2011  Posted 10:00 AM

5月17日 赤口(壬申)

哀しみを対象にしているだけでは
デザインの本質にまで
降りていくことはできないのではないかと、
最近つくづく感じている。

『デザインという先手』つまれたいたみ


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「太陽・二つのアナロジー物語・その2」


   


     5月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

「天照大神(あまてらすおおみかみ)」。
わが国日本、最初の神話神です。
最近はほとんど忘却していますが、
日本人は「お天道様」、
この日常的守護神に信仰がありました。
太陽がやはり中心です。
その太陽から天地への光と影、光景とは乾坤=天地・陰翳を意味、
この伝承が日食・月食・彗星・雷鳴風雨を風景としました。
この光景と風景に、人と人の関係が情景という景観です。
この景観あってこそ、景気が世情を繁栄させてきたのです。
すべからく太陽を中心としてきた日本の伝統的な伝承神話物語、
それらは、太陽中心主義から生まれてきた日本の経世済民です。
そして先進的宇宙説は科学的な太陽解釈にまで至りました。
太陽表面は核融合と核爆発により、放射能を地球にまで放射。
それこそ太陽の恵みの全体像、
たとえば光合成が地球の生命を育んでいました。
私たちにDNAをも制御してきたのです。
こうした科学が、技術に統合されたとき、
それは歴史の現実、武器としての原爆の発明につながります。
その世界で唯一の原爆被災は日本です。
よって、Atoms for Peace思想は技術立国の大きな期待となり、
米国の支配関係の中での国家目標となりました。
そして今や「原発の安全神話」は崩壊しました。
地震大国、プルサーマル計画、核廃棄物、原爆トラウマ、
そして今回のフクシマ原発事故は決定的に信頼感を失いました。
まさに、太陽表皮の科学的解釈をそのまま具現化し、
太陽への信仰心をそのまま「安全な」という形容動詞で包み込み
「安全神話」としてきた大失策になりました。
光輝く日本列島から53基原子力の光が消えようとしています。
しかし、私は科学と技術の間の神話性、
そのアナロジーはソーラーパネルの寓話性と同一だと見ています。
パッシブソーラーとアクティブアトミックは、
もう一度、科学的立脚点を同次元で見直し、
安全・安心・信頼・効率・そして「人間制御」の新たな手法を
根本からやり直す必要こそ日本のテーマになったとさえ思います。
人類と自然との新たな文明パラダイムを新規化することです。
人類が生き延びていくエネルギーの確保は、
科学技術構造にもう一度、命がけで取り組むべきことであり、
私は、「反原発」・「脱原発」での再生エネルギー観を懸念します。
なぜなら、やはり超然たる自然の制御こそ、
さらに慎重真摯さが人類の義務だと考えるからです。
「脱原発」という幻想物語の氾濫=パニックと観察しています。
私は「脱却解解放パニック」として、
原子力をもう一度新生させる義務を感じるのです。
すでにこれから数万年もの責任放棄こそ原罪だと思うのです。
原子力技術のさらなる進化には、
あらたなコンセプト発想でのデザイン設計が不可欠。
この確信は、太陽に寓話性・神話性からこそ抜け出して、
「新生物語」の核心に原子力を再配置することこそ、
自然エネルギー観への対称性になるものと確信するのです。
太陽へのこれまでのアナロジーを具現化することこそ、
新生エネルギー開発の健全な科学技術構造だと思っています。

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5月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 16th, 2011  Posted 4:11 PM

5月16日 大安(辛未)

デザインはこの悲しみと
対峙していくことができるのだろうか。

これまで、
車椅子になって以来の私は、
「哀しみにデザイン」ということをも
テーマにしてきた。

『デザインという先手』つまれたいたみ


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「太陽・二つのアナロジー物語・その1」


   


     5月 16th, 2011  Posted 1:35 AM

「日出る処」。
わが国日本、最初のレトリックです。
日本の象徴とも言える太陽は、
私たちの信仰の対象でもありました。
だから、太陽の恵みが
そのままエネルギーになることには、
まず、「安心」感があります。
そして、「安心」感はそのまま「安全」性を語りかけてくれます。
「太陽光発電」=ソーラーパネルが受け入れられる、
最も単純な近傍性があります。
しかも、恵みは照射されている温もりそのままは、
太陽との距離感に育まれているわけです。
安心感・安全性・近傍性は寓話性となって、
効率性や信頼性は逆転させる力がありました。
つまり、科学的な太陽の存在が、
そのまま技術進化を見逃してきたのでしょう。
科学から技術への法則は、
安心があって安全を確立させている寓話的アナロジーなのです。
このアナロジーは、科学技術構造=科学と技術の関係性、
科学から技術の近傍性を語りきってくれています。
「ソーラーパネル」は、太陽のアナロジーとして
寓話的エネルギーになっているのでしょう。
けれども、効率性など寓話性に埋没していることには要注視です。
そして、この寓話性はBeginの話に他なりません。
エネルギーの相対的な出発の物語だと私は思っているわけです。

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