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Archive for 7月, 2015


staffblog 7月8日


   


     7月 8th, 2015  Posted 11:55 PM

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『爆買い・中国人の喧噪さに我慢すべきか』


   


     7月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

一人っ子だった私は幸運にも子供時代は、
欲しいモノは祖父から何でも買ってもらえました。
しかし、その祖父から大人になって買いなさいと言われたのは、
鉄道模型のzゲージだったと思います。
それは子供には無理であり当時も相当に高額だったのだと思います。
ようやく大人になっていわゆる「大人買い」をしたのだと思います。
「大人買い」という表現に私は何も抵抗がありませんでした。
しかし、中国人の「爆買い」という行動には、
はっきり言って、大きな矛盾と彼らの行動を嫌悪してしまいます。
「爆買い」というのは、英語でもShopping spreeとか、
Shopping bingeとか言うそうですが、
spreeとかbingeというのも飲めや歌えやの大騒ぎがあるくらいゆえ、
如何に馬鹿げた行動かと思いますが、
昨年は1350万人も来日し、一人平均の物品購入が12万円ですが、
交通費や宿泊費、最近の爆買いでは、
薬・炊飯器・電動トイレ・空気清浄器など、
ともかく「日本製」の性能性への信頼購入です。
これは翻って彼らの工場生産物の性能評価に
全く信頼感が無いことです。
先般などは、MERS感染を危惧して、鳥取県、人口3500人の街に、
忽然と上海から爆買いツアー4000人が出現し一人が100万円の爆買い。
こうなると、中国人の爆買い、その呆れかえるマナーの悪さに日本は
我慢せざるをえないとは、これももっと賢い日本人としての
爆買い対策を受け止める手法がしたたかに考えられるべき、と、
私は思わざるを得ません。
中国語のあの喧噪なspreeやbingeの意味を
あらためてじっくりと見直している有様です。
彼らは日本で爆買いしたモノを愛用してくれるのでしょうか?


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staffblog 7月7日


   


     7月 7th, 2015  Posted 11:55 PM

7月7日

多摩美術大学において、
川崎和男による
特別講義が行われました。

テーマは「造形言語と形態言語」

時間を超えての質疑応答も


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7月7日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

7月7日 友引(甲申)

デザインのダイナミックスは、
悪意と善意、暴力と非暴力、
いずれもが交差しあっていることを確認しておくべきだろう。


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『東京老化と地方消滅にデザイン戦略を』


   


     7月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

ふるさと福井は人口がとうとう78.5万人という弱小地方になりました。
比して、隣の石川県金沢市は北陸新幹線によって、
観光都市は京都の公家文化と対抗して武家文化の街になっています。
地方が消滅し、東京は老化するとかいう本を読んで、
私はこのような議論で如何にも地方創生とか、
地方復活とか言われると、正直、まず東京での議論そのものが変です。
18歳から都会生活に入り、30から46までを福井で暮らしました。
福井では伝統工芸や地場産業にデザイン導入を様々にトライし、
デザイン効果も上げましたが、この地方産業はやがて駄目になる。
東京の大企業も、ベンチャー企業も必ず駄目になる、
この想像は正直すべて当たってきました。
しかし、私が関与してきた企業や産地は決してデザイン効果をあげる!
これは全て成功してきたと自負しています。
大阪を生活の軸にして、京都・福井・東京が副軸的な活動範囲です。
最近、京都の四条大通りが車線幅改正の工事が開始されていますが、
電動車いすで、この舗装は一時的であってほしいと思いますが、
最も安価なアスファルト舗装では醜さは格別なほど醜態です。
所詮、行政の工事ですからほとんど期待ができません。
私の住居のある谷町4丁目の地下鉄駅のエレベーター駅工事は、
毎月毎月工期完成が延びにのびています。
これが企業活動であるなら許せない事だと思います。
せめて、京都の主要大通りの歩道拡張工事です。
せめて、都市計画に
もっとデザイン戦略が入ってほしいものだと私は願ってしまいます。


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7月6日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

7月6日 先勝(癸未)

「喧嘩道」とは、
レジリエンスを
確実に
構築する手法だと思っている。

川崎和男「喧嘩道」


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『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』


   


     7月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

「伝統って何ですか?」とこれまで何度も聞かれてきました。
私が伝統工芸にデザイン導入をして、
ふるさと福井では特に「タケフナイフビレッジ」を創ってきたからです。
伝統=トラッドは、世界的に一つの意味に集約されています。
「統」という漢字には明確にその意味がありました。
それは糸口となることを単に伝えていく伝承とは、
全く意味が違っていて、「裏切る」という意味があります。
端的には、父親の仕事を裏切って=破壊して、
新たな技法を発明して繋いでいくことを伝統というわけです。
ところが、最近の焼き物や日本的な文様を見ていて、
とても気になるのは、日本に限らず欧州の伝統工芸と思える意匠に、
デッサン間違いを多く発見します。
特に、意匠とすべき写生体験の欠落です。
鳥の嘴や足の形、魚の口、植物に葉脈、花弁などはデッサンが狂い、
それをあたかもディフォルメされたかのような意匠にしていること。
こうしたお店で、私は」ついつい大声でワイフに言います。
「コレ、またデッサン間違っているぞ〜」と、
ワイフはそんなに大声で言わないことと窘められます。
が、時には、お店のご主人が出て見えて、
「そうなんです、間違っていますが、日本画の大家の先生なので・・・」。
そんなとき、私のような者でも発見していたと伝えて下さいと。
美大生時代はスケッチの基礎である写生で植物や鳥などを随分描きました。
元来、美大ではすでに高校時代に絵が上手かった級友だらけでしたから、
彼らについていくには、私自身、相当に写生で静物画が描き、
特に、葉脈や花弁、嘴、魚などを描きましたから、
デッサン無しの伝承的なまやかしディフォルメは認めることが出来ません。


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『車いすのレジリエンスとノルアドレナリン』


   


     7月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

最近は身体に明らかに歪みもあり、
大学の同級生がシーティングエンジリアリングのデザイナーゆえ
今度、正確な測定とシート設計をしなければなりません。
もう電動車いすです。米国製で20Kgでとても馬力があります。
電動車いすになって最も気づくこと、かつての車いすでもでしたが、
歩道の傾きは相当なものです。
建築でも安上がりの建物の廊下なども平滑度はありません。
大勢の人混みの中では、スマホしながら歩いている人が余りに多く、
また、銀座や京都では中国人のマナーの悪さには、
ほとほと嫌になるほど、喧噪であり彼らには必ずぶつかるのです。
<私がぶつかっていっているとも言われますが・・・?>
そして、最近とても怖いのは駅のプラットホームです。
写真は、新大阪駅で、ここまで来ればひと安心ですが、
カメラシャッターを押せないほど、
狭いホームを一人で駅員さんの後ろに付いていくのは体が緊張します。
これまで、列車の中で車いすの人は多くて3組見ましたが、
やがて車いすの人が増えてくることは間違いありません。
そして駅のエレベーターに平然と元気な人たちが居ると、
海外では必ず優先されますが荷物も無く若い連中だったら注意します。
それこそ、「車いすだからと言って優先されると思うな!」とか、
その筋の人にも数度出逢っていますが、
私は必ず喧嘩を売ることにしています。
「交番で決着つけよう」とか、自分のノルアドレナリンが出てきます。
これは体調にすこぶる悪いのです。
このノルアドレナリンは肝臓に貯まっていきますから、
この消化方法を考えます。
ともかく、車いすの上の私は、
あらためてレジリエンス手法を考えます。
駅のプラットホームではこれまで
視覚障害者の人が落ちる事故防止策がありますが、
今後は電動車いすでのホーム幅は、
改めてリ・デザインの必要があるでしょう。


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7月5日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

7月5日 赤口(壬午)

喧嘩を仕掛ければ、
それは、
マイナス思考を強めると言われます。
が、
「喧嘩道」なれば、
その解消法を準備済みにすべきです。

川崎和男「喧嘩道」


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『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』


   


     7月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

学生時代には徹底して定本的なデザインの造形、
その形態を暗記させられました。
自分が美しい形態は、自分でスケッチを描いて覚えました。
そのためか、時に、自分がデザインした後になっても、
何か心残るモノの形態が図面で出図しても気になり、
もう一度記憶を確かめると、それはオリジナルデザインがありました。
これはデザイナーの生命線である「模倣」を徹底的に辞める手法でした。
ところが最近は、ジェネリックデザインやジェネリック家具なる、
これは明らかに模倣、あるいはそっくりなモノが平然と商品化されます。
また、それを推奨するような教育がデザイン教育になっているとは、
なんとも情けない限りです。
ファッション=洋装商品でのコピー商品=モノ真似での
金儲け経営者が逮捕されました。
この傾向が強まってほしいと願っています。
私は眼鏡フレームのデザインを30年プロとしてやってきましたが、
この世界も、模倣だらけであり、なんでも展示会などではモノ真似すべく、
デザイナーはトイレでその形態を暗記すべくスケッチしているとも
私は聞いたことがあります。
この模倣を平然とやる中国の商いにはとうとう、
1925年から論議されてきたハーグ協定での国際的な意匠権の条約が、
ようやく執行されるようになりましたが、
おそらく、ジェネリックデザインとかを平然と言っていたり、
亡くなって忘れられたデザイナーのモノ真似を我が物顔で、
解釈性を積極的に歪曲しているデザイナー自身が、
この協定を破ることになるものと私は怖れています。
この模倣はインターネット通販で固められてしまったことも事実です。
「模倣社会」を打ち破るには、徹底した国際的な意匠権と
パブリックデザインの自由意匠権解放に、
徹底的な国際的な理念と哲学が必要です。
しかし、私はもっと強力な知財権としての意匠権確立には、
国際的な罰則が産業経済として必要だと考えています。
なぜなら、平然たるモノ真似デザインは犯罪だからです。


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