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Archive for 3月, 2017


03月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

03月03日 先勝(己丑)

意識にイマージュ、
意識にイメージ、
イメージは感性と個性に
先天的にあるものだ。

川崎和男の発想表現手法


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『プログラミングという作法は美しい』


   


     3月 2nd, 2017  Posted 12:38 AM

久しぶりにプログラム列を読んでみました。
といっても、もはや、自分には無理になっていると思います。
これは最近、バージョンアップをしたiPhoneのアプリです。
コンピュータとの出会いは、社会人になった時、
FORTRANとCobolでの研修を受けたときから始まりました。
それ以後、懸命にはMS-DOSを英国のシンクレア社のZX81を手に入れて、
それで「時計」をプログラムで制作してから、
結局はLOGO言語に行き着いて、
一段とコンピュータの世界に入っていきました。
おそらく、IRIS3030(一台7000万円)を米国で二台も買い取りというか、
日本のクリエーターが買ってくれるなら
もう一台持って返っていいということで、
福井と東京に特別回線を引き、その企業も立ち上げましたが、
それ以後のコンピュータ、ネットワーク企業の闘いは大変なものでした。
結局、CGでの表現もその現場で見たり、
そこで光造形にも出逢ったわけです。
そういう意味では、
コンピュータの世界でデザインをApple社でもやりました。
それだけに今ではなんとかデジタルからアナログの取り戻しが必要と判断。
電子ペンやPadでのスケッチにも慣れていますし、
デジタルでの色彩論などもApple銀座で講習をしたこともあります。
それこそ世界デザイン会議1989ではコンピュータとデザイン部会担当でした。
今では、スマホやApple Watchが手放せ無くなってもいます。
世情では、IoT やBig Dataが極めて喧噪な風潮の中で、
見失っていること、さらにはデザインとコンピュータ、
つまり、「情報」そのものとデザインの関係も希薄になっているようです。
ともかく、このアプリのプログラミングをプレゼンテーションでは、
エンドロールのごとく表現してみようと考えています。
それは、プログラムとはまさにコトのデザインですが、
忘れられているのは、モノのデザインである、パソコン、Padなどのモノ、
こうしたモノのデザイン、その造形が貧しくなっていると評価しています。
プログラミング的に表現すれば「造形エラー」に無頓着になっているのです。
このプログラミングは、果たして「かわいい」でしょうか?
ハードとソフトの関係には明確な作法美があることを見直すべきです。

* 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


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03月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 2nd, 2017  Posted 12:30 AM

03月02日 赤口(戊子)

私たちは「」意識の状態を
「メタ意識」と
簡単に呼ぶことに慣れている。
その時、「像」=イマージュは
消えていることに
もっと
気づくべきだ。

川崎和男の発想表現手法


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『応量器のモノからコトへがデザインの完成形』


   


     3月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

五つの器が重ねられた食器を「応量器」と言います。
が、これを実際に使ったことが無ければ不明なことが多いようです。
応量器を考え出したこのデザインは、生きることと悟るためのこと、
こうしたことを食事の作法にしてきた曹洞宗のいわゆるコトのデザイン。
正直なところ、応量器の周辺が何であったのかとかは忘却されています。
例えば盤・盆・膳とのつながりや、箸・匙・刷の存在というモノのデザイン、
このモノのデザインによって食事の作法は最も優れたコトのデザインです。
?漆仕上げの応量器は、普段の食器であり朱色は儀式用と言われています。
コトのデザインとして重大なことは、
食事をなぜするのかとか、食べることすべての御礼があるということです。
・食事が賄われるまでのすべてへの感謝があり、
・この食を出来るだけの自分であるかという反省、
・正しい生き方をしているかという自分への問いかけ、
・食することは良薬であり、身体の健康を保つことの確認、
・だからこそ、この食によって、自分の生き方を成し遂げること、
この五つのコトがモノのデザインになっていることです。
道元が「典座(てんぞ)教訓」を残していかれたこのモノとコトこそ、
私はモノとコトのデザイン、その完成形だと考えています。
しかし今や漆芸の産地においてもこのことはすっかり忘れられています。
ただ、中学と高校時代に永平寺の第一道場で、
この応量器で食事をしていた私には、二つの思い出が残っています。
まず、お粥はとてもおいしかったのですが、漬け物は苦手でした。
そして、とても毎日が空腹だったことです。
そして食事後にこれを洗うのですがそれは使い古された日本手ぬぐいであり、
この手ぬぐいだけで、顔も洗いしかも板張りのトイレ掃除もしたことでした。
そして、確かに応量器を見本とした漆仕上げ?、いやウレタン塗装の食器が、
選別されたデザイン商品コーナーにあると、
私はこのデザインには、デザイナーの知見不足ととても強い怒りを覚えます。

* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」
*  「水に支えられている命・杓底一残水汲流千億人」
* 『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


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03月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

03月01日 大安(丁亥)

意識にはいくつかの層、
層、すなわちレイヤーがある。
そこで、
非現実的なレイヤーに、
「想像力」を配置すること、
その可能性があるということだ。

川崎和男の発想表現手法


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