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『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』





デザインが装飾と受け取られていることを最も嫌悪しています。
従って、芸能人が「デザインしている」ということに、
最もデザインの本質が最大誤解をされていると主張してきました。
それはデザイン=問題解決の手法であり、
問題解決無関係にスタイルだけの装飾はデザインでは無いのです。
単なるデザインという一般的解釈はデコレーションに過ぎません。
一般的にデザイナー=デコレーターがほとんどだと断言します。
装飾家はデザイナーではありえないのです。
しかし、装飾をデザインすることは出来ても、
装飾だけをデザインされたということは不可能だということを、
多分私は生涯をかけて言い続けることになると考えています。
装飾されたことが経済的な付加価値を持つことは可能ですから、
「装飾」の本質を常に確認することが必要です。
装飾をデザインするその肝心な意味意義を明化することです。
その一例に私が日常使っているモノで「装飾」を視ると、
これらは私がスケッチだけのツールですが、装飾されたモノです。
これらの装飾に一貫しているのは手造り=工芸性があることと、
素材への工芸的な加工性が最高の水準のモノに装飾性を認めます。
スケッチツールとしての「性能性」は、
それこそ100円のボールペンでも一向に構わないのです。
一般的に「機能性」が完備されている設計をデザインと言いますが
これは間違いです。
重大なコトは、日常の使いここちにモノの「効能性」があります。
私の気分でモノの使い勝手に「ここち良さ」を与えてくれるモノ、
それは気分が感情よりも感性を制御するほどの美的影響性です。
つまり性能+機能をさらに効果向上してくれる効能に、
「装飾」されたデザインが加わるということです。
言い変えると、工芸デザインは「装飾」の本質、
それは「これまで感じ取ることが出来なかった」程、
その素晴らしさ=美しさを創出したモノのデザイン=解決値です。


tag: ここち良さ, デコレーション, デコレーター, 付加価値, 使いここち, 効能性, 問題解決, 工芸デザイン, 性能性, 機能性, 素晴らしさ, 美的影響性, 装飾, 解決値


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2 Responses to “『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』”

  1. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:01 AM on 4月 7th, 2014

    [...] なぜなら、自分のデザイン活動への「大きな戒め」だからです。 『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』 『これはデザインの大きな問題である!』 [...]

  2. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:45 AM on 5月 3rd, 2016

    [...] *『売れるより売る文具大賞グランプリ』 *『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可』 *『LTRASONE・問題解決を成し遂げているヘッドホン』 [...]


This entry was posted on 月曜日, 2月 17th, 2014 at 12:00 AM and is filed under 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ, 資本主義から逃走せよ!. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.