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Posts Tagged ‘アプローチ’


『鏡・・・私の造形要素となっている』


   


     1月 27th, 2019  Posted 12:00 AM



「鏡」は、造形要素として使う最初のきっかけでした。
インダストリアルグラフィックでのアイディアと、
さらに、チューナーグリル、
そしてメーターに誰も思わなかった鏡を造形要素とし
Aurex チューナーST210が完成しました。
ギャラリー間での「プラトンのオルゴール」展では、凹鏡球面内の球を
虚像として浮かび上がらせるプラトンのオルゴールや
立体を鏡を介して絵画を出現させる
モンドリアンのオルゴールでもそのアプローチを実践しました。
さらに金沢21世紀美術館では、各展示空間で鏡との
対話、拡張、対立、調和と造形要素としての
鏡への実践的デザインを続けました。
鏡については、美術評論家・宮川淳で賢明に学びました。
「鏡の裏には冥府への道が・・・」があることや、
左右対称ではない「対称性の破れ」、そのデザイン的解釈を
このチューナーで表現しました。
ともかく、営業からは「これが売れるのか?」と詰め寄られ、
すぐに、殴りたくなる私を止めたのはKチーフでした。
私をいつもかばってくれたKチーフには今も頭が上がりません。
若い頃は、デザインを通すためには
力ずくでと目上の人達にも食ってかかっては
「高校時代なら殴ってる」と腕まくりをしていました。
結果、腕力ではなく、あくまでもデザイン力で、
パワーアンプ、メインアンプなどには、
インダストリアルグラフィックと鏡・鏡面が使われる状況になりました。

プラトン

モンドリアン


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『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』


   


     7月 25th, 2017  Posted 12:00 AM



観光とはある意味では私は極端な表現をします。
乞食(こつじき)産業とまで承知、炎上受諾で言ってきました。
もう少し学術的にはエスノセントリズム=自己尊称で見下し思想です。
日本におけるその最大都市は、京都とそして金沢をあげておきます。
まず、観光都市に変わる○○都市が必要です。
京都でも大きな書店には「京都」案内系の書籍が5段で二つがぎっしり。
確実にこれらの書籍にはエスノセントリズムが根柢であることは確かです。
しかし、私は映画館で車椅子対応は、京都と金沢が一番良いのです。
東京は駄目、どれだけ喧嘩してきたでしょう。これはクレイマーでは無く、
最新を知って欲しいと伝えました。大阪?清潔にしてほしいのです。
「前例がありません」と言うのにはデザイナーはそれに挑むのが当然です。
日本の伝統といえばともかく奈良・京都ですが、実際には、美濃と越前。
つまり、岐阜県と福井県の今では伝統工芸と言われる分野、
紙・漆・陶芸(陶磁器ではなく)・機織り(麻と絹)・刃物・です。
ついでながら伝統工芸は沖縄返還時に法整備されたのです。
こうした労働へのエスノセントリズムが綿々と続いているのでしょう。
現代観光客ではなく実際に外人定住していることこそエスノメソドロジー、
それが京都の宮廷文化と金沢の武家文化への新しいアプローチなのです。
ただし、もはや観光都市を前面にすればするほど三つの間違いがあります。
いわゆるお土産を民芸ということと、民藝は全く別であること。
観光商売での高額商品なりのモノづくり=民芸は貧弱になります。
リゾートというのであれば、何度も通う休息場所が景観の情景なのです。
景観には光景・風景・情景があるのです。だから観光は?なのです。


* 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」
* 『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』
* 『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


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『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』


   


     6月 28th, 2016  Posted 12:00 AM



熊本の大震災は未だに終息しているわけではありません。
その後も大集中豪雨や、液状化も起こっていますが、
全く報道がありません。
九州大学・崇城大学は熊本現地にて「レジリエンスデザインチーム」を
大阪大学を中軸にして39大学・デザイン系建築系が支援活動をしています。
チームに「全瓦連」からアプローチがありました。
実際に熊本での特に屋根材・瓦の破壊や家の倒壊に関わり、
「瓦屋根材」への大きな見直しが必要になっています。
その前に大雨対策でブルーシートが大量に求められました。
それは悪徳業者によるいわゆるぼったくり販売が横行したのは事実です。
それと同時に、屋根が重ければ住宅の心柱が歪み、倒壊寸前になります。
屋根が軽ければ、あるいは瓦が地震で落下すれば、心柱は残りますが、
天井が破壊されて雨漏り対策が必然となり、ブルーシート張りになります。
それでも、被災者は、火事場泥棒の可能性があることから、
避難所よりも、いつまた地震が来るか分からない自宅で
生活を余儀なくされているのです。
結局、これまでのしかも阪神大震災・3.11東日本大震災を経験しながらも、
「建築基準法」はもとより、
屋根材・瓦構法など全てのやり直しが必要です。
建築だけに任せておけません。
伝統的な景観となっている「瓦」は、震災毎にダメージを受けています。
全く新素材のしかも伝統的な新規屋根材、
実装された「瓦屋根材」がデザインされるべきです。
それこそ、家屋には安全で安心できる住まい、
どのようなしかも連続している地震にも、
明確に耐震性充分な「瓦屋根材」のデザイン開発が
「レジリエンスデザイン」の大きなテーマになっています。

*『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザイン』
*『仮設という無能な制度設計の住宅』
*『ソーラーパネルは制度で大誤解をあたえその真実が歪んでる』
*『安政の三大地震・伝承されたこと』
*『石巻市へ『までいProject』の提案プレゼン』


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『リニア的アプローチではなくパラボラ的上昇志向』


   


     6月 24th, 2016  Posted 12:00 AM



「デザイン思考」の大欠陥は、結局はデザイナーの思考や発想で、
理系から文系へ、文系から理系へ、それぞれ接近しても
そこそこの中間点での融合知識に定着することです。
その指摘は、あるデザイン戦略家から、
明確に、リニア的な上昇ではなくて、
パラボラ=放物線上での合致点を指摘されたことでした。
その彼からの指摘を聞かされた自分は、
すぐに大阪大学の招聘教授になってもらいました。
これは理系と文系の融合ではなくて、「統合」に辿り着き、
結果、「コンシリエンスデザイン」
さらには「レジリエンスデザイン」の学域設定になりました。
大きなヒントは、リニア的アプローチではなくて、
パラボラ的な合致点の上昇化指摘がとても明解だったということです。
この指摘から、デザイン戦略家としての彼からは、
次のような「コンセプト」と「デザイン」での
美への姿勢がメールされてきました。
これもなおさら自分には理系・文系ではなくて、
造形美からコンセプトは語れず、
コンセプト美から造形は生まれるはずはないということです。
むしろ、美はもともと最初から存在していて、
ただ、コンセプトからでも造形からでも近づけるだけでした。
これはsilienceの原語意味と適合しているということです。
たとえば、大道芸人の素晴らしい演芸に人は感動します。
あるいは、ある人が政治批判を道端で語っていて、
それを聞いたとき、とても賛同できうる知識というより知恵です。
いずれも無名の人の,
その宝石のような美しさある知恵=silienceだということと同価値です。
「コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザイン」
どちらも新たな、それは次世代デザインになっています。

*『学術+芸術の統合性=コンシリエンスデザイン:KK塾』
*『曼荼羅図に「思」と「考」を配置して論理を確認する』
*『造形の言語道断』
*『モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ』
*『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』


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「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」


   


     12月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM



私は、形態=言語という定義である形素に固守しています。
そして、私はデザイナーゆえに、
デザイン言語による表現が形態と呼ばれていると考えます。
そして、デザイン言語=造形言語+形態言語、
すなわち、
デザイン言語=デザインする意味(意図)+デザインされている意味、
だと思っているわけです。
昨夜は、BMW i8が、
今世紀の車はここから始まるという事例を紹介しました。
ところが、BMWの未来へのデザインは、
さらにその次を予感して、
アドバンスデザインとしてモデル化は終わってます。
それは、車もやはり回帰すべき素材を纏っているのです。
「布」=fabricsを纏うという
想像力を技術的実現性へと向かわせていることです。
私は、
織物は「布(ふ)」であり、「膚(ふ)」であることにたどり着いて、
ファッションを評論し始めた経験があります。
「布」は、まさに皮膚のごとく身体を護るがゆえに、
機で織られて発明されました。
文明を指示する「機器」は、寒さから護る布ゆえに機があり、
飢えから護るために器ありの世界観です。
文明の最先端を車は、
その表現形態=技術言語として語られる必要があります。
その語り部としてデザイナーがいるとするなら、
車に「布」を纏わせた言語には、造形言語と形態言語によって、
近未来へアプローチする企業理念です。
こうした企業理念を言語化=形態化するには
デザインは必要不可欠な表現手法です。
私は、
その造形言語の形素に「布」を選んでいることにまた感服しています。
多分、欧州では「布」の感性的要素に、
・「しなやかさ」
・「きしみ」
・「ふくらみ」
・「しゃり」
・「こし」
・「はり」
・「ぬめり」、
この七つの形素が下敷きだからでしょう。
理念を形成すること、いや、創成することには、
言語要素、ソシュール的には音素と彼は呼んでいますが、
私は、言語としての形態には「形素」があり、
造形言語・形態言語の形素には、
造形・形態の要素足る素材への感性が評価軸であらねばなりません。
おそらく、BMWのこのアドバンスデザインの形素には、
七つの感性的要素が明快であるからこそ、
未来を招致するデザイン理念=企業理念が発言する、
造形要素と形態要素が確約していることを感受することができます。
わが国の企業に、企業理念の再構築には、
デザイン言語の音素と形素を
是が非でもデザイナーにこそ準備させてもらいたいと願っています。


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「わが日常の仏様と幸と合掌と」


   


     1月 31st, 2012  Posted 12:00 AM


3.11以後、私は未だに解放されていません。
それは28歳で車椅子生活になってから、
無論解放されてはいないことを強めました。
朝目覚めると
車椅子に乗らないといけないことにいつも本当に嫌になります。
ここで毎日ブログを書いているのはそんな自分への内省表現でしょう。
さらにこの10ヶ月懸命に企画書に取り組み、
私を私ならしめるためには祈りが必要でした。
それでもこの「きもち」を保持し続けることの永遠さを
断ち切りたいとさえ思ってきました。
交通被災後、リハビリも終わって、
父から知人の宗教家の勧めですごい観音像が送られてきました。
即刻、そんな観音像を生活の傍らに置く気にもならず
送り返してえらく父の激怒を買いました。
しかし、人間はいづれたどり着くのかもしれません。
私がAppleのコンサルに入ったときに、
徹底して「曼荼羅」を背景にすべきと思いついたのです。
それが私の仏像興味、仏像知識へのアプローチであり、
仏像の意味やその美術的・歴史的・思想的・宗教的な
様々、広範囲な思考回路が私に取り憑いたようです。
今、生活の傍らにこの三つの仏様がいます。
そして京都に行くと必ず見に行く所があります。
そこにある仏像彫刻を欲しいとさえ思ってしまっています。
ワイフに「あれ自宅にどうか・・・ナンテ・・・」。
老人性鬱病にほとんど囚われていても、
(あれが在れば解決・・・)とすら思ってしまう次第です。
このブログのためにはいつも大慌てでブツ撮りをすませます。
今回も、申し訳なくも大急ぎでカメラに収めました。
仏像写真といえば故・土門拳の写真を思い出します。
そして、彼は仏像を凝視し続けること大変な時間を要したということです。
彼の著作には、確かこのような記述があったと思います。
出典は不明でうる覚えなので正確さはありませんが、
「仏様は、すごい勢いで駆け出す形相がある、
だからその瞬間が来るまで待たなければならない」と。
私はとてもそのような形相に出会ったことがありませんが、
ひょっとすると、
重篤状態で幾ばくかの仏像と対面していたという実感覚があります。
そして、日本おける「オイコノミア」的王座とは、
仏様それぞれの場、まさに曼荼羅に配置された場こそ、仏の座であり、
その座をイメージで捕らえられるかどうかが
日常の平穏さと日常呪縛されている状況での迷いと決断のサイクルです。
それが両手を縛られた「幸」なる象形ゆえに、
あらためて合掌=祈りによって、まず両手から解放させられるのでしょう。


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8月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 2nd, 2010  Posted 7:54 PM

8月02日 先負(甲申)


デザインへの制限なき
アプローチには、
必ず根底に理論と感性をどのように
配置していくかということがある。




『デザインは言語道断』制限


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2月2日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     2月 2nd, 2010  Posted 9:44 PM

2月2日 友引 (戊寅)


数学という
絶対的な
論理構造を求められる分野、
それを学際的に応用し、
知性的な範疇から
感性的な領域に入り込もうとするならば、

カタストロフィー理論のような
アプローチが必然だと、
私は確信している。




『デザインの極道論』かぐわしい


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