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Posts Tagged ‘コピー’


『医工連携を看医工学ベクトルとしてさらに強化』


   


     12月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」で、私はコンシリエンスデザインを冒頭に紹介しています。
今回は、医工連携+デザインで看医工学がコンシリエンスデザインと
極めて密接な関係があることを語りました。
まず、ベクトルとして医学と工学を再定義しても「デザイン思考」では、
語り切ることが不可能なことを伝えました。
その最大の理由は、デザイナー的な思考方法での欠落部が多いことです。
しかも「デザイン思考」は米国からのコピーで、ブーム化しただけです。
医学と工学に、看護学と保健学が加わってこそ、
医工連携では、とても現実的な形態設計もさらに制度設計も困難です。
それこそ、コンシリエンスデザインであり、
これがデザイン思考というブームでは不完全なことをまずは二次元、
二次元ベクトルでの要素を増やすことの提唱をしました。
医学と看護学は安心を与え
医学と工学で対症治療になること、
それも対症療法という曖昧さを排除しました。
さらに、保健学が工学に与えることが安全になり、
看護学と保健学が予防になることをベクトル的に示すことで
看医工学こそ、
医工連携+デザインの真のベクトル的な論理としました。
今回の「KK塾」での私のコンシリエンスデザインこそ、
デザイン思考をブームから解放して、
これが日本からの発信になるという提言にしました。
実は問題は、この2次元上でのベクトル展開だけでは
とても語り切れるものではないことを
次回の「KK塾」につなげることをつたえました。
これは、滋賀医科大+国家プロジェクトEDGEでの基調講演を
さらに深めたものになったものと思います。
私は、2次元上での思考展開では、
いつまでもニュートン的なベクトル展開の限界があると思ってきました。
これこそこれからの実務デザインで、
その革新性につながっていくと考えています。
これはコンシリエンスデザインが
次世紀デザインの基本理念になるでしょう。
今回の「KK塾」の提唱性であり、それは前回、テクノロジストであり、
阪大招聘教授とした濱口氏への講演からのヒントへの回答でした。
しかも、
今回、東大大学院で世界最小のマイクロナノロボット開発者、
生田幸士教授に、
「ブーム」となった時点で、その思考、その行動、
その実績は終わっていると断言してもらいました。
私は、ニュートン的ベクトルでの領域学、その実力を
量子力学、すなわち3次元的アナロジー化していくことを次回示します。


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『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』


   


     11月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。


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『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』


   


     9月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

風景の原意は、暴風雨と彗星、日食月食だと調べたことがありました。
そこで、風神と雷神、風神雷神図ともなれば、
俵屋宗達が描き、その模写は尾形光琳に至り、さらに何人かが模写。
これは、今のコピーだ,インスパイアーされている、という程度ではなく、
明らかに「模写する」という日本美術の歴然たる手法であり
盗作では無いわけです。
風神雷神図に関しては、
特に、俵屋宗達の画面をはみ出さんばかりの構図に特色があります。
そしてこの模写で尾形光琳は風神と雷神を見つめ合わせています。
創始者・俵屋宗達の下界を見下ろしている意味性を光琳は変えています。
今、私は自宅玄関に「デジタルアッサンブラージュ」を実現し、
画面表示とLED照明との一致化を実験していますが、
この「デジタルアッサンブラージュ」にて、
風神雷神図をデジタル模写と風神と雷神の眼球運動で、
宗達画と光琳画の視点移動だけではなくて、
来宅者目線を移動できないものかと考えています。
風と雷はまさに気候による風景を象徴し、しかも風景を決定づける
この両シンボル視点移動の表現だと思っています。
玄関でのデジタルアッサンブラージュは実験ですが、
やがてはデジタルサイネージを超越する技術進化になるはずです。
すでに、冬にはこのアッサンブラージュ内で焚き火が燃えています。
丁度、大阪城や好きなお城や仏像もコンテンツになるでしょう。
今は自宅玄関で、WiFiとIR、そしてLED照明に過ぎませんが、
これらは、デジタルアッサンブラージュとして、
ホーム全体の空間、ホテル、ホスピタル、訪問看護領域に多大な影響、
それらのコンテンツデザインが必要になることは明らかですが、
そのためにも、俵屋宗達の雷神と風神の視点と、
尾形光琳の雷神風神の視点をも動かせるデジタルアッサンブラージュこそ、
私はこれからのオーディオ・ビジュアルを実現する、新素材での
全く新しい空間デザインになると考えています。
デジタルアッサンブラージュは風景を風神雷神図から受け継いできた
それこそ、風景を情景化するデジタル技術表現ではないかということで、
しかも、このパッシブなコントロールはセンサーで、
アクティブなコントロールはスマホアプリで、
可能になることだと考え、提案しておきます。


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『デザイン思考には造形言語論と形態言語論が欠落』


   


     9月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

デザイン思考ということばと発想手法が普遍化してきました。
しかし、この普遍化でデザインの意味論は、
今回、あのエンブレムやコピー(盗作)で、デザイン界そのものが
大きな疑念に包まれてしまい、デザイナーとして大迷惑でした。
私は、すでにデザイン記号論として、
造形言語=デザイン意図=designing language=デザイン意味表現と
形態言語=デザイン内容=designed language=デザイン意味伝達を
コンシリエンスデザインとして論理構造化してきました。
つまり、デザインは、造形言語でデザイン意図の説明を
どれだけデザイナーがプレゼしたところでデザイン義務は半分です。
デザインされたモノやコトを受け取るのは形態言語です。
デザイナーはデザイン思考の二つを完備する義務があるのです。
デザインプレゼは、造形言語と形態言語を伝えないかぎり、
デザインとそれこそデザイン思考は納得されません。
それゆえに、私はデザイン思考の不完備性を主張してきたのです。
おりしも今回、大迷惑となってしまったエンブレムデザイン審査では
審査委員会の最初の応募者制限から審査委員長周辺の商業主義を
全面的に批判してきました。
だからそれが正当だったと言うわけではありません。
まして匿名投稿している電子掲示板などは、匿名に寄りかかっている
その本当のことが理解されていません。
匿名投稿者は、
匿名であることが真実無意味になっていることを知らずに
匿名だから個人情報が知られていないという認識こそ危険です。
私は美大卒業からプロとして,デザイン界で生きてきましたから、
デザイン界が汚れることには喧嘩を仕掛けてきました。
それは造形言語と形態言語、問題解決=デザインを糧にしてきたからです。
私はあくまでも世の中が性悪説になろうとも、
性善説=『デザインは社会に対する態度』で生きていく覚悟です。


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『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


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『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』


   


     7月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

眼鏡技術が中国にあっさりと盗用されてしまいました。
それは私が福井にいるころ中国から産業養成の留学生として産地が、
彼らを引き入れたことに端を発します。
当時、私はこれは大問題になると、警告を地元で発していましたが、
あまりに人の良い田舎=鄙は性善説での国際親善と国際交流で、
彼らを引き入れて眼鏡フレーム技術を開示してしまいました。
と同時に、中国進出を図った眼鏡枠企業までが中国に工場を建設。
ものの見事に、眼鏡枠産業そのものを中国政府は奪い取りました。
結果、それは3プライス廉価版眼鏡ビジネスを日本国内でも
あたかもベンチャー風ビジネスモデルを支えました。
私は福井市で増永五左ヱ門が開始した増永眼鏡(創業110年)にて、
KazuoKawasakiブランドをやらせていただいています。
眼鏡産業は鯖江市の地場産業を引き起こしましたが開発技術は福井です。
私は増永公認で一度、この3プライスビジネス企業で、
スポーツグラスを最初にやりましたが、すぐにスポーツグラスはコピー。
これは今なお、商品展開していますが、
廉価版とは安物ビジネス?を実感してしまいました。
ところが、中国産の安物に日本市場が呆れ始めると、
こうした産業は、「サバエづくり」を広告展開しています。
しかし、本当の眼鏡枠技術は福井産なのです。
もう、私は30年も自分のブランド展開をして、
特に「アンチテンション」=テンプルを広げようがレンズは固定。
MP690シリーズはフレームデザインを革新したと自負します。
これは2000年に「シルモグランプリ」を日本で最初に受賞しました。
今では、アンチテンションとは言えない構造コピーが氾濫しています。
また、グーグルグラスも製造物責任を無視して世界広告しましたが、
結局、あの実装性の無謀さを知り、商品化はグーグルが中止しました。
私は30周年記念モデルとしてサングラスデザインをMP690展開で
コンフィギュレーションデザインをしたものです。
これまでのサングラス形態実装を根本で変革しているはずです。
私のコピーや今はやりのジェネリックフレームも出始めているようです。
でも、このモデルは、使用した時に、中国製では不可能な構造が
仕組まれていますから、使用感・使い勝手は革新的なはずです。
サバエ産眼鏡フレームの技術は廉価版で使用勝手が異なりますが、
福井産眼鏡フレームには、海外ではたった一ブランドだけが、
競合相手でしかないことを発表しておきます。
鯖江産眼鏡フレームは、3プライス廉価ビジネスや、
安易な手術用具づくりでは、地場産業が朽ちていくでしょう。


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7月31日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

7月31日 先負(戊申)

デザインがまた大誤解されている。

デザインはアイディアではない。
付加価値ではない。

デザインは問題解決の実務である。
だから、
コピーも、
ジェネリック化も、
アプロプリエーションも
「解答」にはならない。
喧嘩相手である。

川崎和男「喧嘩道」


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『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』


   


     10月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

私がよく受ける質問に「アートとデザインの違いとは?」です。
簡潔に極言すると、アートは主観的表現であり、デザインは客観的。
この差異性から、アート手法をデザインで再利用するにしても、
それには、引用、借用、隠喩などのアート手法をデザイン運用する、
その限度、限界については、なんといっても倫理性があります。
その倫理性とは盗作には決して至ってはいけないということです。
最近はインスパイアとかオマージュとかということの限度があります。
ところが、コピーを国是ともしている中国では、
すでに著作権がオープンになっている過去の名作をコピーして、
それを「ジェネリック製品」とか呼び、その原創作者名も表示します。
これはあたかも容認されているかのようですが、
そもそも、最近では「ジェネリック薬品」自体の信用性が医学的にも
否定され始めてきているのが実情です。
かって、著作権・商標権・意匠権・実用新案権・特許に関して、
国家プロジェクトとして、私は特にデザイナーのアート手法について
「文と理の狭間からの飛翔」ーI.P.Annual Report知財年報〈2010〉
「デザインの本質と法的保護の未来を探る」を書いたことがあります。
これはデザイナーも読んだ形跡がなくこの日本でデザイン盗作実態や
盗作全肯定の教育までが私あてにその告発希望がやってきます。
美大生になるとすぐ、私には最も難解であった
マルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q.」を徹底的に学習しました。
結果、デザインでの再教育が極めて必要だと主張しておきます。
それは、デザインとは客観的な表現であり、コピーも盗作も同一、
この倫理観、デザイナー道徳の無いデザイナーやデザイン教育は
決して許されることでは無く、デザイン史実には残らないでしょう。
すでに原創作者が逝去を隠して、オマージュでもインスパイアー、
ましてアプロプリエーションの論理も語れないのは盗作です。

「未構築・非構築な『知財権』と制度設計」
「2010年・行学に向かい合ったか」
「AppropriationーDesignに紛れ込んできている危険性・1」


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『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


   


     10月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

私がふるさとで越前打刃物に関わり再びデザイナーに戻れました。
オーディオに関わり、刃物で復活できた私には、
アナログ・デジタルという技術と伝統工芸が私を鍛えたと思います。
その最大の核心は、ダンディズムを鍛え上げ、
どこまで、一心不乱に修練と精進を身体化させる全うさを学習。
すでに歩けなくなった体であっても生と美を真っ直ぐに見抜ける、
美でもって判断と評価できる力が備わってきた感覚があります。
その実例に、「日本刀」というモノのシンボル性を上げます。
世界中、どの民族も歴史を鍛える武器を持っていたことは事実です。
その武器の中で、なぜ「日本刀」が最高の技能表現であり、
わが日本では三種の神器でもあり、武器を超えて象徴、すなわち、
思想の頂点であり、なおかつ生と死を繋いでいるモノです。
それは一方で、偽物をいやというほど氾濫させてもいます。
特に、武田信玄は文字に最大に拘っただけに、彼の書状ほど、
偽物は多く、彼の刀も武者人形では鮮やかさで語られています。
武者人形は私は外孫一番だったこともあり祖父が買ってくれました。
しかも、当時の武者人形の刀は本物でした。
つまり模造品では無くその刀を引く抜くことが恐かった思い出です。
私は、日本刀は平安末期から鎌倉時代は実用品、武器そのモノであり
江戸時代には文化的な刀装が美しさを創りあげますが、
その模造品であったとしても、根幹の偽物やコピーは禁止でした。
つまりもはや作者不明であっても倫理性あって美学を語ったのです。
昨今では、作者が逝けば、モノ真似、コピー、いや盗作をして
平然としている者を見かけます。まず、倫理観を喪失しているのに、
あたかも自分の創作とは、大嘘つきです。
あたかも、武田信玄刀と言って武者人形飾りと同レベルですが、
時代は真の歴史性を無視する傾向が風潮化されていることを憂います。
結局、本物への真贋洞察には多大な知性を基盤にした感性が必需です。
これは創作者や表現者だけでなく経営者にも取り憑いています。
それが、現代の日本を台無しにしている元凶だと断定します。

「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」
「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


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