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『資本主義からの逃走』
  「政治という形・表現された「かたち」が泣いていた」


   


     11月 3rd, 2009  Posted 4:27 PM

ロシア革命は、体制の大逆転により社会主義を実現。
まさに社会転覆をしました。
そのプロパガンダに、革命の手段として、
「芸術」を最も巧みに運用しました。
したがって、革命に荷担した芸術家の信念が、
私は、その革命を支援したイデオロギーに対して、
とても純粋だったと思います。

革命は、社会のあり方を理想主義的に表現します。
ロシア革命に、その具体例が「作品」になりました。
ロシア・アバンギャルドという芸術運動と言われますが
それらは、やがて「デザイン」と呼ばれるものへと
変更していくのです。
デザイナーが芸術家から職能家になっていきます。
そして次第に、革命の動乱から政治形態を整えていきます。
この革命の進行が理想主義を崩れ始めるのです。
革命後の経過は、革命の主目的から離脱していきます。
異次元な政治形態、すなわちイデオロギーの形は、
革命への動機を、見事に変えてしまうわけです。

ロシア・アバンギャルドと呼ばれた作品に、
その変貌ぶりや、革命意思のゆがみが反映します。
芸術表現も、大きな恣意性をもち始めるのです。

私は、デザインの源流として、
ロシア・アバンギャルドをとらえてきました。
革命のための手法とされた芸術、その応用性に、
「デザイン」の源流と原点を見てきました。
マヤコフスキーは、
「かたちが泣いている」と言ったのは、
革命が、やがてはその指導者たちの権力闘争となり、
社会性・社会正義であった革命動機は、
「政治という形」が変態してしまうのです。

私は、ロシア・アバンギャルド=デザイン源流、
その「作品表現」に、
理想主義に持ち込まれてくる政治的な恣意性を
見つけてきました。
デザイナーにとっては、
必ず、見通しておくべきことだと思っています。

ロシア・アバンギャルドが、
どれだけ、政治的に「作品表現」を変えたのか、
ということです。
次の3つのコーヒーカップが、
なぜいわば同じ「芸術運動」=ロシア・アバンギャルド
それにも関わらず、大きな違いが見られます。

チェオーニン・1921
まだ、特権階級の装飾性から離れられない。
チェオーニン

スエーチン・1923
もっとも、ロシア・アバンギャルドであり、
「純粋な形態」、以後のモダンデザインを決定づけている。
MoMAの収蔵品になっている。
レプリカは今も手に入る。
スエーチン

クズネツォフ・1923
革命指導者は、ロシア・アバンギャルドの作品を好まず、
やはり、特権階級的な表現を求め始める。
グズネツォフ

たかが、コーヒーカップです。
しかし、されどコーヒーカップです。
このコーヒーカップの形態と装飾に、
政治=イデオロギーの恣意性が表現されています。
ただし、この3点とも「コーヒーカップ形態」として、
まったく正しい設計になっています。
余談ですが、昨今のコーヒーカップのデザインは、
デタラメなモノが反乱しています。
これはイデオロギーどころか、
デザイナーがコーヒーカップそのものに対して
きわめて無知にすぎません。

ともかく、私は、ロシア・アバンギャルドに、
本来、理想主義を求めた社会革命が
かたちが泣いている」という言葉、
凝縮された理想主義に、社会主義・共産主義の崩壊は
もう見えていたというわけです。


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