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Posts Tagged ‘システム’


「kobo Touchから見えてくる『青空文庫』の偉大さ」


   


     8月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

電子書籍はなんといっても
評価すべきは「青空文庫」の存在です。
88?90年代、HyperCardの出現時にこの「青空文庫」が登場してから
これまでの活動は大評価すべきデジタル図書館と言っていいでしょう。
そして、日本の出版業界は
大手出版社・出版流通制度に縛り付けられていて、
「デジタル文化」をガラパゴス化したと私は指摘しておきます。
そして、楽天はカナダ・kobo社を傘下にして、
ようやく「電子リーダー」を商品化しました。
ところが、私も購入して大落胆せざるをえませんでした。
批判をしたいとは思っていません。
なぜなら記述すれば、それは「非難」になるものと考えます。
これでは、日本の書籍のデジタル流通を
またまた台無しにしてしまった商業主義そのままだからです。
商業主義であってもいいのですが、問題は、
読書文化を踏み台にして「利益獲得商品」にすぎません。
まだ救いになっているのは、
「青空文庫リーダー」として成立しているということですが、
青空文庫1064冊/11407冊収蔵までしか読めないことが
商品背景に電子書籍データが不完全なことを示しています。
商業主義だけ出版社などは読書冒涜も告白愚弄の有様表示。
私の領域、プロダクトデザインとして評価すれば、
順当なデザインと言いたいところですが、
背面の造形処理などはアマチュアだと指摘しておきます。
読書中の掌的触感は無視されています。
つまり、デコレーション処理造形では「滑りやすくグリップ感』無し。
最もKindleはじめほとんどがこのグリップ感を実現化していません。
願わくば、これはイニシャル商品です。
そして、電子書籍リーダーのシステムは完備し始めたところですから、
第2弾商品は、
「日本ならではの国際的商品化」を絶対に目指してほしいと願います。
「自炊」を個人的、研究室的に進めています。
私たちの「自炊ライブラリー」は、
仲間内的にはさらに大きくしていくつもりです。
今回、kobo Touchは、クレームが多発しましたが、
それはみんなが電子書籍リーダーを渇望しているからです。
むしろ「青空文庫」はまさに裏方として、
本当に日本の読書体系を地道にデジタル化してきました。
私は、「青空文庫」こそ、
すでに書籍のデジタル化を見据えてきた偉大な活動であり、
このことをもっと称讃すべきだと思っています。
kobo Touch2に大きな期待を持っています。
少なくとも印刷書籍形式とデジタル書籍は
「読書文化」として共存していくことが望ましいと考えています。


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「Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後」


   


     7月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

2008年から審査委員を拝命しています。
同時期から「関西海洋教育アライアンス」で、
神戸大・大阪府立大・大阪大の大学院合同講義にて
「海洋デザイン戦略論」も担当しています。
船酔いする私には考えられなかったことですが、
全てではありませんが、デザイン対象として、
海洋・港湾・船舶・造船などに
またひとつ大きな興味を持つようになりました。
デザイン領域は、この海洋関連からも眺め直すことができます。
審査委員も海事教育も、恩師の指示でした。
恩師はグッドデザイン制度も創設者の一人でしたが、
Ship of the Yearを創設し以後審査委員長として、
なんとしても日本の造船や港湾へのデザイン導入リーダーです。
弟子として、海洋船舶業界のデザイン高度化を目指しています。
5年この海事業界に関わり、
日本の船舶や港湾の国際的な位置関係も知るようになりました。
正直、日本の造船は地味だと思いますが、
技術先進国として毎年、驚愕する技術が登場します。
しかし、特に、造船がデザイン主導システムになってはいないだけに、
保守的な船舶だと思います。
ところが、プロペラ駆動や、船舶でのハイブリッド化、
そして急速充電リチウムバッテリー船舶などは、
確実にこれからの造船業界を国際的にも牽引すると確信しています。
風力発電のプロペラなどは、船舶業界の技術導入や、
港湾を現在は土木工学が中心ですが、
絶対に海事工学的に開発すべきだということを発見しています。
今年度の船舶のどこが評価されているのかは、
下記websiteで知っていただきたいと願います。
http://www.jasnaoe.or.jp/commendation/soy_2011.html


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「私の財布はネットワーク・マネーとでも呼ぼう」


   


     7月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

車椅子生活になって以来、
私はお金を持ち歩くということが全く無くなったのです。
これがいいことか、悪いことかというと、
金銭感覚が無い私には最悪のことだと自覚しています。
買い物は大好きだから現代は「便利な時代」になっています。
最も買う物というのは、「本」です。
フリーになったとき、赤坂でデザインスタジオを持ちました。
その時、「私バブル期」だったと思い出します。
一度100万円を持ってすべて使ってやろうと思い銀座に行きました。
結局、丸善で思いっきり本を買ったら10数万円でしかなく、
「お金」ってそのようなモノと割り切れたことがあります。
もし、私が世界一の大金持ちになったとしても、
私は「歩ける身体にはなれません」し、
もうあの世の「父母には逢えません」から、
これがお金というモノの限界です。
今、とりあえずはedyを使っています。
写真のedyは二種類あって、
プラスチックカード入れで最高5万円、edyカードで3万円です。
ともかく、8万円は使えます。
それも一ヶ月に一度程度、コンビニで使うぐらいであり、
大抵はスタッフたちや学生にこれを渡して、
飲み物や軽食を買ってきてもらう程度です。
「貨幣」とは、資本主義社会における重大なメディアであり、
経済システムの要です。
クレジットカードにしても、
「貨幣」の形式と形態はネットワーク・マネーと呼んでもいいでしょう。
ただし、こうしたネットワーク・マネーが日常的な価値、
すなわち、コンビニやファーストフードで使う場合と、
企業M&Aにてビリングシステムではツールです。
この差異性こそ、新たな経済学、あるいは経済システム、
この再設定制度とする論理は見つかっていないと思っています。


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「ISOTでの勘違いを発見」


   


     7月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の文具展は一つのエポック的事件でした。
二つの事件がエポック性を語っていました。
1 アナログとデジタルとの融合が開始されました。
2 二極化スタートの芽生えかも。
まず、デジタル文具が様々な形式で登場してきました。
文房具としてのデジタル化とは、
そのようなシステムは長続きするわけがないという商品の存在です。
それをビジネスニュース番組でも、
「未来の文具」として取り上げているのです。
それはTV報道全般が最近では、
裏付けの知識が欠落していることと連動しています。
「未来の文具」をまったく会場で見つけていないことです。
その商品では無くて、
これが「未来の文具」という見立てが出来ないのです。
アナログ的文具性をデジタル文具との関係で見極めていたのは、
やはり、グランプリになった二つの商品です。
「書く」という文具基本を重要視した二つのノート形式です。
一つはラグジュアリー価格で「書き心地」を世界最高にしたノート。
これは機能性だけでなくて、日本の文具を二極化、
やっと日本の文具の付加価値性を高めていくスタートになりました。
もう一つは、「書く」ことの意味性=アナログ感覚を
デジタル文具に対決化させたノートです。
比して、デジタル化を中国で、
本当はアナログ作業なのにデジタルに見せかけているノートですが、
これは相当なる勘違いであり、海外労働力だけを頼った商品、
文具文化、たとえば情報の垂れ流しは国防的にも大変に危惧されます。
私も使ってみましたが、この高額商品は今後進展しないでしょう。
もっと、
デジタル化をすっきりとさせているメモノートの方を私は選びます。
もう一つは、OEM発注していて、
自社ブランド商品にしているにも関わらず、
その製品の素晴らしさを理解していないブランドが散見できました。
これも勘違いです。
結局、ユーザーの厳しい商品選別眼に、
文具メーカーや文具ブランドは気づいていないということです。
日本の文具がもっともっと貿易輸出品になっていくには、
このエポック性を
再吟味することを文具業界に伝えておきたいと思っています。


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「もう一つは音場システム」


   


     6月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

確実に「音場」空間をつくり出すには、
無指向性のスピーカーシステムが最適です。
美大の卒業制作は、無指向性のシステムでした。
それ以来、無指向性スピーカーには興味がつきません。
そしてB&O BeoLab5は、
ほとんどロボット的なシステムであり、
室内の大きさや、人数、室内の家具配置をセンシングし、
指向性を自動的に制御してくれます。
そして、音楽ソースはBeoCenter2で、
CDはほとんどリッピングしてあるので、
最低50枚だけをこれでの「音場づくり」、
すなわちBGM環境にしています。
私がオーディオファイルとして思うこと、
それは、そろそろ「音場」と「音像」が選択できる環境、
そのシステムが欲しいということです。
整理すると、
「音像」というのは、まさにスピーカーシステムの中央に、
歌手なり演奏者が存在していること。
「音場」とは、空間のどこにいても、
BGMとしての音楽空間になっていてくれることです。
これは、身体を包み込んでくれます。
「音像」と「音場」は明確に、
身体と空間の関係性を「より感覚化」してくれるはずです。


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「司法最高権威のインテリア=恩師の作品」


   


     4月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

私の美大時代・40年前はデザイン関連書はほとんどありませんでした。
だから、国内外の「建築家の著作」は相当に読んでいたと思います。
その時に決意したのは、
「工業デザイナーも言葉を持たなければいけない」ということでした。
それが、連載や著作、
しかも難解な文章のものと易しいもの両方出版をしてきました。
さてその頃、「システム」という言葉が建築界を席巻していました。
そして、私が「システム」の本意を納得したのは、
建築家・岡田新一氏のある一節からの解釈でした。
記憶違いではないと思いますが、
「製図台の前に立ち尽くす私の背後から包み込むシステムとは・・・」
彼の代表作に、国家権威の象徴である「最高裁判所」があります。
そして、そのインテリア、ドアノブからすべからく、
恩師・平野拓夫先生の作品です。
最も、わが国の「司法の最終的裁決の場」ですが、
その場を観ることはほとんどの国民にその機会がありません。
ところが、その最高裁の建築費は倹約の連続だったということで、
最も権威の象徴となる部屋の照明費用が皆無だったということです。
お二人は悩みに悩んで、気晴らしに時代劇の邦画を観にいかれたそうです。
ある場面は「月光の中での立ち回り」、
二人が同時に「これだ!」と合点したことは、
天井から「月明かりを入れる設計」にするということになりました。
その提案がすっきりと通過したというのです。
理由は、裁判は夕方には終了してしまうので、
照明装置や器具はいらないのではないかということになったそうです。
日本の司法の最高決定機関は、
まさに「節電」をしている造形の天井を持つ空間だということです。
おそらく、日本の建築界もこの裏話は知らないでしょう。
先生の著作は、MITから出版されていたり海外ばかりです。
私は意識してコレクションしています。
デザインに対する寡黙さの先生に対して、
私は饒舌に語りすぎていますが、
これにはやはりある恩師から言われたエピソードがあります。
平野先生は、私の著作は必ず読んで感想をいただいています。

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「iPhoneアプリ、六つ目の開発」


   


     12月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

1984年にMacintosh 128kと出会ってから、
私の知識と意識は日常的にAppleで支えられてきたとも言えるでしょう。
そのパソコンがiPhoneという新たな形式となり、
ソフトウエアは「アプリ」と呼ばれています。
私たちはそのアプリ開発をしてその配布販売をしています。
目的は、私が提唱し始めたPeace-Keeping Designの一つの戦術です。
PKD活動の具体的開発は「結核ワクチン」のシステムが今中心です。
その活動支援として、アプリを販売して資金の一部にしています。
今はアプリ一つが85円です。
すでに、5つのアプリを開発配布販売しています。
「時計」HOLA・「TheClock」称号を持つモノをiPhoneに入れました。
「脈拍計」=15回の脈拍で、1分間の脈拍が計測できます。
「黄金比計算機」=黄金比がすぐに計算することが出来て、
デザイン設計時の補助計算機になります。
「緊急時のコール」=HelpCallとして、
声が出なくても助けを呼んだりすることが出来ます。
「手旗信号練習マニュアル」=手旗信号は
知っておいてもいいかもしれない、という提案です。
そして、時刻計測の基本に戻って、
「砂時計」を新たに開発しました。
これら全ては大阪大学大学院の私の研究室で学生達が私のディレクションで
プログラミング化して認証を受けて配布しています。
私の狙いは、これからのデザイナーはアプリ開発も出来ること、
リアルな機器設計とバーチャルな機器設計能力を身体化してほしいのです。
そして、iPhoneアプリには、
知識と意識を良識と見識にするソフトウエアの力があると認めています。
PKDはまさしく、率直に良識と見識のデザイン活動であり、
「デザインが世界を変える」ということです。
その活動の資金確保としては微々たることかもしれませんが、
それでも、その販売利益を得るとともに、学生達の能力を高め、
しかもPKD活動の連続性を告知広報する訴求力をもっています。
アプリ開発は、デザインの根幹である利便性を徹底的に求める
「思いやり」を込めることができます。
是非、こうしたアプリを使っていただきたいと願っています。

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「PKDの途中報告」


   


     12月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

1994年にPKD=Peace-Keeping Designを提唱しました。
阪大に来て本格的かつ具体的なテーマが見つかりました。
それは自分が「敗血症」で重篤に陥りましたが、
復帰してきたときあるひらめきがありました。
私はこれを啓示だと受け止めています。
「そうだ、ワクチンだ!」ということで、
研究室はこのワクチンのデザインシステム開発も、
研究開発テーマに加えました。
緒方洪庵=適塾が天然痘を日本で最初に接種しました。
この伝統からでしょうか、医学系研究科の支援があり、
まずシリンジの開発やドライパウダー化など、
次々にテーマは拡大し同時進行してきました。
現実的即効性から将来的な方向も定まっています。
PKD支援のためにiPhoneアプリもすでに5本販売し、
そのわずかですが売り上げをそのまま研究開発費にしています。
ワクチンも「結核予防」に絞り込みました。
さらに、結核検査は「遺伝子検査システム」を、
これまでは1ヶ月かかっていたものを5時間で、
どの結核なのかまでを認証し、
しかもシリンジは、経皮=注射から経鼻ということで、
シリンジは全く新しい造形デザインにすることができました。
すでに、医療機器メーカーでの試作に入っています。
遺伝子を採取するには喀痰と言って、
痰を吐き出させる方法に苦労していますが、
その方法論と具体的なツールなどもデザイン設計が終了。
今年は中国と韓国でもこの開発デザインを紹介しています。
年内完成をめざしてきましたが少しずつですが進行しています。
世界の人口は日に20万人ずつ増加していますが、
毎日5000人の乳幼児から小児がほとんど感染症で、
ほぼ結核感染で死んでいます。
それは毎日ジャンボジェット機が墜落していると考えます。
ともかく、まっしぐらにこの具現化をめざします。
来年には、このシステムすべてを発表できると確信しています。

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「地方都市の産業活性化策定は金太郎飴」


   


     11月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

かつて名古屋市立大学時代には、
名古屋市の教職員だったので、
「名古屋市2010年計画」の策定に加わっていました。
当時は、「企画」なのか「計画」なのかから、
詰め寄って議論をしたことがあります。
福井時代にも、そして、御用学者的にも国の政策策定、
こうしたことに関わってきましたが、
私の極めて正確無比な言動ゆえに、今ではすっかり、
そうした政策策定には関与していません。
ただし、企業の戦略策定はプロとして関わっています。
理由は簡単です。
地方行政や国家行政はいい加減なことがあまりに多い、
これが私の結論です。
しかし、企業ではそうはいきません。
最も、企業コンプライアンスをいい加減にしている、
そんな企業も最近は見受けられるようなりました。
でも、私にはこのような企業は「やっぱり」なんです。
ところで、「名古屋市2010年策定」は今もその展開、
進行結果の報告がありますから、評価しています。
ところが最近、幾つかの地方都市の2020年から2050年など、
そうした「地方行政政策策定書」、
特に「産業活性化」をいくつか読む機会がありました。
どこでも、項目がすべて同じ=金太郎飴であり、
「企画」なのか「計画」なのかも定かではないのです。
ひょっとして大手広告代理店、銀行系のシンクタンク、
そして大学教授という学識人の委員会だと、
「このようないい加減な策定案」が最もらしく文案に
なってしまうのでしょう。
特に、3.11以前の策定案ならば、もう即刻に書き直すべきです。
「スマートグリッド」・「クリーンプラン」・「再生エネルギー」など、
幾つかの術語がコンセプトになっていて、
その定義が脚注に書き込まれています。
プロとしての判断では、この定義は間違いだらけです。
TVのコメンテーター=評論家といわれる人たちの言説も、
間違いだらけが特に最近は目立っています。
「だから、わが国はシステムが壊れてしまった」。
私は相当に怒らざるをえません。
私は少なからず「商品」という具体物で勝負してきました。
さらに、「地方行政」には、自分たちのふるさと再生、
地方産業の活性化政策で、ブランディングとかマーケッティングとか
グローバリゼーションというキーワードがとても氾濫しています。
ところが、
「デザイン」という言葉が全く無い政策案もあって驚愕です。
それは、地方行政ではいまだに「デザイン」に信頼が無いのか、
あるいは「デザイン」を付加価値程度にしか認識が無いのでしょう。
とても「いい加減な言説」には、徹底的にプロとして言説で抵抗します。


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「消費されてしまう人気・資本主義の社会心理」


   


     11月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

バスキアの映画を久しぶりにTVで観ました。
ジャン=ミッシェル・バスキアは、
グラフティ・アートのスーパースターでした。
しかし、その才能は最後には認められること無く、
最後は薬、そして夭逝してしまいます。
彼とマイケル・ジャクソンが重なりました。
マイケルも薬、それは人気絶頂から、
様々なスキャンダルやゴシップで、
彼も世間から見捨てられました。
ところが、彼ら二人の夭逝によって再び世間、
アメリカ社会は、もう一度スーパースターにしました。
二人とも人種差別を乗り越えて作品に命をかけていた若者です。
アートとミュージック、それぞれの作品は勿論のこと、
彼らの生きた証全てが「商品化」され、今後も価値づけられます。
私は、このアート商品群が資本主義での「消費」、
その非情さが21世紀もまだ引きずっていることを指摘しておきます。
しかも、その資本主義での「商品化」はそのまま「情報化」です。
情報という商品、情報化されるアーティスト存在の価値観です。
情報社会は「スーパースター」をマスコミが作り上げ、
そうしてやがては「潰しにかかる=嫉妬」を有します。
この「嫉妬」こそ、資本主義社会も社会主義社会も、
人間の業、集団社会の社会心理だと考えられます。
ところが、こうした「スーパースター」夭逝は、
社会心理を今度は大きな「同情」に転換します。
これも人間の業の現れ=社会心理なのでしょう。
人間の業が極端に現れるのは、資本主義先進国家です。
今年、わが国は大変な試練と直面させられてしまいました。
それも「消費構造」・「消費空間」にあるわが国の再生です。
破壊されてしまったわが国のあらゆるシステムも、
未だに20世紀の資本主義に引っ張られた中にあります。
無論、私は社会主義はもっと認められる思想ではありません。
それなら資本主義を超える経済主義や政治思想の根幹を変革。
そのようなことまでデザイナーという職能が可能ではないでしょう。
この変更困難な理由に私は楯突いてみたいと考えます。
だとするなら、この国難を直視出来る今、
私は人生最終の「行学」の対象にしていきたいのです。
バスキアとマイケル・ジャクソンへの社会心理、
この実態から多くのことが学べそうです。

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