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Posts Tagged ‘スタッフ’


『実寸のペーパーモデルやレゴブロックでのモデル』


   


     1月 9th, 2019  Posted 12:00 AM



実寸のペーパーモデルです。
これは、私が世の中で一番上手いと思うチーフスタッフが制作しました。
坂野氏が作ったペーパーモデルは
当然デザインを検討するためのモデルで
耐久性をのぞんだモノではないのですが、
坂野氏のはモデルはいつまで経っても堅牢性があって、
実際はデザイン資料として現存もいくつかは保管してあり、
私の個展には展示したことがあります。
チーフの坂野氏は今はいくかの大学でも教えているので
細かなディテールまでつきつめるDNAが継承されることを望んでいますが、
なかなかスタッフの坂野博行氏ほどにはならないでしょう。
なぜなら、ペーパーモデルと同次元で、
新たなアイディアを入れなければなりません。
今ではデジタルソフトで、3D表現こそデザインと思っている、
そんな学生やアシスタントが大勢います。
だから、ペーパーモデルや段ボールでのアナログ性、
さらには、レゴブロックで思考できるデザイナーがいません。      
私自身の考えでは、こういったプロセスが実寸性が最も近いのです。
私はさまざまな世界観でアナログからデジタルを往来しているのです。
アップルとの仕事も、当時レゴブロックで回路図も考え、
それをエンジニアに見せ、実装の回路まで組み込ませてきました。
現在では、5分の1でも家具は考えられるようになっていますが、
今でもベースは実寸モデルがデザインワークと思っています。
角やアールも手が覚えてくれますから、
すべてがアナログから始まっています。


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『「鉄ちゃん」にもどろうか?、と思う』


   


     12月 27th, 2018  Posted 12:00 AM



一応、私もいわゆる「鉄ちゃん」=鉄道模型マニアです。
子どもの頃、どうしても欲しいモノがありました。
当時、私はおじいちゃんに言えば、
買ってもらえると思っていたのでおねだりしたところ、
祖父が私に言いました、
「これは自分が働き出したら買いなさい」。
これはとても高かったのではないだろうか?と思います。
鉄道模型は、6.5mmのZゲージ=今もとても高額で、
16、5mmのHOゲージよりもとても比べものになりませんでした。
東芝で社会人としてスタートし、
在籍していたHi-Fi部門のAurexチームでは、
チーフが、そのZ ゲージ(6.5mm)でジオラマを造っていました。
それこそ、子どもの頃の鉄道熱が再燃しました。
出張にもジオラマが仕込まれたアタッシュケースを持っていく、
そのスタイルに私にはとても憧れました。
蒸気機関車の最終には北海道で
Aurexで生ロクまでしてレコードにしました。
Zゲージのメルクリン社には会員制のファンクラブがあり
そのインサイダー会員になりました。
フリーランスになってからは、
1年ごとにテーマを決めてZゲージの収集を続けました。
私はまず、Zゲージのヒットラー時代の列車や、ガソリンタンク、
それから戦時中の赤十字ラインなどが私自慢の収集歴があります。
ようやく、私ももう一度「鉄ちゃん」にもどろうと思っています。
そういえば、新大阪駅には「D-58」の実物があり、
スタッフには「これ、欲しいんだ」とか言ってます。
来年の抱負として、そろそろZゲージを楽しみたいと考えています。


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『ロートレック出身の町で、入院経験のPFM』


   


     12月 25th, 2018  Posted 12:00 AM



フランスのトゥールーズ(航空宇宙産業)から
約1時間半でアルビの町です。
ここでもいくつかの思い出があります。
フランスと日本の交流記念となるイベントで
私は「産業とデザイン」の日本代表として講演等に参加しました。
アルビでは、国立の鉱山大学を見て回った後、
ロートレックの美術館に案内されました。
この美術館はお城で、
ロートレックの石版まで見せてもらうことができました。
そして、そのアルビ県の知事官舎で、どういう訳か私も表彰されました。
しかし、当時は失業率が4.0%で、デモが起こりました。
危険が及んではと、知事の官舎、といってもお城跡で
その抜け道の地下道を通り町の市場に出て難を逃れました。
このルートは秘密とのことでした。
そこで、過密なスケジュールをこなしていた私は倒れてしまいました。
心臓発作が起こったのです。
ホテルでホームドクターの診察を受け救急車で大きな病院に運ばれました。
何としても役割を引き受けたトゥールーズでの講演はやり切り、
ドクターにお願いし10時間もたせる注射をしてもらい講演会を終了し、
後は、私はその大きな病院で、通訳二人とスタッフたちは
町のホテルで、20日間ほど滞在して日本に戻りました。
海外での入院生活はニューヨークとアルビでその入院環境を知っています。
この経験で、患者へのPFK=ペイシャント・フロー・マネージメントの
説明や開示、看護や食事と客観的にも見つめていました。
医療環境ならニューヨークより、日本よりフランスのアルビでした。
昼食後は、必ずワインを一杯ひっかける
そんな二人のドクターの対応を受けることになりました。


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『経営仮説と収益構造にはジェネリック薬品』


   


     7月 13th, 2018  Posted 12:00 AM



入院してそのまま「骨折」をした私でした。
この「骨折」は明らかに病院のスタッフの無知によるものでした。
そうして、この事故はどうやっても訴訟は出来ないものらしいのです。
今の病院では「医師が院長」という悪しきルールによっている訳でした。
この病院は真に理事長は、売れていると思っているデザイナーに全てを任せ、
スタッフの誰に聞いても、使われている洋服は全員「嫌」と言っています。
が、面白いのは「絶対に私からとは言わないで」と念も押されました。
こういう病院が、デザイナーも入っているからということでOKとは、
絶対に同じデザイナー界ゆえに言い置きます。
おそらく、こういうのがビジネスモデルだとしたらということです。
なるほどデザイナーが入ればそれなりにはできるでしょうが、
私は入院した日に「骨折」し、そのために入院期間が長くなりました。
そして、今の病院ではジェネリック薬品が使われているのです。
「循環器系」は米国ではかなり高額になっています。
ジェネリック薬品は確かに良いのですが、
米国では「循環器系」は辞めているのです。
私はこの病院で薬剤師に、これは確かですか?とも聞けず、
ゆえに退院してから、阪大病院ではジェネリック薬品は、
外してもらいました。
ジェネリック薬品は確かに安いのですが、
それこそ「経営仮説」「収益構造」は病院=患者側では無く、
ジェネリック薬品を使用することは、患者の要求は見事切られていました。
おそらく、この病院ではジェネリックは「収益構造」であり、
なおかつ「経営仮説」では当たりまえなのでしょう。
まず、転院した一日目に「骨折」をし、
しかも、私の希望など無視されたジェネリック薬品を使わされていました。
まさしく米国では「循環器系」事態が
値上がりしている構造も無知だったと今では思っています。
なぜなら、デザイナー・建築家が
「経営仮説」と「収益構造」に巻き込まれていました。
私は海外でも入院しているので、
日本のことをしかっりと報告していくつもりです。


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『車倚子の対応=デザインされていない病院』


   


     7月 12th, 2018  Posted 12:00 AM


本当にこのブログを休んでいました。
1月・2月・3月・4/21までを休んでいました。
この間も、Ship of the Year、日本文具大賞、DESIGN TOKYO・
PROTO LAB、と審査をこなしてきました。
あるリハビリテーション・ホスピタルに入院をしていましたが、
これはデザイン界が関わっているので、
理事長がデザイナーの言われるままに進めてしまい、
こういうやり方は「本当にまずい」と考えています。
阪大からその病院に移るとともに、
「足を骨折」するという大失敗=これはそのセラピストにやられてしまいました。
まず、「車倚子の患者」への対応を、
結局は何にも知らないことを改めて知りました。
「一回の入院も知らないデザイナーは
絶対に病院に関するデザインをやってはいけない」と改めて知りました。
そう言えば、初めて国内で(多分)英国人に
エレベーターで「お・も・て・な・し」を受けました。
ともかく「車倚子の人」はこうやって支えるべき、
ということを知ってほしいと思います。
スタッフの衣服は、一応、「綿織物でこれが最高」という訳はありません。
今では医師やスタッフの人たちがこういう出で立ちでは、
リハビリ病院なればこそ、これも全く駄目です。
リハビリテーションゆえ、「リゾート」という言葉をデザイナーが使っていますが、
「リゾート」とは「何度も通える」ぐらい勉強をしてほしいと思います。
ともかく、デザイナーとして売れていることで
「こんなに安っぽい」「病院」は決してやるべきでは無いと思っています。
そうして、来年は70歳を迎えますので、阪大を辞め、研究室を出ました。
が、こんなに作品・賞杯・玩具まであるかと思いました。
これからも、このブログを書いていこうと思っています。
ご笑覧いただきたく思います。


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『名作倚子であってもやり直しされている実例に学ぶ』


   


     11月 4th, 2017  Posted 12:26 AM




恩師である柳宗理先生は、シャルロット・ペリアン女史来日時に、
彼女のアテンド役によってデザインの世界に入りました。
東京藝大の油絵学科からデザインは生まれたという一つの歴史があります。
そして彼女自身がコルビジェの建築事務所では家具デザインの担当でした。
これは私の想像ですが、コルビジェに家具デザインを知らしめたのは、
彼女ではないかとすら思えてなりません。
したがって、建築事務所でも有能なスタッフが加わると、
その造形がガラリと変わることはいくつも実例を見てきたのでわかります。
それこそ、コルビジェの名作倚子は、実際は彼女のデザインだった、
そんなことを彷彿とさせてもらえる倚子が
日本を周遊していて、その倚子を再考、そんな想像をしています。
コルビジェの名作・シェーズロングという長倚子(左上)がありますが、
これはおそらくペリアン女史が担当だったのではないかと思うのです。
なぜなら、彼女は20年後に日本で竹素材によって、
この倚子を改良改変しているのです。
何と言ってもパイプ倚子を竹の弾力性を利用し、
しかもベースの木製部位も変わっているのです。
これはこのところ、ともかく150点ほど名作倚子を選び直ししながら、
コルビジェの倚子が進化していると気がついたのです。
ともかく、デザイン作品での名作は倚子の世界に顕著です。
私にも数点の倚子がありますが、なかなか名作としてデザイン史にという、
この思いを実現したいと思っているからです。
そしてとても大きな問題は、素材の経年変化があるモノは、
美術館の永久展示品にはならなくなってきたのです。
私の作品であるおそらく最も薄いスピーカーシステムは、
ウレタン素材が経年変化を起こすことから外されてしまいました。
今私の大きなテーマには経年変化を絶対に起こさないことと
リサイクルが確実に可能であることです。
死亡したデザイナーの作品を盗作して、デザイナー名を自分デザインにする
それはデザイナーであることの偽善者ですから、
やがてそんなデザイナーのデザインは全てが駄目になるでしょう。
シャルロット・ペリアンのデザインに学び直しています。


* 『人生が回転して再開、懸命だったあの頃』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』
* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」


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『Mac512Kがすでに福井のデザインスタジオにあった』


   


     9月 22nd, 2017  Posted 12:04 AM



私はデザインをして製品が作品となり、商品化してしまうと、
デザインワークでのスケッチを破り捨てていました。
それが金沢21世紀現代美術館で個展をやらせていただきました。
しかも「プラトンのオルゴール展」は美術館にインスタレーション全てが、
永久収蔵・パブリックコレクションになりました。
その時、このデザインワーク時のスケッチは?と言われて、
「そんなの捨てていました」と言ったら、すごく叱られました。
過去は振り返らないと思っていましたがそれ以来スケッチは残しています。
幸い金沢展の時も、スタッフが一部持っていてくれたので助かりました。
彼は私のほとんど強烈なFAXまで持っていたのです。
先般も、私がMacintosh512Kを、スタッフ全員に持たせて、
そのプレゼンルームもということが本当?とか聞かれたのですがこれが証拠。
これらの写真が出てきて、
ほら、もう当時はFatMacと言われ始めた頃にはスタッフには使わせて、
やっと日本語使用がキヤノンで出来たDainaMacの時代、
私のスタジオ写真が出てきたのです。
このアトリエは福井駅のすぐ近くに3フロアも使っていました。
地下はショールームでした。
まさか、福井なんてという田舎街にこのアトリエがあったのです。
テーブルは人造大理石で、床は4cm高くて、まだまだなのにLAN対応。
その時には海外製でやっと出来たコンピューター室専門のカーペットまで、
Apple本社の連中もおどろくアトリエだったのです。
とりあえず、実在していた、まだ512K時代のMacは
デザイナーが一人一台を使っていました。
その裏側ではMacintoshXLがサーバーだったのです。
当時、MacintoshXLは国内に4台で、キャノン販売からもらったのです。
このアトリエは現在の阪大の研究室インテリアに引き継がれています。


* 『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
* 『資本主義からの逃走』「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・02」
* 「原点回帰と思っている作品」
* 「Power Pointで創造性は破壊されていきます、なぜなら系譜から」
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


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『アドバンスデザインには必ず未来がある!』


   


     9月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



私のデザイン活動では絶対的にアドバンスデザインが圧倒的に多いのです。
したがって、アドバンスデザインはデザイン対価にはならない訳です。
親友からも言われます。
「お前は、もっと金儲けを考えろよ」、
かつての上司も言いました。
「君に教えなかったことは金儲けだ」と。
あるデザイン賞は受賞賞金は、戻らないはずゆえに貸したぐらいです。
私は断言しています。大金持ちにはだれでもがなりたいと思います。
しかし、それこそビル・ゲイツであっても、
どれだけお金があっても、もはや車椅子生活であり、
「歩ける自分にはお金があってもなれません」。
それはお金持ちであっても、明確な限界があるということです。
ジョブズも世界で最高の医療で膵臓癌に臨みましたが寿命でした。
私は確かにプロのデザイナーですから、文字通り、
職能家として金持ちデザイナーであるべきでしょう。
車椅子になったとき、「老後の生き方」類いの本を相当読みました。
全ての本に書いてあったことは、
● 偉大な趣味があっても金儲けをしないこと。
● その趣味で受賞しないこと。
● その趣味を人に教えないこと。
なんなんだ、私のデザイナーという仕事は、金儲け、受賞、人に教える、
そういう職能だとわかったのですから、
デザインは金儲けは当然、受賞はしたい、人には教えたい、どうすればで、
しかも40年、車椅子生活ですが、受賞は相当しましたし、今は与える立場。
大学人であり人に教える立場ですが、教えることは教わること恩師命令です。
だから、たとえばこの2次元バーコードも最先端のアドバンスデザインを
徹底的に追いかけてきました。
おそらくこのバーコードが技術的には最高技術ですが、
現在は最も欠点だらけのQRコードが世界的に普遍しています。
この2次元バーコードでは、8mm正方形で上下左右無し、
和文400文字、英文なら800文字テキストでした。
テキストデータ以外にもデータ化が可能です。
しかもQRコードでは表示不可能性能が表現可能です。
これはある日本の大企業が米国ベンチャー企業との提携でした。
そして、今になって、実はとんでもない2次元から、データ処理が可能です。
このことを知っているのは、私と私が見込んだスタッフ2〜3名のみです。
やがて、これが発展し、いわゆるQRコードでは無理が明確になるでしょう。
かつて、KAIST=韓国科学院(大学院大学)の優秀な学生がこう言いました。
自分はどこでも就職ができるでしょうが、KAISTの教授を目指していると、
なぜなら、
「夢を実現するための問題解決ができるのはデザインしかないからです」と。
アドバンスデザインこそ、デザイナーの本分であり、行学の中心なのです。


* 『妖怪メダル・この単純明快性がメディアミックス性を拡大』
*「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」
* 「ともかくこの本に戻ります・勇気の源泉」
* 『アドバンスデザインを追い求めることが基本』
* 『「新素材」になれば、日本も世界も変えられる!』


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『長友啓典追悼記念展にてデザイン進化を教えられたこと』


   


     7月 30th, 2017  Posted 12:10 AM



最期に私は先達に教えていただいたと、とても感謝しています。
デザインへの不信が、盗作やイベント事故などで、一般化が困難ゆえ、
グラフィックD界とインダストリアルD界、それぞれの問題を
たった一回会ったにも関わらず長友啓典氏の追悼記念展で教えられました。
それこそ。グラフィックDでのポスターというメディアは終焉する気配、
彼の作品は美術館収蔵ではないことです。
が、私は工学院大学(工手学校)であったことを絶賛します。
おそらく、ポスターの源流が情報伝達メディアとしての
ロシアン・アバンギャルドでのロシア鉄道その列車、
車体ボディだったことはほとんど知られていませんが原点です。
そうして、その遺作展で最も輝いていた彼と相棒・黒田征太郞氏と、
さらには、作家・伊集院静氏との作品。
また、おそらく旅行や気がかりな物事への自筆イラストレーションの数々。
私が金沢21世紀現代美術館での個展の時も、作品の原画を求められて、
「あぁ、そういうのは破ってます」、
もの凄く叱られましたが、
幸いスタッフが一部残してくれていたので助かりまいした。
今さらながら、実は自分デザインのグラフィックD作品集はありませんが、
まとめてC.I.デザインなどマーク、新聞挿絵(東京新聞)やスケッチを
出版しようと思い直し確認しました。
ポスターは列車から、B倍全作品などは著名なデザイナーからもらいました。
おそらく情報化メディアは、websiteでの静止画から動画になりました。
デザインは確実に情報化技術の一つとなり、デザイン自体の進化そのものを
デザインする時代に突入しています。


* 『ポケットブックになる「造形思考」が出版』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
* 『存分なデザイナー能力が性能・効能・機能を編集表現』
* 『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
* 「デザインはその発祥から政治的な政策思想だった」」


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『長期使用と所有を見越していたワゴンの存在』


   


     6月 17th, 2017  Posted 12:00 AM



最近の商品、そのデザインでの造形デザインは
何かが欠落しています。
このワゴンは、もうどれほど長期にわたって商品として、
特にワゴンアイテムでは代表格になっています。
私にとってこのデザイナーは、学生時代から追いかけてきた人物です。
したがって、私世代にもイタリアでデザインを学んだ人には
彼の事務所出身者が何人かいるくらいです。
「ボビーワゴン」の愛用者は世界中に相当いるでしょう。
かつて、私もスタッフには、デザイン用具一式はこれだけとし、
Macintosh512kをスタッフ一人一台の時代もありました。
今、自宅にはこのワゴンがあります。
しかし、このデザイナーの代表作としてはこれよりも良いモノがあります。
もし、このデザイナー名を出したら、
せめて代表作を五つぐらいはあげてほしいのです。
したがって、デザイナー名をここで出すことをあえてやめておきます。
このワゴンが登場した頃には、建築界でも「カプセル化」という
造形言語が生まれた時期だと思います。
正直、もう40年近く使ってきて、
私はこの使い勝手がしっかりと分かった気がしています。
最も最近では、このワゴン、あるいはサイドテーブルとしては、
まあまあ3点程度しか無いとすら思っているのです。
大学人になって以来、私のデザインワークでのモノ、
それはまず作品はとても難しいモノが多いのですが、
デザイン作品の審査をしていて、最終的に審査委員長として、
たとえばグランプリを決定することに追い込まれると、
二つのことが見えてきます。
それは審査委員の美的見識力があったかどうか、です。
もう一つは、選別した評価知識が存分であったかどうか、なのです。
このところ、三つの審査を通して、総評、さらには受賞作評価を書いていて、
自分が使用し所有するという基本に対しては、
時代的にはもう一つあるようです。
それはモノの存在が生み出すライフシーンというコトのデザインです。
言い換えれば、情報、あるいはアプリケーションやそのアルゴリズム、
あるいはプログラム化なのです。
この審査チームだと、コレを選ぶかも知れないという期待感、
その真逆の失望感があります。
そんな時、かたわらにあるこのワゴンの中を整理しようと思うのです。


* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 「エレベーターは徹底的革新必要」
* 『「アノニマスデザイン」の代表例に選んだモノが消滅』
* 『デジタルペンは効能性の再考である』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』


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