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Posts Tagged ‘デザイナー’


「結果原因・原因結果からの予知と予測」


   


     4月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

地球環境が1000年に一度を引き込んでいるのでしょうか。
そのような時期に自分の生涯を重ねたくはありませんでした。
私の正直な感想です。
また、スマトラ周辺で大地震がありました。
ということは、3.11の再来が予知・予測されるのかもしれません。
地震は予測ではなく、あくまでも「予知」です。
少なからずこの言葉の意味、コンセプトを読み取ろうとすると、
「科学的」という印象からはずれてしまいます。
私は、地震の予測、あるいは予知、
これは三つの方向から考えられると思います。
それは、結果から原因を見いだす予測の方向と、
原因があるから結果が予知できるかもしれないということです。
大地震は、三つあるのではないかと考えます。
これこそデザイナーのDIVINATIONでしかありませんが・・・。
まず、地殻変動・プレートでのストレス現象です。
これは最も現代地震学の科学性があることになっています。
次が、人間の知恵となっている動物の様々な異変、
特に、魚や鯨の行動異変や大漁が起こるという自然現象もあります。
これは古からの言い伝えにもなっています。
最後が、地磁気力や成層圏での電磁波異変、
これもオーロラの発生緯度低下などの現象です。
私は、この三つがどのようになっているのかは報道でしか知り得ません。
となれば、
報道もこの三つの原因・結果と
結果・原因に敏感であってほしいと望みます。
特に、成層圏と電磁波の関係などは予知どころかまだ未知の領域です。
しかし、オーロラの異常発生が最も、
予知性より予測セグメントが高いと私は思っています。

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「相当困難だと思う」


   


     4月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

先般、被災地の石巻市海岸線にあった瓦礫です。
本来は大きな広告塔だった缶詰のオブジェですが、
看板としては田舎っぽい存在感があったと思います。
デザイナーの私としては美しい看板どころか認めがたいオブジェです。
しかし、
瓦礫と化したこのオブジェは今では石巻のオマージュになっています。
大津波の巨大さ、自然の猛威を表示しています。
私自身被災地に復興計画を提案後、体調を崩してしまいました。
それには現実を凝視すればするほど、
デザインでの復興デザインのあり方を再考させられるばかりです。
が、「なんとしても復興への想い」は決して諦めてはいません。
その復興にデザインは不可欠だと確信しています。
ところが、最近、被災地それぞれの人口流失から、
現政権の無策性、日本の大企業が及ぼす景気感などから判断すると、
「相当に困難」だと思います。
理由を整理してみました。
まず、「地方行政力の実行力が基本的に欠落」しています。
とりわけ人口10万人程度での行政人材に、
その計画性から実行力などを期待することはほとんど困難です。
1000年に一度などは経験値で活動できることを凌駕しています。
しかも、行政機能の範疇に、復興実現などあるべきことでもなく、
ノウハウから創っていかなければいけません。
大震災以前に、日本の各地方すべてが「シャッター街」であり、
その再活性化すらほとんど全滅状態でした。
そこに、大手広告代理店などの「再活性化プラン」や、
いい加減な企画プランナーと自称する連中のプランなども最低でした。
そうしたプランに地方行政はほとんど振り回されてきたと思います。
今回もそうした売り込みが多いようですが、
本物の計画を見極めてほしいと願っています。
私自身のデザインアイディアでも、
16mラインまでの対応デザインをしましたが、
南海トラフでの想定では、20mから36mまでの安泰ラインとなると、
そのデザイン設計でのアイディアを超えています。
今、石巻の瓦礫と化したオマージュを何度も見つめ再熟考しています。

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「青色・好きな色選んだら出逢った音色」


   


     4月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

どういうわけか、「青色」を選びます。
デザイナーになって以来好きな色は持たないという決心を守ってきました。
デザイナーはすべての色に公平であるべきであり、
すべての色が素晴らしいことを伝えるのがデザイナーの役割だからです。
したがって、自分の持ち物もこれまでは様々でしたが、
50代になってからは持ち物はなるべくすべからく「青」に拘ってきました。
だから、青色のモノを見ると、よく衝動買いをしてしまいます。
しかし、決して衝動買いしないモノがあります。
それはオーディオ関連のモノです。
それは自分がオーディオに関してはプロだと思っていますから、
特にオーディオは決して衝動買いはしません。
ところが先般、
ライフスタイル提案のショップでヘッドホンを見つけました。
単に「青色」の発色が美しいと直感したからでした。
まして、オーディオにはその性能に関しては「絶対」を求めます。
オーディオの「絶対」というのは、
私のデザインに対する「絶対」に近い私なりの評価軸の正当性です。
だから、オーディオ性能で求めたわけではありませんでしたし、
ブランド「URBANEARS」も知りませんでした。
ほとんど期待無く、iPodにつないでみて、私はびっくりしました。
私の聴覚では、ほとんど合格の音色でした。
シュアやゼンハイザー、JBL、BOSSをもしのぐ、
素晴らしい音色を持っていました。
あらためて、商品性としてのパッケ?ジや取説を読み直し、
このようなブランドが北欧から生まれてきていたことを知りました。
このブログに私が記述するというのはそれなりに自信を持って紹介したいと思ったからです。
いわゆるオーディオ専門誌ですら、
この製品性能から機能性を評価はしていません。
ならば、私のそれもプロとして、
オーディオとデザインから評価を記述しておきます。
私の「青色追求」にはこれから衝動買いが始まる予感があります。

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「書くための万年筆の真の意味」


   


     4月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

「衣・食・住」は日常生活の基本です。
私はこれに、「医・職・趣」を付加します。
衣食住は文明です。
着て食べて住まうことで人はまず生きることができます。
そして医療・職業・趣味は、まず健康でありたい、
職業を持って社会での役割を自己確認します。
その上で、自分なりの楽しみとしての趣味を持つことで、
生活は文化性を帯びるというのが簡単な私なりの解説です。
私はすでに40年デザイナーという職業を持ってきました。
しかし、医療に関しては車椅子であり心臓障害を持っているために、
いつも不安感を持っています。
私の文化観は常に揺らいでいるのでしょう。
それだけに「趣味」の世界に没頭しているのかもしれません。
とりわけ、文房具、それも「万年筆」には中学時代から憧れがありました。
小説家になりたいと思い出したのが中学時代、
それも万年筆と原稿用紙への単純な憧れがあったからです。
最も、万年筆を収集し出したのは、40代に入ってからでした。
おそらく万年筆のコレクションは相当になりました。
だから、もうこの程度で辞めておこうと思いつつも、
最近、アウロラの新製品(写真)をやっぱり手に入れました。
だからその類いの雑誌も精読するほどです。
ただ最近は、万年筆=「書く」ということには二つの意味を求めています。
一つは、「書く」ことと「描く」こと、
結局スケッチを描くのに最適な万年筆を求めています。
そしてもう一つは「書く」というのは「欠く」ということが原意ですから、
何がまだまだ自分に「欠けているのか」、
それは
「欠落していること」に十分に気づいておきたいと真剣に考えています。
だから、新しい万年筆を手に入れると、ともかく「文字を書いてみます」。
おそらく、「文字を書く」という行為が、
自分の中にある「ことば」を紡ぎ出すことで、自分には無い「ことば」、
欠落していることを見つけ出そうとしている、
本能なのかもしれないと思うのです。
そして、スケッチを描く=スケッチを書くと言うこと自体が、
できる限りの発想を吐き出そうという行為、
すなわち、欠落=「欠いているアイディア」をともかく紡ぎ出す行為だと
自己解釈しています。
そういう意味こそ、「趣味」の核心だと思っています。
「欠落している自分」を探し出す行為なのでしょう。
それが不安な健康・医の世界への
大きな抵抗力にもなっていると判断しています。


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「車とエレベーター」


   


     4月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

アメリカ映画では、
車がメチャクチャに破壊される場面が多いものです。
私はそうした映画を観る度に、
これほど車を破壊する場面が登場するのは、
ある種、現代文明への破壊情念がどこかに潜んでいる、
そう思うことしばしばでした。
しかし、今回の津波の状況では車が押し流されて、
おそらく大変な交通事故があったと思います。
先般訪ねた石巻でもまだまだ瓦礫となっている車の残骸を見ました。
私は工業デザインの世界にいますから、
教え子はじめカーデザイナーはとても身近な存在です。
私自身も車は大好きですから、
新車の話題は人並み以上に興味を持っています。
安政の大地震や大津波の記念碑には
「決して船で逃げるな」との記載が残っています。
今回の津波でも、
「車に乗っていて流された人」はどれだけ多かったことでしょうか。
デザイナーとして、自然災害に対して、
車、そしてエレベーターは不要どころか、
そうした災害に対して何も対策が無いことは大きな問題だと考えています。
「逃げ込めば絶対に命を守ってくれる」
車とエレベーターがテーマだと考えています。
特に、エレベーターは地震や火事の時には、
逃げ込んではいけない場所になっています。
私は逆転の発想が必要だと考えています。
火事や、地震のときに「カプセル」となって命を護ってくれるモノに、
エレベーターや自動車のデザインが必要だと主張しています。
それは、もはや車で海に飛び込んでも絶対に助かってしまう自動車、
そんな自動車が設計実現されるべきでしょう。
そしてそういう技術は日本が生み出すべきと考えています。
新たなエレベーターこそ、日本列島に必要不可欠のモノと考えています。
3.11で学び直し、
さらに進化させるべきモノとして車とエレベーターは
その代表だと考えています。

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「石巻市へ『までいProject』の提案プレゼン」


   


     3月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

一昨夜最終便で仙台に入りました。
それからも最終プレゼンの準備をし、
昨日、石巻市副市長に「までいProject」のプレゼンをしました。
ポイントはいづれ具体的に進行していけば、
明らかにすることが出来ると思います。
プレゼン後に、石巻の現在を日和山山頂から眺めて、
海岸線にはまだまだ残存している瓦礫を見て回りました。
一年経っていますが、やはり、唖然とせざるをえませんでした。
プレゼンにはこれまでの私のデザイナー体験をすべて込めて、
三つの提案を聞いていただきました。
「ブレークスルーのアイディアと具体策と原資計画」を
話した直後でしたがあらためて途方にくれています。
この日本がこんなことになって、
もう一年になろうというのに、
復興どころか、復旧さえまだかなってはいません。
確かに、相当の努力成果で、
瓦礫も巨大なままに捨て置かれたままですが、
復興にはいつとりかかれるのだろうという思いでいっぱいになりました。
副市長はじめ、復興室のみなさんからは、
デザインとしての発想は受け入れていただけましたが、
この具現化に向かう私自身のエネルギーを
維持していかなければなりません。
企画書づくりの間にも、
「本当に可能だろうか」と何度も躊躇しましたが、
私の信念として、
「楽園国家だった日本」をなんとしても取り戻したい、
この思いを保持し続けてきました。
もう一つは、被災地の子供たちの憧れの職業は、
アスリートや芸能人、自衛隊員、消防団員でした。
決して、デザイナーや建築家ではありませんでした。
私はデザイナーとして生きてきましたから、
なんとしても、デザインの力で「復興」ができることを知らしめたい、
それが職能家としてデザイナーの義務だと考えてきました。
これから具体策に突き進んでいく気持ちを
維持していきたいと思いますが、
石巻から女川まで見て回り、
女川はさらにひどくて、今夜は立ち直れないほど疲れています。
しかし、「なんとしてもやってやろう」と、
今、自分に言い聞かせています。

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「博多で一息・キャナルシティ博多の賑わい」


   


     3月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

有田・唐津での出張を終え、
6年ぶりに博多で2日を過ごしました。
かっては、特別老人ホーム(唐津)や健康機能商品開発のアドバイス、
同時に歯の治療で毎月滞在していました。
その時は、新設される札幌市立大学設置委員会にも出席していたために、
札幌・博多を何度も航空機で通うほどでした。
札幌市立大学は学長辞退という大事件も経験しました。
私の生涯での大事件の一つかもしれませんが、
今となっては「大変だったけれどとても良い経験」になりました。
真相は多分、語ることは決してないでしょうが、
学長辞退には一方で激しく罵倒されながらも、
本当に私の事を考えてくれた人たちには今なお感謝しています。
さて、博多ではグランドハイアット福岡に泊まりますが、
私のホテル評価では5本指の一つに入るほど、
国内では最高ランクのホスピタリティがあります。
6年ぶりでしたが、スタッフの皆さんは覚えていただいたようで、
車椅子対応の準備の周到さは日本でトップです。
そして何よりも興味深いのは、
隣接する「キャナルシティ博多」というショッピングモール街です。
私自身はここではそれほど私の物欲・購買欲はありませんが、
子供から大人まで、そして商品アイテムはまさに百貨店ですが、
百貨店を上回るマーケッティングを現場観察することができます。
今回、店頭でテレビゲームに夢中の女の子をしばらく見ていました。
あまり見ているとロリコンに見られるよとワイフから忠告受けるほど、
この子の存在は興味深かったのです。
もうこの子には自分ながらのファッションセンスが
自分自身に育っています。
そして、
このようなゲームに夢中になれるという発見がいっぱいありました。
キャナルシティ博多はさらに拡大し、
博多駅との競合で激しいマーケッティング競争をしていると聞きました。
博多に九州が一極集中している現実がありましたが、
その「活況ぶり」には、
あらゆるファッション性が
百貨店を超えたエンターテイメント性が見事でした。
ただ、競合する店舗同士を見ていると、
「なぜ、こちらの店舗が人気か」というのは、
店舗店頭や店内動線に「拒否記号」と思えることがいくつかあり、
「やっぱり」と確認することができました。
この店頭にテレビゲームは、この子にはたまらなく面白いのでしょうが、
この店舗の「拒否記号」=ショッピング・衝動買いでの
バリアーになっていることは確かでした。
キャナルシティ博多はさらに拡大し、
海外の人気ブランドショップをワイフの付き人になって周りました。
まさにデザイナーとしての視点で楽しむことができました。
そして、これほどの盛況を
なんとしても東日本被災地復興に図るべきでしょう。
「までい-Project」のことが脳内いっぱいのイメージになりました。

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「いっちょらい」


   


     3月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

有田に来ています。
身につけているのは、「いっちょらい」のモノです。
「いっちょらい」というのは福井弁です。
私の発音は未だに福井弁が消えていないようです。
京都生まれ京都育ちのワイフからしばしば指摘されます。
しかし、奈良と京都の文化を支えていたのは、
越前と美濃だという確信があります。
だから私は越前生まれを誇りにしていますから、
福井弁のまま生きていくでしょう。
今出張中ですが、
身につけているのは、すべからく私が選び抜いたモノですから、
多分、形見になるモノばかりです。
時計も私のコレクションの中では特別注文したモノです。
今、日本人のある時計師の方にもいづれ頼みたいモノがあります。
財布はもうこれほどのクロコダイルでしかも青染めは出てこないでしょう。
ブレスレットは、時計に合わせて自作したビーズのブレスレットです。
今年修士修了生には手作りのブレスレットを贈りました。
結構、私の手作りは人気があるようです。
時々、見せびらかすと「いい」と言われると、
ついついプレゼントしてしまいます。
なかなか時間が無いので、ちょっとの息抜きに造ります。
すべての教え子に贈ってやりたいと考えています。
つまり、ブレスレットで手かせとして呪縛してやろうという魂胆です。
カレッジリングも自分の大学卒業年度72アンティークリングを
いつも探して集めているコレクションの一つです。
自分の研究室生にはカレッジリングデザインして
造ってやりたいと考えています。
もう一つのリングは、
私なりにこのデザイナーとは闘ってきたライバルの作品です。
ともかく、私の「いっちょらい」を出張中ゆえに身につけています。
もう自分の時間制限が見え始めていますから、
「いっちょらい」に、
自分の生活を包んでおきたいというのが念願になっています。
有田の新作は、工房工場も訪問し、
スタッフの皆さんに挨拶ができました。

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「書く道具にはなぜか心惹かれて」


   


     3月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

また、硯に心惹かれてしまいました。
パームトップと言っていいほど、
掌に収まる小っちゃな硯箱セットが私を呼び留めました。
「これが私の所に来たがっている」と言って、
ワイフに睨まれながらも買い求めました。
ただ、硯の仕上げはいまいちです。
もう私が要求する技術は無くなってしまったのか、
あるいはそこまで技ある職人さんが
居なくなったのかもしれません。
まずまずの出来映えであり、市価もそれほどではありません。
しかし、筆の出来映えはこれは伝統が確実に生きていました。
硯石も仕方ない出来映えです。
多分、筆から硯など全てがそれぞれの産地で造られているのでしょう。
だから、全体のまとまりには技の差が明確です。
でも気に入っていて、すぐにこれではがきを書きました。
きっと、出張時に持ち歩くことになるでしょう。
もし、自著にサインを求められたらこれで書く、
こんなことをワイフに言ったら、
「相手の人がびっくりしてしまうからせめて矢立にしたら」
と言われました。
それにしても、硯を擦っていると心が癒やされます。
そして、筆をとればますます癒やされます。
これほど癒やされる道具なのに、
どうしても細部の仕上げが気になって仕方ありません。
デザイナーだから、それはひとつの物狂人なのだと自覚しています。
そうして、ちっちゃな硯に向かっていると、
収集しているすべての硯石が気になって仕方なくなってしまいます。
どうして、「書く道具」にこれほど心が引かれるのでしょうか。
でもこれは幸運な性分だと思って満足しています。
リタイアしたら、毎日、硯から万年筆まで、
毎日眺めて過ごしたいと思っています。
そういえば、半年前に注文していた万年筆が届きました。
それがそうした雑誌の表紙になっていて、
「どうしてこうなるモノを選んでしまうの?」と、
またしてもワイフから聞かれます。
「性分」、そしてプロだから、
(幸せな自分だ)と思えてなりません。

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「算盤=知的道具に木の文化が息づいている」


   


     3月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

私は幼稚園は二つ通いました。
最初は基督系でしたが、悪戯が過ぎたのでしょうか、
断られて仏教系になりました。
塾といえば、
算盤塾にみんなが行くので私も行かしてもらいましたが、
「もう来て欲しくない」と塾から三日目に断られ、
通っているふりをしましたが、母にすぐにバレました。
そんなこともあって自分流なので算盤は得意ではありません。
今回思いがけずプレゼントされた作品、
それはデザイナー・蛯名紀之氏の算盤に触って見て、
算盤ブームもう一度というより、
これは絶対に復活させるべき道具!と断定しました。
電卓も競技会がありますが、算盤には段位があります。
以前、「盤・盆・膳」という日本の伝統文化史を自分で構築したとき、
見えていなかったことをこの算盤で思い知らされました。
算盤という基本形態の完成度の高さです。
算盤玉と呼ばれる形態は玉ではないあの形に意味があること。
そして最大に重要なことは素材が「木」であるということです。
プラスチックのソロバンは、
やはり操作感、使用感が身体化されないのです。
これは盤(PAD or Plate or Board)の上にある
象徴化されている数字概念の表徴形態、
それは「木」と指との関係が無ければ成立しないということです。
伝統的な「盤」には将棋盤や双六盤、
今では制御盤や分電盤までありますが、
算盤というのは、計算する道具として、
最も簡潔な形態要素とその配置で計算性能があります。
この計算性能は、指先でトレーニングすればするほど、
暗算というイメージ計算を身体化させてしまう機能性を持ちます。
60の手習いということで、
昨年62の手習いでフランス語会話を大学以来にやり始めましたが、
算盤に向かってみるのも面白そうだという気分になっています。
電卓とはまったく異なるこの算盤は日本の伝統文化であり、
宝だと確信しています。
「算盤」教育は復活させてもいいかもしれない。
私はもう一度算盤を練習してみようと思っています。

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